#14 少女の事情


「本気であなた、何しに来たんですか?」
 シンジの口調には、呆れが見えた。呆れ返っていた。
 余計なお節介、もしくは、自分の好奇心を満たすためだけに行動している。葛城ミサトを、そのように捉えていた。自然、そちらに向ける目も、冷め切ったモノになる。
「あらぁん、シンちゃん、照れているの?」
 その視線の意味に気が付かなかったのか、それともわざと無視したのか、馴れ馴れしい態度でミサトは笑顔を作る。
 先刻、自分はその呼び方を否定したはずだ。自分を怒らせようと、わざとやっているのだろうか? そんなことをしても、メリットはないはずだが。
 何にせよ、神経は太いようだ。それだけは、認めてもいい。
 そんなことを考えたシンジは、更に冷たい口調で告げる。
「別に、あなたの好奇心を満たすために、余計なお世話な質問に答える必要を感じない、そう言うことです。別に、照れている訳じゃありませんよ」
「でも、女の子は、こうしたことは、はっきり言って貰った方が嬉しいモノよん」
 一般論にすり替え、それでも流石にシンジの硬質な態度に気が付いたらしいミサトは、今度はユウキの方に視線を向け、同意を求めるように笑う。
 ユウキは、おっとりと微笑みを浮かべながら、口にしていたカップを下ろす。
「葛城さんは、なにやら誤解をしていらっしゃるようですね」
「あらあん、ユウキちゃんも照れちゃっているの?」
「葛城さんは、我々を恋人同士だとでも、思っておられるのですか?」
「ミサトで良いわよん」
 ミサトは、気楽に応じ、更にその話題に踏み込んだ。
「どう見ても、二人の雰囲気は、ラブラブって感じだしねえ。否定されても、ちょ〜っち、信じられないかなあ、なんて」
「別に、葛城さんに信じて貰う必要はないですけど」
「あらん、つれないのね。それと、私のことは、ミサトで良いわよ」
「馴れ合うつもりは、ありません」
 きっぱりと、ユウキは告げた。
「ですから、葛城さんと呼ばせていただきます」
「……」
 ぴくりと、ミサトのこめかみのあたりが引きつったことが、傍目にも知れる。
 これで、シンジがEVAパイロットでなければ、ユウキがその関係者でなければ、怒鳴りつけていたかも知れない。そう言う顔を、一瞬だけ浮かべ、再びミサトは垂れ流しの笑顔になる。
「ほんと、つれないわねえ」
「性格ですから」
 全然信用できないことを、ユウキは口にした。どちらかと言えば、にこにこと人のいうことを素直に信じる、そう言う性格に見えるユウキである。
「……なんか、私、ユウキちゃんを怒らせるようなことをしたかしら?」
 流石に、何か感じる物があったらしい。僅かに戸惑いを交えた口調で、ミサトは尋ねる。
「シンちゃんを、殺そうとしました」
「え? 何よそれ」
 ミサトは、本気で首を傾げて聞き返す。
 それを見て、ユウキは脱力したようだ。ため息を零し、放り出すように告げる。
「はあ。……わかっていないのでしたら、私が言っても仕方がないです。言うだけ、無駄です」
 ユウキの言っているのは、ミサトの使徒戦における失敗のことである。パイロットに何の確認もせずに、また、射出場所の確認もしなかった。更に言えば、迎えに遅刻したこともある。それについては、謝罪すらなされていない。──気絶して、したくてもできなかったかも知れないが。
 はっきり言って、ミサトは失敗ばかりを二人に見せている。どれも、結果は事なきを得た。しかし、一歩間違えば、非道いことになっていただろう。最悪、シンジは死んでいたかも知れない。
「え? はっきり言ってよ。でないと、わからないじゃない」
 しかし、ミサトは、本気で首を傾げていた。
 シンジとミサトの接点は、今のところ、それ以外にほとんどない。少し考えれば、わかるはずである。思考を放棄しているのか、それとも、わからない振りをしているのか。思い当たらないとしたら、能力に疑問があるし、わかってわからない振りをしているとすれば、人間として信用ならない。どちらにしても、二人には受け入れる事は出来ない。
 ユウキは、ミサトを見てもう一つ、深いため息を零した。それから、問う様にシンジの方を見る。
 シンジの方も、一寸困った顔になっていた。
 両者とも、似たような表情、そして、似たような格好をしている。無意識のうちに、同じ様な格好をする。ミラーリングと言う。心理的な距離の近い恋人同士などによく見られる事である。もしくは、長年連れ添った夫婦が似てくるように。ミサトの目には、二人がまさしく、そう見えた。
「何々? やっぱ、二人はそう言う関係なの? 目と目で通じ合う。そんな感じに見えるけど」
「はああ」
 更にため息のユウキ。
「いい加減、その話題から離れませんか?」
 呆れ返った口調のユウキ。
「でも、興味があるし」
 ミサトは、それでも尚、こだわった。
「どうせ、ネルフで調べて報告が行っているんでしょう? わざわざ私に聞く必要もないですよ」
「え? 何よ、それ?」
 ミサトの言葉に、再びシンジとユウキは視線を合わせる。
 ミサトが、その地位の割には、重要情報を渡されていないことは二人とも知っている。きっぱりと、ゲンドウらにお味噌にされている。しかし、シンジ、ユウキの事情に関しては、ゲンドウには、まるで隠蔽する必要のないモノだった。元々、秘密主義のネルフ、とは言え、そこまで、作戦部長には秘密にされているのだろうか。
 判断の付かないまま、二人は視線で会話する。
 本気?
 本気みたいですねえ。
「ほら、また目で会話している。ここは、素直に認めちゃいなさいよ。二人は、出来ているって」
「別に、出来ているとかいないとか、そう言う関係ではありませんよ。肉体関係を言っているのでしたら、葛城さんの思っているとおりですが」
 いい加減、面倒くさくなってきたのか、ユウキが口にする。けろりとした口調。別段、重要事ではない、そんな口調だった。
 少しの間、ミサトはその言葉を理解できなかったようだ。しかし、理解すると同時に、大声を出していた。
「ええええ〜? 二人、そこまで進んでいるの?」
 初々しい、中学生のカップル。その程度に考えていたらしい。どちらも、見た目、奥手そうだ。人目もはばからずに、べたべたしているわけではない。生々しい性臭、そう言ったモノも、見えない。
「そのつもりでからかおうとしていたのでは、無いのですか?」
「え? で、でも、二人とも、中学生でしょ? いくら何でも早すぎない?」
「そのあたりは、個人差だと思いますけど」
「……まあ、良いわ。でも、二人は出来ている、恋人同士、と言うことな訳ね」
「違いますよ。恋人同士じゃありませんよ」
 ユウキは平然とした声で、否定した。
「へ? だって」
 ミサトは、戸惑った。
「私は、シンちゃんが女性を勉強する為に──その為に買い与えられた生きた教材ですから」
 あくまで、けろりとユウキ。
「へ?」
 ミサトは、凍り付いた。
 ユウキは、平然とした顔のまま、両手でカップを持ち、赤ちゃん飲みでお茶を一口。再び、コップをテーブルに戻す。
 そこで、ミサトはようやく再起動を果たす。
「ちょ、一寸、何よ、それは!」
 ミサトは椅子から体を起こし、テーブルを叩く。
 激しい一撃。反動でテーブルの足が浮き、上の、ミサトのカップが飛び上がる。
 シンジ、ユウキの物は一瞬早く、それぞれが確保していた。
 カップが倒れ、お茶が零れるが、ミサトは構わない。シンジを睨み付け、吼えた。
「女の子って言うのは、そう言う物じゃないでしょ!」
 女性の敵。そのようにシンジを認識したらしい。
「別に、私は気にしていませんよ。だから、問題ありません」
 しかし、横合いから、あくまでのんびりしたユウキの声が、水を差す。
「な、なによ、それ!」
「セカンドインパクト後の混乱で、私の両親は亡くなりました。両親のいない子供が、人買いに買われる。珍しいことではないです」
 確かに、ユウキの言葉通りである。
 セカンドインパクト、そして、その後の混乱。殆どの者が、自身が生き延びることに精一杯だった時代。守ってくれる者のいない孤児の運命は、限られていた。少ない物資、食料。誰も、人のことを気にかける余裕はなかった。どころか、自分が生き延びるため、他者から奪ってでも。そう言う人間も多かった。
 人は、自分が満ち足りて、初めて周囲に目を向けることが出来る。一番大事なのは、自分。それが、普通だ。
 無論、そうでない者もいた。しかし、絶対的に少数。全ての孤児を救うことなど出来ない。また、希有なほどの善人で、その気があったとしても、自分自身すら救えない者の方が多かった。
 自分の食べる分を減らしてでも、孤児を助ける。そうした人たちは、立派な人間である。しかし、極少数派でもある。それ故に、立派、と評されるのだ。大多数がそうした善人であれば、そうした人たちは、立派でも何でもない。普通の人と評されていただろう。
 混乱期、保護する者のいない子供の運命は、自然、ある程度の定型を踏んでいた。犯罪に走り、逞しく生きる者。逆に、犯罪に巻き込まれる者。どちらにしろ、まともに成長できた者は少ない。
 そんな混乱の中でも、裕福な生活を送れた者もいた。そして、こちらも矢張り善人ばかりではない。溜め込むだけ、溜め込む。そして、余裕がある故に、趣味に走る。とある趣味を持つモノにとって、親のいない子供、それは、商品となった。
「そ、それにしても!」
「別に、そうしたことを、全面的に肯定するわけではありませんよ。ありませんけど、私がそれで助かった、生き延びたことは確かです。それに、私などは、運の良い方でしたから」
「運がいいって、あなた」
 とても、そうは聞こえない。生きた教材? どう見ても、まともじゃない。
「女、と言うのは、自分でにしろ、そうでないにしろ、商品になるんですよ。それが、現実です。私と一緒に売られた人たちは、娼館だったり、金持ち中年の慰み者だったり、中には、某研究機関の人体実験用の素材だったりもしましたけど、似たような運命ですよ。私は、シンちゃんの相手、と言うことで、結構大事にされましたから、運がいいんですよ」
 山王会でも、当然の如く娼館の経営はしている。そして、そこに送られた者達の運命についても、ユウキは良く知っていた。大多数は、使い捨てである。セカンドインパクト後の混乱期。衛生状態は悪いし、医療だって充実していなかった。セカンドインパクト以前は問題なく治療されていた病気ですら、命に関わった。また、最後までそうした商売に慣れることも出来ずに壊れる者もいた。他にも、異常趣味を持つ客に壊される者。
 年季が明けて、ハッピーエンドを迎えた者は、少ない。
「あ、あんたは、それで構わない、って言うわけ?」
 ミサトは、シンジに矛先を定めた。
 EVAパイロットと、友好な関係を築く。ここにやってきた当初の目的など、頭からすっぱりと消え失せている。
「黙ってないで、何とか言いなさいよ」
「……僕が何を口にしたって、葛城さんは納得しないでしょう?」
 だから、口にするだけ、無駄。
 その、シンジの面倒くさそうな態度。ますます、ミサトは頭に血を上らせる。
「何よ、その態度は!」
 後先考えず、シンジの胸ぐらを掴みあげようとするミサト。
 しかし、再びユウキが口を挟んだ為、その動きが止まる。それは、おそらく、幸いと言っていいことだろう。
「あの、はっきり言って、葛城さんの言っていることは、余計なお世話ですけど」
「な、何よ、私は、あなたのことを思って──」
「ですから、それが余計なお世話なんですよ」
 ユウキは、おっとりとした口調ながら、きっぱりと告げた。
「あの時、飢えて死ぬしなかった私を救ってくれたのは、葛城さんではありませんよ。ゴミの臭いのする路地で、橋の下で、ひもじさを堪えながら膝を抱えて暮らす状況から救ってくれたのは、葛城さんではありません。私が、こうして生きていられるのは、そのおかげなんです」
「でも──」
「私自身が納得しているんですから、それで構わないと思いますけど」
「でも、そんなことは、間違っているわ」
「間違っていようが、いまいが、それで、私の命は救われたんです。どんなに正しいことでも、私を救えなければ、この際、意味はありません」
「──あなた、今も彼女をそんな風に扱っているの?」
 ユウキと話していても、益はない。そう思ったのか、ミサトはシンジに再び矛先を向ける。
 向けるが、またしてもユウキが口を挟んでくる。
「今の私は、好きでシンちゃんと一緒にいるだけですよ」
「好きって──あなた、そんな目にあわされて……」
「ちゃんと、お給金も頂いていますよ。それも、過分なほどに」
「お金で、一緒にいるって言うの?」
 少しだけ嫌悪の光が、ユウキを見るミサトの目に走る。
「真逆。だって、私は、今では結構なお金持ちなんですよ。一生遊んで暮らせる程度の金額は、既に持っていますから」
 けろりと、口にする。
「だから、シンちゃんと一緒にいることが嫌になったら、何時だって離れることが出来ますよ。別に、無理矢理拘束されているわけではないですから」
「それにしても……」
「人と人の関係には、いろいろとあるんですよ。それに、横から口を出されることは、はっきり言って、良い迷惑です」
「……」
 ミサトは、未だに納得できない。そう言う顔をしていた。物騒な視線で、シンジを睨み付けている。
 シンジは、柳に風。そう言う顔に見えた。
「他に、用事がないのでしたら、そろそろ、食事の準備を始めたいのですが」
 帰れ。
 最後こそ省略されていたが、ユウキの言葉の意味は、ミサトにも理解できた。
 苦虫を纏めて噛みつぶしたみたいな顔で、ミサトは碇組本部を辞す。そのぎりぎりまで、シンジに憎しみに満ちた視線を向けていた。


 食事を終え、シンジはリビングでくつろいでいる。
 壊れた家具、汚れた家具は全て処分している。その為、ただでさえ広いリビングは、殺風景で、余計に広く見える。
 そこへ、お風呂上がり、髪の毛の水気をタオルで取りながら、ユウキがやってくる。
「──?」
 ユウキは、僅かに首を傾げてシンジを見た。
「シンちゃん、何か考え事ですか?」
「うん、一寸ね」
「……」
 ちょこん、と、シンジの前のソファーに、ユウキは座る。
 それから、無言でシンジの顔を見つめる。
「……」
「……」
 先に沈黙に耐えきれなくなったのは、シンジの方だった。
「葛城さんに言われたことなんだけどね」
「ふむふむ、です」
 おかしな合いの手を入れるユウキ。
 僅かに苦笑するシンジ。しかし、それで幾分、自分のペースを取り戻したようである。
「ユウキは、僕といっしょにいて良いの?」
「気にしているんですか?」
 ユウキは、僅かに首を傾げた。
「私は、葛城さんに嘘を言ったつもりはないですよ。私は、自分がいたいから、ここにいるんです。そうでなかったら、言葉通り、勝手に出ていきますよ」
「……それでもね」
「何を、気にしているんですか?」
 僅かに、沈黙。それから、シンジは口を開く。
「……昔の話なんだけどね。実は、ユウキが泣いているところを見たことがあるんだ。──夜に、ね。ふと、目が覚めたら、ユウキが泣いていたんだ。──あの頃は、兎に角女の子が珍しくて、新鮮で、ユウキには、いろいろと非道いこともしていたから」
「……なるほど」
 ユウキは、一つ手を打った。
「それで、ある時から、いきなり優しくなったんですか?」
「……ま、まあね」 
 シンジは、僅かにどもりつつ、頷く。
「正直、アレで初めて、非道いことをしていたんだ、って実感したよ。やっぱり、恨んでる?」
「……アレが、私の仕事でしたから」
「仕事かぁ。……やっぱり、今もそうなのかな」
「さあ、どうですかねぇ」
 ユウキは、ゲンドウのお株を奪うような、にやり笑いをした。
「それに、シンちゃんは、私のことを好き、とか言う訳じゃないですから、気にしなくても良いんじゃないですか?」
「そうなのかな」
 シンジは、首を傾げた。
「ユウキが隣にいて当たり前だって、勝手に思っているんだけど」
「大丈夫ですよ。私も、そう思っていますから。でも、それは、好きとか嫌いとか言うよりも、ただ、つきあいが長いからですよ」
 ユウキは、それから、笑った。今度は、綺麗な笑顔だった。
「それに、シンちゃんが私を要らない、って言うまでは、一緒にいますよ」
 シンジは、ユウキの笑顔に見惚れていた。
 それから、ゆっくりとユウキに手を伸ばす。
「ん?」
「……」
 そのまま、シンジはユウキを自分の方に引き寄せる。
「するんですか?」
 身も蓋もない質問をするユウキの唇を、シンジは自分のそれで塞いだ。

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