#137 今夜、私に会いに来て
自室のベッドの上で、綾波レイは体を起こした。
基本的に、レイは早寝早起きを励行している。元々無趣味で、時間を潰す術は、読書くらいしか知らない。それに、エヴァパイロット、緊急時に備え、休める時に休んでおく、それも任務の内だと考えている。基本的に──なのは、実験やら訓練やらで、不規則にならざる得ない時も多々あるためだ。
最近は、修理、並びに装甲の換装のすんだ零号機のチェックや再々機動実験、更にはダミープラグ開発関連の実験で、不規則、夜遅くまでネルフに詰めている生活が続いていた。しかし、さすがに連日連夜のそれも今日はお休み、久方ぶりに早い時間に帰宅することが出来た。
そして、そのまま、早い時間からベッドに入ったレイである。このところ足りていなかった睡眠をたっぷりと取ろう、と考えた──のだが、なぜか、なかなか睡魔が訪れてくれなかった。
レイは、天井のライトを灯し、ゆっくりと自室を見回した。
レイの部屋は、かつての廃ビルの一室に暮らしていた頃に比べ、ずいぶんとモノが増えている。しかし、それが雑多な印象を与えるのは、ほとんどが自分で選んだモノでは無いせいだろう。
放っておけば、いつまで経ってもこの部屋が殺風景のままであろう事を確実視し、それでは情操教育に良くないであろうと言うリツコの意見の元、皆が勝手に買いそろえて与えた様々なモノ達。それぞれがそれぞれの趣味で選んで与えたため、統一感がないのも、致し方がないところだ。
壁の黒猫のタペストリや、小さな猫の置物は、リツコが選んでレイに与えたモノ。桐の和箪笥や、ベッド脇の黒い小テーブルはユウキが、部屋のあちこちに点在するぬいぐるみやクッションやひらひらのカーテンなどはマヤが選んだもの、と言った具合に。数少ない、レイ自身の選んだ──と言うか、以前からの持ち物と言えば、壁に掛けられている第一中学校の制服と、小さなマイ冷蔵庫、そしてその上のビーカーくらいのモノ。そのうちのビーカーには、人類の英知が生み出した、唯一の永久機関、水飲み鳥──あるいは平和鳥が嘴をつっこんでいる。にぎやかで、しかし、統一感に欠けた一室。
レイの視線は、ゆっくりと自室を巡る。何かに止まることなく視線は流れ──レイはぽつりと呟いた。
「……眠れない」
別に、部屋に統一感がないというせいではない。ほとんどの物品は、レイにとって、そこにある以上の意味を持たないモノばかり。無ければ無いで構わない。そして、同時に、あればあれで構わないという、それだけのモノなのだ。全く、考慮する必要はない。
統一感を欠いた、しかし、にぎやかな部屋。この部屋を見て、寂しい部屋だという者はいないだろう。
だが、レイは寂しかった。
部屋の寂しさ、殺風景さで言えば、かつて暮らしていた廃ビルの一室の方が勝ったであろう。しかし、このにぎやかな部屋で、レイは、寂しさを感じていた。寂寥感、孤独を感じていた。
たった一人の部屋。それは、ひどく寂しい。この所、実験続きで疲れ果てて帰宅、そのままばたんきゅ〜と即座に睡眠という生活が続いていた。こうして余裕のある、一人になる時間が少なかったせいかもしれない。
天蓋こそ付いていないが、豪華で大きな、その上で数人がとっくみあい出来そうなベッドが、常になく、妙に寒々と感じる。一人で寝るには、このベッドは広すぎた。
「……眠れない」
レイは再度呟くと、ベッドから降りる。
実のところ、部屋に一人という状況に寂しさを感じたのは、今回が初めてというわけではない。
そして、以前、寂しさを感じた時はどうしたか。考えるまでもなく思い出したレイは、今回も同じ行動を取ることにした。
レイは、枕を抱えて部屋から出る。
そのまま、廊下を進もうとして、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーの姿を見つけた。アスカは、なぜだかレイと同様、パジャマ姿で枕を抱えていた。
アスカはレイに気が付かなかった様子で、そのままゆっくりと、とある一室に前に行くと、扉をノックした。
「あの、シンジ?」
そこは、碇シンジの自室だった。
「……入ってもいい?」
なにやら、どこから出しているのか不思議に感じるほどの、かわいらしい声を出して返事を待つアスカ。顔を赤らめて、なにやらもじもじとしている。
レイにとって、アスカはどうでもいい存在だった。あえて言えば、うるさくて邪魔。何しろ、私はエースであんたは使えないとか、いろいろと突っかかられたから、いくらレイでも、うるさくも感じようと言うモノである。だが、それとて大したことではなく、取り立てて特筆する必要もない存在。命令されれば仲良くもするが、そうでなければそのままに。その程度である。──それを知れば、ますますアスカはいきり立ってうるさくしたであろうが。
とにかく、レイは取り合う必要もないとアスカを無視して、目的地を目指す。
しかし、そのためにはアスカのそばを通らざるを得ず、当たり前だが、気が付かれてしまった。
「──!」
レイに気が付いたアスカは、ぎょっとしたように表情を変えた。顔色を赤くして、青くして──それから、開き直ったように、レイに挨拶する。
「ファ、ファースト、久しぶりね」
その言葉は、何かをごまかしているような響きがあった。
「……久しぶり、弐号機パイロット」
レイには、アスカの感情など興味の範囲外であったため、そのまま淡々と応じる。無視しても良かったのだが、応じたのは、挨拶されたら挨拶を返すこと。挨拶は世の中の潤滑油である、とのユウキの言葉に従ったまでのことである。
それから、レイは何となく、シンジの部屋の扉に視線を向けた。
「あ、こ、これは、なんでもないのよ!」
したら、なぜかアスカは慌て始めた。
「別に、シンジにどうこうって言う話じゃなくて、その、あの、──そ、そうよ。私は弐号機パイロットとして、サードチルドレンのシンジに用事が──」
「……」
わたわたと言い訳を始めるアスカを、レイは不思議そうに眺めた。──と言っても、レイの感情表現は未だに乏しく、ほとんど無表情のままだったが。
「ファースト、誤解するんじゃないわよ。別に、こんな時間に部屋を訪ねるからって、私がシンジのことをどうにか思っているとか、そういうことは一切無いんだからね! そ、そう、あくまでチルドレンとしての責務についての話があるわけで──」
レイは、静かにアスカの腕の中の枕を見た。
その視線に気が付いたアスカは、慌てて枕を自分の背中に隠す。
なるほど、と、内心でレイは頷いた。どうやら、アスカは自分同様、独り寝が寂しくて、シンジの所を訪ねたのだと、判断する。
これを口にすれば、一悶着起きるところであったが、幸いなことに、レイは基本的に無口だった。沈黙を守る。
代わりに、レイが知っていることを伝える。
「……碇君は居ないわ」
実のところ、シンジはほとんど自室にいない。どころか、自室で寝たことがあるのかどうかすら疑問であり、その事は、この屋敷で暮らしている者であれば皆知っている。アスカもここで暮らしてきたが、基本的に自室に閉じこもってきたため、その辺りの事情に疎いのだ。
「え?」
まさしく疎いことを証明して、戸惑ったように、アスカがレイを見る。
それから、アスカは探るような表情になって、レイの様子をうかがう。そして、アスカはレイが自分同様に抱えている枕を発見し、敵を見るような視線になった。
「何よ、あんた、枕なんか抱えて」
「……ユウキさんの部屋に行くの」
別段、黙っていることでもないと、レイは正直に応える。そう、以前、なぜか寂しくなって寝られなかった時も、ユウキの部屋を訪ねて、一緒に寝たのだ。
アスカは、わずかに目を細め、それから、言った。
「まさか、あんた達、そういう関係なの?」
不毛な……
そんなニュアンスのアスカの言葉の響きだったが、レイは、その意味をほとんど理解しなかった。アスカが何を言っているのかという、知識がなかったのだ。実際の所も、ユウキの部屋に行って、手を握ってもらって一緒に眠っただけの話だ。ユウキに手を握ってもらう。それだけで、寂しさは消えた。どこか、子が母親を求めているような格好だ。
わずかに首をかしげるレイの様子に、自分の考えは全くの的はずれであることを悟り、どこか拍子抜けしたように、アスカは表情を改めると、それから、思い出したみたいにして、聞いた。
「そ、そう言えば、あんたシンジが部屋に居ないって言っていたけど、それじゃあ、どこにいるのか知っているの?」
「……知っているわ」
「ふ〜ん」
アスカは、素っ気なく、興味ない風を装いながら応じた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……どこにいるのか、教えなさいよ」
沈黙、その後、気が利かない奴ね、と、焦れたようにアスカが尋ねた。
「……今日は、赤城博士の部屋」
レイは、素直に答える。ローテーションではその予定。だから、今日、レイの実験その他がお休みになったのだ。レイやマヤの日には予定通りに実験その他をするくせに、自分の時には予定を変えてでも、早引けする。ずるいと思う。思うが、下手なことを口にすると首締めて殺されそうでやばいので、レイはリツコに文句を言わず、慎ましやかに沈黙を守っていた。それくらいの自己保存本能はあるのだ。
「はあ? リツコの所? どういう事よ?」
アスカは、ひどく戸惑った表情をした。何を言われたかわからないという顔。
レイには、不思議でもなんでもないことだった。何しろ、「碇君はケダモノ」なのだから。
「ちょっと、あんた知っているの? 何で、シンジがリツコの所に? いったい、何すんのよ」
「……ナニを」
「だから、何って……」
アスカは繰り返し、そこで、ようやく何かに思い当たったように、表情を変えた。
「え? ちょっと、どういう事よ! あいつ、私だけを見ているって言ったのに!」
と吠える。
レイは、首をかしげた。今更何を言っているのだろうか。そんな所だ。
「……碇君はケダモノだから」
それでも、ユウキがするように短く論評を加える。
「──くっ!」
それを受けて、アスカは表情を歪ませる。怒りに。
「あいつ〜! リツコの部屋なのね! って、リツコの部屋はどこよ! リツコ〜〜〜!」
「ひいふう、近所迷惑でございますから、少々お静かに願います……ひいふう」
と、どこからどのように現れたのか、いつの間にか執事の田茂地が現れ、手近な扉から全部を開けて確かめようとしたアスカを捕まえる。
「ちょ、あんた、放しなさいよ! 私はシンジに文句があるのよ!」
アスカは田茂地を振り払おうとして暴れるが、田茂地は難なくいなしてしまう。見るからに、役者が違った。田茂地にとって、アスカが本気で暴れても、全く問題ではない。それくらいに、両者の技量が違いすぎた。
「シンジお坊ちゃまは、現在、大事なおつとめの最中でございます……ひいふう。お話ならば、代わりに私が伺いますので、ここは一つ、お静かに……ひいふう」
「大事なおつとめって、何よ!」
「ひいふう、落ち着いてくださいませ」
「だから、放せって言うのよ!」
「まあまあ、こちらへ……ひいふう」
「この〜〜〜!」
そのまま、アスカは田茂地に連れられて退場した。
レイは、それを何となく見送った後、予定通り、ユウキの部屋を尋ねることにした。
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