#131 ヘルシンプ


 懐の携帯電話が震動して、着信を知らせてくる。
「ぶるったぁ」
 と、まるで一昔前のCMのような反応を見せ、ユウキは携帯を取り出す。
「──はい?」
『あ、ユウキさん!』
 聞こえてきたのは、泡を食った日向マコトの声。同時に、幾分安堵しているようにも聞こえた。
『よかった、まだ、無事だったんですね。──ええと、それは兎も角、即座にそこから逃げて下さい』
「はい?」
 ユウキはわずかに首をかしげ、問い直す。
『敵は、どうやらとんでもない奴みたいなんですよ。──神父とか言う、職業殺し屋で、なにやらご大層な二つ名をいくつも持っているらしくて。危険が非常に危ないんですよ! シゲルの奴がそちらに向かいましたから、合流して──』
 日向は慌ただしく、敵が如何に危険であるかを知らせてくる。どうやら、かなり慌てているらしい。表現が微妙におかしい。更には、携帯でサウンドオンリー、見えもしないのに、手足を振り回して、その凄さを示そうとしているようだ。声が踊っている。
 ちなみに館内放送ではなく、わざわざ携帯を使ったのは、敵に知られることを避けるためだろう。ユウキを名指しで逃げるように伝える。これは、敵にまで近場にVIPが存在することを知らしめることになってしまうから、よろしくないのだ。慌てているようで微妙に冷静な部分を残しているのか、あるいは、青葉かマヤの指摘によるものだろうか。──声の調子から見るに、おそらく後者が正解だろうと、ユウキは考えた。
「日向さん」
 ユウキはゆっくりと、常と変わらない口調で、言った。
『はい?』
「残念ながら、逃げるには時間が無いようです。何しろ、すぐそこにいますから」
『え?』
 戸惑いの声を返す日向。
 受話器の向こうの日向らにも自身の存在を示すかのように、神父は大声で吼えた。
「エ〜イメ〜ン!」


 ユウキの足下には、でっかくて赤い水たまりが広がっている。空気には、空調の甲斐なく、濃密な血の臭気が満ち溢れている。そして、その水たまりの中に倒れた人、人、人。それらの多くは、体の何処彼処を切り飛ばされており、その他の者達は、体のどこかに銃剣を突き刺されていた。うめき声一つ聞こえない。水たまりに倒れた全員が事切れていた。その中には、佐藤イチロウの姿もあった。やはり、汎用雑魚キャラが下手に再登場すると、それは死に時というのはお約束である。
 眼前に広がる、大量殺戮。これ以上無いくらいのスプラッタな光景。
 普通の女の子なら、悲鳴を上げて失神してもおかしくないような、血塗れの光景。いや、女の子じゃなくても、悲鳴を上げそうだった。
 しかし、ユウキは平然とした顔で、常と同じ微笑みを顔に浮かべている。
「あらあら」
 雨が降ってきましたねえ。
 とでも言うような、緊張感、危機感のない声で、ユウキが呟く。
「派手にやりましたねえ」
 それでも、流石に水溜りの中に踏み込むつもりは無い。何しろ、靴が汚れてしまうから。おそらく、それ以上では無いだろう。ユウキは、その波打ち際寸前に立ち、こちらは水溜りの中にいて、更には何が楽しいのか、死体を更に解体している神父を眺める。
「邪教徒どもには似合いの末路だ」
 神父が、作業の手を中断して顔をあげ、ユウキの言葉に答える。
 目の色、口調から見るに、本気でそう思っているらしい。筋金入りの狂信者、そう見えた。
 ユウキは、そこでわずかに首をかしげて尋ねた。
「しかし、解せないですねえ。何故、あなた方教会が、天野連合の手先となって我々の敵になるのですか?」
 神父は、教会所属の殺し屋として、裏の世界では結構有名である。しかし、依頼を受ければ無差別に人を殺す、生活の糧を得るための手段とし人を殺す、いわゆる職業殺し屋と言うわけではない。神父が殺すのは、基本的に彼らの宗教に敵対している者達だ。
 だが、ユウキは彼らの宗教に敵対している覚えはない。
 そうなると、どうしても疑問となる。神父は狂信者と言えども、これまで、彼らの神に無関心な人間まで始末をしようとはしてきていない。あくまでも、敵対する者達だけだ。だいたい、彼らの神に無関心、信じていない人間までを始末していたら、大変なことになる。いくら自称、世界宗教とはいえ、世界には彼らの神を信じていない人間だって多いのだ。世界人口の半分以上を殺さねばならなくなるだろう。いくらセカンドインパクトで人が減ったとは言え、流石に現実的ではない。
 なのに、何故、わざわざ。
 疑問には、神父が両手に銃剣を構えながら答えてくれた。
「紫の悪魔を駆り、神の御使いに仇成す邪教徒どもの総本山、ネルフ。──神の敵は、我が敵」
「おやまあ」
 ユウキは、驚いたような声を出した。
「使徒って、本当に神の御使いなんですか?」
「……どちらにせよ、神の御使いの名を軽々しく使うモノどもを、生かしておくわけには行かない」
「ああ、そっちの方が受け入れやすいですねえ」
 ユウキは頷いた。確かに、EVA初号機は悪魔じみた容姿をしているが、それが本物の悪魔かと問われれば、ユウキは首を傾げてしまう。得体が知れないことは確かだが、神や悪魔と言われると、眉につばを付けたくなってしまうのだ。
「正直、私は、神も仏も平等に信じていませんから」
「……」
 神父は、一言補足したユウキを正面から見た。嬉しそうに。彼らの神を信じているならば、流石に殺すのは拙い、躊躇いもする。しかし、信じていないとなれば、躊躇は必要ないと。神父の顔。それは、これから先に行われる殺戮に、心を飛ばした顔だった。
 ユウキは、こちらも嬉しそうに笑って、更に煽るようなことを口にする。
「昔、トイレの落書きでこんなのがありました。「神に頼るな。己の手でうんを掴め」って。品はありませんけど、なかなか洒落が効いていて秀逸だと思いませんか?」
 トイレの落書きの大半は、品もなければセンスもないモノばかりだが、こればっかりは、思わず「やりますねえ」と頷いてしまった。他にも、「密室での思考と空想」と言う奴も、なかなか秀逸だと思ったが、これは現時点ではまるで関係ないので口にしない。
「──実際、神さまなんて祈っても何にもしてくれない役立たずですからねえ」
 罰当たりなことだが、それがユウキの実感だった。本当に困ったときに神に祈っても、事態は改善されたりはしない。なるようにしかならない。すなわち、碌なことにならない。却って、祈るという思考停止、行動停止によって、より事態は悪くなるに決まっていると、ユウキは確信していた。
「邪教徒め」
「それは正確ではありませんねえ。繰り返しますけど、宗教全般、信じていませんから、邪教も何もありませんですねえ。──まあ、拝金主義者とか言うのでしたら、頷いても良いですけど」
 拝金主義者も、正確ではないかもしれない。ただ、かつての貧乏生活に戻りたくないというだけのことだ。そのあたりを詳しく説明する必要も無いと、ユウキはいったん口を閉ざし、そろそろおしゃべりにも飽きたとばかりに、締めくくりの言葉を口にした。
「それじゃあ──死んでください」
 そしてあっさりと、拳銃をぶっ放した。


 銃弾は、狙い違わず、神父の額の真ん中を撃ち抜いた。
 神父は後方に倒れ──かかり、ばしゃばしゃと血の水溜りを蹴立てて、踏みとどまった。
「……」
 ユウキは、僅かに瞳を細め、神父の様子をうかがう。
 確かに、ユウキの放った銃弾は、神父の額に命中した。この距離で外すわけがないし、実際、命中していた。
 今回ユウキの手にしている銃はザウエルP228。アメリカ陸軍でベレッタM92Fと並んで正式採用されている銃。普通、こいつで額の真ん中を撃たれれば、それは致命傷になる。
 しかし、神父は蹈鞴を踏みこそしたが、倒れることなく踏みとどまった。
「シィイイイイイ」
 歯の間から空気を押し出すような音を立て、神父はゆっくりと姿勢を正す。両の手に持った銃剣を、顔の前で交差させるようにして構え、ユウキを見据える。
 その額には、確かに銃弾が命中していた。それを証明するのは、小さな窪み。わずかな出血。そこに、銃弾は命中したらしい。しかし、見る間に肉が盛り上がり、窪みから、銃弾を押し出してしまう。ぴちゃりと、神父の足元に音を立てて銃弾が落ちる。そして、皮膚の下に虫でも潜んでいる様に周囲が蠢くとと、神父の額には傷ひとつ残らなかった。 「──生物工学の粋を凝らした自己再生能力に、回復法術ですか」
 ユウキは、呆れた様に呟いた。
「ゲヒルンの三博士が生きていたら非常に喜びそうな代物ですが……。何と言うか、人の体をそういう具合に弄るのは、神の教えに背いたりしないのですかねえ?」
 本来、知識全般を否定しかねないのが、神父の属する教会である。人は、知恵を身につけたがゆえに、楽園を追放された。その話は有名だ。神の楽園に回帰する。それは、彼らの望みの一つであろう。
 なのに、世間一般でも禁忌とされるであろう、肉体改造。許されることだとは思えない。
「すべては、神の敵を屠るため」
 だが、神父は悪びれずに応じた。
「左様ですか」
 どうやら、自分たちにだけ納得できる理論で持って、理由付けが完成しているらしいと、ユウキはそれ以上の論評を止めた。もともと、狂信者──独自の理論で動いている連中である。議論しても仕方が無い。
「貴様ら皆、弱すぎだ」
 神父のほうでも、話は終わりと見たらしい。ユウキを見据え、きっぱりと告げた。
 銃剣を構え、始めゆっくりと、そして、少しずつ速度を上げて、ユウキに迫る。
 ユウキは、無防備に向かってくる神父めがけて、いつの間にか両手に構えた拳銃を連発する。
 銃弾は、狙いを外すことなく、神父の体に命中する。
 しかし、一切構わずに、神父は前進して来る。
「──その程度の玩具で、私をどうにか出来ると思うか?」
 神父は距離を詰め、大きく両手を振りかぶった。
 左右から挟み込むように、ユウキめがけて銃剣を振り下ろす。必殺の一撃。食らえば、近くの水溜りに転がっている連中と同様に、ユウキの体は簡単に分断されてしまうだろう。
 ユウキは、両腕を胸の前で交差させると、拳銃をぶっ放した。
 銃弾は、狙い違わずに、神父の両腕に命中する。
 ダメージは兎も角、その衝撃で、神父の腕を振り下ろす速度が一瞬、落ちる。
 その間にユウキは、後方に倒れ込むようにして、銃剣を避けていた。
「やる。──しかし」
 空振りした神父は、しかし、何処か嬉しそうに吼えた。
 同時に、自身の勝利を確信してもいるようだ。
 ユウキは、床に転がってしまっている。すばやく、神父の次撃を避けることは、その体勢からでは難しいだろう。
 そして、ユウキの手にしている武器では、神父に通用しないことはすでに証明されている。
「シィィィィィ!」
 神父は倒れたユウキに迫る。一気に、両手の銃剣を突き降ろし──
 その神父のおなかに、ユウキがショットガン──レミントンM870を突きつける。
 いつの間に用意したのか、しっかりと両手で構えている。もともと持っていた拳銃は、その場に投げ捨てたようだ。
 そして、発砲。
 神父の攻撃よりも早く放たれた一撃は、神父の体を宙に持ち上げていた。そしてそのまま、後方にひっくり返る。
 反動で、ユウキのほうも後方へと床の上を滑っていく。
「……なんて出鱈目に丈夫な」
 反動を利用して、コロンと後方に一回転して立ち上がったユウキは、呆れたように呟く。
 ショットガンの一撃が、かわしようも無く、まともにお腹に当たったのである。なのに、神父は問題なく体を起こそうとしていた。お腹のあたりから煙が上がっているが、たいしたダメージではなさそうである。
 ユウキは呆れながらも、機械的に体を動かす。ポンプを動かして、次弾を装填。即座に発砲。
 体を起こしかけた神父は、その一撃で再びひっくり返る。
 更に一発、もう一つ一発。
 そのたびごとに、神父は面白いくらいに転がってしまう。肉体の損傷は兎も角、着弾の衝撃ばかりはどうしようもないらしい。
 ユウキは神父が転がっている隙にショットガンを投げ捨てると、、すたこらさっさ〜っと、背中を向けて後方に逃げ出していく。残念なことに、このショットガンの装弾数は4発なのだ。
「──逃がすか!」
 攻撃が途絶え、神父は身を起こす。無様に転がされたことが気に入らないのか、一言吼えると、両手を懐に突っ込み、抜き出す。その手には、指の股ごとに一本、両手で計8本の銃剣が握られていた。
 神父は、その銃剣を投げつけんと、大きく振りかぶった。

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