#126 殴り合い、そらっ!
ゆったりとしたスカートの裾が僅かに揺らめいた次の瞬間、まるで魔法のように、ユウキの手の中には拳銃があった。
振り上げた拳をユウキに叩きつける遙か以前に、アスカは真正面から暗い穴をのぞき込んでいた。
その穴の正体が何であるか?
アスカが悟るよりも早く、乾いた一発の銃声。
アスカの額に、ぽつんと小さな穴が開き、その反対側、後頭部から盛大に様々なモノをぶちまける。髪の毛が貼り付いたままの頭皮。白い頭蓋骨の欠片。鮮やかな色合いの血。綺麗なピンク色をした脳味噌。
まき散らしたモノの勢いにつられるように、アスカは仰向けに倒れ、その下に、赤い水たまりが広がっていく。
倒れたアスカを、ユウキが見下ろしていた。
その頬には、常と変わらぬ微笑が浮かんでいた。常と変わらず、しかし、頬に一滴だけ飛んだ血がアクセントとなり、その微笑を悪魔じみたモノに見せていた。
その様な光景を、鈴原トウジは脳裏に描いた。
そして一瞬後にはそれが現実になるだろうと確信した。
ユウキには正当防衛の大義名分が与えられた。これで、邪魔者を合法的(?)に排除できる。めでたしめでたし。──少なくとも、ユウキにとっては。
トウジは、恐怖に目を閉ざした。出来れば、スプラッタな光景は見たくない。更に言えば、ユウキの怖いところも。
しかし、トウジの耳に聞こえてきたのは銃声ではなく、肉を打つ響きだった。
「──え?」
スプラッタを期待していたわけでは無い。無いが、それ以外の展開という奴は想像もしていなかった。戸惑い、驚きながら、慌てて目を開く。
目を開いたトウジの視線の先では、ユウキがアスカに頬を殴られていた。
頬を殴られたユウキは、よろめき、蹈鞴を踏む。
正当防衛の大義名分を確実にするために、わざと一発喰らったのだろうか?
トウジがその様な疑惑を抱いて見つめる先で、アスカは更に拳を振り上げる。
打ち下ろす先は、再びユウキの顔。
アスカはそこらの、何ら訓練を積んでいない普通の女の子とは違う。幼少の頃からチルドレンとして、格闘訓練も積んできている。その訓練が無駄ではなかった事、ちゃんと身に付いている事を示すように、アスカの一撃は鋭い。
しかし、今度はユウキも黙って殴られず、大きく後ろに下がってやり過ごす。
空振りしたアスカは、大きく体勢を崩した。怒りに我を失い、後先見ずの力任せの一撃を繰り出したらしい。目標を外し、大きく体が流れている。
大きな隙。これだけの隙があれば、ユウキは銃を抜き、アスカを撃ち殺すことは余裕だろう。
だが、ユウキは銃を抜かず、かわりに今しがた殴られたばかりの左の頬を痛そうに撫でた。
「やれやれですねえ」
痛みか、それ以外か、顔を顰めながら、わざとらしくため息を付く。おまけに首まですくめる、わざとらしすぎるほどに、わざとらしい態度。
「図星を付かれたからって、いきなり暴力ですか?」
「五月蠅い、黙りなさい!」
アスカは、体勢を立て直し、今度は用心深くユウキを伺いながら怒鳴る。
ユウキは、勿論黙らなかった。
「ドイツ支部では、余程甘やかされて過ごせたようですね。ちやほやされて、いい気になって。世界は自分を中心に回っている、自分は凄いんだって、思い込んでいた」
「黙りなさい!」
「でも、現実、使徒と戦ってみて、自分はちっとも凄くないんだって気が付いてしまった。井の中の蛙、大海を知らず、ですか?」
「違う! 私は──私が一番上手くEVAを扱えるのよ! シンクロ率だって高いし! 訓練だって積んできた!」
「でも、2連敗」
ユウキは容赦なく告げた。
「模試の成績がいくら良くても、本番のテストの成績が良くなければ、全く意味がありませんねえ」
「アレは──アレは、たまたま調子が悪かっただけよ! 私が本当の実力を出せば──」
「成る程」
ユウキは、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、頷く。
「きっと、次の使徒戦でも調子が悪いんでしょうねえ。更に次の使徒戦も。更に更に──。一体、何時になったら本当の実力とやらを見せていただけるんでしょうか?」
「次は絶対に大丈夫よ! だって、私はエースパイロットなのよ!」
「成る程、日本とドイツでは、言葉の意味が違うみたいですねえ。日本では、撃墜数ゼロのパイロットを、エースとは言いませんから。これは、一つ勉強になりましたよ」
「五月蠅い、五月蠅い!」
頭を激しく左右に振って、アスカは叫ぶ。赤い髪の毛がばっさばっさと翻り、折角のヘアメイクが乱れるが、気にしない。気にする余裕もない。
そちらを冷めた目でユウキは見つめ、辛辣なことを告げる。頬には、人を馬鹿にしたような微笑みが貼り付いている。
迫力だけならば、アスカに軍配があがる。しかし、叫ぶ毎に、アスカは自分自身を傷つけているようだ。瞳には狂気の色が浮かび、叫ぶたびに危うく揺れる。どこか泣き出す寸前の子供のように、表情が歪められている。
傍目にも、危険な兆候が見て取れる。壊れかけている。
だが、ユウキは容赦しなかった。
「いい加減、現実を認めたらどうですか?」
一息ついて、ユウキはとどめを刺すように告げた。
「誰も、あなたの事なんて見ていないって」
「──!」
アスカの絶叫。声にならない叫びが、喉からあふれ出していく。
ユウキの言葉は、アスカの急所を付いた。誰にも見られない。誰にも相手にされない。それは、アスカのトラウマだった。無論、ユウキは集めた資料から、その事を承知している。
「違う、違う!」
頭を抱えて、いやいやをするように激しく首を振る。飛び散った液体は涙か汗か。体は瘧にかかったようにぶるぶると震え、極限まで見開かれた瞳の色が陰る。
「私はエースパイロットなのよ! 私が、一番上手くEVAを扱える! 私は、私は──」
虚ろに小声で呟くアスカに、ユウキは静かに近づいていく。その耳元に口を寄せて、囁くように告げる。
「認めて、楽になっちゃたらどうですか?」
「嫌よ!」
弾かれたように、アスカは頭を上げた。陰っていた瞳に、光が戻る。ぎらぎらとした──狂気の光。
「私は、エースでなくちゃいけないのよ! ナンバー1でなくちゃいけないのよ!」
口角からつばを飛ばしながら、アスカは叫ぶ。
これは手強い。
そんな表情が、ユウキの顔に一瞬だけ浮かぶ。しかし、すぐにユウキらしくない、人を小馬鹿にした笑みが取って代わる。
「正直に言わせて貰えば、今のままの惣流さんでは、近い内に死にますよ」
ぎくっとしたように、アスカがユウキを見る。瞳の中には怯え。死に対する過剰なまでの恐怖。これもまた、アスカのトラウマの一つ。
ユウキは構わず続ける。
「私が、殺します。使徒の出方を調べるのに、惣流さんが単独で突っかかっていくのは、非常に都合が良いという考え方も出来るんですよ。EVAが傷ついて、修復にお金がかかるのは痛いですが、決戦前に敵の能力を知ることが出来れば、それは大きなメリットになります。おまけに、戦力的に死んでも問題のない存在ですからねえ、今の惣流さんは。予備の確保もできましたし、尚更に」
「──!」
アスカは、声にならない叫びを上げて、再びユウキに飛びかかっていた。
しかし、今度はユウキは素早く避けていた。逃げながら、更に告げる。
「はっきり言わせて貰えば、威張っている割には、全然大したこと無いんですよね。正直、私は素手の戦いは苦手ですけど、それでも、惣流さんには負ける気がしませんし」
「──!」
叫び、更に追撃しようとするアスカの顔に、今の発言を証明するかのように、今度はユウキの拳が入る。
カウンター気味に喰らったアスカは後方に蹈鞴を踏み、しかし、倒れることなく耐える。驚いたように自分の顔を右手で撫で、そこが赤く染まっていることに気が付き、更なる怒りに表情を歪める。ユウキを睨むアスカの顔の下半分は、赤く染まっていた。どうやら、綺麗に鼻に入ったらしく、鼻血がでたらしい。
「……やる。……してやる」
ぶつぶつと、アスカが呟く。声が小さい上に鼻が通っていないために、不明瞭で、聞き取り辛い。しかし、だんだんと声が高まるに連れて、誰の耳にもはっきりと聞こえるようになった。
「……殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる!」
そして、ついには叫びになる。
「殺してやる!」
「出来るモノならやってみて下さいな」
物騒な叫びにも関わらず、ユウキは平然と応じた。
それがますますアスカをいきり立たせる。
「殺してやる!」
「あ、あかんて。二人とも、正気にもどりい。これ以上は、止めときい」
これまで、呆然と事態を見守っていたトウジが、ここに来て流石にやばいと、二人の間に割って入る。
しかし、これは完全に意味のない行動となった。トウジの思い、熱意は兎も角、実力が付いてきていなかったのだ。
「邪魔するな!」
「ぴげっ!」
アスカが叫びと共に繰り出した一撃は、あっさりとトウジをはじき飛ばした。おかしな悲鳴を上げて、すっ転ぶトウジ。
そちらを最早一瞥もせず、アスカはユウキに躍りかかった。
鋭い攻撃が、連続してユウキに加えられる。先刻かわされたことから学習したのか、大降りの攻撃を避け、小さく、しかし確実にダメージを積み重ねていこうとする。本格的に我を失ったせいで、訓練で体にしみこませた技術が、アスカの性癖──派手好み、大技好み──に影響されずに、素直に出ているのかも知れない。
並の人間であれば、そのまま綺麗に喰らって倒されそうな攻撃を、ユウキは上手く捌いていった。それでも、ユウキが押し込まれていっているのが、傍目にも解った。幾つかの攻撃はユウキを捕らえていたし、ユウキは反撃らしい反撃もできず、防戦一方である。自身で口にしたように、銃の扱いは天才でも、格闘の方はそうではない。シンジのように、超人的な肉体は持ち合わせていない。それでも、普通の女の子に比べれば格段に優れているが。
しかし、アスカは更に上を行く。幼少時からの本格的な訓練。更には、アスカは全く才能を持ち合わせていないわけでもない。出鱈目なシンジと比べれば兎も角、そうでなければ充分以上に強い。
「うわああああ!」
確実にユウキを追いつめているアスカ。しかし、その口から零れる叫びは、追いつめられたモノの叫びだった。防戦一方のユウキよりも、アスカの方が表情に余裕がない。
それでも、遂に、アスカの一撃がユウキの体勢を大きく崩していた。捌ききれず、ガードを崩されて大きく蹈鞴を踏む。
その、がら空きとなったユウキの顔に一撃を──
そこで、アスカは大きくバランスを崩した。
「──!」
訳が分からず、しかし、必死になって体勢を取り戻そうとするが、勢い良く頭を引っ張られて果たせない。
見れば、何時の間の仕業なのか、ユウキの手は、アスカの髪の毛を掴み、それを大きく引っ張っていた。
髪の毛を掴まれれば、どれほどの鍛練を積んだ者でもあろうとも、その実力を発揮することは難しい。戦う人間──格闘家やヤクザなどに、短い髪の毛、あるいはパンチパーマなどが
多いのは、髪の毛を掴まれることを避けようと言う狙いもある。
バランスを崩したアスカの足を、ユウキが払う。
堪えきれず、アスカは床の上にすっころぶ。
それでもとっさにダメージの少ない転び方をし、即座に立ち上がろうとする。
だが、それよりも早く、ユウキが倒れたアスカの上にのし掛かっていた。
アスカが気が付いたときには、ユウキは完璧なポジション──アスカに馬乗りになっていた。しかも、器用に自身の両膝を使って、アスカの腕の動きを封じている。
「勝負ありましたねえ」
ユウキが、静かに告げる。勝ち誇るわけでもなく、ただ、事実を事実として告げる。そうした口調で。
「うああああ!」
アスカは、必死で体をよじるが、ユウキは問題としない。かわりに、容赦のない一撃をアスカの顔に喰らわせた。更に一つ、更にもう一つ。淡々と、作業でもするかのように、拳を振り下ろす。
確かにユウキの言うとおり、勝負は付いていた。
マウントスタイル、この恰好では、上になった人間の方が格段に有利なのだ。このポジションを取れば、後は上から殴るだけ。そこには技術は必要ない。おまけに、頭の下には硬い床。ダメージ倍増である。逆に、下になった人間には反撃の術がない。
更に何発か入れ、アスカが大人しくなったと見たユウキは、振り下ろす拳を止めた。
「卑怯者!」
それを見たアスカはすかさず叫び、同時に、血の混じった唾をユウキの顔めがけて飛ばす。
避けることが適わず、ユウキは唾をまともに顔に喰らう。しかし、平然と、人を馬鹿にした笑いを浮かべた。それから、僅かに顔を顰める。ユウキも流石に何発か喰らったために顔が多少変形しており、痛かったらしい。
「根性だけは認めて上げても良いかも知れませんねえ。──でも、実力が悲しいくらいに付いてきていませんねえ」
「実力? 何がよ! 卑怯な真似をしておいて!」
アスカの方も、ユウキ並に──あるいは以上に顔が変形している。おまけに、負けを認めるしかない状況だというのに、それでも口は動いた。何が良かったのか、多少、正気を取り戻しているようだ。
ユウキは、アスカの叫びに、一向に感銘を受けたりはしなかった。逆に、ますます笑いを深める。
「殺してやるとか叫んでおいて、道場で試合でもやっていたつもりでしたか? ──ああ、成る程。次の使徒戦では、たまたま調子が悪いせいではなく、敵が卑怯な真似をするから負けるのかも知れませんね」
「〜〜〜〜!」
「本当ならば、一発でけりが付いていたんですよ」
何時の間に用意したのか、ユウキはアスカの顔に拳銃を突きつけた。
「ひっ」
真っ直ぐに向けられた銃口を見つめていることは出来ず、アスカは小さく悲鳴を上げて顔を逸らす。しかし、馬乗りになられた恰好から、しかも、至近距離からでは、逃れることは不可能だった。
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