#151 フルメタル・パニック
霧島マナは、自身でも拍子抜けするほどあっさりと、第一中学校への侵入を成功させていた。
転校生のデフォルトと、わざわざコンビニによって食パンを購入、そいつを口にくわえて「遅刻遅刻〜」等と叫びながら、曲がり角毎に全力疾走したというのに、碇シンジとの接触はならなかった。
それで、マナががっかりしたかというと、そうではない。逆に、安堵していた。
自らの貞操の危機に直結するケダモノとの遭遇。
そんなものは、ない方がありがたい。
最終的には、絶対に碇シンジと接触しなければならないわけだが、その辺りには気が付かない振りをした。出来れば一生気が付かない振りをしていたい。だが、残念なことに、マナはシンジの所属するクラスへ編入させられるのだから、安堵していられるのも、ほんの僅かな時間でしかなかった。
マナはそのまま第一中学校職員室でちょっとした書類手続きを済ませ、担任となる老教師に軽く諸注意を受けると、朝のHR開始の時間にあわせて教室に向かう。
「確かに、転校して心細いかも知れませんが、そんなに心配することはないですよ。私のクラスはよい子ばかりですからね」
と、老教師がおっとりとした声で、マナを元気づけようとしてくれる。
「は、はい」
発言内容には頷けない部分もあった。
よい子? 碇シンジ、あのケダモノが?
しかし、教師の心遣いはわかる。だからその心遣いを無にする訳にはいかないと、マナは素直に頷いた。
が、心配することだけは止めようがない。心臓の鼓動は高まり、心配しまくりである。
ここは、第三東京市。敵地中の敵地。何しろ、碇組の本拠が所在する町なのだ。
第一中学校。その敵地の中にある、やっぱり敵地中の敵地。
その第一中学校においてマナの配属されるのは、ネルフの秘匿コード707、同時に碇シンジが所属するクラス。
思わずめまいがしそうなくらいに、やばい場所である。
いくら老教師に力づけられたとしても、安堵などしようもない。
具合が悪くなりました──とでも言って、保健室に逃げようか?
そんなことも考えるが、二つの理由で却下する。
一つは、そうしても意味がないと言うこと。いや、有害である。マナにこの命令を下した天野ミナカは、さほど気が長いわけではない。任務達成のための行動を先送りしていることがばれれば、間違いなく吊される。
二つは、保健室にはベッドがあると言うこと。碇シンジに、襲ってくださいと言っているようなモノだ。そんな場所では、おちおち休めない。
でも、逃げたい。
「さあ、つきましたよ」
老教師の声がする。
胃が痛くなりそうな二律背反、アンビバレンツな葛藤に頭を悩ませているうちに、マナはコード707の前に到着していたらしい。
そんな、心の準備が──
と、声を出す前に、老教師は何の躊躇いもなく、教室の扉に手をかけていた。
そこで、マナは気付く。
扉が不自然に、僅かに開いている。
半ドア!
そこに、何を見るか。
勿論、トラップの存在だ。
たとえば、車の扉が半ドアで放置されていたら、そこに爆弾の存在を疑うのは常識中の常識だ。
戦自研育ち──とは言え、それでもやはり、戦略自衛隊の兵士には違いない。軍人として、兵士としての教育は一通り受けているマナである。
学校に爆弾はそぐわないかも知れない。
しかし、学校には学校特有のトラップが存在すると聞いた。
たとえば、扉の上に黒板消しを挟んだり、豚の血をいっぱいに入れたバケツをしかけたりするたぐいのトラップの噂を聞いている。
真っ白になるか真っ赤になるかの違いはあるが、どちらも心に一生ぬぐいようのないダメージを与える、悪辣なトラップ。
ここは敵地なのだ。
マナは、改めて心に刻む。僅かな油断が、死を招く。そのことを改めて感じた。
しかし、老教師は何の躊躇いもなく、扉にかけた手に力を入れようとしている。
「教官殿の、危険であります!」
と警告する余裕はなかった。
駄目だ。
老教師のことはあきらめる。
ここは、自分だけでも助かるように行動すべきだ。
マナはあっさりと老教師を見捨て、大きくその場から飛んで床に伏せた。
「……どうしましたか?」
床に身を投げ出したマナ。そのおしりの方から、老教師の不思議そうな声が聞こえてきた。
振り返ってみれば、扉を開けた老教師が、首をかしげてマナの方を見ている。
──どうやら、トラップはなかったらしい。
安堵し、しかし自分の行動は間違っていなかったと判断する。
こうした用心が、いざという時に自分の命を救うのだ。何しろ──繰り返すがここは敵地なのだから。
「いえ、少々立ちくらみを……」
適当なことを言ってごまかし、めくれてしまっていたスカートの裾を直しながら立ち上がる。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫であります」
「そうですか」
老教師は、言葉をあっさりと信じた様子である。
ぐだぐだと言い訳をしなければならないよりは、その方がありがたい。
そう思ったマナに、老教師は首をかしげながら言った。
「それならそれでよいのですが──私は、女の子が腰を冷やすのは、あまり感心しませんね」
「はい?」
首をかしげ、それからマナは、今日の自分のはいている下着を思い出して、耳まで真っ赤になった。
老教師は、マナが顔の赤面を治めるまで待ってはくれなかった。
そのままあっさりと、教室の中に入り、マナを促す。
マナは一つ深呼吸をして、後に続く。
顔が暑い。
しかし、一歩教室に足を踏み入れた途端、そんなことは忘れた。
自分に向けられてくる多くの視線。その圧力に、一気にマナの心は冷えた。
いや、視線だけではない。大きなどよめきもあがっている。
これはいったい何なのか。
戸惑い、しかし、それを表に出さないように努力する。
しかし、本当にいったい何なのか。
向けられてくる視線は、深甚な飢えを宿し、なんだか奇妙にぎらぎらとしていて身の危険すら感じる。中には、「凄い凄い凄すぎる〜」と絶叫している男子生徒もいて、室内は騒然、マナはますます恐怖を感じた。
ケダモノのいるクラスに所属する人間は、やはりケダモノと言うことだろうか?
あるいは、ケダモノという奴は、ある種の疫病のように感染するのだろうか?
マナはぞっとしたモノを感じながら、教室内に視線を巡らし、碇シンジの姿を探す。
怖がっていてばかりでは仕方がない。何よりも果たされた使命の達成のために努力するべきだ。努力をせねばならない。
否、努力だけでは駄目だ。
マナをここに送り込むために倒れた仲間の死を無にしないためにも、絶対にこの作戦を成功させねばならない。
その為には、恐怖に怯えたり、躊躇している事など許されないのだ。
悲壮な決意をして教室をぐるりと見回すと。
──いた。
写真で確認したとおりの、中世的な容貌の男の子。見た目だけならば、人畜無害と見える少年。
だが、騙されてはいけない。
あの顔で人を安心させつつ近づき、騙してこまして弄ぶ、女性の大敵、地上最低のケダモノなのだ。きっと、あの人畜無害の顔の下で、ろくでもないことを考えているに違いないのだから。
かなり思いこみの入った結論を下すマナ。
その視線の先の碇シンジは、がっくりと顔を机に伏せた隣の女の子に声をかけていた。
「……なんと言うか、酷く人を馬鹿にしているような気がしますねえ」
がっくりと机に伏せ、ユウキは力の抜けた声で呟いた。
「何が?」
と、そのユウキの様子を不審に思ったらしいシンジが声をかけてくる。
「多分、あの娘が夕べ話していた、トライデントを使いつぶして潜入させたモノ……の一つですよ」
「え?」
っとシンジは改めて転校生の少女を観察する。
容姿は合格、只ちょっと胸が薄いけどその辺りは将来に期待。十分、店の売れっ子になってくれそうだ。
人畜無害の顔の下で先刻すませた評価をとりあえず脳みその片隅にうっちゃり、改めて違った視線で少女を観察する。
そして、結論を出す。
容姿は合格、やっぱり胸が薄いけどその辺りは将来に期待。おっぱい星人の日向さんの好みとは外れるだろうけど、そう言う趣味の人も少なくはないわけだから、問題なし。十分、店の売れっ子になってくれそうだ。
「そうなの?」
結局よくわからずに、首をかしげてユウキに問う。
ユウキは、シンジをサバ目で見た。
「シンちゃんが今、どんな視点であの子を見て、どんな感想を抱いたか想像は付きますけど、まあ、それは良しとしましょう」
ケダモノですねえ、と言外に告げ、ユウキは続けた。
「彼女、軍人ですよ」
「え?」
「少なくとも、兵士としての教育を受けてきています」
きっぱりと、ユウキは告げる。
対して、シンジは不明瞭な顔をしている。
「何でそんなことがわかるのさ?」
ふう、とユウキはため息を一つ。さらに言葉を重ねる。
「歩き方が、軍隊での教育を受けたモノのそれです。見てわかりませんか?」
そんなのわかるわけ無いじゃないかと、口を尖らせるシンジにも一つため息。
「よりにもよって、トライデントの襲撃の翌日に転校して来た軍隊経験者。しかも、このクラスはコード707ですよ? 人をなめているとしか思えないじゃないですか」
コード707。それは、チルドレン候補者達をまとめたクラス。
つまりは、このクラスに普通の転校生が入ってくるわけがないのである。唯一の例外が当の本人であるユウキ。彼女だけがチルドレン候補ではない。
無論、転校生が入ってくることが金輪際無いというわけではない。可能性は低いが、新たにチルドレン候補として見いだされ、転校してくる者もいるだろう。──だが、その場合は先にユウキに情報が入るはずなのだ。
それなのに、チルドレン候補でない人間が、勿論ユウキに情報が入ることなく転校してくる。
軍隊経験者以前に、それだけでも十分に怪しい。いや、きっぱりと黒。
「しかし、なんだってこんな見え見えの手を──」
言いかけて、ユウキは思い当たる。
「え? 何?」
不思議そうにユウキの視線を受けたシンジが首をかしげるのに答えず、納得したように頷いた。
「なるほど」
「はい、それでは静かにしてください」
ざわめいている教室を鎮めるように、老教師が告げる。
マナが怯えた、飢えた野獣のようなぎらぎらとした目をしていた生徒達が、一応静かになる。
マナは知らないが、彼らが飢えているのもある意味仕方がない。何しろ、この第一中学校、「何故」か美形の女の子の失踪が相次いでいるのだ。元々半々だった男女比は、大きく男子の方に傾いている。おまけに、残っている女子生徒の殆どが、少々──否、かなり容姿に問題のある者ばかり。そこへ、胸が控えめとは言え標準以上の容姿を持つ女の子──マナが転校してきたのだ。マナに向けられる視線が少々強烈なモノになっても、致し方ないだろう。
「それでは、今日から皆さんと一緒になって勉強する転校生を紹介します」
老教師はマナを促し、言った。
「霧島君、それでは自己紹介を」
「はっ」
マナは緊張の極致にあった。
ここが敵地であること。
向けられる不穏当な視線。
そして、碇シンジの姿。
平静でいろと言われても難しい。
それでも、命じられると自然に体が動いた。
これまでの教育の通りに。
マナは、一歩前へ出ると「休め」の姿勢になって薄い胸を反らして良く通る声で言った。
「霧島マナ軍曹であります!」
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