#125 ミトメタクナイ、ミトメタクナーイ
鈴原トウジは、ユウキの言葉に非道く混乱していた。
「紹介します。鈴原トウジ君。EVA弐号機の予備パイロット、フォースチルドレンです」
ユウキの言葉である。
意味するところは、解る。
自分、鈴原トウジが、エヴァンゲリオンのパイロットであるチルドレンに選ばれた、と言う話だ。
名誉なのだろう。少なくとも、アスカの様子を見ていれば、チルドレンというのは、人に誇ることらしいから。後、ケンスケ辺りも、「凄い凄い凄すぎる〜」と叫ぶところだ。
しかし、何で自分?、と言う疑問を抱かずにはいられない。
トウジのチルドレンのイメージは、矢張りシンジである。あの人間離れした運動能力その他。性格に少々不安があるモノの、人類の未来のかかった戦いを任せるのに、これほどぴったり来る人間は他にいないだろう。シンジが負けてしまうようならば、他の誰がやっても勝てない。素直にそう思えるから。
シンジが特殊な例としても、その他は綾波レイに、惣流アスカ・ラングレー。綾波は得体の知れないところがあるが、この二人は、まあ、普通の人間だと思う。シンジのような出鱈目な戦闘能力は持っていないだろう。少なくともアスカは、シンジに苦もなくあしらわれる所を目撃している。常日頃から訓練しているだけあって、自分には勝るかも知れないが、それでも、シンジのように人間の範疇を逸脱しているとも思えない。
だから、思い切り譲歩して考えれば、自分が選ばれる、それも不思議ではないかも知れない。
だが、納得できない。
それが何故かと考え、ユウキの口調のせいだと思い当たる。
常におっとりしていると言えばそれまでだが、ユウキの口調には、気負いの類が全く伺えなかったのだ。
さらりと、まるで大したことでもないことを告げるように、あっさりと告げている。人類を守る決戦存在ヒーロー、いや、チルドレンを選出したというのに、まるで緊張感は皆無。ファンファーレが鳴って欲しいとまでは言わないが、もう少し、気負いがあってしかるべきではないだろうか。これではまるで、「明日は晴れですねえ」と、何気ない世間話を振られたようにしか思えない。
実のところ、ユウキは確かに「明日は晴れですねえ」の様に、何気ない世間話を振ったような口調だったのだが、それは、麻雀をやっているときの天気の話題だった。その気配を伺わせず、何の気無し、と言う具合に見えながら、その実、裏では積み込みをやっているような状況。その辺り、トウジの感想はまるで的はずれと言うわけではなかったかも知れない。
「わ、ワイがチルドレンでっか?」
トウジは、確認するように尋ねてみる。出来れば、否定して貰いたい。そんな考えがあったのは否めない。人類の未来。自分には、荷が重すぎる。勿論、主力はシンジであると言うことを承知の上で、それでも、あまりに大きすぎる負荷だ。下手をしたら、潰れてしまいそうだ。
だが、だからと言って、ユウキが決定と言えば、自分には逆らうことは出来ない。そんなことは怖い。それに、矢張り、良いところを見せたいという思いもある。自分に期待してくれているのであれば、それに応えたい。少なくとも、失望されたくはない。
「ええ、そうです」
ユウキは矢張り、非道くあっさりと頷いた。
どこか、トウジのことをまるで気にしていないようにも見えた。何しろ、こちらを向いてもいないのだ。
若干、傷つきつつ、トウジはユウキの様子をうかがい、何故、自分に注意を払っていないのか、納得した。
ユウキの顔は、机を挟んだ向こうに立つ、アスカに向けられていた。
そのアスカの表情。それを見てしまえば、自分などに注意を払っていられないも道理だ。
よく見れば、アスカの体は小刻みに震えていた。血の気が引いているのか、顔色も悪い。唇がわななくように震えた後、アスカは爆発した。
「何よ、それは!」
視線で人が殺せたら、ユウキは即死していたに違いない。端で見ていた自分もおまけでやばいかも。トウジがそんな確信を抱くほどの物騒な視線で、ユウキを睨み付ける。
トウジがその視線で睨み付けられたら、尻に帆掛けて逃げ出すところだ。だが、ユウキは見かけがどうあれ、トウジなどよりも余程神経が太い。否、肝が据わっていた。
柳に風、平然とした顔で、アスカの睨みを正面から受け止める。その表情は常と変わらず、穏やかな微笑を浮かべたままだ。いっそ天晴れと褒め称えたくなるほどだ。
次いで、アスカはトウジの方を指さした。
「どうして、こんな奴がチルドレンになるのよ! チルドレンというのは、選ばれたエリートなのよ。こんな、何の取り柄もなさそうなぼんくらがチルドレンなんて、認められないわよ!」
非道い言いぐさである。
僅かにむかっ腹を立てたトウジだが、反論しようとしてこちらを睨み付けたアスカと視線がぶつかり、口までで掛かっていた言葉は喉の奥に引っ込んで消えた。下手なことを言ったら殺られる。命の危険を感じてしまったのだ。
「それに、よりによって、私の弐号機の予備パイロットですって!?」
認められない。自分の全存在をかけても、それを認めることは出来ない。そんな勢いで、アスカは吐き捨てると同時に、再び机の天板を思い切り叩く。
激しい音がして、書類の幾つかが机の上から逃げ出し、床に落ちる。先刻の一撃など比でない、強烈な一撃。見ていたトウジの手が痛くなりそうな一撃だった。しかし、アスカは興奮しているせいで痛感が麻痺しているのか、気にした風でもない。そのまま、机に両手を載せた恰好で身を乗り出し、真正面からユウキを睨み付けている。
「あらあら、乱暴ですねえ」
矢張りユウキはただ者ではなかった。何事もなかったように、常のおっとりとした声でつぶやくと、ゆっくりと机を回り、床に落ちた書類を拾い集める。
アスカがしゃがみ込んだユウキの頭頂部を睨み付けているが、全く気にしていないという風にマイペースだ。そのまま、書類を集めて揃えると机の上に置く。それから、手持ちぶさた、しかし、トウジ同様、どこか怯えの見える表情で固まっていた黒服──帆村に近づくと、何事か囁く。
残念ながら、その言葉をトウジは聞き取ることが出来なかった。
帆村はそのまま退室していく。どこか、逃げ出せてラッキー、そんな背中に見えた。
トウジは、その背中に続こうと思ったのだが、何となく、逃げ出す機会を逸してしまった。それに、話題の中心──と言うにはいささか外れているような気もしないではないが、自分の将来に関係する話題でもある。逃げ出すわけには行かないだろう。
でも、逃げ出したい。
葛藤するトウジの前で、ユウキはくるりとアスカの方を振り向いた。
「これは、ネルフの決定です」
ユウキは、頬に小さく笑みを浮かべた。
トウジはこれに、違和感を感じた。
ユウキらしからぬ、笑み。
常にユウキは笑っているが、それは、ニュートラルな感じの微笑みだった。しかし、今の笑いは、若干の嘲笑を含んでいるように見える。口の端を僅かに持ち上げた、人を小馬鹿にしたような笑み。
あかんで、あかん。
そうした笑いを浮かべる危険について、鈍感と言われるトウジですら気が付いた。心の中で必死でユウキを止めようとするが、思っているだけで事態が改善されるはずもない。しかし、口に出して指摘すれば、その時点でろくでもないことになりそうだった。困ったことに、ユウキは書類を拾い集めるために机の向こうからこちら側に来てしまっている。アスカがその気になったとき、間に立ってくれたであろう障害物、机は最早ないのだ。
「はんっ、ネルフですって?」
アスカは、吐き捨てるようにして言った。笑みには気が付いているのだろう。更に、口調が不機嫌になっている。それでも、暴発することなく耐えたようだ。その分、ますます表情が物騒になってしまっているが。
「何がネルフよ! どうせ、あんたが好き勝手にやっているんでしょう? だいたい、あんたは一体何なのよ! 偉そうな顔をしていても、実際は何の権限もない部外者のくせに! そんな奴が、口出しして来るんじゃないわよ!」
そうなんか?
と、トウジは首を捻る。その辺りの事情は、トウジは知らなかった。ただ漠然と、ユウキもネルフの関係者だろうと考えていたのだ。
「そうですねえ」
ユウキは、アスカの言葉に頷く。
どうやら、本当に無関係らしいと愕然とするトウジに構わず、ユウキはおっとりとした口調のままで続ける。
「なかなか、良い示唆を頂きました」
そこには、悪びれた所など全く存在しない。素直に、アスカの指摘を受け入れ、納得している様に見えた。
「ほら、あんたには何の権限もないのよ!」
鬼の首を取ったように、アスカが叫ぶ。
「無関係な人間はとっとと出て行きなさいよ!」
しかし、ユウキはアスカの言葉を無視した。
「最近では、戦自との共同作戦の都合もありますし、何時までもネルフ非所属というのも、確かに問題がありますね」
頷き、続ける。
「ですから──そうですね、ここは一つ、葛城さんを2階級特進させて三佐として、私は一尉くらいになる。作戦部付きの特別顧問、作戦部長代理補佐心得見習い(仮)に、正式に就任と言うのも、良いかも知れませんね」
給料も出せますしねえ。
のほほんと、ユウキは頷く。
「何勝手に決めているのよ! そんな真似が出来るわけが──」
「ありますねえ」
あくまでにこやかに、余裕たっぷりでユウキが続ける。
あかんて。
トウジは、心の中で必死にユウキを止める声をあげる。その態度が、ますますアスカを怒らせていることは明白だった。しかし、やっぱり心の中だけだったので、当然ながら、ユウキには伝わらない。
「惣流さんも、これまでで理解していますよねえ。ネルフの本当の支配者が誰であるかを。──で、更に言えば、ネルフには特務機関権限という錦の御旗がありますから、人事くらいならば、余裕で自由に出来ますよ」
「そんなことが許されるわけがないでしょうが!」
「別に、惣流さんに許して貰う必要は感じていませんよ。──と言うわけで、作戦部長代理補佐心得見習い(仮)から、正式に連絡します」
ユウキは、再びトウジを示して、言った。
「こちら、鈴原トウジ君をフォースチルドレンに任命、同時に、EVA弐号機の予備パイロットとして登録します」
「冗談じゃないわよ!」
「ええ、本気です」
大まじめにユウキは頷く。
その態度が、ますますアスカを怒らせるのは、傍目にも知れた。
はらはらしているトウジに気付かず、ユウキが続ける。
「と言うことで、一つよろしくお願いします」
「巫山戯るんじゃないわよ。何時までもあんたの冗談につきあってらんないのよ! そんなこと、認められるわけないわよ!」
「ですから、本気ですよ。──まあ、すぐに正式な書類を用意しますから、それを見れば納得して貰えますか? 私があなたの上官になるのも、鈴原君がチルドレンになるのも」
「認められないって言ってるでしょうが!」
「これは、決定なんですよ。誰が何を叫ぼうとも、覆されることはありません。そう、例え碇司令が否定したとしても。──いわんや、ただのペーペーチルドレンの惣流さんが何を吼えたとしても、絶対に」
「嫌よ!」
それでもアスカは絶対に認められないと叫ぶ。
確かに、ずるいことをしますよと、ユウキは言っているようなモノである。心情的にユウキの味方のトウジであるが、それでも、アスカの言い分も納得できる。アスカの立場からすれば、理不尽きわまりないと思っても仕方がない。普通思う。
「だいたい、何でこいつがチルドレンに選ばれるのよ。マルドゥックも目が腐っているとしか思えないわよ! 良いこと──」
ギロリと、トウジは睨まれて、首を引っ込める。男として、女に睨まれてびびるのは──等と、普段なら考えるところだが、今回は欠片もそんな考えは浮かびもしなかった。兎に角、逆らったらやばい、そう感じた。ぎらぎらと物騒な光を放つアスカの目。これは、無茶苦茶やばい。命がピンチだ。
「チルドレンって言うのは、選ばれたエリートなのよ。人類を救う正義の戦士。こんな、何も考えてなさそうな間抜けな奴が、何で私と同じチルドレンに選ばれるのよ! そんなこと、認められるわけが無いじゃないの!」
間抜けと言われれば、流石に腹が立つ。立つが、口は閉ざしたまま。下手に口を挟むと、更に状況が悪くなる。確信していた。既に充分以上に厄介な状況。これ以上厄介になるのはご免だった。
「だいたい、何で私の弐号機の予備パイロットなのよ。弐号機のパイロットはこの私、惣流アスカ・ラングレーだけで充分なのよ! こんな奴に、例え訓練だとしても、私の弐号機に触って欲しくなんか無いわ! 予備パイロットなんて必要ない! そんな奴は、ファーストかサードの予備で充分よ!」
「その辺りは、同意しかねますねえ」
ユウキは、ますますのんびりした口調で応じる。
「機体数とパイロットが同数。この状況は、良くありません。パイロットが何らかの事情で戦闘参加不可能となれば、即座に遊ぶ機体が出てしまう。備えは必要なんですよ」
「だから、何で私の弐号機なのよ!」
「綾波さんに予備は必要ありませんからねえ」
「何でよ!」
ユウキは、アスカを正面から見て、どこか、馬鹿にするような表情を作った。
トウジがおやっと首を傾げるほど、ユウキらしからぬ表情。
「あなたには、それを知る資格はありません」
うひ〜、っと、トウジは内心で悲鳴を上げた。
これでは、喧嘩を売っていると取られても仕方がない。向こうはやる気満々なのだ。
トウジは、助けを求めるように、視線を左右に彷徨わせた。
残念ながら、当事者二人の他には、トウジしかここにいない。喧嘩になったら、自分が止めねばならない。否、それ以前に喧嘩になるのか?
そう考えてぞっとする。
喧嘩になるわけがない。
多分、ユウキが一発撃って、それであっさり終わってしまうだろう。アスカの人生が。
もしかして──
と、トウジはここで初めて思い当たる。
なんだか、ユウキらしからぬ行動が多かったような気がするが、その理由は──
その理由は、わざと喧嘩をふっかけて、アスカを始末してしまう為ではないだろうか。
そうした目でユウキを見ると、ますます違和感が大きくなる。
ユウキの常に浮かべている微笑みは、今のような、人を小馬鹿にした笑いではない。
これまでの会話を思い返すに、ユウキはアスカを煽っているとしか思えない。
そして、アスカはユウキにとって邪魔者でしかない。
OTRで浮かべたユウキの表情を思い出す。
アスカはシンジを奪った、ユウキにとっては憎むべき存在。
アスカが襲いかかってきた瞬間、正当防衛として、射殺するつもりなのではないか?
その想像に、背筋が冷える。ありそうだと思ってしまっただけに、余計に。
「じゃあ、サードはどうなのよ!」
トウジの思い当たったことに気が付いていないアスカは、見るからに喧嘩腰でユウキに問う。
「シンちゃんの方は──まあ、シンちゃんがどうかなってしまうようでしたら、その時点で終わりのような気もしますからねえ」
「そんなのは、依怙贔屓じゃないの? 備えは必要なんでしょうが!」
「そんなに言うのであれば、いずれ用意しますよ」
「すぐに、今用意しなさいよ。こいつを使えばいいでしょうが!」
トウジを指さし、アスカが吼える。
トウジははらはらしているのだが、同時に諦観もしていた。自分には、どうしようもない、と。
「シンちゃんの予備よりも、今は弐号機の方が急務ですから」
「なによ、私があいつに劣っているとでも言うの?」
「自覚もないんですか?」
ユウキがわざとらしいまでの驚愕の表情を作る。
「これは、惣流さんの評価を、更に下方修正する必要がありますね。──いっそのこと、予備の鈴原君をメインにした方がましかも知れませんね」
「私が、こいつよりも劣るって言うの?」
アスカが、怒りで暴発するのを堪え、食いしばった歯の間から無理矢理に押し出すみたいな声で問う。
「少なくとも、命令無視して無様にやられるような真似をすることはないと思いますが」
「──っ!」
あかん!
トウジは、内心で悲鳴を上げた。
しかし、その内心の声が届くわけもなく、アスカは一歩踏み込み、ユウキめがけて拳を繰り出た。
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