#129 あなたは神を信じますか


 その日も、ネルフの受付は暇をしていた。
 何しろ、非公開組織。第3新東京市の人間ならば、ネルフが秘密の組織であることを、みんな知っている。──いささか、秘密の組織としてはアレであるが、兎に角、その存在を秘されている組織なのだ。無いことになっていると言っても良い。
 また、非常に胡散臭い組織でもある。裏で何をやっているのか──ネルフの地下深くには、なにやら不穏なモノが隠されているらしい等という噂も流れている。目をつぶって投げた弾が命中と言うところか、噂も馬鹿には出来ない。──兎も角、下手に近づくと、ろくでもない目にあうだろうと言われ、一般人は滅多なことでは近づかない。最近では、ネルフのマーク、赤いイチジクの葉の横に、「碇組ネルフ出張所」等という檜の看板まで並んでいたりして、余計に一般人は近づかない。否、近づけない。
 そんな組織の受付である。当然、千客万来で大忙し、等と言うことは無いのだ。
 精々、客は出入りの業者ぐらい。そう言った人々は既に勝手知ったる、と言う具合で、受付の手を煩わせることもない。
 だから受付の男は、気楽な表情で、カウンターの上に両足を投げ出すという気楽な恰好で、エロ本をめくっていた。
「……ううむ、この凄い凄い凄すぎるシリーズは、どうも今ひとつだな」
 等と、論評を加えながら。
 その受付の上に、影が落ちた。
「ん?」
 と、受付は緊張感のないままに顔を上げる。
「失礼、ちょっとよろしいですか?」
 声をかけられ、受付は慌てて姿勢を正す。
「何か、御用ですか?」
 俺は真面目に仕事をやっていましたよ。仕事中にエロ本を読むような真似なんて、したこともありません。だからシンジさんには報告しないで下さい。
 一瞬で真面目な表情になると、受付は、受付カウンターの向こうに立つ男に尋ねた。
 同時に、男の観察もする。
 見たことのない顔だ。──もっとも、見た顔と言えば、たまにやって来て、「ブルータイプ」だの「エンゲルケース」だの叫ぶ、自称科学者くらいしか、とっさに思いつかないが。逆に言えば、その程度しか、客は来ないと言うことだ。
「はい、少々、質問がありまして」
 男は、にこやかに笑った。
 でかい男だった。身長は2メートルを超えるだろう。短く刈り上げた髪の毛。丸い眼鏡をかけている。そして、着ているのは──キリスト教の僧服だろうか?、黒を主体とした、裾の長い上衣。胸元には、十字架もかけられている。手にはハードカバーの本──どうやら、聖書のようだ。
「質問ですか?」
 受付は、用心深く尋ねた。
 基本的に客は少ないが、ゼロではない。例の自称科学者もそうだが、希に、訳の分からない苦情を持ち込んでくる客はいる。かつてよく見かけ、最近では全く見かけなくなった、ネルフ反対運動をするような人間もいた。アレは、色々美味しくいただけたから、逆に来て欲しい類の客だったのだが。
 それは兎も角。
 この男は、非常に穏やかに話しかけてきたが、それだけで油断は出来ない。
 どうやら宗教関係者である様子だし──もしかしたら、聖書の販売員だろうか?
 だとしたら、どこかに子供がいるはずなのだが……と、視線を巡らせる。正直、子供連れの聖書販売が来ると、子供に同情してしまいたくなる。あんな事に連れ回されたら、堪ったもんじゃないだろう。──まあ、子供も熱心の信者であれば兎も角だが、どうにも、親に引きずり回されている様にしか見えないのだ。宗教に填ってしまった親を持つ事は不幸なことだ。
 受付は内心でそんなことを考えながら、一巡り。どうやら、周りには子供の姿はない。男一人のようだ。
「どう言った質問でしょうか?」
 いきなり、神を信じますか、じゃないだろうな。
 どこか投げやりに尋ねた受付に、男は笑顔を向けた。
「あなたは、神を信じますか?」
 ビンゴだった。
「……」
 受付は、盛大にため息を零した。
 どうやら、ここにまともな客は来ないらしい。
「お帰りはあちらです」
 熱意の失せた声で告げて、受付は向こうを示した。真面目に相手をしていられるか、とばかりに、今し方片付けたばかりのエロ本を開いて視線を落とす。
「……この邪教徒が」
 ぼそりと、男が呟いた。
「え?」
 その声の調子に、思わず顔を上げた受付の眉間に、鋭い銃剣の切っ先が突き刺さった。


 ネルフ本館内に、警報が響き渡った。
「への三番入り口に、侵入者です!」
 慌ただしく振り返り告げたのは、日向マコトである。
 しかし、自分の背後に誰もいないことに気が付き、バツの悪そうな顔をする。普段の癖が出たという奴だ。
「マコト、ユウキさんがいないときには、お前が作戦部の責任者なんだぞ」
「解っているよ」
 指摘してくる青葉に応じ、マコトは、即座に保安部に連絡する。
「モニターに、侵入者、出ます」
 マヤが素早く端末を操作、正面モニターに映し出す。
 一人の神父が、受付の前に立っている。受付の男の姿はない。始末されたのだろう。
「え? なんだ、これは?」
 日向が、戸惑ったような声を出す。
「たった一人?」
 碇組は、現在天野連合との抗争真っ最中である。どこそこの組に銃弾が撃ち込まれただの、トラックが突っ込んだだのと言った事件は日常茶飯事である。だから、襲撃自体は、あっても不思議ではない。しかし、その人数が一人きりというのは、いかにも不審だった。
 もしかして、使徒か?
 そんな視線を、青葉に向ける。
 青葉は、一つ息を吸ってから、告げた。
「パターンオレンジ、人です!」
「人?」
 ぽかんと呆れたような顔をして、日向が応じる。
「人って、たった一人で、殴り込みか? 正気じゃないぞ」
 すでに、ネルフ保安部員は、ユウキによって連日果たされた訓練によって、一流の戦闘集団へと成長している。元々、その種の訓練を積んできていたこともあり、そこいらのヤクザモノの集団とは、比べモノにならない能力を誇るようになっている。そこへ、一人で殴り込みなどと言うのは、正気の沙汰ではない。きっぱり、自殺行為だ。
「油断するな!」
 青葉が鋭く窘める。
「アレが陽動という可能性もある。他の出入り口も警戒態勢!」
「あ、ああ、解った」
 どうも、骨の髄までナンバー2であるらしく、本来はそんな権限のない青葉の言葉に諾々と従い、それでも、指示を下されれば非常に手慣れた動きで、日向は関係各所に指示を出していく。
「近場にいた、佐藤さんの部隊、総勢20名を回した。──シゲル、これで良いか?」
「俺に聞くなよ」
 青葉は顔を顰め、それでも頷いた。
「まあ、大丈夫だろう」
 佐藤は、ユウキなどには「汎用雑魚キャラみたい」と評されているが、それでも能力は高い上に、碇組には数少ないベテランでもある。つまりは、信用できる戦力だ。
「そうか」
 安堵して日向は、力を抜く。
 そこへ。
「あ、日向君、ユウキちゃんから連絡」
 マヤが体ごと日向の方に向いて、告げる。
「ユウキさんから?」
 途端に姿勢を正す日向。
「ええ。ユウキちゃんが出るから、シンジ君には、問題ないからそちらはそちらの仕事をするように、って連絡するようにって」
「ユウキさんが?」
 慌てて、青葉が腰を浮かせる。既に、手は椅子の脇に置いたギターに伸びている。
「心配するなって、シゲル。ユウキさんが現場に着くより先に、佐藤さん達が殲滅するに決まっているさ。──何しろ、相手はたった一人だぜ」
 今度は逆に、青葉の方が窘められる。
 日向の言葉通り、その他の出入り口に、変化はない。どうやら、本気で敵は一人だけらしい。
「そ、そうだな」
 確かに、と、椅子に腰を戻す青葉。
「ほら、佐藤さん達到着したぞ」
 モニターを見れば、日向の言葉通り、への三番入り口に、佐藤達が到着した様だった。


 男──神父は受付の死体の脇にしゃがみ込み、その懐を探った。
「成る程、用心深いことだな」
 そして、目当てのモノを発見したらしい。どこか、感心したように呟く。
 受付は、成す術無く倒れた。そう、全く持って、成す術無く。少なくとも、受付の机の裏に設置された、警報を鳴らすためのボタンに触れる事もなかったはずだ。
 なのに、直後、警報が鳴り響いた。
 その理由は、神父が受付の懐から取り出した、小さな機械だった。
 どうやら、ネルフ上層部は、受付の能力を信用していなかったらしい。確かに、あのざまでは信用できるはずもない、と神父は納得する。
 最低の義務である、警報ボタンを押すことも出来ずに倒された場合のことも、ちゃんと考えていたようだ。
 それが、神父の手の中にある、小さな機械。
 どうやら、地面に落とすことで警報を発する装置らしい。受付が床の上に倒れた結果、この装置が稼働した。
 即座に警報が鳴り響いたのは、そう言うことらしい。
 神父は、理由が解って満足したらしく、受付の死体の脇から立ち上がる。
 そして、ネルフ本部──その内部へ続く、通路に視線を送った。
 足音も高く、ネルフの保安部員──あるいは、碇組の戦闘要員がやってくるのが見えた。
 受付の前に立ったまま、神父はそれを見つめていた。
 身を隠しも、逃げもしない。
 ただ、口元に獰猛な笑みを浮かべ、戦闘要員がやってくるのを待ち受けていた。


 すぐに、戦闘要員は神父のそばにやって来た。訓練された動きで、用心深く距離をとりつつ、手にした銃を構える。
 無論、包囲したりはしない。何しろ銃は飛び道具。包囲したら、外れた弾が対面の味方に当たってしまう危険があるのだ。
 神父は、何をするわけでもなく、その場に立ったまま、銃を自分に向けて構える碇組戦闘要員を見つめていた。
 その戦闘要員の中から、自分では銃を構えていない、一人の男が一歩前に踏み出した。
 この集団のリーダー、佐藤イチロウである。
「どういうつもりだ? 何故、こんな事をした?」
 佐藤は、倒れた受付、そして神父を等分に見ながら、尋ねた。
「……」
 対して、神父は無言だった。
「……ふう」
 わざとらしく、佐藤はため息を一つついて、命令した。
「やれ」
 その声に応じて、碇組戦闘要員の手にした銃が火を噴く。
 小さな小さな鉛玉。しかし、火薬の爆発によって与えられた運動エネルギーを得て、神父の体を突き飛ばす。
 神父が倒れても、更に銃弾をお見舞いする。
「よし、やめ」
 ようやく佐藤が射撃停止を命令したときには、神父の体重は倍になっていただろう。
「オーバーキルじゃないですか?」
 一人が尋ねてくるが、佐藤は鼻で笑った。
「こういう馬鹿が次々と出てこないよう、派手にやるのが一番なのさ」
「成る程」
「よ〜し、3人ほど残って、死体の始末。コンクリはいつもの所だ。──残りは、撤収」
「はっ」
 見事に唱和し、早くもきびすを返した佐藤に続き、戦闘要員達が退場する。佐藤の言葉通り、3人の始末役を残して。
 しかし。
「ぎゃ〜〜」
 悲鳴が響いた。
「何?」
 今度は流石に懐に手を入れ、迅速な反応で振り返る佐藤。
 そして、目を見開いた。
 倒れた、始末役に残した3人。
 そして、立ち上がった、神父。
「馬鹿な」
 殺したはずだ。
 それも、オーバーキルではないかと問われるほどに、盛大に鉛玉をぶち込んで。防弾チョッキという事も、考えがたい。何しろ、20人からの一斉射撃。全てが防弾チョッキに守られた場所に当たったとは考え難い。頭や手足にも、間違いなく弾は当たったはずだ。最大限譲歩して、全てが運良く防弾チョッキに当たったとしても、信じがたい。防弾チョッキは弾は止めるが、衝撃は止めきれない。着弾の衝撃で、骨がべきべきになるのも良くある話だ。彼らのトップ、シンジや、伝説の男、碇ムテキのように人間離れしているならば兎も角、そうでなければ──
「まさか……」
 佐藤は、呆然とした声を出した。
 この男は、シンジやムテキのように、人間離れしていると言うのか?
「邪教徒どもめ」
 神父は呟き、懐から、すらりと銃剣を抜き出した。右と左の手に、一本ずつ。それを、腕ごとぐるりと回したような奇妙な恰好で、顔の前で十字に組み合わせる。
「シィィィィィィィィィィ」
 そして、歯の間から呼気を押し出すような音を立てて、一気に佐藤達に襲いかかった。

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