#135 晴れた日は良く届くから


 ジオフロントには、広大な森が広がっている。
 よく、帆村マサカネをはじめとする元ネルフ保安部員達が、ジオフロント本部前からその周辺で訓練を行っているが、彼らは決して森には足を踏み入れない。サバイバル訓練に最適に思えるジオフロントの森だが、いろいろスパルタだと考えられているユウキだって、彼らに立ち入りを薦めたりはしない。
 なぜならば、この森には、様々な危険な生物が存在するためである。
 ネルフの前身、ゲヒルン。そこに所属した三人の女科学者達。赤城ナオコ博士、碇ユイ博士、惣流キョウコ博士の三人が、倫理観に欠けた科学者であったことは、これまで何度も記述してきた。セカンドインパクト後の混乱を好都合とばかりに、人体実験をはじめとする後ろ暗い実験を繰り返した。その集大成ともいえるモノが、マギであり、エヴァンゲリオンでありる。そして、その完成に至る過程では、様々な異形のモノ達が生み出されていた。そして、困ったことにこの三人、実験動物のその他の管理が非常に杜撰だった。実験中、製造中には非常に集中するが、できてしまえば途端に興味を失う、あるいは、別種の実験に心が向かう。──結果、管理がおざなりになり、逃げ出した実験動物その他は数知れず。下手をしたらMM88菌が漏出して小松●京の復活の日なんて事に──いや、この世界には南極基地はないからサードインパクト以前に人類全滅、なんて事になる危険だってあった。そうならなかったのはひとえに運がよかったからで、この三人の手柄では決してない。
 ともかく、そうして逃げ出したり零れ出したりしたモノ達は、一部は地上にまで行ったモノの、多くはここ、ネルフ本部のあるジオフロント内を自分の生存していく場所に選んだ。
 結果、ジオフロントの森は、非常に危険でろくでもない場所になってしまった。危険な謎の植生がジオフロントの大地を覆い、そこで暮らしている動物たちもまた、いろいろと謎で危険だったりする。更には、最近では異種交配もすすみ、三博士ですら想像しなかったような物騒な代物まで蠢いているとも言う。
 一応、ネルフとしては放っておくこともできず、何度かの探検隊を組織した。探検隊はいくつかの新種の動物植物を発見したモノの、多くの犠牲者を出し、命からがら逃げ出すこととなった。探検隊の被害が馬鹿にならなかったことと、一応の棲み分けはできているため、結果、ジオフロントの森は彼らの場所として、不可侵の場所となっていた。臭い物には蓋──と言うより、何も見なかったことにしたのだ。
 だから、この森に住まう人間は皆無──かと言うと、そうではなかった。
「……呼んでる」
 おそらく、ジオフロントの森に住む唯一の人間である女性が、視線を宙に向けて呟いた。
 女性の周囲には、彼女を守るかのように、6匹のパンダが存在した。いや、女性が一匹、子パンダを腕の中に抱いているので、総勢7匹になる。それぞれ、名前はぶっしゅ2、ぷ〜ちん、ふせいん、じょんいる、かだふぃ、かすとろ。そして子パンダは、うさま・びんらでぃんと言う。このパンダたちに守られている故に、彼女がこの危険きわまりない森の中で生きていくことを可能とした。
 女性自身の名前は、真田デンパ。彼女もまた、三博士によって手を加えられた人間であるから、厳密な意味で、普通の人間はこの森には存在しないかもしれないが、それはともかく──
「……呼んでる」
 デンパは、うつろな視線をさまよわせながら、もう一度呟いた。
 デンパの視線は、どこにも焦点を結んでいない。一応、顔はジオフロントの天井都市に向けられているが、何も見ていない。同時に、デンパを呼ぶ声も、皆無だった。少なくとも、普通の人間の耳には、何も捉えられないだろう。
「ぎゃ〜す」
 心配そうに一声鳴いたうさまの声も、耳には届いても脳にまで達しない様子だった。名前がデンパだからと言うわけではないだろうが、まさしく、電波の受信中、そんな所だった。
 直後、デンパはおっとりとした顔を引き締めて、決然と呟いた。
「行かなくちゃ」
「ぎゃ?」
 首をかしげ、デンパを伺ううさま。
 そのうさまを、デンパは一匹のパンダに渡す。
「ふせいん、うさまをおねがい」
「ぎゃ?」
「私は、行かなくちゃならないの」
「ぎゃ?」
 デンパと、パンダの間にはコミュニケーションが存在していた。そうなるように、手を加えられたのだ。だから、ある意味当たり前で、しかし、非常に違和感のある光景だった。
 デンパは、ぐるりとパンダたちの顔を見回した。
 そして、一際体格のいいパンダに視線を止める。
「ぶっしゅ2」
「あぎゃ?」
「みんなと仲良く待っていなさいよ。私が居ないからって、ふせいんやうさまをいじめちゃ駄目だからね」
「ぎゃ〜す」
「もちろん、かすとろや、かだふぃーの事もよ」
「ぎゃ〜す」
 ぶっしゅ2は、心外だという顔をした。自分は、パンダの警察を持って任じている。いじめなんてひどいことをするわけがない。と言うか、パンダの正義とは、自分の決めたやつのことだ。だから、自分の行動は常に正しいのだ。パンダを導くのは、自分なのだ。そういう顔だった。
「いくら一番強くても、わがままなことばっかりやっていると、パンダ社会の中から孤立しちゃうわよ」
 デンパの忠告。しかし、ぶっしゅ2は全くわかっていない顔だった。いや、すでに孤立云々は、手遅れかもしれない。皆、ぶっしゅ2の力が怖いから従っている、あるいは仲良くしているふりをしているだけで、本当の意味での仲間は皆無だった。そして、当人──当パンダだけが気が付いていないのが、よけいに致命的だった。
 デンパは諦めたように、もう一匹のパンダに向かう。
「ぷ〜ちん」
「ぎゃーす」
「ぶっしゅ2が暴走しないように、見ていてね。じょんいるは、核開発をやめるように。あと、宣伝要因の美女軍団は、逆に気持ち悪くて他国人を引かせるから、自分に侍らせるだけで満足しておいて、外には出さないほうがいいと思う」
「ぎゃ、ぎゃ」
「ぎゃ〜」
 デンパのおねがいや指摘に頷く声、不満そうな声。
 デンパは、パンダたちの顔を見回して、どこまで信用できるだろうかと不安な様子だった。──が、それでも、行かなければならないと決然と顔を引き締め、そのまま、森を離れていった。


 一方、こちらは地上。
 夜の第三新東京市を、シンジとユウキは連れだって歩いていた。
 一応、目撃情報から、その「悪魔」が出没する範囲を絞り、そこを歩いている。ついでに、手には近くのお寿司屋さんで握ってもらった折り詰め。なんでも、被害者は皆、襲われた時に何らかの食べ物を持っていたらしい。そして、それを襲撃者が奪い、食べているうちに、命からがら逃げ出したという。間違いなく、件の「悪魔」の目的は餌である。つまり、準備は万端だ。
「──って言うか、あんまり危険じゃないような気がするんだけど」
 容姿はおどろおどろしいという話だが、被害は、土産をとられた程度なのである。怪我をした者もいるが、これは慌てて転んだせいだという。直接危害を加えられたせいではない。確かに、シンジの呟き通り、たいした事件とは思えない。
「まあ、問題は、相手の姿形ですね。目撃情報をすべて信じるのはアレですけどねえ」
 冷静さを失った人間の目撃情報など、さほど当てにならないとユウキは口にする。何しろ、幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんて言葉もあるくらいである。大したことでなくとも、動転していれば、とんでもない出来事に見える。富士川の戦いなどは良い例だろう。この件も、そんなモノだと思っている。神様も信じていないが、悪魔も同様に信じていないユウキである。しかし、完璧な見間違いと、確信を抱くまでには至っていなかった。──何しろ、このあたりには本気で悪魔じみたモノをを作り出したっておかしくない科学者達が、かつて暮らしていたのだから。
「ともかく、怪しげな動物がうろついていて、人を襲ったとなれば、住民が不安になるのも仕方のないことですし」
 ユウキが、これは仕方のないことだと、軽く、肩をすくめてみせる。
 ユウキの言葉を聞いて、シンジはうんざりしたような表情になる。めんどくさいなあ、と言う顔だ。
「──とは言え、この程度の準備で、あっさり出てきたりしたら、いかにもなご都合主義だよね」
 シンジは、準備──手にした折り詰めを軽く持ち上げて呟く。
 それに、ユウキが何かを諦観した顔で小さく首を振った。
「元々、ご都合主義なお話ですから、言っても無駄ですよ」
 そして、顔をわずかに動かして、シンジに示す。
「ほら」
「え?」
 シンジはユウキの示した方に顔を向け、露骨にうんざりした表情になった。
 ご都合主義。それは、ある程度までは許容しよう。しかし、これではあまりにあんまりではないか。
 シンジの表情を言葉にすれば、こんな所だろう。
 ユウキの指さした先。
 そこには、いかにも怪しげなモノが蹲っていた。
 ため息をこぼし、首を振るシンジ。
 全くあきれかえるほどのご都合主義だった。
「くぇええええええええ!」
 いかにも怪しげなモノは、それを隙と見たのか、化鳥の叫びをあげて宙に舞っていた。素早い動きで、シンジの手にした折り詰めをねらう。
 確かに、シンジは油断していた。油断しまくっていた。
 しかし、その横には、油断をしていない者もいた。
 ユウキのスカートが翻り、次の瞬間には、その手の中に拳銃が握られていた。魔法じみた素早さである。
 見敵必殺。サーチアンドデストロイ。
 ユウキも、シンジ同様、この仕事を楽しんでいたわけではない。きっぱり、面倒くさくてあんまり意味のない仕事だと思っていた。
 だから、常以上に容赦なく、即座に排除しようとする。長々と関わる気はない。ちゃっちゃと片づけて、家に帰って寝る。そして、即座に忘れる。それが、精神安定上、一番いい方法だと考えていた。
 ユウキは腕を振り回すようにしながら、拳銃の引き金を絞る。弾倉一つ分が、瞬く間に撃ち尽くされる。
 どう見ても、射撃の教科書には載りそうにない、乱暴で無造作な射撃。しかし、その狙いは正確だった。
 空中にいたそれは、銃弾に弾かれて軌道を変え、地面に叩きつけられる。
 これで終わった。
 ユウキはそう判断しかけ、直後、驚きに目を見張る。
「え?」
 口から戸惑いの声をこぼすユウキの前で、それはあっさりと地面から立ち上がっていた。
「くぇええええ」
 不機嫌そうに、それは首を振った。
 どうやら、ダメージはほとんど無いらしい。不快。ただ、それだけのようだった。
 それは、燃え上がるような赤い瞳をユウキに向け、一声吠えると、一気にユウキに迫った。
 餌を奪うよりも、まずは邪魔者を排除しようと判断したらしい。
 その場を力強く蹴り、それが再び宙を飛ぶ。今度は、弾丸のように一直線にユウキに迫る。
 ユウキは即座に銃を捨て、再びスカートを翻して新たな拳銃を抜き放つ。とにかく、これで時間を稼いで距離をとり、もっと威力の大きなモノで攻撃を──
 と言うユウキの判断、行動は、途中で止められる。
 ユウキとそれの間に、シンジが飛び込んできたのだ。
 とてつもない衝突音。近くのビルがぶるぶると揺れ、地面が地震のように震動する。トラック同士がぶつかっても、これほどの衝撃は発生しない。それほどの、すさまじい衝突。
「くっ!」
「くぇっ!」
 シンジとそれ、両者は、それぞれ後方に飛んで距離をとる。
「あいたた……」
 ガードした腕が痺れたらしく、シンジは受けた場所をさする。
 それの方は、シンジから慎重に距離をとり、こちらを睨み付けている。
「──って、ペンギンですか?」
 それの姿を見て、ユウキが呆れたように呟いた。
 そこにいたのは、確かにペンギンだった。ペンギン以外の何者でもなかった。これがペンギン以外に見えるというのであれば、私が一時間ほど説得してあげましょう、と、それほどきっぱりとペンギンだった。
 針小棒大。どうせ目撃情報は当てにならないだろう思っていたが、ペンギンというのはユウキも予想外だったようだ。
 しかし、直後、確かに──と思い直す。
 目撃情報。
 燃えるような赤い目。
 現実。
 確かに、目は赤い。
 頭に突き出た何本もの角。
 どうやら、鶏冠を見違えたらしい。
 その他諸々。
 まさしく、幽霊の正体見たり──だった。
 そして、同時に、こいつはただのペンギンではなく、ほぼ確実に、ゲヒルン三博士が関係していると確信していた。
 何しろ、おかしな金属のランドセルの様なモノを背負っているし、フラッパーには爪が生えている。断じて、まともなペンギンではない。同時に、人の手が入っているのも確実だった。
「やっぱり、母さん達の仕事なのかな」
 ユウキ同様の判断をしたらしく、シンジがうんざりとしたように呟く。
 第三新東京市で怪しいモノ=ゲヒルンの三博士が関係している、と言うのは、この世の真理のようなモノである。よしんば、そうでないとしても、誰も信じてくれないだろう。地球が丸いとか、郵便ポストが赤いとか、茶碗蒸しには銀杏が入っていなければならないのと同じくらいの、世間の常識というやつだ。
 そして、息子のシンジがうんざりしたような表情をするのも、仕方が無いことだろう。冬月であれば、「恥をかかせおって」とでもぼやくところである。
 それはともかく。
「ユウキは下がっていて」
 シンジは、新たな武器を構えようとするユウキを制して、一歩前に出た。
 このペンギンの素性が何であれ、始末するのがシンジらの今の仕事である。
 ならば、とっとと始末してしまうに限る。
 ペンギンも、シンジの動きに呼応して、わずかに腰を落として身構える。
 なんにせよ、このペンギンは、容易ならざる敵のようだった。

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