#124 第4の適格者


 どうしてこんな事になってしまったのだろうか?
 内心で首を傾げながら、帆村マサカネは命じられた任務を遂行しようとしていた。
 これまでも、幾つかの困難な任務を命じられてきた。しかし、今回の任務は、すこぶる付きに困難に思えた。
「──と言うわけで、ユウキさんが呼んでおります。私と一緒に来ていただけないのでしょうか?」
 ネルフ本部の通路で目指す相手を掴まえて、精一杯へりくだって告げる。
 しかし、相手の返事は思い切り簡潔で、にべもなかった。
「嫌」
「そう言わずに」
 駄目でした。そう報告して、この任務を終了させてしまいたい。しかし、それは出来ない相談だ。何しろ、帆村に任務を与えたのは、ユウキである。無能だと思われたら、非常に拙い。帆村にとって、ある意味、ユウキはシンジよりも怖い存在である。女性全般に苦手意識を抱いてしまうほどに。
「だから、嫌って言ったら嫌なのよ!」
 惣流アスカ・ラングレーは不機嫌な顔で、帆村を睨み付ける。
 別段、帆村にとってアスカは、怖い存在ではない。シンジの選んだ伴侶、そう言う意味では怖いが、アスカ個人が怖いわけではない。ただ、非常に難儀で厄介なだけだ。
「私はこれからシミュレーター訓練の時間なの。あんな女の為に割いてやる時間なんて、何処にも存在しないわ!」
 危ないな、と、帆村はアスカを見つめて思った。
 帆村は、詳しい話は聞いていない。それでも、やばいと思った。
 公平に見れば、アスカはかなりの美少女である。ロリコンの気は無い帆村であるから、守備範囲からはみ出しているが、それでも、後10年ほどすれば、すこぶる付きの美女になりそうだと素直に思う。スタイルの方も、外人の血を引いているせいか、この年にしてかなりのメリハリがあり、将来は有望だ。
 だが──
 ぎらぎらとした目。瞳には、得ようとしても得られない物への渇望が色濃く浮き出ており、同時に、周囲のもの全てを敵としかねない危険な光があった。おまけに、睡眠時間が足りていないのか、目の下には隈が浮かんでいる。頬は痩け、シャープと言うよりはどこか病的に感じさせる。よく見れば、髪の毛の艶も無く、すさんだような印象がある。
 帆村は、これまでアスカとはさして関係がなかった。だから、書類をざっと見た程度でしかない。しかし、書類に添付された写真と比べても、すっかりと面変わりしてしまっていることが、一目で知れた。
 非常に、危険な傾向だ。
 疑いようもなく、テンパってしまっている。そして、更に自分を追い込もうとしている。
 その理由も、帆村は理解していた。
 ドイツ支部では天才少女と言われ、将来を嘱望されてきた。人類の希望と、誉め、讃えられてきた。
 しかし、本部へ来て、シンジに出会ってしまった。
 アスカは、絶対に越えられない壁に出会ってしまったのだ。
 シンクロ率で勝利しながらも、アスカと弐号機では、シンジと初号機のコンビに勝てない。
 当たり前だと、帆村は思う。
 シンジの強さは、人間業ではない。実際のされたことのある帆村である。シンジの強さが、自分などとはレベルが違うことを思い知らされた。そして、その後の使徒戦。シンジの強さは、自分をのしたのさないなどと言うレベルでは 無いと知った。その気になれば、デコピン一発で、自分くらい始末してしまえるだろう。シンジの強さとは、そう言うレベルだ。
 それに対して、いくら優れているとは言え、アスカの能力は常識の範囲内におさまっている。強いとは言っても、14才の女の子としては破格、この程度だ。シンジの強さは、14才の少年の物どころか、人のレベルを易々と突破している。比べるのが間違いだ。
 一度のされてあっさりと白旗を揚げた帆村に比べれば、必死で追いつき、追い越そうと試みているアスカの方が、余程前向きかも知れない。
 しかし、前向きというにはいささか、自分を追い込みすぎている。追い込みすぎて、やばい方向に向かっているように見える。そうとしか見えない。
「兎に角、私はこれから訓練なの! あんたや、あの女につきあっている時間なんて、欠片もないのよ!」
 もう一度、アスカが叫ぶ。声は僅かに裏返り、耳に突き刺さるようだ。自分を追い込みすぎ、視野が狭まっている。周囲の者の色分けが2色にはっきりと別れてしまっており、中庸がない。敵か、味方か。非道くシンプルで、危うい。そして、ネルフ本部の人間は、大多数が敵に見えるのだろう。
 帆村は、自分が敵に分類されていることを、考える必要も無く悟る。まあ、シンジの部下だから当たり前だが、それが無くとも、アスカの自分を見る瞳の色から、簡単に類推できた。
「そう言うわけには行かないのです」
 厄介事には、関わりたくない。シンジに関わってしまったという、これ以上ないくらいの厄介事に関わっている帆村である。何度、「どうしてこんな事になってしまったのだろうか?」と自問したことか。だから、これ以上はご免だ。
 しかし、命じられた仕事を放棄することは拙い。
 無能と見なされるのも拙いが、それ以上に、やる気がないと見なされるのはもっと拙い。
「残念ですが、これはお願いではなくて、命令です」
「はん! 命令?」
 顔を皮肉に歪めてアスカは叫ぶように言った。
「誰の命令? あの女の? 一体、何時からネルフ本部は、関係ない人間の命令で動くようになったのよ!」
 自分に限れば、第3使徒戦後。ネルフ本部全体としてみれば、第4使徒戦後あたりから第5使徒戦にかけてです。
 と、馬鹿正直に答えたりはせず、帆村はその質問を無視した。
「兎に角、自分と一緒に来て下さい」
「嫌!」
 アスカは、再び簡潔に応じた。しかし、それだけではおさまらないのか、更に口を開いて続ける。
「あんた達があの女に尻尾を振るのは勝手だけど、私までそうすると思ったら、大間違いよ」
 流石にかちんときたが、確かに傍目にはその通りだろうと自省する。
 帆村は辛抱強く怒りを抑え、早くも背中を向けて去っていこうとしているアスカに告げた。
「既に、シミュレーションルームその他にも、通達が行っています。最優先でセカンドチルドレンを、案内するようにと。このままシミュレーターを使おうとしても、誰も準備をしてくれませんよ」
 アスカは、凄い形相で振り返った。
 思わず逃げ出そうかと、弱気になる帆村だった。
 女は怖い。
 ユウキに、そして、その後マーガレットにも、それを思い知らされた帆村である。元々、プレイボーイとは対極に存在し、女性を苦手に感じている部分もあったが、今ではそれがかなり深刻な物になっている。
 それでも、ぐっと堪えて、帆村は踏みとどまり、言った。
「先に、こちらの用事を片付けるのが、訓練をするにしろ何にしろ、一番の早道ですよ」
「……」
 アスカは答えず、帆村をぶっ殺しそうな視線で睨み付けた。


 ワイは、何でこないな所におるんやろう?
 ネルフ本部の一室で、鈴原トウジは首を傾げていた。
 正直、ネルフ本部には良い思いがない。トウジのネルフ本部の印象と言えば、第4使徒戦の後、連行された場所であり、牢屋と、後は寒くて薄暗くて足の曲がった椅子のある一室、その2カ所しか知らない。どちらも、好印象を抱くのは難しい、難しすぎる場所だ。だから、出来たら一生、ネルフ本部には足を踏み入れないようにしておきたいと思っていた。
 しかし今、トウジはネルフ本部の一室にいる。
 幸いなことに、今度は牢屋ではない。更に、この部屋は寒いわけでも薄暗いわけでもなく、現在腰を下ろしている椅子も、足が曲がったりはしていない。完全にくつろぐのは、前回の印象が悪すぎるために不可能だが、さほど悪い扱いを受けているわけではない。否、どちらかと言えば、お客様か。トウジの前の机には、湯気を立てるコーヒーと、ケーキが用意されている。
 おまけに──
「遠慮しないで、食べちゃって良いですよ」
 この部屋にはユウキがいた。
「ほ、ほな、遠慮なく」
「どうぞ、遠慮なく」
 トウジは、そのままケーキを手づかみすると、口に放り込む。スプーンでちまちま食べるような真似は駄目なのだ。男ならば、ワイルドにかぶりつくべきなのだ。そうすれば、洗い物も少なくて済むというメリットもある。
 かなり偏った考えであるが、兎に角、トウジはケーキをあっという間に平らげる。それからコーヒーを飲みつつ、ちらりとユウキの方を伺った。
 ユウキは、なにやら書類仕事をしているようだ。レポート用紙の束を取り上げてパラパラとめくり、サインをする。たまに電話を取って連絡したり、電話が鳴って連絡が入ったりする。
 その様を、トウジはぼんやりと眺めていた。
 働くユウキさんも、ええなあ。
 トウジの頭の中は、こんな所である。
 それでも、しばらくすると、ただ黙ってユウキを見つめ続けているのにも、退屈してきた。
 確かに綺麗だし、素敵だと思うが、今ひとつ以上、動きも乏しい。おまけに、ケーキはもう食べてしまったし、コーヒーもない。元々、トウジはじっとしているに向いた性格はしていない。
「あの〜」
 遂に我慢できなくなって、トウジはおそるおそると言った風情で、ユウキに声をかけた。
「ちょっと待ってください」
 ユウキはトウジの方を向きもせずに応じ、書類をぱらぱらぱら〜っとめくる。
 ワイは無視されたんやろか? と、トウジが凹みかけたところで、ようやくこちらを向く。
「何ですか?」
「あ、あの、ワイは一体何のために、ここに呼ばれたんでしょうか?」
 シンジやユウキに来いと言われれば断ることは出来ないトウジである。詳しいところは、全く聞かされていなかった。
「もう少し待ってください。二度手間は省きたいですから」
「え?」
「もうすぐですよ」
 ユウキの言葉を肯定するように、ドアフォンがなった。
「帆村です。セカンドチルドレンを連れて参りました」
 トウジの知った声が、扉越しに応じた。
 扉が開いて入ってきたのは、確かに何度か碇組本部で見かけた顔である。かなりの偉方らしいが、「どうしてこんな事になってしまったのだろう?」という感じの、なんだかいろいろと悩みを抱えているように見える人である。便所掃除専門のトウジと違い、お偉いさんと言うことは、色々美味しいこともあるだろうに、それでもそんな顔をするとは、矢張り偉い人は偉い人でいろいろ大変なんやろなあ、と、トウジは感想を抱いたりしていた。
 それから、その帆村の背後にもう一人。
 こちらも、知った顔。当たり前だ。矢張り同じ屋敷に住んでいる、シンジさんの婚約者。惣流アスカ・ラングレー。
 おや?
 と、トウジはアスカを見て内心首を傾げた。
 なんだか、ずいぶん印象が変わったように思う。元気いっぱいだった、OTRでの初対面の頃と比べ、ずいぶんと面変わりしている。そう言えば、ここの所顔を見ていなかった。学校には来ていないし、屋敷では部屋に閉じこもっているようだ。否、屋敷の方に帰ってきているのかどうかも疑問だ。
 トウジは、用心深くアスカを観察した。下手をしたら、噛みつかれそうな気がしたから、すこぶる付きに用心深く。
 ぱっと見の印象だけではなく、実際、ずいぶんと面変わりしていた。頬が痩け、髪はつやが無く──それでも、やつれたという印象を抱かないのは、その瞳がぎらぎらとした輝きを宿しているからだろうか。
 アスカはトウジの存在などは意に介さず、乱暴に帆村を押しのけると、大股でユウキの方へと進んだ。
 顔には、隠しようもなく怒りが浮かんでいる。
「どういう事よ!」
 ばしんと、ユウキの使っていた机の天板を叩く。上に載せられていた書類などが僅かに飛び上がったから、かなりの勢いだ。
 手が痛ないんやろか?
 と、トウジは少々ピントのずれた心配をしてしまう。
「何の話ですか?」
 ユウキは、アスカの勢いに気圧されることもなく、常のおっとりした顔、声で応じた。
 それが、ますますアスカを怒らせたようだ。取り澄まして!、と、そんなところか。
「どうして、私の訓練を邪魔するのよ!」
「別に、邪魔をするつもりはありませんよ」
「何言ってんのよ! 実際に邪魔しているじゃないの!」
「緊急の連絡事項があったから、呼んだだけの話ですよ」
「連絡事項?」
 眉毛を歪めて、アスカはユウキを見る。どうせろくでもないことだろう。表情がそう言っていた。
 そして、実際その通りだった。
「ええ」
 ユウキは頷き、トウジの方に視線を向けた。
 アスカは首を傾げながらも、ユウキの視線を追って、トウジの方を見る。そして、何でこいつがこんな所にいるんだ、と言う表情になる。
 見られたトウジも、首を傾げる。
 そこへ、ユウキが言った。
「紹介します。鈴原トウジ君。EVA弐号機の予備パイロット、フォースチルドレンです」
「なんやて〜!」
 誰よりも早く、トウジが悲鳴に近い叫びを上げた。

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