#119 戦闘の掟
水面が盛り上がり、異形の存在が姿を現す。
第7の使徒である。
今回の使徒は、第3使徒と同様、おおむね人型をしていた。胴体があって、そこから四肢が伸びている。そして、これまた第3使徒と共通で首がなかった。大きく万歳をするように掲げられた両腕の間は曲線を描いて繋がっており、人であればそこに存在するはずの首はない。胴体、胸の辺りに、丸い球状のモノが貼り付いており、それが顔に相当するのだろう。全体的に黒っぽい色合いのゴムのように見えるモノで出来ており、上半身、肩口から腕の先までは外骨格、あるいは装甲なのか、白っぽい色合いの、見た目、硬質と見えるモノに覆われている。
その使徒めがけ、深紅のエヴァンゲリオン、弐号機が走る。
弐号機は砂を蹴り上げて疾走していたが、足を取られることを嫌ったのか、まばらに残る廃ビルの屋上に飛び上がる。そのまま、そこを蹴って次のビルへと飛び移る。そして、更に次のビルへ──を繰り返し、見る間に使徒との距離を詰める。その様は、公平に見て、華麗と言っても差し支えない動きだった。
「シンちゃん、援護を!」
弐号機の──アスカの行動は、作戦に背いている。独断専行で、その結果、予定していた作戦行動は不可能になった。
しかし、ユウキは即座に思考を切り替える。実戦は、なかなか思い通りに行かないものである。それを、骨身にしみて理解している。自身の口にしていること「平和主義者」、そして、見た目や年齢からは考えられないほどに、実戦経験が豊富なのだ。
思い通りに行かないことは、良くあること。
拙いのは、そこで思考停止をして、あるいは、当初の作戦に拘り、目の前の現実に何の対処もできないままでいることだ。
だから、ユウキは即座に、シンジに告げる。
『了解』
シンジは、素直にユウキの言葉に従う。
初号機は援体にしていた廃ビルの影から銃だけを突き出して、射撃を開始する。
パレットライフルから吐き出される銃弾が、狙い違わず、使徒の体に弾ける。接近戦ばかりに目がいくが、一般的に見て、シンジの射撃の能力が低いわけではないのだ。いや、むしろ高いと言えるだろう。ただ、それ以上に接近格闘戦が頭抜けている上、本人の嗜好がそちらに傾いていると言うだけの話だ。更に言えば、エヴァの戦闘に限れば、効果的な遠距離戦闘用の武器が無いという事情もある。
使徒の体表で弾ける銃弾。予想通り、パレットライフルでは攻撃力が足りない。しかし、今回は使徒の気が引ければ充分、弐号機が接敵するまでの間を稼ぎ出すことが目的だ。
果たしてパレットガンの射撃に意味があったのかなかったのか、使徒はその場に突っ立ったまま。何の行動も起こさない。
そこへ、弐号機が突貫した。
『いける!』
アスカの威勢のいい声が、通信機越しに聞こえてくる。
弐号機は、大きくビルを蹴って高々と宙に舞う。
『ああああああ!』
そして、雄叫びと共に落下加速度をプラスした大上段からのソニックグレイブの一撃が、使徒めがけて振り下ろされる。
ソニックグレイブの刃は、狙い違わず、変わらずぼんやりと突っ立ったままの使徒に命中した。
体の中心線から若干右肩寄りに入ったソニックグレイブの刃は、そのまま使徒の体を切り裂き、股間まで抜けた。高震動する刃は、分子の結合すら分離、切断する。それを承知していても、鮮やかな、鮮やかすぎる切れ味。
使徒は一撃で左右二つに開かれていた。切断面からは鮮紅色の、なんだか良く分からないモノが覗いていた。
アスカは、自分の判断が間違っていなかったことを確信していた。
用心深く、まずは情報収集をメインとする。
そんな迂遠なことをするまでもなく、使徒は殲滅された。
この、天才美少女パイロットの自分、惣流アスカ・ラングレーの手で。
そう、全ては自分に任せておけばいいのだ。そうすれば、全てが上手く行く。
何しろ、自分はエースパイロットなのだ。天与の才能を持つ、最強のEVAパイロットなのだ。
鈍いネルフ本部の連中も、これでようやく気が付くことだろう。頼りにすべきなのはサードではなく、この自分であることを。
アスカは、ゆっくりともったいぶるように弐号機を背後──初号機や、指揮所のある方向へと向き直らせた。
「どう? 戦いは常に無駄なく美しくよ!」
勝ち誇るアスカは、賞賛の声を期待していた。
「凄いね、アスカ」
しかし、望んでいた声は一つだけ。それも、忌み嫌っているサードからのモノだけだった。
不満げに、僅かに表情をきつくするアスカに、声が叩きつけられる。
『まだ、終わっていません!』
あの、いつもへらへらと笑っている女の声。
使徒を殲滅を自らの手で果たした。その達成感は、即座に消え失せた。
忌々しい奴。あいつは私の手柄を、素直に認めることもできないのだ。なんて狭量な奴だろうか。
蔑むような視線を、四角く開いたモニター越しに送る。
無能なだけでも許容しがたいのに、現実を現実と認めることもできないとは、全くもって救いがたい。
『パターン青、未だ健在です。使徒、殲滅されていません!』
しかし、アスカの思いを否定する声が響いた。ロンゲのオペレーターだ。
確か、こいつはサード親派の筆頭で、あの女にも近しい。
全く、ネルフ本部は無能揃いだ。
「何馬鹿なことを。真っ二つにして──」
馬鹿どもに、分かり易く伝えてやる。そこまでしなければ、こいつらは納得しないのだ。
それでも、アスカは一応確認するために、振り向いた。そして、目を見開く。
二つに分断された使徒。その体がぶるりと震えると、古い皮を脱ぎ捨てるようにして、左右に分かれたそれぞれの破片が、それぞれ一つずつの個体になって復活していた。
「な、なんてインチキ!」
唖然として叫ぶアスカ。
あまりのことに、一瞬、アスカは自失していた。今が戦闘状態であることを、すっぽりと頭から抜け落としてしまった。
使徒は、アスカの状態など、一遍の考慮もしなかった。
『きゃああああ!』
アスカの悲鳴と共に、弐号機の体が宙を舞った。
自分の意志ではない。二体に分離した使徒の攻撃によってだ。
一瞬の自失。使徒は、その瞬間に弐号機を攻撃していた。無防備に攻撃を受けた弐号機は、大きくはねとばされ、短い空中遊泳の後、重力に引かれて落下する。
『アスカ!』
初号機、シンジが大慌てでフォローに走るが、初動の遅れはどうしようもなかった。シンジも、アスカ程ではなかったとは言え、気を抜いてしまっていたのだ。
初号機のフォローは間に合わず、弐号機は飛沫を上げて海面に墜ちる。そのまま両足を天に向けて沈黙する。どうやら、浅い海の底に突き刺さってしまったようだ。
「惣流さんは?」
「バイタルに、命が危険になるほどの重大な乱れはありません。──が、脳震盪を起こしてしまったようです。シンクロが切れてしまっています」
ユウキの問いに、目の前の端末をめまぐるしい速さで叩きながら青葉が応じる。
「使徒は?」
「現在、観測中──」
ユウキは、モニターに写る二体の使徒に視線を送る。
二対の使徒は、色の違いこそあれ、同じ形をしていた。全体のフォルムの印象も、分離前のモノと大差ない。ただ、万歳のように天に向かって掲げられていた腕が、今度はヤジロベイがバランスを取るかのように下に向けて曲げられている。
「思わぬ情報収集が出来ましたね」
ユウキの呟きには、微かな皮肉が混じっていた。戦自による通常攻撃では、この能力を発動させることが果たして可能であったか。不十分な情報収集で切り上げ、本当の能力を知らぬままに、最終決戦となったかも知れない。それを考えれば、アスカの行動はありがたかったと言えるかも知れない。
勿論、ユウキの考えは皮肉が半分以上だが。
「どうするの? 一旦引いて、立て直す?」
リツコがユウキに尋ねてくる。
使徒の能力が、二体に分離することらしいと解った。弐号機は戦線離脱している。このままでは初号機との二対一の戦いとなる。シンジがどうこうなる、等とは考えがたいが、それにしても、数的不利な状況で戦いを続行することもない。第3東京市まで引いて、味方の状態を立て直してから戦った方が良いのではないか、と言う提案。
体制を立て直す時間を稼ぐための、N2爆弾の準備は戦闘開始以前──最初から出来ている。クリーンな爆弾と言う謳い文句に関わらず、なにやら危険な感じのするN2爆弾であるから、出来れば使わずに済ませたい。しかし、下手をすれば人類滅亡。必要と感じれば、使うことに躊躇いはない。おそらく、ユウキはリツコ以上に躊躇わないだろう。
しかし、ユウキは首を振った。
「どうも、シンちゃんがやる気になっているようです」
見れば、初号機は凄まじい勢いで使徒に迫っている。
「まあ、我を失うほどに興奮しているわけではありませんから、任せても大丈夫でしょう。もう少し、様子見をします。──情報収集を」
「了解」
方針が決まり、指揮所は慌ただしく動き始める。
『良くもアスカを!』
シンジの叫びと共に、初号機が一気に使徒との間合いを詰める。
砂を蹴立て、大きく踏み込む。
そして、その踏み込みからの一撃は──
「出た!」
期せずして、日向を中心に、スタッフ達から叫びがあがる。
出たのは、シンジ必殺のヤクザキック。
それは、狙い違わずに左側の使徒──便宜上、使徒甲とする。もう一方は使徒乙──の胸のコアを捕らえていた。
胸の中央──ヤクザキックの直撃を喰らった場所が爆発したように弾け飛んで大穴が開き、使徒甲の体が吹っ飛んでいく。
相変わらずの、出鱈目じみた破壊力。
しかし──
「拙い」
しかし、ユウキは歓声に沸く指揮所の中で、一人、表情を曇らせた。
「え?」
と戸惑い、ユウキの方に視線を向けるリツコ。
「どうしたの?」
「戦闘開始直後の必殺技──これはもう、破られること必然です」
ユウキの言葉に、リツコは微妙な表情になった。
「そうッスね。シンジさんらしからぬ失態です」
青葉が横からユウキの意見を補強してくる。
「それが、戦闘の掟と言うものッスから」
リツコは、ますます微妙な表情になる。
確かに、テレビアニメなどでは、そう言うことになっている。放送開始直後に放たれる必殺技。それは、たいていの場合防がれ、無効化され──残りの時間は新必殺技の特訓と会得、そして、再びの決戦で、新必殺技によって敵は倒される。それがパターン。水戸黄門の印籠と同様、様式美──あるいは鉄板と言う奴である。
しかし、これは現実だ。
いくら何でも、それは無かろうと、モニターの中の使徒甲を見る。
使徒甲は、ヤクザキック一発で、ずいぶん非道いことになってしまっている。胸の中央部に開いた大穴。殆ど、上半身と下半身が泣き別れしてしまっている。そのまま、重力の働きによって上半身を落っことしてしまいそうな案配──しかし。
「な!」
驚きは、リツコだけではなく、ユウキ、青葉を覗く、指揮所の人間全員が共有した。いや、ユウキ、青葉も驚いているようだから、矢張り全員か。
使徒甲の体に開いた大穴。文字通り、向こうの風景が見えるような大穴だったが、瞬く間に周囲の肉が盛り上がり、あっという間に塞がってしまった。傷一つない状態に戻るまで、殆ど一瞬だった。
「な、なんて出鱈目な回復力……」
呟くリツコの声は、茫然自失の具体例のような響きだった。
初号機は、その間に使徒乙に向かっていた。
使徒乙は、使徒甲のようにただやられるだけではなく、初号機に向けて攻撃を繰り出していた。
振り下ろされる使徒乙の腕。腕の先には、爪のようなモノが生えている。どの程度の攻撃力を持つのか──どちらにせよ、確かめずにおくに越したことはない。
だが、初号機──シンジはその攻撃を避けようともせず、無造作にこちらも攻撃を繰り出していた。
初号機の攻撃は、途中、攻撃を繰り出してきた使徒乙の腕の半ばを捕らえた。そして、あっさりとそれを粉砕し、使徒乙の体に叩き込まれる。使徒乙の腕は文字通り粉砕され、更には攻撃を喰らった肩口の部分の肉が、大きく弾け飛ぶ。
──が、そのダメージも、あっという間に回復してしまう。
「脆い代わりに、回復力が強い? ──脆いかどうかは、シンジ君の出鱈目さがあるから割り引くにしても、回復力は──こっちも出鱈目ね」
リツコは呆れ返った声で呟く。
シンジと出会ってからこっち、自分の信じていた現実という奴が、どんどん崩れていくような気がする。
モニターの中の初号機は、更に使徒に攻撃を加えていく。
その内に、使徒甲の方もすっ飛ばされた場所から戻ってきて、戦いは2対1となる。しかし、初号機、シンジは問題なく二体の使徒を相手に、殆ど一方的に攻撃を加え続ける。
だが、その一方で、使徒は壊れた端から回復していく。
全くもって、出鱈目な回復力だった。
『面白い』
小さく、呟く声が聞こえた。シンジの声だ。
「シンちゃん、正直あんまり期待していませんが、敵を倒す、何かいい方法でも思いつきましたか?」
言葉通り、あんまり期待していない調子で、ユウキが尋ねる。
『簡単だよ』
シンジは、力強く答えた。
『直るよりも早く、破壊し尽くしてやれば良いんだよ』
「……成る程」
ユウキは、期待しないで良かった、と言う声で応じた。
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