#13 碇組へ行こう
葛城ミサトは、ぽかんと口を開けて、目の前のお屋敷を見上げた。
それは、飛び切りの豪邸だった。一ブロック以上の敷地が、ぐるりと高い塀に囲まれている。何故か、門は爆発物──例えばロケット砲などの直撃を受けたかのように崩壊しているが、まともであれば、かなりの豪勢さを誇ったことは間違いない。ぽっかりと空いたその門の遙か向こう、かすむような距離に、お屋敷の姿が見える。庭の広さは、飛び切りだ。
「絶対に、悪いことをして稼いでいる」
多くの人間が、豪華なお屋敷を見て思い浮かべる感想。それをミサトは素直に口にする。
大抵は、この感想は貧乏人のひがみである。しかし、このお屋敷に関してだけは、真実を言い当てていた。まさしく、悪いことをしてお金を稼ぎ、この豪邸を建てている。
旧風間組組長宅。その後、どのような手段を使ったのか、いつの間にか碇シンジの家──碇組、組長宅となったお屋敷である。
しかし、呆れ返るほどの豪邸だった。
現在でこそ、第3新東京市の地価は、目も当てられないほどの暴落の一途をたどっている。これは、使徒襲来のせいである。将来の首都として、順調に地価は値上がりを続けてきた。土地持ちの人間は、うはうはで、笑いが止まらなかったところだ。しかし、そこへ使徒の襲来である。一夜にして、これ以上ないくらいの大暴落である。
だが、このお屋敷が建てられた時期は、地価が順調に値上がりを続けていた頃。上物と併せて、一体どれだけの金額がかかったのか。
善良な一公務員に過ぎない自分には、一生かかっても、それだけの金銭を稼ぐことは出来ない。まともに働いている自分が、日々のエビチュ代にも事欠きそうな緊縮財政を強いられているというのに、悪いことをしている人間が、豪華きわまりない生活。世の理不尽さを感じるミサトである。もっとも、まともに働いている、と言う部分には、事務仕事を押しつけられているミサト直属の部下、日向マコトの意見も聞いてみたいところであるが。
兎に角、豪邸を、ぽかんと口を開けた間抜け面を晒して見つめていても仕方がない。
ミサトは、頭を一つ振ると、門のほうへと向かう。
門は、前述のように、まるでロケット砲でも撃ち込まれたかのように崩壊している。脇に、ひん曲がった鉄の門扉が立てかけられ、ぽっかりと口を開けている。その為、見張り番なのか、二人の黒服が、そこには存在した。
一寸だけ、躊躇うミサトである。
シンジの本業。ミサトには認めがたいが、本人が言うところの本業を考えるに、この黒服二人はつまり、そうした職種の人間である。普通の人間は、積極的に関わりたいと思わないだろう。
おそるおそる、と言った風情で、二人のいる方に向かうミサト。正直、逃げ出したい。──が、リツコの指摘が頭に浮かぶ。ここで、何としてもシンジと会い、友好な関係を構築しなければならない。何というか、非常に、シンジに対しては引っかかる感情を持っているが、それでも、ミサトの目的、使徒への復讐のためには、これは確かに必要なことである。
感情を理性でねじ伏せて、ミサトは進む。
黒服二人は、見張りとしては役に立っていなかった。二人して門柱に向かい、何かをしている。何か──よく見れば、看板を掛けているようだ。
右に歪んでいる。否、左に曲がっている。そんなやりとりの後、二人は少し離れ、満足したように看板を見つめる。
看板には、墨痕鮮やかに「碇組」の文字。
ますます、腰が引けてしまうミサトである。
「あの〜、一寸、済みません」
あるが、それでも、黒服に声をかける。
何故か黒服は威圧するような表情でミサトのほうを振り向き、次の瞬間、姿勢を正した。
「これは、葛城一尉」
この言葉で知れる。どうやら、この二人は生粋の暴力団関係者ではなく、ネルフの保安部から出向組らしいと。保安部員と暴力団員。どちらも、威圧的で暴力的な雰囲気の所有者達である。両者の外見には共通項目が多い。それを、ミサトは発見していた。
兎に角、これが保安部員であれば、怖いものはない。そんな風に方向転換したミサトは、態度を改める。何しろ、ミサトのほうが階級は上だ。純粋な軍組織ではないが、ネルフはそれに準じている。ならば、階級は絶対である。
「サードチルドレン、シンジ君に用があって来たんだけど、彼、いる?」
「組長は、現在不在です」
組長。
微妙に眉毛を動かすミサト。
「あんた達も、大変ね」
「そうでもないです」
ねぎらいの言葉。しかし、それに対する黒服の反応はミサトの予想とは外れた。
「──?」
ますます、眉毛が微妙な曲線を描く。
「いや、正直、流石にいきなりの殴り込みにはびびりました。しかし、殆ど働いていなかったのに、臨時ボーナスと言うことで、いきなり100万も貰えるんですよ。他にも、美味しい思いをしましたし。もしかしたら、こちらに派遣されたのはラッキーかも知れません」
「……給料の二重取りになるんじゃないの?」
ミサトは、ジト目で黒服二人を睨む。どうやら、この二人は金銭で簡単に懐柔されてしまったらしい。現在の自分の立場に疑問を抱くどころか、歓迎しているようだ。
「どうせ、保安部員やっていれば、ヤバイ目にあうのは一緒ですからねえ」
「そうそう。こういう副収入がある分だけ、こっちのほうがましかも」
「あんたらねえ」
ミサトの様子に気が付くことが遅れ、お気楽なことを言っている二人に、聞き間違えようのない不機嫌な声をぶつける。
「失礼しました」
ぴたりと、慌てて姿勢を正す二人。
ミサトはため息を零した。はっきり言って、この二人の様子には呆れてしまう。しかし、今重要なのは、この二人の態度について突き詰めることではない。
「──で、シンジ君は何処に行っているのか、わかる?」
「さあ」
二人は顔を見合わせ、揃って首を振った。
「ちょ、一寸、あんた達何言っているのよ。あんた達は、シンジ君のガードでしょ!」
これは、職務放棄だ。
しかし、二人はのほほんと応じた。
「大丈夫ですよ。組長は、我々よりも余程強いですから」
「そうだよなあ。ガードなんて、正直必要だとは思えないよなあ。それに、ユウキさんも付いているし」
本気で頭痛を覚えるミサトである。
「それでも、何があるかわからないから、あんた達保安部員の存在価値があるんでしょ」
いくら強い人間でも、常に気を張っていられるわけではない。油断をするときもある。また、強いと言っても、無敵ではあり得ない。いざという時のために、保安部員がいるのである。
本職にその意味を解説する。それは、馬鹿らしい行為だったが、それでもミサトは言わずにはいられなかった。
しかし、二人は相変わらず、のほほんとしている。
「大丈夫ですよ。と言うか、我々保安部員に命令されているのは、護衛じゃなくて、監視ですから」
「は?」
ミサトは、耳を疑う。護衛ではなく、監視。その言葉の意味が、一瞬飲み込めない。
「護衛とは、名ばかり、書類の上だけの名目なんですよ。実際は、監視です。何しろ、毎日、組長の行動について得た情報を纏めてレポートにして提出しろ、なんて命令が下ってますし。はっきり言って、護衛しろなんて、一言も言われてませんよ」
「まあ、それでもファーストチルドレン班よりはましだよなあ。あちらは、確かに護衛だけど、どっちかって言うと、他の組織から、ってよりは、虫が付かないようにって言う、司令直々の命令だし」
二人は下世話な笑いを浮かべる。
「ロリコン司令の愛人の護衛。素晴らしい仕事だって、酔っぱらって叫んでいた奴もいたなあ」
「いたなあ。そう言えば、そいつどうした? 最近、見かけないけど」
「ばれて、飛ばされたらしい」
「桑原、桑原」
首をすくめる二人。
呆然と二人のやりとりを聞いていたミサトだが、我に返ると、素っ頓狂な声を出した。
「な、なによ、それ!」
大事な大事な、EVAパイロット。そのはずである。
しかし、そんなお粗末な護衛状況だとは、想像の外にあったのだ。
「まあ、兎に角大丈夫ですよ。監視員と言う意味での護衛なら、我々以外に山ほど付いていますから。自分たちは、組長の言いつけ通りに、ここで立ちんぼをしていれば良いんですよ。何しろ、我々は、組長の直属の部下、その命令に従え、と言うことになっていますから」
どうにもこうにも、ネルフは組織として歪んでいるかもしれない。
そんなことを感じつつ、ミサトはそれ以上の追求を止めた。これ以上聞いても、頭が痛くなるだけと考えたのだ。
「兎に角、シンジ君に会わなくちゃならないのよ。中で待たせて貰っても良いかしら?」
「一応、確認してみます」
黒服の一人が、携帯をとりだして、その確認とやらをする。
「その携帯で、シンジ君に連絡を取れないの?」
「ネルフ支給の携帯は、発信器と盗聴器が付いているから要らないって、お屋敷のプールで泳いでます」
確認をしていない方の黒服が、苦笑しながら告げる。シンジの方がネルフよりも上手です。そう言う口調だった。
「……」
ミサトは、無言。
「今、田茂地さんが新しい携帯を準備していますから、それ以後なら連絡が取れるようになると思います」
「新しい携帯?」
「マギに盗聴されない奴、だそうです」
「……」
そこで、確認とやらが終わったらしい。もう一人のほうがミサトに向かって言った。
「どうぞ、葛城一尉。お許しが出ました。中でお待ちになって、結構です」
なにやら、非常に引っかかるものを感じながら、ミサトは旧、風間組組長宅、現、碇シンジ宅兼碇組本部へと入っていった。
屋敷の豪華さも、想像以上の物だった。
和式の平屋建てで、想像以上の広い庭があった。その庭には池どころか、プールまであった。そのプールで携帯は泳いでいるのだろう。庭には他に石灯籠なども点在していたが、何故か割れたり皹が入ったりしている。よく見れば、お屋敷の壁にも、怪しい穴が開いていたりする。
屋敷の中も、いろいろと壊れている物があった。襖が破れたり、柱に日本刀が食い込んでいたり──そんな感じだ。
ミサトは、応接間に案内された。
和風のお屋敷、だが、応接間は洋式の物だった。かなり豪華なソファーに腰を下ろし、周囲を見る。
何とも、殺風景な部屋だった。
ミサトの座ったソファーの向かいにもう一つ。それくらいしか、調度の類がない。
しかし、壁にはなにやらずいぶん長いこと絵が掛けられていたように、変色している部分がある。他にも、キャビネットがそこにあったような、そんな跡もある。つい最近、それらの調度は運び出されました。そんな感じである。
何故、そうする必要があったのか。
これまでに集めた情報──石灯籠、壁の穴などを総合するまでもなく、その意味に思い当たり、ミサトは顔を顰めた。
「葛城一尉、どうも、ご苦労様です」
そう言って、お茶を持ってきた人間を見、ミサトは驚きの表情を浮かべる。
「青葉くん?」
それは、ネルフメインオペレーター3人組の一人、ロン毛の青葉シゲルだった。
「あなた、ここで何をしているの?」
ミサトは、青葉がシンジの舎弟になった下りを、気絶していたため知らない。それらは報告書に纏められているのだが、そんなモノに目を通すような人間でもなかった。だから、戸惑いの声を挙げる。
「自分は、シンジさんに言われて、留守番です」
「シンジさん?」
その言葉の調子に、青葉もまた、玄関の保安部員同様に、シンジに懐柔されている、それを悟るミサトである。
「あなた、仕事は?」
「ネルフの方ッスか? あちらは、有休を取りました。元々、有給の消費率が低いって、文句を言われていましたから、調度いい機会ッス」
「……」
ミサトは、堪えきれずにため息を零す。
「ネルフ職員は、公務員なのよ。公務員のアルバイトは禁止されていること、知ってる?」
一応、保安部員はネルフの命令で出向という形になっている。その仕事内容には非常に引っかかりを感じるが、書類上は問題がないように整えられている。しかし、青葉のほうは違う。詳しくは知らないが、違うはずだ。少なくとも、オペレーターをここに出向させる意味など、何処にも存在しないはずだから。
「アルバイト、とは心外です」
ミサトの言葉に、青葉はきっぱりと応えた。
「こちらこそが、本業です。否、仕事ですらありません。これは、いわば漢の生き方。そう言う物です」
「……」
なんだか、ため息が多くなった。それを自覚するミサトである。
「それでは、自分は、屋敷の掃除の途中ですから、失礼します。何か、用があったら呼んで下さい」
「掃除?」
ロン毛のロッカー、そんな感じの青葉である。掃除、と言う単語と、すんなりと結びつけられない。ミサトは、思わず聞き返してしまった。
「ええ、なかなか、赤いのがとれないんすよ。大分綺麗にしたんですけど、これがなかなか」
「……」
その赤い物が何か、絶対に尋ねないことに決めたミサトである。
予想以上に長時間、ミサトは待たされることになった。
最初は、苛立ったミサトである。しかし、どうせ仕事はないのだから、帰ってくるまで待ってやる。そう思いを決めて、待ち続けた。
実際には、仕事はないわけではない。日向に押しつけた、と言うのが正確であるが、そうした都合の悪いことを考えないのが、葛城ミサトという人間である。
「ただいま」
「ただいま、帰りました」
日が傾き始める頃になって、ようやく二人は戻ってきたようである。
「お帰りなさい」
青葉の受け答えの声が、聞こえてくる。
腰を浮かしかけたミサトであるが、我慢して、このまま応接室で待つことにする。
「大分、綺麗になりましたねえ」
「青葉さんご苦労様です」
「いえ、当たり前の事ッス」
「一寸、考えたんですけど、ルミノール反応液を屋敷中にまいたら、綺麗かも知れませんねえ」
「そこら中が、青白く光りそうだね」
「メルヘン、ッスね」
どこかメルヘンなのか、非常に疑問を感じるミサトである。ちなみに、ルミノール反応液、それは、刑事ドラマなどでおなじみの奴で、血液に反応して、青白い光を放つ。その為、事件──殺人事件など──で、血痕を探すために重宝する薬液である。
しかし、この3人は、疑問を感じないらしい。楽しそうな笑いが零れている。
「所で、そちらのお二人は、どなったッスか?」
「佐藤さんと、鈴木さん。新しい仲間だよ。青葉さんも、仲良くしてね」
「よろしくお願いするッス」
「あなたが、ギターを持った渡り鳥の青葉さんですか? こちらこそ、よろしく」
「いや〜、まだまだ若輩ものッス」
等と、楽しそうに会話が続く。
ミサトが、焦れかけた頃になって、ようやく青葉は客の存在を思い出したらしい。
「そう言えば、葛城さんが来ているッス」
「葛城さん?」
首を傾げているようなシンジの声。
それから、ようやくシンジとユウキが応接室に姿を現す。
ユウキを見て、一瞬目元に険を浮かべるミサト。第三使徒戦で、ユウキに戦闘指揮を邪魔された挙げ句、気絶させられた──これは田茂地による──事を忘れてはいない。しかし、ここは友好な関係を築くべき場面であると思い直し、にこやかに笑ってみせる。
「こうして顔を会わせるのは初めてになるわよね。私は、葛城ミサト。シンジ君、よろしくね」
気さくなおねいさん。そんな態度でもって話しかけるミサト。
「初めまして」
シンジは、素直に頭を下げた。
こうしてみると、普通の子に見えるけど。
そう思うミサトである。
「──作戦部長である私としては、EVAパイロットのシンジ君と、色々と話をしておきたいと思って、おじゃましたの。時間、大丈夫かしら」
「別に、そんな必要は感じませんけど──まあ、少しくらいならば、構いませんよ」
シンジのこの言葉に、ぴくりとミサトはこめかみのあたりを引き付かせる。それでも、何とか笑顔を保つ。
「まあ、それはともかく……シンジ君、どうもありがとう」
「──?」
「あなたが戦ってくれなければ、人類は滅亡する所だったわ」
「別に、僕は人類云々なんて、ろくに考えていませんでしたよ。こちらの都合で、EVAに乗ることにしただけですから」
「それでも、あなたは人に誉められることをしたのよ」
ミサトの言葉に、シンジはまるで感銘を受けたふうでもない。
「別に、人に誉められるとか、どうでもいいことですよ。──で、本題は何ですか?」
何つ〜ひねたガキ。
ミサトの感想である。引きつりそうになる顔を、何とか笑顔で止めるのに、大変な苦労をしている。
しかし、同時に困ってしまう。
シンジと──EVAパイロットと、友好な関係を築く。
これが、ミサトの目的である。しかし、シンジの態度は、暖簾に腕推し、蛙の面にしょんべんで、ミサトが好意を向けても、まるで素っ気ない。どうでもいい、そんな態度である。これでは、困ってしまう。
何か、話題はないか。
そう思って、僅かに視線を巡らせるミサト。その視線が、シンジの隣に座るユウキを捉える。
ユウキは、幸せそうな顔で、青葉の運んできたお茶を飲んでいる。世界は平和ですねえ〜。そんな、のほほんとした春の日溜まりのような表情である。
きらり、ミサトの目が好奇心に輝く。
ミサトの好きな話題、それは、何より男女の色恋沙汰である。それをからかうことに、楽しみを感じる。否、からかうためにはでっち上げることすら厭わない。そのミサトにとって、シンジとユウキの関係は、非常に興味を駆られる。
兎に角、話題もないことである。それを、口にすることにした。
ここは、気さくなおねいさんを演じよう。そうした思惑もあったが、何よりも、ミサトにあったのは、好奇心である。
正直、ミサトはユウキに、一言二言文句を言いたい。折角の晴れ舞台──対使徒戦の戦闘指揮を邪魔された──と言うこともあり、はっきり言えば、腹も立てていた。しかし、ここはそれよりも。
「ねえ、シンちゃん」
「──なんですか、それは」
気さくな呼びかけのつもりだったが、シンジは、不機嫌そうに顔を顰めた。
しまった、と思いつつ、一度口にした以上、引っ込めることは出来ない。
「あらん、そう呼ばれるのは嫌いなの? ユウキちゃんは、そう呼んでいるみたいだけど」
「呼ぶ人間の問題ですよ。あなただって、たいして親しくもない人間から、いきなり馴れ馴れしく呼ばれたら、違和感を感じるでしょう」
「あら、つれないのね」
「ええ」
きっぱりと、シンジが応じる。
「……ぐ。──まあ、兎に角。一つ質問なんだけど、シンジ君とユウキちゃんて、一体どういう関係なの?」
どうも、色々失敗してしまったらしい。そう悟るミサト。しかし、それでも興味を感じた質問を、口にせずにいられないミサトだった。
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