#17 碇家のステキな人々
箱根・風間組の壊滅の知らせは、自身でそう命じて於いたにもかかわらず、山王会会長、碇ステキを慌てさせた。
ステキは、天野連合と対立しようなどとは、考えたこともなかった。共存共栄。それが、ステキの考えである。
神戸山王会、関東天野連合。どちらの組織も、大きい。大きすぎた。全面戦争を始める。それでは、どちらが勝利しようとも、被害は甚大になるだろう。いや、何時までも勝敗が付かず、泥沼の消耗戦になる可能性も大きい。そうなれば、両者が疲弊してきたところへ、頭の悪い跳ねっ返りの跳梁を許すことになるだろう。それは、非常に面白くない。
決定的な対立を割け、現状維持。共存共栄こそが、冴えたやり方だ。
しかし、ステキのこの考えに対し、「手ぬるい」とか、「覇気がない」と言う否定的な思いを抱く者も多く存在する。万事がイケイケの幹部達などが、そうである。
そうした人間に対してのポーズと言うこともあり、同時に、やっかい払いを兼ねて、シンジに風間組を潰せと命じた。勿論、本気ではない。その証拠に、兵隊、武器、その他の援助をするつもりはない。本当であれば、単身でシンジのみを送り込みたかった。しかし、父の片腕と言われた田茂地には遠慮があった。
ユウキに関しては、この段に及んでも、どうでも良かった。お気に入りの玩具くらい、どうでもいい、その程度だ。
いや、ステキは決して認めないが、怯えもあったのかも知れない。ユウキに手を出す。それが、シンジのどういう行動を誘発するか。津山組の例があったから。
こうして、シンジは二人を連れて、たった二人だけを連れて、第3新東京市に乗り込むこととなった。
津山組を潰したシンジである。
しかし、ステキは風間組をどうにかすることが可能などとは、全く考えていなかった。
津山組がイケイケの武闘派であれば、風間組もイケイケの武闘派。しかし、両者には決定的な違いがあった。
独立している、と言えば聞こえは良いが、弱小の貧乏組織に過ぎない津山組である。武装は貧弱である。最低のうんこ銃と言われるトカレフが数丁あれば良いところ、他は、せいぜいドス位しか無い。
対して、関東天野連合傘下の風間組。武装も、資金も潤沢だ。
幹部達は盛大に騒いだが、津山組などは、本当に大した組織ではないのだ。風間組に比べれば、ちんけな、ちんけすぎるほどちんけな組織でしかないのだ。
必ず、シンジは手を出しあぐねるだろう。そして、助けを求めてくるだろう。しかし、そんなモノは黙殺してやればいい。そして、頃合いを見計らい、指令を達成出来ないからとでも理由を付けて、破門にしてやればいい。幸いなことに、第3新東京市には、シンジの親がいるという。山王会から見捨てられても、生きて行くくらいは出来るだろう。そう、シンジはこのまま、第3新東京市で良いところ無く終わる。そのはずだった。
しかし、ステキの思惑に反して、シンジは本当に風間組を壊滅させてしまった。
それも、第3新東京市に到着した、その日の深夜までに。
これでは、どうにも対処をしかねた。あまりにも、展開が早すぎた。予定は、全て木っ端微塵にされた。
そして、事はステキの思惑違い、と言うだけでは済まない。
風間組の上位組織、天野連合が黙っているわけがないのだ。
情報操作は施されていた。風間組壊滅を知らせる一般のニュースには、碇シンジの名前は、一度たりとも登場しない。これは、不幸な事故である。そう、片づけられていた。
しかし、それを信じるようなお人好しはいない。天野連合は即座に報復行動に出るだろう。
このままでは、ステキの描いていた共存共栄は、夢物語になる。血で血を洗う、凄惨な抗争が、長い間続くことになるだろう。
全面戦争。
ゴシック、更に赤く染め上げられたこの文字が、ステキの脳裏で踊る。
全面戦争。
ステキが、一番恐れていたことだ。
山王会と、天野連合が正面から戦う。負ける、とは考えない。山王会は、幾つかの問題──最大のモノは、ステキと幹部の対立──を抱えている。とは言え、山王会と天野連合の対決ともなれば、それは存亡の危機でもある。幹部達も、いちいち文句を言ってくる暇など無くなるはずだ。そして、彼我の戦力を考えれば、山王会は、天野連合を上回っている。天野連合には、前会長ハシダテ死去後の内乱による被害がある。純粋に、兵隊の数を比べれば、山王会は天野連合に勝るのだ。戦争の基本は、敵よりも多くの兵をそろえる。その点で、山王会は勝っているのだ。
しかし、巨大な勢力を持つもの同士の戦い。
こちらの被害が皆無で終わることも、あり得ない。
また、秘密裏に抗争出来るとも考えない。
間違いなく、事は公になる。そして、公になれば、警察を初めとする国家の介入を招くことになる。勿論、いざというときのために政治家連中には金をばらまいているし、弱みも握っている。山王会が潰される、と言うことは無い。無いが、鬱陶しいことになることも、確かだ。
ここは、絶対に天野連合との激突を避けなければならない。
共存共栄。
それこそが、一番の冴えたやり方なのだ。
ステキは、慌てて手を打った。
深く考えている時間的余裕がなかったことも確か。しかし、ステキの打った手は、再び幹部達に文句を付けられる原因となるモノだった。
「当方は、碇シンジを破門にしている。今回の行動は、山王会とは関係ないことである」
遡って、シンジが山王会本部から出立した朝を期日に破門したとして、自分たちとシンジは無関係であると表明したのだ。
碇シンジを煮ようが焼こうが、山王会は無関係。お好きなように。
そう言うことだ。
しかし、これはトカゲのしっぽ切りとしても、拙すぎる手段だった。
こんな物言いを、まともに信じる人間はいない。ステキは、あまりの驚きに失調していたのかも知れない。少なくとも、暴力ではなく、頭を使えと常々口にしている人間にしては、あまりに拙すぎる言い訳だった。
シンジ破門の件は、天野連合よりも先に、山王会幹部の反発を招いた。
「若、シンジお坊ちゃんを切り捨てるなど、本気ですか?」
「若がお坊ちゃんに風間組を潰せと命令したのでしょう。それを、都合が悪くなったからと言って切り捨てるようでは、誰も付いてこなくなります」
その日、執務室で仕事をしていたステキの元に、3人の幹部がやって来て、口々に責め立ててくる。
ここにはこないモノの、遺憾の意を表明している者もいる。
意外なほどに数を増していた、シンジ親派に、ステキは戸惑いを感じていた。
やられたら、やり返す。彼らは、至ってシンプルな世界に生きる男達である。そんな彼らにとって、ユウキを拉致られたからと、たった一人で乗り込んで行って津山組を壊滅させたシンジの行動に、シンパシーのようなモノを感じていた。同時に、ムテキの引退以来、どんよりと停滞しているかのような、鬱陶しい山王会の空気を吹き飛ばす効果もあった。たった一人で乗り込んでいって、組を一つ壊滅させる。ムテキの拡大路線時代には日常茶飯事だったこと。しかし、それを実際にやれるかと問われれば、彼ら凡人では絶対に不可能なこと。憧れに似た思いもあった。
そして、そのあたりのことを、ステキは理解できない。彼は、計算不可能な要素は、出来る限り切り捨てるようにしてきた。この世の中は、計算で成り立っている。戦争とは、数の勝負。そのはずだった。敵よりも、多くの戦力を整えること、それが重要事である。たった一人で局面をひっくり返す。そんなでたらめは存在は、計算できない。だから、要らない。
両者は、考え方の起点となるべき場所が、まるで違った。それは、非常に不幸なことだった。
「若、私が、シンジお坊ちゃんの元へ行くことをお許し下さい。今、シンジお坊ちゃんに必要なのは、兵隊です」
「黙れ!」
その声に、ステキはついに切れて、叫んでいた。
「私を若と呼ぶな! 私は何だ? 山王の会長は、誰だ?」
会長職を継いでも、ステキは若と呼ばれていた。古くからの幹部達にとって、会長とはムテキのこと。彼らにとって、ムテキの存在は大きすぎた。ステキは、いつまで経っても半人前の若でしかない。それを、何時までも許容できるほど、ステキは気が長くはない。これまで溜め込んできた鬱憤が、噴出した形だ。
「……若は、山王会の会長です」
「だから、私を若と呼ぶなというのだ! 私は会長だ。以後、私のことは、会長と呼べ!」
「しかし、若……」
「黙れ! 貴様は、今私が言ったことを聞いていなかったのか?」
ステキは、執務席の上にあったモノを、腕で払い飛ばす。書類の束が解れ、執務室に舞う。
「貴様らは、いつもいつも、私とオヤジを見比べ、私を見下している。私は──」
ステキが叫ぶ。
しかし、そうすればそうするほど、幹部達の表情に、冷めたモノが浮かぶ。怒鳴ったところで、彼らは一向に恐れ入ったりはしない。逆に、叫べば叫ぶほど、器の小さい男だと、却って見下す。偉大なる先代の跡を継いだ二代目の苦悩。まさしく、現在のステキの状況だ。
「に、にい、兄ちゃんをいじめるな」
不意に、ステキの前に並び立つ幹部達の上に、影が落ちた。
はっとして、幹部達が振り向く。
何時の間に現れたのか、そこには、巨大な男がいた。
碇カイブツ。ステキの弟、ムテキの次男である。
「ま、待て!」
幹部達の顔に、初めて恐れが浮かぶ。慌てて、カイブツに向かって叫ぶ。
だが、カイブツは待たなかった。
巨大な体に比して、巨大な掌が、横殴りに振られる。
弾けるような音に続き、べちょりと壁で、湿った音がした。
真っ赤なモノをまき散らして、ステキに詰め寄っていた幹部達が、壁で平たくなっていた。
碇カイブツ。腕力に関しては、ムテキの正統な後継者、そう呼ばれる男の一撃だった。
「に、ににに、兄ちゃんを、い、いいい、いじめると、ゆ、ゆる、ゆるる、許さないぞ」
どもりながら、カイブツは壁に貼り付いた幹部達に告げる。
しかし、幹部達は応えることは出来ない。応えることが出来なくなっていた。永遠に。
「……」
ステキはゆっくりと息を吐き出すと、沈み込むように椅子に戻る。
そちらを、カイブツは気弱な表情で見守っていた。
本来、カイブツは、山王会会長職を誰が継ぐかという後継者の選択で、ステキの最大の対抗馬となるはずの人間であった。そして、過去、カイブツはその気に溢れていた。
「オヤジの跡は、俺が継ぐ」
そう、広言してきた。
そして、自分がその座にふさわしいことを示すため、積極的に行動してきた。
恵まれた肉体を持つカイブツである。抗争の場に於いて、殆ど無敵と思われた。
いくつもの組を、その剛腕で叩きつぶし、山王の勢力を拡大させてきた。
ムテキには、劣る。しかし、頭でっかちのステキに比べれば、カイブツの方が山王会会長にふさわしい。幹部達の多くは、そう考えていた。カイブツは、彼らにとって分かり易い、受け入れやすい男だったから。
だが──
一発の銃弾が、カイブツの手から、山王会会長になるという未来を奪った。
いつものように、敵対組織との抗争に出向いたカイブツは、背後からの対戦車ライフルの一撃を頭部に受け、重傷を負う。おそらく、これは、敵の伏兵によるモノだろう。味方を撃つ者が、いるはずがないのだから。
その銃弾は、カイブツの頭蓋骨をぶち破り、脳味噌に食い込んで、止まった。常人ならば、死亡している。と言うか、機械仕掛けの警察官だって非道い目にあうような、強力無比な対戦車ライフルの一撃である。頭が弾け飛んでいたっておかしくない。しかし、カイブツの強靱な肉体、そして人離れした体力は、彼を死なせなかった。
しかし、障害は皆無、とは行かなかった。脳に障害。その一発の銃弾は、カイブツから、命の代わりに知性というモノの殆どを奪っていったのだ。
それまでは、誰よりも、それこそ、幹部達よりも、ステキを侮っていたカイブツである。しかし、死の淵より戻ってきてからは、誰よりも、ステキに懐いた。これは、何かの、例えば運命の皮肉だろうか。
ステキが山王会の会長になれた理由には、何があろうがステキを守ろうとするカイブツの存在があったことも、大きい。暴力を信奉する幹部達。その誰よりも、カイブツは暴力的で、そして、けた外れに強かった。ステキに逆らう者は、カイブツが殲滅する。そこには、一切の慈悲など存在しない。カイブツが怖いから、ステキに逆らわない。そう言う人間も多い。
「に、ににに、兄ちゃん、おおお俺、いい事した? おお、俺、凄い? すすす、凄い?」
「ああ、凄いな」
ステキは、脱力して椅子に沈み込みながら、電話機を取り上げると、住み込みのメイドに部屋の掃除を命令する。
メイドは、直ぐにやってきた。
壁に平たく貼り付いた幹部達。惨状である。しかし、メイド達は顔色も変えず、掃除を始める。こんな事は、珍しいことではない。日常茶飯事。びっくりして驚くような感性は、既に摩耗している。只、カイブツだけは恐ろしいのか、そちらとは決して目を合わせようとはしない。
「やれやれ、カイブツ兄、またやっちゃたのか?」
そこへ、女の声が入り込んでくる。
ステキは、疲れた視線を、部屋の入り口に向けた。
部屋の入り口には、扉の枠に体を半ば預けるように、どこか気取ったポーズで一人の女性が立っていた。美人、だが、飾った印象はない。髪は短くしているし、化粧っ気もほとんどない。どこか、美少年めいた印象すらある、中性的な美貌の女性だった。女性として着飾るよりも、例えば、美少女歌劇団で男役の格好をする方が似合う。そう言う顔立ち。そして、その事を自覚しているのか、その格好は、男性的なモノだった。
「マーガレットか」
ステキは、疲れた口調のまま、女性の名前を呼ぶ。
碇マーガレット。矢張り、ムテキの子供、娘である。何人目の娘かは、不明だ。今年、20才になる。ちなみに、純血の日本人である。あるが、マーガレット。ムテキのネーミングに、常識を求めてはいけないのだ。
「貴様、夕べは何をしていた。また、男と遊んでいたのか?」
ステキの言葉には、嫌悪の響きがあった。見境無く、誰とでも寝る女。これが、ステキの持つ、マーガレットの印象だ。兄妹でなければ、とっとと山王会の経営する特殊浴場にでも沈めて、好きなことをたっぷりと、それこそ好きなだけ、やらせているところだ。
「残念、はずれだね」
マーガレットは首を振り、そして、何でもないことのように続けた。いや、逆に自慢するような響きがあった。
「夕べは、女の子と遊んでいたんだ。いやあ、マキの奴、可愛かったなあ。オレの腕の中で、いい声で泣くんだ、これが」
マーガレットは、一人称にオレを使う。どこか、蓮っ葉な印象、それを、自分で楽しんでいるかのようだった。
「またか、貴様は!」
ステキは、吼えた。内心のいらだち、制御できない。
「いい加減にしろ!」
「に、にに、兄ちゃんをいじめると……」
吼えるステキに刺激されたのか、カイブツがマーガレットに迫る。ステキが一番。それ以外の弟妹は、カイブツにはどうでもいい。多分、区別も付かないだろう。
「カイブツ兄には、あめ玉をあげよう」
しかし、マーガレットは慌てず、騒がず、ポケットからあめ玉を取り出すと、カイブツに渡す。
「あ、あめ玉?」
嬉しそうに、カイブツはそのあめ玉を受け取る。一瞬前までの行動、自分が何をしようとしていたのか。そんなことは、すっかり忘れてしまっている。
「ああ、あめ玉。あめ玉。甘い? 甘い?」
「甘いよ。ついでに、知恵の輪もあげよう。カイブツ兄は、これで一寸遊んでなよ」
「あい、あい。おおお、俺、あめ玉、舐める。ちち、ちちち、知恵の輪で、遊ぶ」
「お利口だねえ、カイブツ兄は」
にっこり笑って、マーガレットが誉める。
「おお、おりこう? お、おりこう? おおおお、俺、おりこう?」
「うん、お利口。だから、そこのソファーで遊んでいようね」
「あい」
カイブツは大人しく、マーガレットに示されたソファーに収まると、早速あめ玉を舐め、知恵の輪をいじり始める。ソファーも、知恵の輪も、規格外の体格を持つカイブツに比べると、冗談のように小さく見えた。特に知恵の輪は、カイブツの指先に隠れてしまいそうだった。
「さて──」
カイブツを見送ると、キレイはステキの方に向き直る。
ステキは、先刻吼えた反動か、それまで以上に、疲れて見えた。力無く、椅子に体を預けきっている。
「頭のいいステキ兄には、わざわざオレが言うまでもないことだろうけどね」
前置きして、マーガレットはステキに話しかける。
「諫言に来た人たちを、片っ端から始末しているんじゃ、いずれ、誰もステキ兄の相手をしてくれなくなるよ。周りにいるのは、阿諛追従の輩ばかり。そんな連中に囲まれることになる。それで、嬉しい?」
「黙れ」
ステキは、ぐったりとした格好のまま、投げやりに言い捨てる。
「お前のような淫売に、言われたくはない」
「失礼だね、ステキ兄」
流石に一寸むっとして、マーガレットは応じる。
「オレは、体を金で売ったことも、買ったこともない。一度たりともね。全部、自由恋愛さ。──だいたい、オレのおかげで、山王の経営する特殊浴場は大繁盛しているんだろう? 街売りの女子高生とは一線を画す、プロの超絶テクニック。ずらりと揃った綺麗所。それも、これも、オレが技術指導をしているから、オレが人材のスカウトしているからだろう?」
カイブツが、腕力に関してのムテキの後継者であれば、マーガレットは色事の分野での後継者だった。ムテキと同じく多情で、男性女性にこだわらず、毎日の鍛錬を欠かしていない。そのテクニックは、弱冠二十歳にして、もはや熟練の域にあるという。そして、その容姿故か、男性女性問わずに、人を引きつけていた。その様は、食虫植物が餌となる虫を引きつける。そんな感じにも思えた。
そして、マーガレットの言葉に嘘はなく、山王会の直営の男性向け特殊浴場が大繁盛しているのは、彼女の力による。マーガレットの存在無しには、立ち行かなくなる。それほどのモノだ。
「……黙れ」
「い〜や、今日ばかりは、言わせて貰うよ」
普段は、山王の経営に関わる部分には、殆ど口出しをしないマーガレットである。ひょうひょうとした雰囲気で、自分の道を進んでいる。つまりは、色事に集中している。ハンサムな男、可愛い女の子。そして、それ以外。兎に角、そちら方面に不自由しなければ、それでいい。それだけで、満足というのが、マーガレットである。
しかし、今日ばかりは違った。
「シン坊を切り捨てるのは、明らかに間違いだよ。だいたい、あんな穴だらけの言い訳じゃあ、ウチの幹部たちは勿論、天野連合のお姫様だって──」
「黙れと言った!」
鋭く、ステキはマーガレットの声を封じる。
マーガレットは、ちらとカイブツの方を見た。
カイブツは、あめ玉を舐めながら、知恵の輪に集中している。取りあえず、新しいあめ玉を用意する必要はなさそうだった。
「……そう言えば、お前はシンジと仲が良かったな」
底冷えのする視線、幹部達の言う「蛇のような視線」でマーガレットを睨み付けながら、ステキが言った。
「悪くはないね。何しろ、シン坊の最初の相手は、私だからね。あのときのシン坊は、可愛かったなあ。必死になっちゃって」
悪びれず、マーガレットが応じる。
「それなのに、最近のシン坊は、オレのこと、避けてたんだよな。たまに相手をしてやっても、ユウキに鍛えられたせいか、以前ほどのかわいげが無くなっているし。──もっとも、オレに言わせれば、シン坊もまだまだ、だけどな」
ステキは、マーガレットの態度に、ますます腹を立てる。
「淫売め」
「麗しの妹に向かって、非道い言葉だね」
マーガレットは、切れ長の目を細め、ステキの視線を真っ正面から受け止めた。逆に、睨み付ける。
「はっきり言って、今のステキ兄は、魅力無いよ。守備範囲の広いオレが言うんだから、これ、間違いない。今のステキ兄と比べれば、シン坊の方が、余程魅力的だね。ステキ兄も、早い内に改めないと──」
「黙れ、黙れ!」
ステキは、これ以上何も言わせないとばかりに、椅子を蹴倒して立ち上がると、立て続けに叫ぶ。
「……」
呆れたように、マーガレットは口を閉ざす。
そのマーガレットの整った顔を睨み付け、ステキは言い捨てた。
「そんなにシンジに魅力を感じるならば、あちらに行けばいい。私は、止めはしない。貴様などは、この山王に絶対に必要不可欠というわけではないのだ」
マーガレットは、盛大なため息を付いて見せた。これは、駄目だ。きっぱりと、視線がそう言っていた。それを、隠しもしないで、肩をすくめる。
マーガレットという名前はともかく、日本人。だが、その方をすくめる仕草は、マーガレットに、非常に似合っていた。それだけに、余計にステキの腹は立つ。
「はいはい。そんなに睨まなくても、オレは出ていきますよ」
そう告げると、マーガレットはステキの執務室から退出した。
ステキは、その背中を睨み付けたまま見送る。そして、その背中が見えなくなった途端、椅子の上に戻り、ずるずると全身を弛緩させる。
ぶちん、と、不意に部屋の中で音が立った。知恵の輪をいじっていたカイブツが、それを引きちぎってしまった音だった。
「に、にに、兄ちゃん。お、俺、おお、俺、知恵の輪、解いた。す、凄い? 凄い?」
「ああ、凄いな」
にこにこと尋ねてくるカイブツに、投げやりに応じる。
人のうらやむ地位、山王会会長。その座にありながら、ステキは一人、孤独を感じていた。
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