#133 求めるは力


「か〜ちゃん達には内緒だぞ♪」
 ジオフロントに歌声が響く。
 野戦服に身を包んだ男達が、両手に銃を掲げて、ランニングをしている。
 彼らは、旧ネルフ保安部員達であり、現在の碇組の兵隊達である。彼らを率いるのは碇組の幹部の一人、帆村マサカネ。そして、部隊ごとにクマさん、リスさんといった名前をユウキによって命名されている。
 かつては、ユウキの指導の元、彼らは訓練にいそしんだ。しかし今、彼らは自分たちの意志で、更なる猛訓練に励んでいた。
 かつて指摘されていた彼らの問題点、経験不足。
 それは、ユウキのスパルタ式トレーニング、さらにはその後の幾度かの実戦を経て解消されている。現時点では、おおむね一流の戦闘能力を備えていると見ても、問題ないだろう。
 その彼らが、必死で、目の色を変えて猛訓練に勤しんでいる。もちろん、日常的に訓練は続けてきた。これは、さぼるとユウキが怖いから、と言うだけではない。人の体は、訓練を怠れば簡単に鈍ってしまう。日々の訓練は必須だ。さぼれば、その分だけ自分の能力が落ちる。能力が落ちれば、それだけ死に近づく。だから、さぼるわけにはいかないのだ。
 しかし、それにしたって、常日頃の訓練では、彼らはこれほどの必死さでもって取り組んだりはしなかった。必要だからする。どちらかといえば、ルーティンワーク。やらないですむならやらずに済ませたい。そんな雰囲気が見えた。特に、経験不足が解消され、それなりの戦闘力を持ったと自覚ができた昨今では。ゆとり、余裕は油断につながる。下手に自分たちが強いという自覚が出た分だけ、彼らは微妙にだらけていた。
 だが、今、彼らは血相変えて必死で訓練に取り組んでいる。それも、常の、戦闘力維持のための訓練ではなく、さらに一段上を目指すための訓練を。
 もちろん、そうしなければならない理由があるのだ。
 彼らは、おおむね一流と言っていい。並の敵であれば、問題なく対処、殲滅できるだろう。
 だが──
 彼らの敵は、どうやら並の範疇からはみ出し始めている。
 つい先日、ネルフ本部を単独で襲撃した男──神父。
 あれは、まともではなかった。
 銃で撃たれても気にしないで、向かってくる化け物。
 彼らは実際に戦う機会はなかったが、その後、ユウキと神父の戦う様を、記録映像で確認している。
 あれは、まさしくでたらめ、化け物だった。非常識といってもいい。
 ユウキが神父に打ち込んだ弾は、果たしてどれだけの数に上るのか、数えてみる気にもなれない。さらに、ただの拳銃弾どころか、戦車の装甲や機械仕掛けの警察官だって打ち倒せるような、対物ライフルの攻撃すら食らって、平然としているのだ。
 冗談ではなかった。あれは、正真正銘の化け物だった。
 これまでは、化け物といえばシンジのこと。しかし、これはさほど問題ではなかった。
 何しろ、シンジは味方なのだから。どれほどでたらめに強くとも、味方であれば問題ない。逆に、これほど心強いことはなかった。
 だが、世の中、化け物はシンジだけではなく、敵にも存在する。そのことを今回、思い知らされたのだ。
 訓練を積んだとしても、自分たちが化け物に対抗できるとは思えなかった。しかし、何もしないでもいられなかった。
 生き延びる可能性をあげるためにも、自分の──自分たちの能力を高めておくべきだ。強くなればその分、生き残る可能性はあがる。そのはずだ。
 そう信じて、彼らは訓練に励む。恐怖に背中を押され、それだけで必死に。
 その様を見つめつつ、彼らの指揮官──帆村マサカネは、暗い表情でこう呟かずにはいられなかった。
「何でこんなことになってしまったんだ?」


 保安部員がジオフロントで訓練に励んでいる頃、地上でも、強くなりたいと願っている少年がいた。
 少年の名前は、鈴原トウジと言う。
 先日の神父との戦いに、トウジもわずかながら、立ち会うこととなった。いや、自身が望んで、現場に連れて行ってもらった。
 何事ができると考えたわけではない。
 腕っ節には少々自信があった。あったが、所詮は普通の中学生である。どう頑張っても殺し合いの場で役に立てるはずもない。そのことは、自分でも理解していた。それでも、現場に行きたいと願った。願わずにいられなかった。
 そして現実、思っている以上に、トウジは何もできなかった。
 ただ、いるだけ。
 何事もできず、何者も守れず。
 ただ、そこにいるだけ。
 トウジが現場に着いたときには、ほとんど決着はついていた。後は、仕上げのみ、そういう状況だった。
 だが、そんなことは関係なかった。
 そうでなかったとしても、それから本格的な戦闘が始まると言う時だったとしても、何もできないことは、結局変わらないだろうから。いや、逆に、その場合には足手まといになっただけかもしれない。
 自分は、無力である。
 ほんのわずかな対峙。それだけで、自分の無力さを恐怖とともに思い知らされてしまった。
 ただ、敵を目の前にしただけで、トウジは身動きもならず。ただ、敵の眼光だけで凍り付き、怯え、恐怖していた。誰もトウジに注意を払わなかったため、ばれていないはずだが、あの神父の最後の突進、あの時には、わずかばかりチビってしまった。わずかなりともユウキの助けになれば──そんな願いも空しかった。自分は、なんの役にも立たないのだと思い知らされただけだった。
 トウジは、いつものように碇組本部の便器を磨きながら、悔しさに歯がみする。
 強くなりたい。
 男の子であれば、自然に持っている欲求。
 それを、今ほど強く感じたことはなかった。
 しかし──
 どうやって強くなる?
 トウジは先日、エヴァンゲリオンパイロット、フォースチルドレンに任命された。そのこともあり、先日から、戦闘訓練をするようになっている。だから、これから先、間違いなく強くなっていくだろう。そうなるように、専門家の組んだプログラムをこなしていくのだ。強くなって当たり前だ。
 だが、トウジは頭を振った。
 強くなりたい。
 トウジが望んでいるその思い。求める強さは、そういった訓練で得られるとは、到底思えないのだ。それで得られる強さでは、足りないのだ。
 口にして、誰かにそれを告げれば、気違いを見るような目で見られるかもしれない。身の程知らずだと罵られるかもしれない。調子に乗るなと怒鳴られるかもしれない。
 しかし。
 トウジの求める強さ。
 それは、シンジに匹敵するだけの強さなのだ。
 シンジのように強くなりたい。
 否、シンジよりも強くなりたい。
 一人の少女の顔が浮かぶ。
 加賀ユウキ。
 ユウキを、守りたいと思う。
 ユウキを傷つけるすべてのモノから、守りたいと思う。
 ユウキのピンチに颯爽と登場して敵を倒してみせたい。
 だが、それは身の程知らずの願いだ。
 守ろうにも、ユウキの方がトウジよりも格段に強いのだ。これからトウジは、チルドレンとして強くなる。しかし、その程度では絶対的に足りないのだ。チルドレンとして訓練を積んでも、ユウキにすら勝てる様になるとは思えない。実際、幼少より訓練を積んできているアスカが、ユウキに敗北している。チルドレン程度の強さでは、出る幕などない。その程度では、ユウキがピンチになるような相手に、敵うわけもないのだ。しゃしゃり出たとしても、敵にすらなれずに始末されてしまうのが落ちだ。
 だから、もっと、強くならねばならない。
 どのくらい?
 シンジと同じくらいのレベルに──
 否、シンジ以上に強くなりたい。
 シンジよりも強ければ──
 シンジよりも強ければ──ユウキを──
 がつんと、頭をトイレの壁にぶつけて、先走りかけた思考を止める。
 自分が、ひどく危険な思考を始めていることに、トウジは気がついていた。
 シンジより強くなる。
 強くなって、どうする?
 なんのかんのと言っても、ユウキが見ているのはシンジだから。
 だから、シンジよりも強くなりたい。
 シンジよりも自分が強くなったら──ユウキも──
 それは、ひどく危険な想像だった。
 そして、現時点では、笑ってしまうほどの夢物語にしかすぎない。
 自分は、シンジの強さの足下にも達していないのだ。シンジにしてみれば、自分程度など、指先一つでダウンさせることができる程度の小者にしかすぎない。
 強くなりたい。
 トウジは、強く願う。
 だが、どうやって?
 並大抵の訓練では、それはなし得ない。
 それは、わかっている。
 どうすればいいのか。
 トウジはトイレの壁に額を押し当て、瞳を閉ざして、自問した。
 強くなる術。
 それは──
 トウジは、閉じていた瞳をあける。
 目的のためには、手段を選んでいる余裕などはない。
 そのことははっきりしているのだ。


「トイレ掃除、終わりました〜」
 声をかけて、部屋にはいる。
 ちょうどいい具合に、その部屋には、シンジらがいた。ユウキとともに、難しい顔をして仕事をこなしている。
「佐藤さんの戦死が痛いなあ」
 シンジが、顔をしかめて嘆いている。
 トウジは詳しく知らないが、先日の戦い、神父との戦いで、碇組の部隊指揮官に死者が出ている。元々、指揮官クラスの人材が不足していた碇組である。たった一人とはいえ、指揮官が減ったことは、かなりの痛手となった。
「ケダモノな誰かさんが、一人、せっかく雇った助っ人を無駄に潰してしまいましたしねえ」
 ユウキがシンジを言葉の針で突き刺す。
「なんだよ、それ。僕はユウキが何を言っているのか全然わからないよ」
 いつもの、二人のやりとりに、トウジの胸の奥の方が、ちくりと痛んだ。
 シンジに、辛辣なことを言う人間は数が少ない。その少ないうちの筆頭が、ユウキである。少ないが、ユウキ唯一ではない。
 だが、両者の間に存在する雰囲気は二人だけの独特なモノで、余人の存在、介入を認めないモノがあった。
「ああ、鈴原君、ご苦労様です」
 ユウキが、シンジのごまかしを無視してトウジに言葉を返してくる。
 それだけで、少しばかり胸の奥の痛みが和らいだように感じる。トウジは、我ながら単純だと思いつつ、それでも、シンジを無視して自分に声をかけてくれたと喜びを感じてしまう。
「ああ、鈴原君。次は風呂の──」
「あ、あの、シンジさん!」
 次の掃除分担場所を告げようとするシンジの言葉にかぶせるように、トウジは声を出した。
「? 何?」
 トウジの言葉には勢いがあった。
 首をかしげつつ、シンジが訪ねてくる。
 トウジは、一つ息を吸い込むと、大きな声で言った。
「ワイを、鍛えてもらえまへんか?」
 シンジに迫る──いや、凌ぐ強さがほしい。
 トウジの願いである。
 しかし、どうやって鍛えれば、その強さを得ることができるのか?
 たとえば、町道場に通ったとしても、それが叶うとは思えない。シンジの強さは、常識を超越したレベルにあるのだ。
 シンジの強さに迫れるように自分を鍛えることができる人間が居るとしたら、それは、シンジに匹敵する強さを持った人間だけだろう。
 そして、トウジはそういう存在を、知らない。
 だったら──だったら、当のシンジに頼むしかない。
 トウジは、そう結論したのだ。
「ええと、チルドレンとしての訓練は始まっているはずだけど?」
 シンジは首をかしげつつ、確認するようにユウキに視線を送る。
「はい、始まっていますよ」
 ユウキが頷く。
「ワイは──ワイは、もっと強くなりたいんです! シンジさんのように、強くなりたいんです!」
 力を込め、自分の求めている強さがどういうモノであるかを、シンジに告げる。
「僕みたいに?」
 シンジは首をかしげ、言った。
「なるほど」
「お願いします」
 トウジは、その場で絨毯に頭をこすりつけるような土下座をして、必死の口調でお願いした。
「ワイは、強くなりたいんです!」
「……」
 シンジの長い沈黙。
 それに耐え、トウジは額を絨毯にこすりつける。
 駄目か? 駄目なんか?
 トウジがあきらめかけた時、シンジの声が聞こえた。
「……わかった」
 トウジは、はじかれたように顔を上げた。
「ほな──」
「ただし、僕の訓練は厳しいよ」
「は、はい、覚悟しとります!」
「途中で投げ出そうとしても、許さないからね」
「は、はい、投げだしまへん!」
「僕の言いつけには絶対に従うこと」
「わかりました」
「じゃあ、お風呂の掃除を」
「了解しました──」
 トウジはうなずき、立ち上がった。そして、そのまま踵を返そうとして、止まる。
「え? 風呂掃除って?」
 それでは、いつもの仕事と一緒である。
「僕は、鈴原君がそう言い出すのを待っていたよ」
「え?」
 疑問をぶつけるより先に、シンジが口を開いていた。
「今まで、僕はただ、鈴原君をこき使っていた訳じゃないんだよ。トイレ掃除、風呂掃除、庭の草むしり、塀のペンキ塗り、車のワックスがけ。これらは全部、鈴原君を鍛えるための訓練メニューなんだよ」
「え?」
 トウジは、馬鹿みたいにぽかんとした顔で聞き直した。
「たとえば、空手の回し受けを身につけるために、車のワックスがけをするのは常識だよ。レフトサークル、ライトサークル、アップダウンってね」
 シンジは軽く実演して見せる。
「──そのほか、トイレ掃除にしろ、風呂掃除にしろ、本気で、しっかりと行えば、それだけで体は鍛えられ、おまけに技も身に付くという一石二鳥な事なんだよ」
「そ、そうやったんですか?」
 シンジの自信たっぷりの口調に、トウジは感心したように頷いた。
 自分は、ただこき使われていただけではないのだ。
 どうも、ケンスケと比べて、自分の仕事はひどいモノが多いような気がしていたが、実は、深い意味がったのだ。
 トウジは、感動していた。
 さすがはシンジさん。
 目先のことにとらわれている自分とは違い、遙か遠い場所を見ている。
 同時に、後ろめたさも感じていた。
 自分が強くなりたい動機。それが、ひどく浅ましく感じられた。──感じられても、今更、その思いを消し去ることもできそうになかったが。
「そういうわけで、鈴原君は風呂掃除を」
「は、了解しました!」
 最敬礼しそうな勢いで頷くと、トウジは風呂場に向かった。


 トウジが部屋から出て行って100を数えてから、ユウキが言った。
「そんな事で身に付くわけがないのに……。大嘘つきですねえ」
「ほんと、彼は単純だね」
 シンジは、全く悪びれた風でもなく、気楽に笑った。


 そのころ、天野連合の本部では、彼岸花マリが、書類を抱えて天野ミナカを探していた。
 執務室には居ない。そのほか、屋敷の中にも。
 マリが探し回り、ミナカをようやく見つけたのは、駐車場だった。
 駐車場、黒塗りの高級車に、ミナカはワックスがけをしていた。
 とびきりのお嬢様がワックスがけ。似合わないこと甚だしい。
「……ミナカ様」
 だから、マリの口調は、微妙に咎めるモノになった。
「そのような事は部下に──」
「マリ」
 しかし、ミナカは逆に、マリを咎めるようにその名前を呼ぶと、言った。
「これは、幼少の頃より続けているトレーニングよ。私が完璧な回し受けを会得できたのは、このおかげよ。──だから、邪魔をしないでちょうだい」
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