#127 存在の耐えられないヌルさ
フラッシュバックのように、OTR甲板でのことが思い出される。
同様に自分に銃を突きつけたこの女は、本気で自分を撃ち殺す気だった。
そう、この女は本当にやる。
やると決めたら、容赦はしないだろう。表情を変えず、笑みを浮かべたまま、あっさりと人の命を奪う。邪魔っけな虫を潰す程度の感慨も抱かずに。見かけ人畜無害、おっとりとしているとしても、本質はまるで違う。人を殺すことに、欠片ほどの禁忌も持っていない。
外見の印象がどうであろうとも、この女は精神的に化け物だった。
カタカタカタと耳障りな音が聞こえ、それが、自分の歯が立てている音だとアスカは気が付いた。気が付いても、悔しいとは思わない。思う余裕もなかった。
ただ、怖い。
引き金にかけた指の関節が、少しずつ、白くなっていく。もう少しで、引き金が引かれる。
怖い。
しかし、アスカは目を逸らすことも出来ず、成す術無くそれを見つめていた。
引き金は引かれなかった。
「今は撃ちませんよ」
非常な努力をしたような声で、ユウキは大きく息を吐いてから告げた。銃口をずらし、そして、次の瞬間には魔法のように拳銃が消え失せている。どこかにしまったらしいが、アスカにはまるで解らなかった。アスカでなくとも、解らなかっただろう。
「──非道く、心を惹かれていることは間違いありませんが、今は殺しませんよ」
ユウキは、非道く疲れたような笑みを見せた。
矢張り、アスカはこの言葉を信用できなかった。
この女に自分の命を握られている。普段ならば、非道く腹立たしく感じただろう。しかし、今は怒りより先に、恐怖に支配されている。
「しかし──」
ふう、と、ユウキはわざとらしいため息を付く。
「自称エースパイロットが、素手の私如きに負けるようでは、話にもなりませんねえ。矢張り、予備と交代させる方が良いみたいですねえ。この際、チルドレンから登録抹消して、市井の幸せを見つけたらどうですか?」
「……」
アスカはこれまでと同じように恐怖の表情を浮かべた。しかし、恐怖の種類が違った。命を失うことに対する恐怖ではない。それ以上に、自分の存在を全て否定されるような恐怖。
「……止めて」
アスカの喉が、弱々しい、かすれたような声を押し出す。
「何を、ですか?」
嬲るように、ユウキが尋ねる。
「止めて!」
アスカは、なりふり構わぬ大声で叫ぶ。
「私をEVAから下ろさないで! 私にはEVAしかないのよ! EVAがなければ、チルドレンでなければ、誰も私を見てくれない!」
見開いたアスカの目から、涙が零れる。
嫌っている人間に、涙を流して懇願している。冷静に戻れば、その相手を抹殺してでも過去を消してしまいたいと思うだろう。しかし、今のアスカにはそんなことを考える余裕もなかった。更に、それ以外の手段もなかった。悔しいが、手も足も出ない。もし、手も足も出たとしても、懇願する以上の術もなかった。勝てない。技術云々、強い弱いの話ではなくて、あり方が違う。向こうは殺せて、こちらは殺せない。否、いざとなれば殺せるが、向こうはいざとならなくても殺せるのだ。その差は決定的だった。
「EVAに乗っていなければ、私には生きている意味がないのよ!」
だから、涙を流しながら懇願し、叫ぶしかなかった。
「……」
ユウキは、常のように微笑みを浮かべ、しかし、非道く冷めた瞳で叫ぶアスカを見下ろしていた。たっぷりと時間が経ってから、ユウキは口を開いた。
「いい加減にして下さいよ。この糞ガキ」
「え?」
アスカが戸惑いの表情になる。
ユウキは、これまでアスカを罵りつつも、その口調はあくまで常通り、非道くのんびりしたモノだった。それだって、小馬鹿にされているように感じたから、効果はたっぷりだったが。しかし、今回の発言、口調には、たっぷりとドスが込められていた。
ユウキはアスカの戸惑いになど構わず、手を伸ばしてアスカの襟口を掴まえた。そして、意外に思えるほどの力強さで、アスカの上半身を持ち上げる。吐息がかかりそうな至近距離から、アスカの顔を睨み据える。その瞳には、隠しようもなく、怒りの色合いが浮かんでいた。それでも、口元には微笑みを湛えている辺りが、更にアスカの恐怖を煽った。
この女の微笑みは仮面だ。本心を隠すために貼り付けた仮面。
アスカも、期せずしてリツコ、そしてトウジらと同じ感想を抱いた。しかし、それ以上のことを追求することはやめた。
そんな余裕はない。そして、それ以上に、果たして仮面を剥がしたとして、その下からどんなモノが現れるのか?、見てみたいとも思わない。それは、命をチップに賭をするようなモノだろうから。それも、途轍もなく分の悪い。
「高々この程度のことで、生きるの死ぬのと大騒ぎ。苦労知らずのお嬢さんは、一体何処までぬるいんですか?」
ユウキは、音が立ちそうな勢いで、掴まえた襟を締め付ける。
「……うっ」
アスカは身をよじり、ユウキの戒めから逃れようとするが、万力に掴まれたようにびくともしない。
「生きている意味もない? 惣流さんは、本当に死にそうな目にあったことがあるんですか? ──まあ、確かにへっぽこパイロットですから、ここの所の2連敗がそういえるかも知れませんけど、そう言うモノではなくて、──日常に死を感じたことがありますか? 生きることに苦労したことがありますか?」
「わ、私は、EVAパイロットとして、努力を──苦労を──」
天才パイロット。天才に努力は似合わない。そう考えていても、苦労知らずと言われれば反論せずにはいられない。
「そう言うことを言っているのではありませんよ」
アスカが苦し息の下で必死に絞り出した声を、ユウキは薄笑いを浮かべ、にべもなく切り捨てた。
「生きていくことを苦労したことですよ。日々の糧を与えられるのではなく、自分自身で得ようとしたことは? 知っていますか? セカンドインパクトからこっち、飢えで死んだ子供は、山ほどいるんですよ。自分がどれほど恵まれた生活をしてきたか、解っているのですか?」
「私はチルドレンとして──世界を救う人間として」
「あなたの資質ではなく、それは偶然がもたらした産物ですよ。──その恵まれた環境の上にあぐらをかいて、大したことでもないのに生きるの死ぬのと、甘ったれたことを」
ユウキは、堪えきれないように叫んだ。
「シンちゃんと良い、あなたと良い、どうしてそんなにぬるいんですか!?」
それは殆ど絶叫だった。
「ひっ」
その剣幕に怯え、アスカは身を縮める。
しかし、ユウキは容赦なく続けた。
「親に棄てられた? 親に見て貰えない? それが一体なんだと言うんですか? その程度のこと、この世の中には山ほど溢れかえっているんですよ。日常茶飯事、その逆の方が希有な例と言えるほどに。それを、自分だけがとびっきりの悲劇の中にいるように、みっともなく嘆いて。棄てられるどころか、女郎屋や人身売買組織に、あるいは臓器密売組織に。最悪、得体の知れない特務機関に実験動物として売られる子供だって山ほどいたんですよ? それを逃れたとしても、親に棄てられた子供が生きて行くには、世間という奴は非常に厳しくて冷たいんですよ? 惣流さんは、親に見て貰えなくてもぬくぬくと育ってきたのでしょう? 生活に困ったことなど無いんでしょう? 普通、棄てられた子供は、ろくでもない事になるモノなんですよ。惣流さんは飢えたことがありますか? 一枚のパンを奪い合って殺し合いをしたことは? 一緒に助け合って生きていた仲間に、食欲を感じるまでに飢えたことは? 素っ裸でステージに立たされて、自分の身に値段を付けられたことはありますか? それも屈辱的なまでに端な値段を。自分の意志など当然の如く無視されて、金持ちの糞ガキに好き勝手に体を弄ばれたことは? ──世の中にはねえ、惣流さん、それですら、まだまだ生ぬるいという、更に過酷な生き方を強要されている人間が、今なお、いくらでも存在するんですよ? それなのに、それなのに、あなた達は親に棄てられた、親に見向きされなかった、その程度で、その程度の理由で、この世の全ての不幸を独り占めにしたかのように嘆いて」
ユウキは、一息ついて、大きく息を吸い込んだ。
「人を馬鹿にするな!」
「ひぃ」
アスカは喉の奥で悲鳴を上げて、体を小さく縮こませる。
そこで、部屋の扉が開いた。
「え? ユウキ? アスカも、一体どうしたのさ」
慌てた声は、シンジのモノだった。
シンジは、若干慌て気味に二人の下に駆け寄ってくる。
その背後にいたのは帆村である。どうやら、シンジを呼ぶために退場していたらしい。
「一体何なのさ。二人とも、非道い顔だよ」
ユウキ、アスカは殴り合いの結果、かなり顔が非道いことになってしまっている。若干の時間をおいたせいか、更に腫れ上がっているようにも見える。アスカなどは鼻血で汚れたところへ泣いたために、更に非道く斑になってしまっている。
「女の子に向かって言う言葉ではありませんねえ」
ユウキが苦笑しつつ応じ、それから、顔を顰めた。どうやら、その苦笑という動作で、傷口が痛んだらしい。口元を手で押さえ、ゆっくりと自身の体の動作を確かめるようにして立ち上がる。
アスカはようやく解放されたが、身動きを使用ともせず、上を向いたままで固まっている。
そちらにユウキがちらと視線を送ると、アスカは喉の奥で悲鳴を上げて体を丸める。その体全体が、がたがたと傍目にもはっきり解るほどに震えている。徹底的に打ちのめされ、怯えきっていた。
「けど、本当に一体何が」
事情が良く解らないらしいシンジが、重ねて尋ねる。
「ほら、これはあれですよ」
ユウキは指を一本立てて告げた。
「気に入らない新入りを、人気のない体育館裏に呼びだしてボコると言う──」
「それ、笑えない」
シンジが不機嫌に応じる。かつて自分がいじめられていただけに、その手のことには怒りを感じてしまうシンジだ。そして、その事は当然ユウキも承知しているはずだから、たちの悪さもここに極まれりと言う感じで、更にシンジを不機嫌にさせる。
「それは失礼」
ユウキはシンジの不機嫌の表情を何でもないことのように軽く流す。こんな真似が出来るのは、ネルフ本部内ではユウキくらいのモノだろう。
ユウキはそのまま進み、シンジのそばに寄ると、小声で囁いた。
「ほら、いつもの手ですよ。責め役と宥め役。程良く追いつめておきましたから、後はシンちゃんが優しく接して上げれば完璧ですね」
「──って、ユウキ」
僕はそのやり方に反対していたはずだけど。と、納得のいかない顔になるシンジに、ユウキは更に告げる。
「悠長なことを言っていると、惣流さん、死にますよ。そうでなければ、精神的に壊れるか。──どちらにしろ、余裕のない状況だと判断しましたから、勝手にやらせていただきました」
文句がありましたら、どうぞ。何なら、殺しますか?
ユウキは、真っ直ぐにシンジを見つめた。
シンジも、ユウキを見る。その視線は睨み付けるにはほど遠く、先に視線を逸らしたのも、シンジだった。
「どちらにしろ、ここまでやっちゃいましたから、何もしないでいれば、本格的に壊れてしまいますよ。さあ、シンちゃん、どうぞ」
体を脇に避けて、シンジにアスカに向かう道を示す。
「私は、一足先に医務室へ行きますよ。流石に鍛えていたというのは伊達ではありませんでしたよ。──本当は、もう少し余裕を持っていなすつもりだったんですけど、甘かったですねえ」
へらへらと軽く笑い、ユウキはシンジとすれ違う。ついでに、事態の推移に付いていけず、目を白黒させていただけのトウジと、矢張り事態を理解できずに困った顔をして固まっている帆村に指示して、退室させる。
そして、ユウキ自身も、部屋から退室しようとする。
その手を、シンジが掴まえた。
「……何か?」
「え? いや」
シンジは、自分でも何故そうしたのか把握していない、そんな表情で首を傾げ、それから、言った。
「ええと、なんか、ユウキも放っておけないって言うか……」
ぶつぶつと不明瞭に呟くシンジの腕を、ユウキは乱暴に振り払った。
「私のことは良いですから、今は惣流さんですよ」
「いや、でもさ……」
「──! 私のことは放っておいて下さい!」
ユウキは叫び、シンジの顔を睨み付けると、再び伸ばしたシンジの腕を、はたくようにして払う。
「え?」
ユウキ、シンジは互いに、吃驚したような表情で見つめ合った。
シンジは、ユウキが大きな、しかも乱暴な声を出したことに驚き。
ユウキは、自分がそんな声を出してしまったことに驚いているようだった。
他にも、トウジ帆村もびびった顔をして固まっていたりするが、それは話の流れに関係ないので、詳しくは省く。
驚きからの復旧は、ユウキが先んじた。一つ二つ呼吸をし、笑顔を顔に貼り付ける。そう、それは、貼り付けるとしか表現仕様の無いような、不自然な笑み。完璧なポーカーフェイスの常の笑顔は、見る影もなかった。
「良いですか、今は私のことよりも、惣流さんです。──折角、こんなに痛い目にまであって追い込んだんですよ? 無駄にしないで下さい」
「え、う、うん、解った」
未だ、納得行かない部分があった様子だが、それでも強く言われて、シンジが頷く。
「よろしい」
ユウキは頷き、トウジ、帆村を連れて、退室していく。
シンジは、その背中が扉の向こうに消えた後もしばらく見送っていたが、それから、我に返ったようにアスカに向かった。
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