#147 罪と罰

 ネルフ本部。その一室に、シンジ、ユウキ、リツコ、マヤと言った代表的なメンバーが集まっていた。
 そのメンツの作る輪の中央で、日向が悄然とした表情でうなだれ、正座をさせられていた。
「──全く、どうしてこんなに反撃が遅れるんですか?」
 日向の正面にはユウキ。腕を胸の前で組み、苦い表情で、日向を見下ろしている。
「日向さんが躊躇をしている間に、どれだけ被害がかさんだか、理解していますか?」
 トライデントの襲撃に対する、ネルフの反撃は遅れに遅れた。青葉の獅子奮迅のがんばりがなければ、第三東京市は更地にされていたかも知れない。それほどの遅れっぷりだ。それも、そのときの発令所における責任者であった日向の躊躇に原因が求められる。
 対使徒殲滅期間であるネルフ。トライデントは使徒ではない。だから、ネルフは手を出して良いのか? 手を出す資格がないのではないか? 下手に手を出すと、自分の責任問題に発展するのではないのか? それは、酷く不味い。
 そのように、日向は反撃命令を躊躇い、結果、青葉によって戦端が開かれ、手を出す云々を問題にする時期を大幅に過ぎてからようやく、兵装ビルによる攻撃を開始している。
 それまでに、兵装ビルを始めとする多くの施設が破壊された。第5使徒戦における破壊から、せっかくの復旧がなりかけたところで、再びの壊滅的な大破壊。全てが台無しである。何でも、工事を一手に引き受けていた埴輪土木の社長が、これまでのがんばりが無になったことに絶望して、大きな悲鳴を上げたとも伝え聞く。仕事が増えると喜ぶ以前に、そんな悲鳴が上がる。一刻も早い復旧のため、それだけの超人的な努力を部下に強いてきたのだ。その努力が実を結ぶ寸前、あっさりと無になる。悲鳴も上がろうというモノである。
「すみません」
 ますます頭を下げてうなだれ、日向が謝罪する。
 しかし、ユウキはいっこうに感銘を受けた風でもなかった。
「日向さんには、太古より伝わる言葉を贈りましょう。──曰く、『謝って済んだら警察はいらない』。もちろん、やくざ屋さんだってゆるしません。この世の真理です」
「す、すみません」
 やくざやさんと聞いて、日向は体を縮こめるようにして再び、大あわてで謝罪する。何しろ、目の前にその職業の人間がいるのだ。額を床にこすりつけるようにして土下座をする。
 やっぱり、ユウキは感銘を受けなかった。かわりにため息を一つ。
「良いですか?」
 僅かに身をかがめ、指を一本立てて、日向に言い聞かせるようにする。
 ユウキの顔はいつものようににこにこと柔らかな笑みを浮かべている。しかし、日向は欠片も安堵したりは出来なかった。ユウキが笑いながらでも人を殺せることは、これまでに承知している。日向は直接その現場に居合わせたことはないが、噂という形──それも非常に信憑性の強い──で伝わってきている。それに何よりも。──目が笑っていない。
「殴られたら、何も考えずに殴り返せとまでは言いませんよ。それは頭の弱い下っ端の反応ですからね。上で指示を出す者には、脊髄反射ではなく、もう少し慎重な対応を求めたいですし。──ですが、もう少し素早い状況判断を。そして、状況を判断したら、一刻も早い決断を。右の頬を殴られて左の頬を差し出すのは、世の中を知らない阿呆か、日本の外務省のすることです。譲歩したところで、相手はその分だけ、それ以上に踏み込んでくることを、全く理解していないとしか思えません。世の中、なめられても良い事なんて、何もないんです」
 しゃべっているうちに、ユウキの声が高まってくる。興奮してきたようである。いくらユウキが見た目穏やかに見えようとも、その本質は、やられたらやり返すという、やくざものの習性から、大きくは外れていないのだ。
「「馬鹿と言うほうが馬鹿」とは、良く聞きますが、馬鹿に馬鹿ってきちんと言ってやらないことには、相手はどこまでも馬鹿なままです。よけいにつけあがることは目に見えています。竹島は日本の領土であると、きちんと主張しないばっかりに、相手はますます調子に乗る。拉致問題解決のために、両国民の感情的な対立を招くようなマネは避けたい? 阿呆か、と。やるべき事をやるべき時にやらないと言うことは、相手に既成事実を与えるようなモノだと──」
「ユウキ」
 シンジの声に、ユウキはこほんと咳払いをして、脱線をごまかす。
「……まあ、それはともかく」
 落ち着きを取り戻したユウキは、日向を見下ろし、言っても無駄だろうなあ、と内心でつぶやいていた。外務省もそうだが、目の前の日向も。
 日向に、自身の責任を伴う、迅速な判断を期待するのが間違いだと、ユウキの理性が告げていた。否、これは日向だけではなく、ネルフ本部スタッフの多くに共通して抱いている感想である。無能と言うことではない。能力的には、優れた人材が多いことは、素直にユウキも認めている。ただ、彼らは、上からの命令にだくだくと従って行動することに慣れている。慣れきってしまっているのだ。自分の責任で、自分の判断で行動する。そういったことが、すこぶる付きに苦手な人材ばかりがそろっているのだ。独断専行タイプなど、ネルフ本部にほとんど見かけない。せいぜいアスカくらいで、これは現在こそ本部所属とはいえ、出自をたどればドイツ支部産である。本部の純血ではない。
 この傾向は、ゲンドウの嗜好に理由を求められる。
 ゲンドウは、配下のものの自由意志など、必要と考えていないのだ。
 命令にただただ従う人形。それこそが、ゲンドウの求める理想の部下で、その筆頭がかつての綾波レイである。
 組織の有り様を決めるのは、やはりトップである。
 自身の判断で行動する人間は除かれ、上の命令に従う者のみが残された。
 それがゲンドウの支配したネルフ本部。
 現在でこそトップの座を滑り落ちているゲンドウであるが、その影響は未だに根強い。
 ユウキはそれを嫌い、改めようとはしている。だが、それは遅々として進んでいない。
 元々、ゲンドウ好みの資質を持った人材ばかりである。訓戒程度で容易に改められるモノでもないのだ。
 ユウキは小さくため息をこぼす。
 だからと言って、今のスタッフを切り捨てる余裕も、ユウキ好みの人材を新たに雇い入れている余裕もないのが現状である。
 特に、日向の場合、独自の判断を求めるのは無駄かも知れないが、それでも、補佐としては出来物だ。特に事務仕事関係の、書類の整理などには非常に高い能力を有しており、かつての作戦部長、葛城ミサトの仕事が破綻しなかったのは、全て日向のがんばりによる。現在も、何かと忙しい作戦部長代理補佐心得見習い(仮)のユウキに成り代わって、多くの書類仕事を片づけてもらっている。
 切り捨てれば、早晩仕事が滞る。破綻するといっても良いかも知れない。
 だから、容易には切り捨てられない。
 だが、信賞必罰は組織に必要なことである。偏った寵は問題になる。
「──で、シンちゃん、日向さんの処分はどうしましょうか?」
 びくりと体を震わせる日向を視線の済みに捕らえつつ、ユウキはシンジに水を向ける。
「う〜ん、どうしようか?」
 シンジが首をかしげ、ユウキを見返す。
「指をとばすのは、キーボードを叩くのに支障が出るでしょうし……」
 この発言に日向が顔を真っ青にするのに暗い喜びを感じつつ、ユウキは頬に指を当て、視線を宙にとばす。ユウキが良く見せる、考え中のポーズだ。
「そうですね。三ヶ月ほどの特殊浴場への立ち入り禁止処分など、すてきに妥当だと思いますけど」
 日向は、指をとばす云々以上に、顔色を変えた。
「ユ、ユウキちゃん、それは……それだけは……」
 この世の終わりとばかりに、表情をゆがめる。日向への罰としては、それが非常に効果的で、最高に重い罰となる。日向は自分でそう表明していた。
 もし、そうなってしまったら生きている甲斐がない。
 そんな絶望的な表情で、日向は目を血走らせ、必死な、どこか悪鬼じみた表情で、ユウキの方ににじり寄る。
「ユウキちゃん、お願いします。それだけは、それだけは勘弁してください」
 うっ、と、さすがのユウキもその様におびえの表情を見せ、慌て気味にシンジの背後に隠れる。
 それほど、日向は必死だった。
「……無様ね」
「……不潔」
 技術部師弟の心底あきれたようなつぶやきも、日向の耳には届かなかったようだ。
「頼みます。お願いします。これ、この通り!」
 日向は額を床にこすりつけて、懇願する。
「寄らないでください」
「お願いします。そのほかのことだったら、何でも甘んじて受けます。だから──」
「まあ、ユウキの提案も妥当かな?」
 ぼそりと、シンジがつぶやく。
 その瞬間、日向の体から力が抜けた。どこか白っぽくなって、その場に呆然とたたずむ。口から半ば魂がこぼれ落ちたようなうつろな表情。絶望と題を付けて、額縁に飾りたいほどの絶望の表情。
「……無様ね」
「……不潔」
 再びの技術部師弟の呟き。
 シンジは二人の息のあった様に苦笑すると、言った。
「でもまあ、結果的に敵を撃退することには成功したわけだし」
 え?、と日向が顔を上げ、すがるような視線をシンジに向ける。
 もしかしたら、救われるのだろうか? 救ってほしい。そんな、すがるような期待の表情。
「功罪を相殺して不問──にするには、罪の方が大きいかな? でもまあ、罪一等を減じて、一ヶ月間、残業分の賃金カット、こんなところでどうかな?」
 その道、日向が特殊浴場に落とした金の大半は、シンジの懐に入るのだ。そして、日向は最高のお得意様である。だから、禁じるよりも、放っておいた方がメリットが大きい。ユウキももともと、脅し以上のつもりの発言ではないのだ。
 さらに言えば、日向の残業時間はとんでもないことになっている。基本給よりそちらの方が大きいくらいに、連日連夜、残業をしている。その分の給金カットは、非常に大きい。それでも感謝されるのだから、シンジとしては全く問題がない。
「シ、シンジ君」
 案の定、日向は表情を輝かせ、涙をこぼし、心の底からシンジを感謝していた。
「ありがとう、ありがとう、シンジ君。僕は、この恩を一生忘れない。シンジ君に一生ついて行くよ」
 涙や鼻で顔をぐしゃぐしゃにしてにじり寄る日向。
「ま、まあ、落ち着いてください」
 さすがにこれは、シンジも不気味で気持ちが悪いらしく、腰が引けた格好で慌て気味に対応する。
 とにかく、日向はシンジに心の底から感謝し、忠誠タイプが一段階アップした。キャラクリの星が一個付いた格好だ。
「ねえ、先輩」
 それを見ていたマヤが、首をかしげながら、リツコに小声で話しかけた。
「日向さんは思い切り感謝しているみたいですけど、これって、シンジ君とユウキちゃんお得意の、飴と鞭、責め役と宥め役なんじゃないですか?」
「あれを飴というならね」
 リツコは答えて、ため息をこぼした。
「無様ね」
「無様ですね」
 師弟は顔を見合わせて、頷きあった。

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