#146 ファイティング・○モ
少しばかり時間が戻って。
闇夜の湖面に、一艘のボートが浮かんでいた。
ここは芦ノ湖。ボートは、そこで貸し出されているモノ。昼日中であれば、カップルなどが利用している。
その貸しボート屋もこの時間ともなれば当たり前に営業時間外である。
しかし、そんなことは、現在ボートを利用している男にとっては、どうでもいいことだった。
男は、加持リョウジ。ゼーレのトップエージェントである彼──灰のカジエルにしてみれば、営業時間外で無人の貸しボート屋からボートを盗み出すくらいは朝飯前である。赤子の腕をひねるように簡単なこと。
加持は、自前で用意してきた碇替わりのおもりを湖面に投げ込み、その場にボートを止めると、素早く装備の確認を始めた。
黒いビキニパンツの水着は、水の抵抗を減らすための鮫皮使用。わさびだっておろせてしまう手触りだ。背中には酸素ボンベ。ウェイトの重さを確かめ、水中めがねをかける。さらには水中銃を持ち上げる。
完璧だ。
加持は装備の確認を終えると、大きく息を吸い込み、それからマウスピースをくわえた。
「葛城……」
小さくつぶやき、加持はそのまま、暗い湖面に体を投げ出した。
葛城ミサトを──あのでっかい乳を捜す。
加持の捜索は、そろそろ佳境を迎えようとしていた。探すべき場所は、おおかた、探し尽くしかけてきていた。
今回は芦ノ湖の探索。
もはや最終段階に入ったと言ってもいい。
これまで、加持は必死で葛城ミサトの探索をしてきた。ゼーレのトップエージェント、灰のカジエルの全力を尽くし、探し続けてきた。
しかし、未だにミサトの行方はようとして知れない。
これまで探索した場所で見落としたとは、もはや考えられない。
だから加持は、これまで、視線をそらし続けてきた場所の探索を、ついに──ついに始めることにした。
視線をそらし続けてきた場所。それは、すなわち最悪の場所。
芦ノ湖の底。あるいは、泡のお風呂の底。
絶対に許容できない場所。
だが、葛城ミサトはそこにいるとしか考えられない。
「葛城……シュコー」
芦ノ湖の水中を進む加持は、つぶやきと共に息を吐き出す。つぶやきは気泡となって、湖面を目指して浮き上がっていく。
逆に加持の方は、水中を──湖底を目指した。
水中は暗い。今は夜なのだから当たり前だ。さらに、湖水の汚染がまた、水の透明度を下げ、視界を狭くする。ほんの一メートル先も見えない、闇。
しかし、加持は問題なく周囲の様子を理解していた。
灰のカジエル。伊達ではないのだ。
それでも、周囲を圧倒的な闇に包まれた心細さからか、つぶやきが増える。
「え〜、私は今……シュコー……芦ノ湖の中にきています……シュコー。水温は……シュコー……問題になるほど、冷たくはありません……シュコー」
まるで、何かの番組のリポーターのように現状を報告──つぶやきながら、さらに潜る。
すると、湖底が「見え」てきた。実際の目で「見て」いるわけではないが、加持は正確に、湖底のでこぼこや障害物、厚く積もったヘドロなどの様子を知ることができた。
「汚いな……シュコー」
水中めがねの中で顔をしかめる。
環境汚染は、芦ノ湖を例外にしてくれなかった。だいたい、近くに第三東京市と言う大都市が存在するのだ。汚染は当たり前の話。心ない観光客の捨てるゴミはもちろん、生活排水やら何やらで、ずいぶんと水質は汚染されている。よくよく観察すれば、車やらなにやら、様々なモノがヘドロに埋もれるようにして、湖底に鎮座している。
「葛城……シュコー」
なぜ、自分はここまでして葛城ミサトを捜しているのか。ここで発見すると言うことは、すでにミサトは死亡していると言うこと。死んでしまっていれば、あの豊満な胸も、見る影もなくなっているに決まっている。やはり胸は大きく、そして生きている女性のモノであるべきだ。死体愛好の趣味のない加持にしてみれば、死んでしまったミサトの胸は、守備範囲外になる。だいたい、水死体となれば魚に食い荒らされてろくでもないことになっていると相場が決まっている。スパイとしていろいろな死体を見、経験豊富な加持であるが、わざわざ求めて見たいモノでもない。
萎えそうになる気持ちを、加持は奮い起こす。
それでも、探す。
ほとんど、それは執念だった。
死体ならば死体でいい。
とにかく、ミサトを見つける。
そうしなければ、自分は、ここから一歩も先に進めない。
最悪、死体が見つかったとしても、それはそれでいい。──あんまり良くはないが。
それでも、そこで一つの区切りがつくことになるだろう。
無理矢理良い風に考えれば、それで、より、碇シンジに対抗する──邪魔をする意欲も湧き出ようというモノだ。
このまま、ミサトに対する未練を多分に残した中途半端な状態を続けるよりは、余程良い。そう、自分は何か、思い切るきっかけを求めているのかも知れない。
加持は心を決めると、表情を引き締めて、近くに見えた車に向かう。
こんなところに沈んでいる車など、そうした目的で使われたとしか考えられない。
割れた窓から、中をのぞく。
どうやら、良い魚礁になっていたらしい。中から魚が飛び出してくる。
「……シュコー」
大きく息を吐く。
車の中には、想像通りのモノ──死体が存在した。
すでに白骨化しているが一目で知れた。これはミサトではない。女性ではないのだから、確実だ。
骨盤の形から見極め、加持は安堵の息をこぼす。
「いやはや……シュコー」
加持は、視線を巡らせ、困ったように、あきれたように肩をすくめて首を振る。
周囲には、様々なモノがある。ほとんどはヘドロに埋もれている。自転車、バスの停留所の看板、壊れたテレビ、鶏の唐揚げの白いおじいさんの人形、エトセトラ、エトセトラ。──そして、もっとも数の多いモノは、ドラム缶。そのドラム缶のほとんどは、重しにコンクリが詰められ、そのコンクリに半ば埋もれたり、足だけ埋もれたりした死体、死体、死体。
ここにあるモノは、碇組の粛正の歴史だろうか?
いや。
と、加持は首を振る。
碇シンジがここ、第三東京市にやってきて、まだ一年もたっていない。見たところ、それ以上に古そうな代物も山ほどに存在する。
「あるいは、ゲヒルン時代の……シュコー」
加持は、うんざりしたように再度首を振る。
「親子二代にわたる粛正の歴史か?……シュコー」
ろくなモノではない。
自分の経歴を棚上げして、加持は顔をしかめる。
同時に、その死体の多さから、ミサトの捜索が思った以上に難航、時間がかかりそうなことに頭をやり、ため息をこぼす。
やっぱり、やめておけばよかった。
そんな考えが脳裏をかすめるがシュコーと共に体外へ吐き出し、加持は一つ一つ死体を確かめようとして、愕然とした。
死体の多くは白骨化している。
これでは、胸のあるなしなど関係なくなってしまっているではないか!
ミサトを見分ける最大のモノが失われていることに、加持はここにきてようやく気がついた。最初から気がついていて良さそうなモノであるが、どうやら、ミサトを捜すと言うことばかりに考えが向かい、その方法その他はすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていたらしい。これでは、プロのスパイとしては失格だ。
今の自分がいかに失調しているか。
加持は、それを思い知らされた。
今の自分に欠けているモノ。それは──
「とにかくミサトを一刻でも早く見つけて、冷静にならないとまずいな……シュコー」
もちろん、でっかい乳だ。でかい乳の姉ちゃんだ。それがなくて、何が人生か。
加持は開き直ったような思考をまとめると、近くのドラム缶に向かった。
大丈夫だ、自分ならば、たとえ白骨化していても、生前の胸のあるなしを見分けることができる。できるはずだ。
でかいおっぱい好きのプライドにかけて、見分けてみせる。
加持は自分を鼓舞すると、近くのドラム缶に向かう。
と、そこで。
不意に、背中に寒気を覚えた。
「何だ……シュコー」
あわてて振り返り、背後の様子を探る。
視界を満たすモノは、闇。一面の闇。
その闇の中に──
「いるな……シュコー」
何かが、いる。
何かが、自分の様子をうかがっている。
いや、と、加持は首を振った。
伺うなどと言う、かわいらしい視線ではない。
これは──自分を、狙っているのだ。
加持は、用意してきた水中銃を構える。が、何とも心細い気分になった。果たして、これが通用するのか? ここは地獄の一丁目、第三東京市だ。あの、ゲヒルンの三博士の残した怪物が、そこいら中にうようよとひしめいている場所なのだ。いくら、ゼーレの切り札たる灰のカジエルといえども、油断できる場所ではないのだ。
油断を戒めるためにも、加持は、かつて、ミサトの部屋で襲いかかってきた怪物のことを思い出した。
あのとき、使用可能な能力が制限されていたとはいえ、加持は敗北した。これ以上なく。完膚無きまでに。
そして、今回も条件はさほど変わらない。切り札ともいえるATフィールドを使うことは、酷く危険な賭になるだろう。
いや。
と、加持は首を振る。
もはや、なりふりを構っていられない。たとえそれがどれほど危険なことであろうとも、全力を持って対抗する。前回、敗北した自分の命があったことは、僥倖だったのだ。今回も助かるとは限らない。まずは目の前の敵を排除する。排除できなければ、次の敵に備えていても無駄だ。僥倖が二度三度続くと考えるほど、脳天気ではいられない。
その決意を待ってくれていたかのように。
闇の中から、弾丸のように何かが飛び出してきた。
「うお……シュコー」
驚き、あっけにとられるほどの速度。
それでも加持は反応し、水中銃を向けて引き金を引いた。
発射された銛は一直線に走り、その「何か」に向かう。
命中。
内心で快哉を叫びかけるが、それは錯覚で、「何か」はきわどくさけると、加持をかすめて通り抜ける。
一拍遅れて水中衝撃波が加持の体をどやしつけ、その場からはじき飛ばす。
もんどり打ち、上下左右が激しく入れ替わって混乱するも、手足を精一杯に使って何とか体勢を整え、加持は周囲を探る。
水中衝撃波は加持の体のほかに、湖底のヘドロも盛大に巻き上げていた。ただでさえ閉ざされていた視界が、ますます酷いことになる。一寸先は闇。その実例のような、最悪の視界。
だが、加持には全く問題ではなかった。
「見える……シュコー……俺にも、敵が見える……シュコー」
元々、加持は目には頼っていなかったのだ。
種かブリーフがはじけそうなことを口にしながら、体をねじ曲げて、あらぬ方向に水中銃を向ける。
ちょうど、そちらの方向から、くだんの「何か」が飛び出してきていた。
「──カクレクマノミ?……シュコー」
「何か」。それは蛍光色のオレンジに、白の縞をもつ魚。
「○モ?……シュコー 戦っているからファイティング・○モ?……シュコー」
言って、加持はあわてて口を押さえた。
本当はファインディングであるが、それはともかく。何しろそのオリジナルのメーカーは酷く著作権にうるさく、いろいろと不味いのだ。たとえ、ジャングル○帝やナ○ィアをリメイクしてオリジナルと称するような、おいおい、著作権とはなんぞや?、と言うような真似をしているとしても、逆に、無許可で自分の所のキャラクターが使われることを、絶対に許さないのだ。それも、黒丸三つ並べただけでも訴えられそうな勢いなのだから、とんでもない。……ところで件のタイトルであるが、カタカナに弱い人間は、まじめにそう読み間違えると思う。実際、読み間違えた。さらわれても、誘拐犯と戦って自由を勝ち取るのだな、と勝手にストーリーを想像して納得していた。見ていないし見る気もないから実際のストーリーは知らんけど。
それはともかく。
よけいなことを考えていたせいで、射撃のチャンスを逃した加持は、あわててその場から避ける。
再び、弾丸のような勢いで「何か」、カクレクマノミは加持の脇をかすめて通り過ぎる。
「くっ……シュコー」
またもや水中衝撃波に突き飛ばされる加持。巻き上げられたヘドロにもみくちゃにされつつも、何とか体勢を取り戻す。
「なんで、カクレクマノミがこんな所に……シュコー」
いくら日本が年中夏とはいえ、生息域が異なる。と言うより、淡水魚ですらなかったはずだ。
しかし、つぶやいて直後、加持は答えに思い当たる。
何しろ、ここにはゲヒルンが──ゲヒルンの三博士が存在した場所なのだ。何がいても不思議ではない。
「しかし、洒落にならん……シュコー」
このままでは、酷く不味い。
考えるまでもなく、向こうは水中が自分の場所であり、こちらはそうではないのだ。どうしたって、行動の不自由さはこちらが勝る。
「できれば、ATフィールドは使いたくないが……シュコー」
さすがに、エヴァが出てきたら洒落にならない。
先刻の決心はともかく、実際にとなると踏ん切りがつかず、悩む加持。
その足が、いきなり引っ張られる。とてつもない力で、深みに引きずり込まれていく。
「何?……シュコー」
見ると、加持の足には、白い触手のようなモノが巻き付いていた。
見る間に触手は数を増やし、さらに加持を戒めていく。
「何だ、これは……シュコー」
必死でもがきつつ、加持は触手の根本を探り、その正体を知る。
「イソギンチャク?……シュコー。──そうか、カクレクマノミはイソギンチャクと共生関係に……シュコー」
触手の根元が、大きく口を開けた。
「──!、シュコー」
そちらを見、加持は絶句し、盛大に気泡を吹き上げた。
触手の根元、そこには、びっしりと細かな歯を並べた口が存在した。
これは、尋常な生き物ではない。やはり、ゲヒルンの三博士の作品に違いない。
加持は確信する。
同時に、すべての躊躇いが消え失せた。
「この!……シュコー」
声と共に、朱金の光が加持の体から迸る。
その光にふれた触手は、すっぱりと断ち切られて行く。
ATフィールド。
人と使徒のハイブリッド。灰のカジエル。だてに、エルと付いていないのだ。
ATフィールドは、その向こう側とこちら側をくっきりと分けた。それは、これ以上なく鋭い刃となる。さらに、ATフィールドは刃と化して伸び、触手の根元──イソギンチャクの本体を切り刻む。触手はうごめくが、本体は水底に張り付いていて動かない。容易に切り刻むことが可能だった。
ヘドロとイソギンチャクの体液らしきモノが盛大に跳ね上がり、周囲を染めていく。
視界は、完全にゼロに。
だが、加持はその接近に気が付いていた。
ATフィールドが光度を増して、加持の前面に展開される。
その壁に、突進してきたカクレクマノミが衝突した。
「──くっ……シュコー」
カクレクマノミ自体は、ATフィールドがはじき返した。
しかし、その動きに一拍遅れてきた衝撃波はATフィールドをすり抜けて、加持を突き飛ばす。
万能の障壁に見えるATフィールドだが、水や空気は結構簡単に通り抜けさせたりするのだ。第6使徒が、波をかき分けて進んだように。
突き飛ばされた加持。
そこへ、さらにカクレクマノミが迫る。
不自由な体勢のまま、しかしATフィールドを展開する。
だが、学習したのか、今度はそのままATフィールドに突っ込むことなく避け、加持の脇をすり抜けていく。
「この……シュコー」
遅れてやってくる衝撃波。加持は何度目か、突き飛ばされて水中に舞う。
カクレクマノミは、直接攻撃を避け、加持が動かなくなるまで衝撃波で突き飛ばし続けるつもりのようだ。実際、頭がくらくらしてきた。
「させるか!……シュコー」
加持は吠えると、口からマウスピースを吐き出すと、大きく口を開けた。
「これで、終わりだ。──がっちん!」
そして、叫ぶ。
加持の叫びは、水を思い切り振動させた。
がっちん漁という魚取りの方法がある。下に魚の居そうな石に、石を思いきりぶつけて衝撃を与え、気絶させて捕らえると言う漁法。
加持は岩を必要とせず、それに匹敵する衝撃波を周囲一帯にまき散らしたのだ。
ヘドロが巻きあがり、水が渦巻く。その中を、オレンジ色のモノがぽっかりと浮かび上がっていくのが見えたような気がした。
それでも、加持はしばらく用心深く周囲を伺っていたが、もはや、襲いかかってくるモノは存在しなかった。
「ふっ……シュコー」
再びマウスピースを加え、勝ち誇る加持。
そこへ、盛大な衝撃が襲いかかってきた。
「なに〜〜〜!……シュコー」
今度のモノは、先刻のカクレクマノミのモノなど比較にならない規模のモノだった。
こらえることもできずに、盛大に加持の体は突き飛ばされ、もみくちゃにされる。まるで、シェーカーの中に放り込まれてカクテルの材料にされているような気分。
そんな中で加持は、何か、鋼の巨大なモノが湖底に沈んでいくのを見たような気がした。
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