#145 お楽しみはこれからだ
第3新東京市郊外の一つの山。その斜面を、すばらしい勢いで黒い影が駆け上っていく。当たり前だが舗装されていない地面。転がった大小の石ころ、のたうつ木の根、伸び放題の草、張り出した枝、おまけに急勾配と、とてもではないが、疾走するのに向いた環境ではない。だが、影はモノともせずに駆け上がっていく。希に飛び上がり、張り出した枝に捕まって空中をショートカット、と、常人には不可能な勢いで。おまけにその影は小脇に生首のようなモノを抱えており、片腕がふさがっていた。それでもなお、数々の劣悪な条件をモノともせずに、とんでもない速度で。しかも、息を乱すこともない。尋常な存在ではなかった。
途中、影は思いついたようにして、自由な方の手で顔を隠していた目抜き帽をとりさる。
「ぷわっ」
と、開放感を表す声を呼気とともに零し、頭を振る。ショートにした栗色の髪の毛が踊り、僅かに汗が飛ぶ。
帽子の下から現れたのは、年若い少女の顔。顔立ちは十分に整っているが、綺麗とか、美少女とか言う表現はしっくりこない。愛嬌のある顔立ち。そうした表現の方がふさわしく見える。おそらく、目尻の下がった瞳が、そう言った印象を与えるのだろう。
少女の名前は、霧島マナと言う。あるいは、鋼鉄少女ナンバー07。戦自研のラボで研究開発された強化兵士の一人。
その強化が、言葉ばかりのモノでないことを示すように、マナはすばらしい勢いで斜面を駆け上る。
たまに、背後を振り返り、追っ手の有無を確かめる。
自分の速度に付いてこられる人間などはいない?
否。
過信は禁物だった。
「ケイタ、少し辛抱してよ」
マナは小脇に抱えた生首──ケイタに言葉をかけると、大きく進路を蛇行させ、さらに厳しく追っ手の有無を確認する。
第3新東京市──彼の地は化け物の巣窟だ。
トライデントを破壊し、さらにはケイタを倒した男、ギターを持った渡り鳥。
それでも、舐めていた。目だたない、ただの脇役。そう思っていたから、その活躍は蝋燭の最後の輝きだと思った。下手に脇役が出張る。すなわち、死亡フラグ、そう考えた。
なのに。
「私の攻撃を、受けた……」
信じられない。
マナは当初、背後からばれないように接近し、息の根を止めるつもりだった。
正々堂々戦う?
馬鹿らしい。
生き残ったモノが常に正しいのだ。死者は全てを失い、裸で転がる。それが、この世のことわりだ。よしんば九連宝燈を上がったとしても、直後心臓麻痺で死んでしまえば、全てを失う。課程など、どうでも良い。良い勝負だろうがなんだろうが関係ない。死ねば負けなのだ。デメトクが良い例だ。
そうでなくとも、マナの仲間たちを殺した男。容赦をする理由など存在しない。勝ち誇っているのであれば、それがぬか喜びであることを、死をもって教えてやる。
そのつもりで接近したというのに、あの男はマナに気が付いた。
野生動物並みの勘? それ以上か。
兎に角、気が付かれた。
だが、それはどうでも良いことだと思った。
気が付かれたならば、今度は正面から叩き伏せるまで。力の差を教えてやる。マナとの間に、絶望的までの力の差が存在することを、教えてやる。
そのつもりで攻撃をした。
確かに、マナの速度に戸惑っていたようだ。
マナは易々と懐に飛び込み、必殺の一撃を放つ。
かわしようがない。貰ったと思った。
なのに、ギターを持った渡り鳥は、その得物であるギターを盾のように翳し、受けて見せた。
化け物。
そう思った。
防がれるはずのない攻撃を防がれ、内心、動揺していた。
渡り鳥は、ケイタとの戦いで満身創痍と言って良い状態だった。
だから、勝てる。
──とは、マナにはもはや考えられなかった。
傷つき、息を乱し。それでも、強い光を宿した視線が、マナを睨み付た。その強い視線に、マナは気圧された。
しかし、それを表に出さず、ともかく瀕死のケイタを回収してその場を離脱した。ちょうど、ギターを持った渡り鳥を狙い、他の有象無象の渡り鳥が接近してきていることに気が付いていたから、その話題を振って、気を逸らすことに成功したのは幸いだった。
今は、ケイタを──仲間の回収を最優先にすべきだ。
他の仲間は失われた。ならば、せめてもケイタだけでも──
それは、確かにマナがあの場を立ち去った理由であり。
同時に、全ての理由ではなかった。
果たして、勝てたか。
最高の強化人間。
そう言われたところで、実戦経験に乏しい。いや、今回の戦闘が初体験なのだ。
果たして、最強と言われる渡り鳥に、勝つことが出来たか?
五分五分?
いや、もしかしたら、もっと悪いかも知れない。
確かに、自分の方が基本スペックは高いだろう。
だが、ギターを持った渡り鳥は、同じように基本スペックが高いはずのケイタを相手に勝利しているのだ。自分も、それに倣わないとも限らない。
さらに──
彼の地には、他にも化け物がいる。
三人の魔女の後継者、どんなときでも──例えば水着の上にでも白衣を着る、時田兄弟以上のマッドサイエンティストとして知られる、赤木リツコ。
にっこり笑って人を殺す自称平和主義者、スカートから何でも取り出せると評判のでたらめ娘、人間びっくり箱、加賀ユウキ。
彼によって極秘裏に始末されたモノの数は天文学的数字と言われる、元神戸山王会ゴミ処理係、田茂地。
碇ムテキの正当後継者と目され、津山組30人殺しで名を売った、碇シンジ。
そして、何より。
地上最強の生物、碇ムテキ。彼の姿を見かけたという情報もある。
ゼーレの切り札の一、灰のカジエルもいると言うが、これはとりあえず無視。
指折り数え上げ、ぞっとする。
全く、第3新東京市は化け物の巣窟だ。
──もっとも、先方に化け物がいれば、此方にも化け物がいるわけで、釣り合いが取れているのかも知れないが。
天野連合会長、天野ミナカ。彼女も、化け物だった。
マナは頬が引きつったような乾いた笑みを浮かべ、坂を駆け上る。
ラストスパート。
一気に、戦自研のスタッフが待つ、ベースキャンプを目指した。
ベースキャンプでは、あわただしく撤収の準備が進められている。
トライデントは全滅した。そのパイロットたちも、一人を残して全滅した。
もはや、ここにいる理由はなく、同時に、いつまでもぐずぐずしているのは危険でもある。
さすがに、トライデントが襲撃以前に待機していたキャンプからは場所を移しているが、いつまでも第3新東京市近くに──敵地にいるのは危険きわまりない。
すばらしい勢いでキャンプに飛び込んできたマナに、護衛の兵士が銃を向ける。
しかし、すぐにマナと悟って銃を逸らす。同時に、顔も。彼らの顔には、恐怖があった。人以上の化け物に対する嫌悪と、恐怖。
その表情を受け、マナの、文章表現と言うだけではなく小さな胸でちくりと痛むモノがあったが意識して無視し、足早にスタッフの一人に近づいていく。
「無事でよかったわ」
そのスタッフ──白衣の女性は、マナをねぎらう。
と言っても、それはマナに対しての言葉ではなく、彼女ら、戦自研時田サブロウラボの作品に対する言葉。
こうしたことを考えてしまうのは、先刻の兵士が見せた反応のせいか。
マナは表情を消して、ケイタを差し出す。
「……まさか、k12がやられるとはね」
冷めた目。失敗作に対する視線か? これまではともかく、今回敗北したことで、ケイタは失敗作の列に入った。
「まだ生きています。すぐに生命維持を」
「わかっているわ」
女性スタッフは応じ、素早くケイタの状態を確認していく。
長持ちしない、と、マナはギターを持った渡り鳥に伝えた。
それは、全くの真実だった。
首だけの状態。それは、各種生命維持装置からはずれた状態である。ただ、しばらくは脳みそをぷかぷか浮かせている薬液中の酸素や栄養で生き延びることが出来るようになっている。それだけのこと。長く保つモノではない。
「薬液をクリーニングして──兎に角、すぐに生命維持装置につなぐわ」
「お願いします」
マナは頭を下げ、それから、一つ尋ねた。
「サブロウ博士は?」
女性スタッフは、面倒くさそうに顎をしゃくって見せた。
「あっちで兄弟揃って嘆いているわ。──まあ、自信たっぷりの「作品」が、あっさりとやられてしまったから」
忌々しそうに吐き出す。
彼女自身、嘆いている。
当たり前の話。
彼女もまた、その「作品」制作に関わってきた人間なのだから。
あんなに簡単にやられてしまうなどとは、思いもしていなかったのだろう。
いや、彼女だけではなく、ここにいるスタッフ全てが、この結果を予想していなかった。
この結果を予想していたのは──
マナは一礼して、示された場所──サブロウの方へ向かう。
「待ちなさい」
その背に声がかかり、振り返ると女性スタッフが、なにやら投げてよこす。
反射的に、しかし余裕で受け止めると、それはアンプル。
「飲んでおきなさい。そろそろ、時間切れでしょう?」
頷き、マナは手の中のアンプルを見つめる。
マナを、戦自研に縛り付ける鎖の一つが、このアンプルだ。
時田サブロウらは、当たり前のように、マナたち、「作品」の反乱、逃亡を危険視していた。それを避けるため、マナらの体内に安全装置を組み込んでいた。ある種の必要物質を──普通の人間であれば当たり前に体内で製造可能な物質を、製造できないようにしたのだ。体内で製造できなければ、外部から取り込むしかない。その為に必要なモノが、このアンプル。さらに、その物質の中には、依存症、中毒症をもたらすような、ある種の麻薬も含まれている。
必要物質の欠乏が分かりやすいように──警報装置として、麻薬の禁断症状を利用しているとサブロウは言う。
だが、マナたちはそれを、欠片も信じはしなかった。これは、鎖なのだ。自分たちが逃げ出さないように。逆らわないようにする為の。
現実、サブロウに対して反抗的だったマナらの仲間が、アンプルを与えられずに放置されるという「お仕置き」が何度か行われている。早々と諦観して素直に従っていたマナだが、それでも目標とする数値目標に届かなかったとかの理由で、お仕置きを喰らったことがある。あの苦痛は、耐え難い。のたうち、嘆き、叫び──気が狂いそうなまでの苦しみ。実際、禁断症状に耐えかねて、いかれてしまった仲間もいた。
マナは身震いして、頭からよけいな考えを振り払うと、思い切るようにしてアンプルを飲み干す。
体の細胞全てに染み込んでいくような感覚。体が我知らずに震える。それは、快感だった。この快感を求めて、アンプルを欲しがる者もいる。飲んだ時の快感と、切れた時の苦痛。二つの鎖。
しばし、マナは陶酔しきった視線でその場に佇んでいた。快楽の余韻を味わう。このまま世の終わりまで、そうしていたい。
しかし。
「──」
マナは首を振り、快感を振り払う。これに溺れても、良いことはない。
こちらを、非道く馬鹿にした視線で見ている女性スタッフも気になった。
マナは努力して毅然とした態度をとると、今度こそ、サブロウのいるという場所へ向かった。
女性スタッフの言葉通り、サブロウと、そしてジロウは、悲嘆にくれていた。
「どうするんだよ、兄さん」
「どうするって、お前──」
混乱していると言っても良いだろう。益もない言葉を交わしている。
「まさか、俺のトライデントがやられちまうなんて」
「兄さんのトライデントなんて良いんだよ。それよりも僕の強化人間たちが……」
「黙れ、貴様の用意したパイロットがヘボだから、負けたんだ!」
「僕の強化人間たちは最高だよ。兄さんのトライデントが駄目駄目なんだ」
「何を──」
「なんだよ──」
にらみ合い、それから、揃って不意に表情を崩す。
「それより、どうするんだよ」
「どうしよう、僕は、吊されたくないよ」
「俺だってそうだ」
二人して、今にも泣き出しそうな表情をしている。
マナは内心でため息を零し、一つ咳払いをして見せ、二人の注意をひく。
「第一作戦は完了しました。次の段階に入ろうと思いますが?」
マナの言葉に、二人はぽかんとした表情を見せる。
「第一次?」
「次の作戦?」
どうやら、頭の働きがずいぶんと鈍っているらしい。サブロウ、ジロウは惚けたような口調で、鸚鵡返しにつぶやく。
「はい」
マナは頷き、言った。
「第一次作戦は、コンプリートサクセスと言って良いのではないでしょうか?」
「コンプリートサクセス?」
「どこがだ。虎の子のトライデントは全滅。ついでに強化兵士たちも、ほぼ全滅だろう?」
「僕の強化兵士はついでじゃないけど、確かにその通りだ!」
「このままじゃあ、俺たちは吊されちまうんだよ!」
「いやだ。僕は死にたくない」
「──吊されません」
マナは、喚く二人に向けて、ため息を堪えつつ告げる。
「え?」
二人して、間抜けな表情をマナに晒す。
「作戦は、現在順調に進行しています。──ならば、吊される道理がありません」
「しかし、トライデントは全滅」
「僕の強化兵士も──」
「それは、最初から計画に織り込み済みの事です」
歯を食いしばるようにしつつ、マナは告げる。
第3新東京市に攻め込んだトライデントの全滅。そのパイロットたちの死亡。これは、予定の犠牲なのだ。予定通りなのだ。──とはいえ、仲間たちの死。虚心ではいられないが。
「予定通り、ナンバー634が潜入に成功しています。犠牲は出ましたが──陽動は成功したのです」
二人の表情に、理解が広がり、同時に、安堵も広がっていく。
元々、マナが言うようなことなど、二人とも知っていたことだ。しかし、自身の作品に思い入れが強すぎ、その全滅に混乱したのだろう。彼らは、作戦は段階を踏む必要なく、この一撃で勝利するモノと簡単に考えていたのだから。いや、マナ自身も、味方の勝利を信じていた。自分の仲間たちが、負けることなど無いと、考えていた。
結局、正しかったのはマナたちではなく──
「──お姫様の方が正しい」
最初から、正面から突っ込んでいったのでは敗北必至と見たお姫様──天野ミナカの判断の方が正しかったのだ。
「?」
マナの苦渋に満ちたつぶやきに、サブロウが不審気な視線を向けてくる。
「いえ」
マナは首を振り、表情を改める。
「私は、これより当初の作戦計画に従い、行動を開始したいと思います。──許可を」
まだ、勝負は付いていない。
初戦は敗北した。
しかし、これは織り込み済みの敗北。予定されていた敗北。
先に一撃を食らったとしても、最後に立っていた方が勝ちなのだ。
仲間たちの死。これを無駄にしないためにも。
マナは、止まってはいられない。
視線を巡らせ、第3新東京市の方を見る。
暗闇の中、ちらちらと踊る赤いモノは、炎。
その炎を見つめ、瞳に炎を点しつつ、マナは決意する。
まだ、勝負は決まっていない。
お楽しみは、これからなのだ。
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