#122 少女の背中は人を拒む


 天を目指すように立ち上った十字の炎。
 初号機は、それを正面から睨み付けるように、傲然と立っていた。爆発の影響で、激しい波が起こり、初号機の足下を洗うが、びくともしない。最強の初号機。それを示すかのように。
 第7使徒は殲滅された。
「はい、シンちゃん、恰好つけていないで、さっさとアンビリカルケーブルを繋いで下さい」
『え?』
 と、ユウキに指摘され、慌ててシンジはアンビリカルケーブルを繋ぎに戻る。確かに、残り稼働時間に乏しかった。このまま、初号機がその場で動かなくなってしまえば、要らぬ苦労と金を必要としてしまう。
 慌ててあたふたと戻る初号機は、少しばかり情けなかった。
「さて」
 ユウキは、ここで一呼吸置いて、告げる。
「みなさん、ご苦労様でした。直ちに撤収をお願いします。──尚、戦勝パーティは、後日、ネルフジオフロント内で行います。綺麗どころも揃えますので、みなさん、振るってご参加下さい」
 通信から、歓声が帰ってくる。
「それでは、みなさん、撤収を始めて下さい」
 急ぎ、撤収が始められる。
「青葉さん、ジオフロントの人喰い桜の辺りの場所取りをお願いしますね」
「了解ッス!」
 青葉がユウキに命じられて頷く。
 因みに人喰い桜とは、ジオフロントに咲き狂っている桜の亜種である。俗説に、桜の花が綺麗なピンク色なのは、その根元に人の死体が埋まっているからだと言うモノがある。こちらは、本気で埋まっていそうな名前の、ゲヒルン3博士の作品の一つである。無論、これだけではなく、ジオフロントの広い森には、3博士の作品がいくつも育っており、更に異種交配を繰り返し、訳の分からない動植物が気ままに暮らしている。下手に踏み込んだら、そのまま命を失いかねない危険な森である。それでも、人喰い桜は見た目、桜と変わりなく、あまり接近しなければ危険はないため、ネルフは入れ替わり立ち替わりで花見に繰り出している。何しろ、日本は年中夏で、地上の桜はほぼ全滅。伝統の花見をする為だ。少しくらいの怪しげな部分には、目をつぶらざる得ないのだ。
 また、ネルフ職員──それはこれくらいの怪しげなモノでびびっていたのでは、やっていけない商売なのだ。
「お土産は、車代の名称で包めばいいですかね? 現金にしますか? それとも、割引チケット?」
「半々で。──現金は、司令の秘密口座から適当にお願いします」
 ユウキは僅かに考え、応じる。
 かつて、シンジが、国連からせびったお金はゲンドウの財布に消えたのかと嫌みを言ったことがあるが、それはおおむね事実であった。無論、全てというわけではないが、元々ネルフは国が幾つか傾いてしまうほどの莫大な金額を配分されている。その内の数パーセントでも、とんでもない金額になる。実際、とんでもない金額だった。更に言えば、シンジの知らない口座がまだまだ存在する可能性もある。全く、ネルフ司令とは美味しい商売だった。
「それではその様にします」
 と、青葉は応じ、それから、チケットを俺にもくれろ、とでも言うような目でこちらを見ている日向に気が付いた。
「……お前にも、特別にチケット回してやるよ。だから、そんな目で見るな」
 青葉の言葉に、日向が表情をぱ〜〜っと輝かせる。
「ありがとう、シゲル! やっぱりお前は親友だ」
 がっしりと青葉の手を握りしめてぶんぶん上下に振り回し、頷く日向。感謝と感動で、涙を流しそうな顔だ。
 青葉は、そんな親友は嫌だ、と言う表情をしたモノの何も言わず、ユウキの方に向かう。
「しかし、戦自上層部の一部は、我々と仲良くすることを快く思っていない様子ですが」
 ネルフと戦自の関係は改善されている。しかし、完璧にではない。そうでなくとも、天野連合とこそ、仲の良い連中は多い。そうした人間は、必要以上に戦自にネルフが接近することを好ましく思っていない。戦勝パーティに参加。それを、妨害してくる可能性もある。
「特務機関権限でやっちゃって下さい」
「了解しました」 
 脇で聞いていたリツコが、特務機関権限はそう言う場合に使うモノではないと、苦い表情になったが気付かず、更にユウキは指示出しする。
「あと、左官以上の人は別口で、しゃぶしゃぶ屋で宴会を開く準備を」
「例のしゃぶしゃぶ屋ですか?」
「例のしゃぶしゃぶ屋です」
 警察副署長、鴉葉の接待などにも利用した、特殊なしゃぶしゃぶ屋である。
「あと、細かい部分は青葉さんの裁量に任せます」
「了解しました」
 青葉は、しっかりと頷いた。


 青葉が手早く作業を始めるのを確認し、ユウキはリツコの方に向き直る。表情を改め、同時に、話題も改める。
「第7使徒戦はひとまず、けりが付きましたけど……」
「問題は、アレね」
 リツコはようやくまともな話になったと安堵した表情で頷き、モニターの一つに映し出されている弐号機の映像に視線を向けた。
 犬神家の一族の如く、両足を天に向けて地面に突き刺さっている弐号機。問題はそのパイロット、アスカのことだ。
「カウンセラーにチェックさせるけど、そろそろ、本格的にやばいかも知れないわね」
 頭が痛いと、リツコが言う。
「デプログラミングは?」
 ユウキが僅かに首を傾げ、尋ねる。
 リツコは顔を僅かに伏せて首を振った。
「進めようとはしているのだけど……。聞く耳持たない。そんな感じで、どうしようもないわね」
 ユウキ、リツコはメンタルケアのため、シンジは兎も角他の二人のチルドレンには専門のカウンセラーを付けることにした。しかし、アスカはろくすっぽそちらの話を聞こうともせず、ただただ、訓練にのめり込んでいた。いや、のめり込むというどころか、過剰なまでに。当人は、メンタルケアなど必要ないと強弁しているが、その様は、明らかに追いつめられているようにしか見えない。
 そして、今回の敗北で、その傾向は更に強まるだろう。
 アスカの目指すモノ。それは、エースパイロットとして褒め称えられること。
 しかし現実は、それとどんどん乖離して行っている。
「……そうでなくとも、今回の命令無視」
 リツコは、ため息を零した。
 独断専行して、挙げ句、何ら良いところ無く敗北してしまった。
 アスカのプライドの高さから考えるに、ますます、自分を追いつめていくだろう。元々、程良く壊れるようにとのマインドコントロールが施されてきたとは言え、これは全く──
「難儀なことですねえ」
 ユウキが、うんざりとしたように首を左右に振り、ため息を零した。
「そうね」
 リツコも同様に、額に手を当てて、痛みを堪えるような仕草をした。
「アスカは放っておいて、次のチルドレンを選出するのが、一番楽な方法なんだけど」
「シンちゃんが」
「シンジ君が」
 二人は揃って、ため息を零す。
 元々、シンジがしっかりこましてしまえば、こんな苦労はせずに済んだのだが、それは言っても詮無いことと、二人とも諦めている。仕切っているのはユウキのように見えるが、それでもシンジは組長──王様である。臣下としては、その我が儘を叶えなければならないわけで。
「全く、難儀なことですねえ」
「そうね」
 二人は再び、揃ってため息を零す。
「でも、次のチルドレン選出ですか? それは、いい手段かも知れませんね」
「え?」
 ユウキの言葉に、リツコは戸惑いの声をあげる。
「そんなことをしたら、ますますアスカは──」
「追いつめられるでしょうね」
 ユウキが頷く。
 リツコは、何を言っているのだと、ユウキの顔を見つめる。
 ユウキは、常のように微笑んでいる。しかし、その内心が何を考えているか、リツコには全く解らない。楽しいときも、悲しいときも、ユウキは同じように微笑んでいるのだろう。完璧なポーカーフェイス。リツコは、自分では太刀打ち不可能だと思い知っていた。
「そんなことをしたら、アスカは本当に壊れるかも知れないわよ?」
 それはユウキは勿論承知しているだろう。
 その事を理解していて尚、リツコは口にした。
「壊れるかも知れませんね」
 ユウキは、平然と応じる。
 リツコは、更に慎重に、ユウキの表情を伺う。しかし、そこにあったのは矢張り笑顔。
 リツコは、背筋に冷たいモノが走るのを感じた。
 ユウキにとって、アスカは何か。
 きっぱり、邪魔者であろう。
 シンジとユウキの間に乱入してきた、邪魔者。ユウキの心情を考えれば、アスカとは、そう言う役所だ。
 ユウキにしてみれば、排除しても構わない存在。いや、積極的に排除したい存在ではないのか? アスカが壊れれば、シンジは興味を失うかも知れない。もっとも、ユウキがアスカを壊したとなれば、ユウキの立場も悪くなるだろう。
 だが、それを承知の上で、そうした行動に出ないとも限らない。
 人の心は、ロジックでは無いのだ。
 理知的な人間だと自認しているリツコであるが、自分とて、追いつめられればネルフ本部ごと自爆して、無理心中に出るかも知れないと、自己判断をしてみたこともある。ユウキもそれに倣わないとは限らない。そして、得てしてそう言うことを考えるときは、自分中心で物事を都合よく考えているモノだ。自分だけは、大丈夫。自分だけは、棄てられるはずがない。危険を可能性として考えつつ、そうでないことを願う。そうでないことを信じる。心からではないにしろ、何とかなるのではないか、そうした希望を棄てることは出来ず、結果、判断を誤る例は、いくらでもあるだろう。人を誤らせるのは絶望ではない。得てして、希望なのだ。希望があるからあがき、他の者には馬鹿げているとしか思えないような大博打を打って破滅していく。
 ユウキもそこから逃れることが出来ないと言うのか?
 だとしたら、非常に拙い。
 アスカが何の彼の言っても、ネルフのエースはシンジであり、それを支えるのがユウキだ。二人は、両の車輪のようにして、これまで上手くやってきている。そのどちらか──ユウキが失われたとなれば……何時までも、シンジの超人的な能力だけで乗り切れるモノでもないだろう。使徒戦にしろ、天野連合にしろ。更に言えば、最終的な敵になるであろう、欧州ゼーレ組にも。
「大丈夫ですよ」
 ユウキが、のほほんとした口調で、リツコに告げてきた。
 ユウキの表情をリツコは読むことが出来ない。しかし、その逆はそうでもないらしい。
「別に、破滅願望があるわけではありませんから」
「……そ、そう?」
 慎重に、リツコは応じる。
 ユウキの表情は全く読めない。普通ならば、安堵してしまえるだけの笑顔を浮かべているのだが、ユウキはどんな場合も、同じような笑顔を浮かべているのだ。表情からは判断が付かない。
 それに、たいていの場合、破滅するつもりで行動しなくとも、破滅するときは破滅するモノである。それはもう、他人事ならば、見ていて面白いくらいに判断を間違えて。
「この際、時間をかけるのは止めて、徹底的な荒療治に出ます」
 ユウキは、リツコの内心を探るような表情を一瞬だけ浮かべ、結論付けた。
「荒療治?」
「ええ」
 問い返すリツコに、ユウキは矢張り心配など全くありませんよと言わんばかりの魅力的な笑顔を浮かべ、頷いた。
「徹底的に惣流さんを追いつめて、「気付か」せることにします」
「それは……」
「カルトな新興宗教のやり方ですね」
 ユウキがリツコの言葉を先取りし、にっこりと笑う。公平に見れば、魅力的な笑顔。しかし、リツコは見惚れたりしなかった。見惚れられるわけがない。逆に、背筋が冷えていくのを自覚した。
「アスカさんの自由意志を──と言う、シンちゃんのやり方には背くことになりますが、この際、手段を選んでいる余裕はないと言うことで」
 ユウキはこれで会話を打ち切った。リツコに背を向けて、他の、撤収に関わる事柄についての指示出しを始める。
 リツコは、リスクが大きすぎる──本格的にアスカが壊れてしまう可能性が大きいと考えたのだが……、向けられたユウキの背中は、これ以上の会話を拒んでおり、仕方なく沈黙を守った。

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