#121 シンちゃんにお任せ


 初号機は、甲乙に分離した第7使徒に一方的な攻撃を加え続けていた。
 通常の相手であれば、瞬く間に殲滅されたであろう猛攻。しかし、第7使徒は脅威の回復力で持ちこたえていた。
 だが、初号機の攻撃の前にはそれも儚い抵抗に過ぎず、間もなく使徒は、シンジの言葉通り、回復力を上回る速度でもって破壊し尽くされるであろう。全ては、時間の問題に過ぎない。矢張り、シンジ、初号機のコンビは最強であり、エースである。
 見守るネルフスタッフが確信すら抱いた時、初号機の胸甲を使徒の爪が掠め、鋭い擦過音を上げた。
「え?」
 戸惑いの声が、各所から零れる。
 これまで、シンジは使徒を圧倒していた。使徒の攻撃は、初号機の影すら捕らえることが出来なかった。
 なのに、使徒の攻撃が初号機を──掠めただけとは言え、捕らえた。
 何かの間違い。シンジとて人間である。いろいろと人間離れして出鱈目だが、おそらく人間であるはずだ。だから、永遠に緊張を続けることは出来ず、僅かに弛緩するときもあるだろう。その時を、偶然、使徒の攻撃が捕らえた。そう言うことだろうか?
 都合良く考え、これは全然ピンチではないと自らを説得しようとするネルフスタッフの耳に、楽観論を否定する少女の声が響いた。
「矢張り、機能拡大で、シンちゃんの速度に追随してくるようになりましたねえ」
 ユウキの声である。
 ユウキは顎に指先を当て、何事か考えるような恰好で、平然と呟く。
 ユウキの言葉を肯定するように、再び使徒の爪が、初号機を掠めていた。右腕を掠め、表面の特殊ラバーを切り裂き、僅かに皮を抉ったようで、ほんの少しだけ、出血もしているようだ。かすり傷以上のモノではない。しかし、ユウキの不吉な言葉もあり、ネルフスタッフは表情を曇らせる。
 変わらず、初号機は使徒を圧倒している。しかし、使徒も、今度こそ、ただただやられるだけではなくなっていた。これまで以上に、ひやりとする瞬間が、たびたび訪れるようになっていた。
「ど、どうするんですか?」
 狼狽え、代表して尋ねたのは日向である。
 シンジならば、何とかしてくれる。
 そう考えていた。しかし、現実、使徒を破壊し尽くさない内に、使徒はシンジの強さに迫りつつある。このまま、シンジが使徒を破壊し尽くすのが先か、それとも、使徒が初号機の強さに到達するのが先か。追いかけっこ。分は、こちらの方が悪いかも知れない。いや、きっと悪い。一方的だった今までですら、破壊し尽くすには至らない。使徒が強くなれば成る程、それは難しくなるだろう。時間は、敵に利する。
「そうですね」
 ユウキは、のほほんと、緊張感に薄い声で応じ、隣に立つ、リツコの方に視線を向けた。
「何?」
「赤木博士、検証をお願いします」
 言って、リツコの耳元に口を寄せる。
「成る程、ユウキちゃんもそう感じた訳ね」
 リツコは頷き、近くの、今回マヤが仕事を抱えているせいで、代わりに派遣された名も無きオペレーターの席に移動し、場所を譲って貰って端末を叩き始める。
「あの、もったいぶらずに──」
「日向さん、戦自に繋いで下さい」
 何か手があるなら教えて下さいよ。と、まるで飼い主の表情を伺う犬のようにユウキを見上げる日向に素っ気なく告げる。
 日向は僅かに不満そうにするものの、逆らうのは怖いと、言われたとおりに通信を繋ぐ。
「全軍、使徒に向けて一斉射撃をする準備をして下さい。タイミングはこちらで計ります」
「使徒に通常兵器が通用するとは思えませんが……」
 おそらく、戦自の者も同様に感じたであろう疑問を、日向が代表して口にする。
「別に効かなくても構いません。要は、仕切り直しの間が欲しいだけの話ですから」
 ユウキは言って、リツコの方を見た。
 リツコは、頷く。
「間違いないわ」
「そうですか」
 ユウキは頷き、今度は初号機に通信を繋ぐ。
「シンちゃん、一旦、使徒から離れて下さい。そうですね、タイミングは10数えますから、その後に。──戦自のみなさんは、カウント零で一斉射撃。盛大にやっちゃって下さい」
『了解』
『了解しました』
 どちらもユウキを信頼しているのか、素直に返答が帰ってくる。いや、シンジは兎も角、戦自の方は命令に従うことが当たり前と言うことか。ユウキは言葉通り、即座にカウントダウンを始めた。
 そして、零。
 初号機は、使徒を突き飛ばすと、素早く距離を取る。
 そこへ、狙い澄ました戦自の攻撃が集中する。
 戦自の攻撃は、初号機が離れたことによって復活したATフィールドの防御力により、使徒には何の痛痒も与えない。盛大な炎の華が咲き乱れるが、それだけ。だが、猛攻の前に、使徒の初号機を追い掛けようとする行動が阻まれる。
「それでは、赤木博士、お願いします」
「説明しましょう!」
 リツコは、もったいぶって解説を始めた。


「良いこと、シンジ君。これまで、使徒の回復する様子を観察した所、殆ど一瞬で回復する場合と、そうでないことがあることが解ったわ」
 え? とばかりに、ネルフスタッフがリツコの方に注目する。
 ユウキが脇で、駄目だこりゃ、とばかりに、若干、顔を顰める。
 どうやら、気が付いていたのは自分とリツコだけらしい。シンジの戦いに見惚れていたのか、全く気が付いていないようだ。膨大なデータが収集されていたわけだから、数値的にもそれを示す部分はあったはずだが──鍛えたつもりで、まだまだ足りなかったらしいと、ユウキは反省するような表情になる。未だ、ネルフスタッフは学者崩れと揶揄される状態から、完全に脱却したわけではないらしい。
『その差が、何処にあるか判明したんですか?』
 シンジも、その理由までは兎も角、修復速度に差があることには気が付いていたらしい。
「ええ」
 リツコは頷き、続ける。
「使徒は、二体に分離した。でも、どうやら根っこの部分では、未だ繋がっているらしいわ」
「?」
 日向が首を傾げる。
 見た目は、まるで繋がっているようには見えない。確かに似ている──と言うより、RPGゲームで敵キャラの数を稼いでいるみたいに色違いなだけでそっくりだが、使徒甲、使徒乙は、それぞれ独自に動いているようにしか見えない。
「片方が光ならば、もう一方は影──あるいは、光と影を、それぞれ等分に持っているのか、細かいことは解らないけど、間違いなく、両者は繋がっている。その証拠に、使徒甲が破壊されても、使徒乙が無事ならば、即座に破壊された部位が修復される。その逆もしかり。──でも、良いこと、ここから重要」
 ここはテストに出ますよ、とでも言うような口調で、リツコが一本指を立てて、強調する。
「使徒乙、使徒甲ともに、同じ場所を破壊されたとき、その修復速度は明らかに落ちる。──相互補完、片方が傷ついただけでは、傷ついたことにならないのよ」
『それはつまり、両方を同時に、同じように破壊すればいい、そう言うことですか?』
 シンジの質問に、リツコは出来の良い生徒を見るような目で、満足そうに頷いた。
「理解が早くて助かるわ。──多分、全体を破壊し尽くす必要もないわ。甲乙のコアを同時に破壊すれば、それでけりが付くはずよ」
『成る程』
 シンジが頷く。
 リツコはそれを見、それから、ユウキの方に視線を移した。
「ここでの決着にこだわらなくても、一旦引いて、こちらの体勢を立て直した後に再選を挑むというのはどうかしら? シンジ君一人で、同時に甲乙のコアを破壊するのは、難しくない?」
 N2爆弾を使って時間稼ぎをすれば、零号機の換装を間に合わせる事くらいは可能だろうと、リツコが提案する。マヤが泣くことになるだろうが、構うことはない。自分は普段、それ以上の仕事を抱えているのだ。
 初号機、零号機の2体のEVA、いや、弐号機の方も損傷は大したことはないから、本格的に仕切り直せば、計3体のEVAを使うことが出来るようになる。そうなれば、1対2で戦うよりも、楽になるだろう。数は力なのだ。
「いえ」
 しかし、ユウキは首を振った。
「正直、零号機の綾波さんでは、辛いです」
 シンジとの戦闘によって、使徒は学習している。登場直後であれば兎も角、今の使徒は経験値の積み上げによってレベルアップしている。元々、レイは格闘よりも射撃戦向きだ。更に言えば、零号機はプロトタイプで、スペック的にも劣る。遠距離支援タイプとして使用するのは、レイの嗜好もあるが、窮余の策でもある。格闘戦での使徒相手はきついモノがあるだろう。
「弐号機と組ませれば──」
 と言いかけて、リツコは自分の発言の問題点に気が付いた。
 あのアスカが、素直にレイとコンビを組んで戦ってくれるかどうか、疑問だ。下手をしたら、再びの独断専行で、全てを台無しにされかねない。
「そう言うことです」
 リツコの思考を正確に読んで、ユウキが頷く。
「それに、まだアレくらいならば、シンちゃん一人で対処可能です」
『──って言うけどさ、結構きついんだよ? 相変わらず、反応が鈍いし』
「頑張って下さい」
 シンジのぼやきにはまるで取り合わず、ユウキが素っ気なく告げる。
「さて、そろそろ来ますよ」
 言葉通り、使徒は戦自の攻撃をモノともせず、初号機に向けて前進してきていた。


『攻撃中止!』
 ユウキの命令で、戦自の攻撃が止む。
 障害の無くなった使徒は、更に初号機に向けて前進してくる。
「……全く、簡単に言ってくれちゃって」
 シンジは、エントリープラグ内壁に映し出されたそれを見つめながら、小さくぼやく。
 流石に、コアは弱点だけあって、脅威の回復力を誇りながらも、庇う傾向にあった。それだけに、両方のコアを同時に破壊する、と言うのは難しかった。確実に強くなっている現在では、更に、だ。
 真っ正面から正直に向かっては難しいかも知れないと、シンジは何か手はないモノかと周囲を探る。
 そして、それを見つけた。
「……よし、アレを使おう」
 結論すると、シンジは初号機を半身にさせ、使徒の接近を見守り、タイミングを計った。


 使徒が、初号機に向けて接近してくる。
 それを、無言で半身に構えて見守っていた初号機だが、突如、低い回し蹴りを放った。
「え?」
 と、日向が理解不能とばかりに、小さく声をあげる。
 日向が理解できないのも通りで、使徒と初号機の彼我の距離は、回し蹴りが当たるような距離ではなかった。
 初号機のつま先は、砂を蹴立てながら、虚しく通り過ぎる。
「シンジ君、何を──」
 思わず質問した日向の声に被さるように、警報が響いた。
 アンビリカルケーブル、断線。
 何故?、とますます首を傾げる日向だが、次の瞬間、ようやく理解した。
 初号機の意味のない回し蹴り。地面すれすれどころか、地面を削ったそれは、つま先にアンビリカルケーブルを引っかけていたのだ。
 アンビリカルケーブルは、電源車に接続されていた。初号機がつま先でアンビリカルケーブルを振り回したため、電源車は引っ張られる形で宙を飛んでいた。電源車は大地に固定されていたが、初号機の力の前に、それは無力だった。そして、その際にアンビリカルケーブルは断線したのだ。尚、電源車及びその周辺は無人となっている。最悪、N2爆弾の使用も考えられていたため、戦場付近に人を残すのは危険だったためだ。
 つま先に引っかけた回し蹴り──その為、ケーブルは弧を描くようにして、宙を舞った。
 そして、まるで鞭のように、迫り来る使徒──その内の甲の方を打ち据えた。体にケーブルをめり込ませ、ぐらつく使徒甲。
 そして、まだ続きがあった。
 使徒甲に食い込んだのは、ケーブルのまだまだ半ば。電源車付きのケーブルの先端部分は、使徒甲に食い込んだおかげで僅かに軌道を変え、それでも大きく弧を描きながら、斜め後方から、今度は使徒乙を打ち据える。そして、使徒甲同様に使徒乙の体も抉り、更に先端部は大きく弧を描いて、再び使徒乙の方へと向かった。
 気が付けば、使徒は2体纏めてアンビリカルケーブルでぐるぐる巻きにされていた。
「さすがはシンジさん、上手い!」
 青葉の叫び。
 シンジは、即座に初号機を走らせていた。
 使徒がアンビリカルケーブルによって戒められ、自由に動けない隙にコアを狙う。
 シンジの考えがこれであることを、誰もが理解していた。
 ここで、誤算が生じた。
 うれしい誤算か、そうでないのか微妙なところだが、ぐるぐる巻きにされてひとまとめにされた使徒が、細かく震えたかと思うと、一つに合体したのだ。元々の、登場時の形に戻っていた。戒められていた腕を、どうやらデフォルトらしい万歳の恰好に戻すついでで、アンビリカルケーブルは切断される。
 しかし、一体に戻ったことで、手足の数は減った。2対1より、1対1の方がやりやすいのは確かである。
「シンジ君には、新しい武器を作るよりも、アンビリカルケーブルの強度を上げた方が良いかも知れないわね」
 リツコの呆れたような声の中、初号機は一気に距離を詰める。
 迎え撃つ使徒は、貼り付いた仮面のようなのっぺりした顔、その虚ろな穴のような眼下を輝かせた。
「──!」
 遠距離攻撃の謎の光線。
 使徒は、学習によってシンジの強さに迫ると同時に、このような機能拡大もしていたらしい。
 だが、シンジは解っていたかのように、初号機の姿勢を低くしてやり過ごす。
 地面すれすれに体勢を低くした初号機の背中の上を抜けた怪光線は、盛大な爆発と共に火花を上げるが、当たらなければ問題ではない。
「その能力の獲得は、既に第3使徒がやっていますからね。可能性として、考えてありましたよ」
 ユウキが呟く。別段ユウキはそれをシンジに指摘しておいたわけではない。当然、シンジも考えているはずだと確信し、そして、その通りにシンジは考えていたと言うことだ。
 ユウキの呟き、その間に、初号機は使徒に近接していた。
 使徒は、万歳の恰好から、両腕を一気に振り下ろしてくる。
 初号機は、右腕の攻撃をかわした。
 しかし、左腕の攻撃により、右肩のウェポンラックが弾け飛ぶ。この戦いを通して、初めて初号機がまともに攻撃を喰らった。だが、致命傷ではない。また、まともに、でもなかったかも知れない。
 初号機を打ち据えたのは、人であれば、肘と手首の中間点辺り。シンジの踏み込みが激しく早かったため、おそらく最大の攻撃力を持つであろう、腕の先端──鋭い爪による一撃はかい潜っていたのだ。
 接近した初号機は、使徒の次撃を許さなかった。
 するりと伸ばした両の手が、使徒の、腹部に横に並んだ二つのコアを同時に掴まえていた。
「うあああああ!」
 シンジの雄叫びと共に、そのまま、一気に重量挙げの選手のように、使徒の体を頭上に持ち上げる。
 その時には、強靱な初号機の指先は、両方のコアを砕いていた。
 そしてそのまま、初号機は使徒を海に向けて放り捨てる。
 信じがたいほどの距離を跳んだ使徒は、着水すると同時に、墓標に似た十字の炎を上げた。


 第7使徒、殲滅。

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