#139 夜に来る
その日の夜。ユウキの部屋にレイが訪れた頃。
第三新東京市を見下ろす丘の上に、一人の男が立っていた。
男は、年齢的に言えば、老人と表現される年代だった。しかし、男には、老いを感じさせるモノは皆無だった。
まっすぐに伸びた背筋、分厚い胸板、太い腕など、極限まで鍛え上げられた肉体。それも、ボディビルダーのように、見栄えのする筋肉によるものではなく、あくまでも実戦の中で作り上げた肉体。ちょっと力を入れると、背中に鬼の顔が見えそうだ。どこをどう見ても、そこいらの壮年、そして青年の肉体を易々と凌いでいる。そして、鋭すぎるほどに鋭い眼光。昨今の無気力な若者など、男の一睨みで視線を慌てて逸らしてしまうに違いない。肉体、眼光もそうだが、何よりも内封しているエネルギー量が常人とは違いすぎた。桁外れと言っていい。
男の名前は、碇ムテキと言う。
シンジを引き取り、育てた男。そして、神戸山王会の先代会長。更には、地上最強の生物なんて呼び名もある。裏の世界で恐れられていたが現在は引退、世界中を気ままに飛び回っている。
ムテキは、鋭い眼光をわずかに和らげ、いたわるような視線になると、ぼそりと呟く。
「……ユウキ、辛い恋をしておるな」
その言葉には、全世界の裏社会で恐れられている地上最強の生物の面影はない。ただ、いとおしい孫娘を心配するような響きがあった。
「心底困った時には、儂のことを思い出すが良いぞ」
うんうんと、一人満足したように頷き、それから一転、ムテキは表情を曇らせる。
「しかし、シンジの奴は何をしておるのだ? ネルフを手中に収めたまではよいが、その後が続いておらぬではないか」
ムテキの言葉通り、碇シンジは現在、ネルフをほぼ手中に収めている。ゲンドウは変わらずネルフ総司令であるが、飾り以上の存在ではない。実際の権力その他はシンジのモノとなっている。
そこに至る過程は、なかなかみるべき所があった。
シンジが第三新東京市に来て、まだ数ヶ月。それだけで、ネルフを手中に収めたのは、素直にたいした奴だと褒めてやれる。──自分に比べればまだまだ甘いとは思うが。
しかし、そこから先がいただけない。
ネルフを手中にしたのは良い。だが、そこから、一歩も進んでいない。
天野連合と抗争を始めているが、それは局地戦、散発的な戦いにすぎず、相手をたたきつぶして支配地域を自分のモノにしようと言う気概に、決定的に欠けているように見える。実際、シンジの支配地域はここのところ、全く増えていない。下手をしたら遅刻ペンギンが襲来しそうなくらいに、停滞している。
ムテキはこれが気に入らない。しかし、これは公平な視線でみれば、碇組は善戦していると言って良いことだった。
なにしろ、碇組と天野連合では、その規模が違いすぎるのだ。正面から戦えば、潰されてしまうのは碇組に間違いない。
それに、碇組は何もしていないというわけではない。天野連合との抗争は、当たり前に続いているのだ。
第三新東京市こそ、おおむね平和の中にある。散発的な発砲事件くらいは日常的に起きているし、得体の知れない怪生物が徘徊したりしているが、第三新東京市は基本的に平和だ。
しかし、視線を第三新東京市以外に向ければ、碇組系列の組と天野連合傘下の組の間で熾烈な衝突が繰り返されている。
だが、トータルすれば全ての戦いは、相手を叩きつぶそうというモノではない。どこか、決定的な対決を先送りしている雰囲気があった。特に天野連合の方は、部下のガス抜き以上の意味合いが無いようにも見える。
それは、シンジが──ネルフがエヴァを擁する為である。
碇組躍進のきっかけになった、天野連合精鋭2000人の壊滅。その二の轍を踏まぬよう、天野連合は第三新東京市への襲撃は勿論、大規模攻勢を手控えているのだ。再び大規模な兵隊を派遣して、再度の壊滅の憂き目にあえば、さすがの天野連合もやばい。現在、天野連合はエヴァに対抗する兵器の開発を急いでいる状況だ。
シンジの、碇組の方でも、正面決戦を先送りしつつ、一撃で全てを決する隙を狙っている状況である。前述のように、両者の規模が違いすぎる。真正直に戦い続ければ、先に疲弊し、壊滅するのは間違いなく碇組の方なのだ。切り札たるエヴァも、使いどころが難しい。エヴァは確かに強く、天野連合との抗争で使えば、無敵状態である。あるが、パターン青発生、エヴァを送って殲滅、と言う必勝パターンを、何度も使えるわけでもない。一応、エヴァはネルフに所属しているモノであるから、暴力団の抗争に、何度も駆り出せるモノでもない。繰り返しの使用は、さすがにやばい。使うならば一回の使用で確実を期す必要がある。あるのだが、さすがに、その機会を容易に作り出してくれるほど、天野連合の方も甘くないのだ。
兎に角、両者共に、最終的な激突を先送りしている状況。
それが、ムテキには気に入らなかった。
機を見る?
そんな迂遠なことでどうするのか。目的があるならば、脇目もふらずに突き進むべきだ。日本政府をみてみるが良い。先送りを繰り返した結果、当初の目的が失われることはざらだ。つまり、先送りをすると、ろくな事にならないのだ。思い立ったら吉日と言う言葉もあるではないか。
敵をどうするか?
至極、簡単な話だ。敵はたたきつぶせばいい。真正面からぶつかり、叩きつぶす。それこそが正しい、漢のやり方だ。
ムテキの思考とは、概ねこんなところである。
至極単純きわまりないが、ムテキの超人的な能力によって、そのようなでたらめも可能とする。一切合切を一撃で破壊し尽くす。ムテキには、それだけの能力があるのだ。実際、先代天野ハシダテが生存していた頃ならともかく、今の天野連合であれば、ムテキ一人で叩きつぶすことも可能だろう。
シンジも、端から見ればでたらめきわまりない能力を誇っているが、それでも、ムテキに比べれば断然に弱い。相手にもならない。ムテキと正面切って戦えば、小指の先でプチンとされて終わりだろう。勿論、一人で天野連合を叩きつぶすような真似は不可能だ。
「……仕方がない。儂が出向いて、シンジのけつを叩くか?」
自分とシンジの力の差、それは承知の上で、しかし、その意味を理解せず、ムテキは焦れたように呟き、実際に行動に出ようとする。
しかし、数歩踏み出したところで、歩みを止める。
ムテキは、わずかに目を細め、第三新東京市を囲む山の一角に視線を向ける。
今日は、新月だった。第三新東京市の街明かりがあるとはいえ、周囲は暗い。しかし、ムテキの特殊な目は問題なく暗闇を見通した。
ムテキの口元に、男臭い笑みが浮かぶ。
「成る程」
楽しそうに、頷く。
「先に動いたのは、ハシダテの娘の方か。──さて、シンジよ、どう対抗する? 無様な真似をすると、ゆるさんぞ」
全くの傍観者の口調で、楽しそうにムテキは呟いた。
ムテキの視線の先、第三新東京市を囲む山の一角に、異形の存在が蹲っていた。
第三新東京市で異形の存在筆頭と言えば、使徒であろう。第5使徒の死体が長いこと曝されているせいで、ほとんど名物と化した感もある、正体不明の敵生体。最近では、使徒まんじゅうなるモノを開発販売しようかという動きもある。
だが、今回、そこに蹲っていたモノは、使徒ではなかった。
否、生物ですらない。
巨大な、金属の固まり。
それは、戦自研が次世代の主力兵器として開発した兵器、陸上巡洋艦、トライデントと呼ばれるモノだった。
そのトライデントが12機、木々に半ば身を隠し、蹲っていた。そのフォルムは、獲物を狙う肉食恐竜のようにも見えた。
「暢気なことだな。私のトライデントの接近を、易々と許すとは」
すでに勝ったような口調で、男が呟いた。男の名前は時田ジロウ。トライデントの開発責任者である。
「ふん。兄さんのトライデントがすごいんじゃないよ。ただ、ネルフが対使徒殲滅機関で、通常兵器の策敵能力で劣っていると言うだけの話だよ」
と、悦に入ったジロウに水を差すように、ジロウと同じ顔をした男が告げる。こちらは、時田サブロウと言い、ジロウとは双子──いや、五つ子の兄弟である。ちなみに、他の兄弟は陽電子自走砲を開発したゴロウ──現在碇組に協力中──や、ジェットアローン開発のシロウ──天野連合所属、現在謹慎中──が居る。長男タロウは未だ登場していない。
サブロウの言うように、ネルフは対使徒殲滅機関である。間違っても、碇組の財布として設立されたわけではない。──現状はともかく。──兎に角、そのために、ネルフの作戦行動は対使徒戦に限られるし、設備もそれに倣う。あくまでも、対使徒のための設備が優先的に建造され、そのほかのモノは後回し、あるいは、建造計画を却下される。この辺り、上位組織欧州ゼーレ組の思惑もあった。その為、使徒を感知するための策敵装置は充実しているが、逆に通常兵器策敵のための設備は、皆無ではないが非常に貧弱である。しかも、それらは第三新東京市およびその周辺に限られ、そのほかの場所に関しては、出来合いのモノ──戦自のそれに依存している格好である。
ネルフと戦自の関係は、以前に比べればずいぶんと改善されている。まず第一に、戦自内に圧倒的なカリスマを持つ退役将校である乃木マレスケがシンジ支持を表明したことがあげられる。他に、シンジらの山吹色のお菓子攻勢や、特殊なしゃぶしゃぶ屋での接待の繰り返し。そして、何度かの共同作戦を経たこと。それらによって、一時期の敵対寸前という状態からすれば、信じがたいほどに関係改善がなされている。
だから、戦自に頼ることも、問題ではない。
──はずだったが、今回、そうはうまく行かなかった。
碇組が戦自に接近しているように、天野連合もまた、戦自に接近していたのだ。しかも、歴史の積み上げでは、ポッと出の碇組など、相手にもならない。実際、戦自研は天野連合の独占状態だし、単純な親派の数を比べても、天野連合の方が多い。
今回、天野連合はそのコネを上手に使い、ネルフに気取られないままに、ここまでトライデントを送り込むことに成功していた。
説明が長くなったが、確かにサブロウの言葉通り、手柄は天野連合上層部にあり、決してトライデントの性能故ではないのだ。
「なんだと? 俺のトライデントを馬鹿にするつもりか?」
おそらく、ジロウも頭では理解しているのだろう。しかし、自分の作品に思い入れが大きくなりすぎて、公平な目を失うことは珍しいことではない。そして、実際、ジロウは公平な目を失っていた。馬鹿にするなと、サブロウに噛みつく。
「馬鹿にするも何も──」
ふん、とサブロウは笑った。
「そんなブリキの玩具で喜んでいる兄さんの気が知れないよ」
「ブ、ブリキの玩具だと?」
脳みその血管が切れそうなくらいに、頭に血を上らせるジロウ。しかし、そのままヒステリックに叫ぶことなく、一つ呼吸をして、人を小馬鹿にした表情を浮かべる。
「ふん。貴様のように、人を切り刻んでスプラッタな喜びに浸るような変態よりはましだ」
「な、なんだって」
今度は、サブロウの方が頭に血を上らせる。
ジロウの作品がトライデントなら、サブロウの方は、トライデントのパイロットの方。人、それも薬物や機械や暗示やらを利用して作り上げた強化人間である。
「僕の研究は、人類の可能性を探る、高尚なモノだ。兄さん、今の台詞を訂正しろ」
「何言ってやがる。無駄に何人死なせた? 否、何百、何千のレベルか? そんなけ切り刻めば、間違って使えるモノが出来ることもあるだろうよ」
「なにぃ──」
叫びかけ、サブロウはにやりと笑う。
「成る程、兄さんは僕の強化人間達が、「使える」って認めるわけだ。──まあ、確かに、僕の強化人間達が居なければ、トライデントはまともに動かないからね。全く、僕の強化人間達もご苦労様だよ。へっぽこな機械を苦労して運転しなくちゃならないなんて」
「トライデントは完璧だ。この美しいフォルム、重厚な存在感。どこをみても美しいだろうが!」
「まともに動かなければ、意味がないよ。──まあ、だからこそ、お姫様は僕の「鋼鉄少女」をメインとした作戦を立てたわけだけど」
「違う、メインはトライデントだ」
「いいや、僕の鋼鉄少女だね」
「あの──」
と、顔をつきあわせ、今にもつかみ合い、殴り合いを始めそうな勢いでにらみ合う二人に、一人の少女がおずおずと声をかけた。
髪型はショートカット、愛嬌のある垂れ目の、なかなか可愛らしい少女である。
「……何かな? ナンバー07」
サブロウがにこやかに応じ、ジロウの方は、ふんとばかりに顔を逸らした。
少女は、件の強化人間の一人。それも、「鋼鉄少女」とも呼ばれるサブロウの最高傑作であり、更に同時に、今回の作戦のキーパーソンである。
「そろそろ、作戦行動を開始した方が良いのではないでしょうか? ここで長居をして、もしネルフの策敵装置に捉えられるようなことになれば、これまでの隠密行動が無駄になります。先の作戦行動にも影響が出ます」
穏やかな口調で、要約すれば「おまえとっとと仕事しろ」と告げる。それから、更に脅しを一つ付け足す。
「もし失敗すれば、お二人並んでぶら下がることになると聞きましたが……」
ジロウ、サブロウはナンバー07の発言を意訳したりせずに文面通り捉え、それから、脅しの部分で慌てて背筋を伸ばす。確かに、彼らは天野ミナカに、「失敗したら吊しますわよ」と、告げられている。
「兄さん、僕たちは協力すべきだと思うんだけど」
「そうだな、サブロウ。私たちが──私のトライデントと、サブロウの強化人間が力を合わせれば、勝利することは容易になるはずだ」
「兄さん」
がっしと、手を握りあう兄弟。
美しい兄弟愛、と感動したりせず、ナンバー07は冷めた目で見つめた。
「それでは、ナンバー07、皆を集めてくれ」
ようやく兄弟で手を握りあうことに飽きたのか、サブロウが告げる。
「了解しました」
ナンバー07は敬礼して応じ、それから、付け足した。
「あの、私のことは、霧島マナと呼んでください」
「ああ、そういえば、そんな偽名が用意されていたんだったな」
と、サブロウが頷く。
名前は07をもじったモノだし、名字の方は適当に思いついたモノをつけただけという、いい加減な偽名。しかし、ナンバー07の少女──マナにとっては、それは重要な名前だった。物心付く以前から戦自研のラボで実験動物として過ごしたマナには、これまで、名前はなかった。ただ、ナンバリングされた数字だけが、彼女を示していた。いい加減きわまりない代物だとしても、マナ、と言う当たり前の人のような名前は、彼女にとって、ひどく重要なモノなのだ。
「わかったよ。これから、君のことはマナと呼称しよう。──それでは、マナ、トライデントのパイロットを集めてくれ。最終的なブリーフィングを始める」
「はい、了解です」
マナはうなずき、てんでバラバラに時間を潰していた仲間達に向かって歩き出した。
[BACK]
[INDEX]
[NEXT]