#20 ツいてない
その日の午前の授業も終わり、お昼休みとなる。
何人かは、大慌てで購買へと走る。焼きそばパンなどの人気商品をゲットするためには、急がなくてはならない。素の食パンや妙に堅いコッペパンだけは避けたい。お昼の購買は、戦場なのだ。
他の者──弁当を持ってきていたり、先にコンビニで買ってきている準備の良い者達は、仲の良い者同士、連れだってどこかよそへ出かけたり、教室で机を寄せたりして、食事を始める。
「さあ、ごはんですよ」
ユウキが、いつもの緊張感のない口調と共に、お弁当箱を二つ、取り出す。一つは自分のもの、もう一つ、比較して大きい方はシンジのためのものだ。
それを見て、矢張り二人は出来ている、と妄想を新たにする者、何かの勘違いであると現実逃避する者、自分も作ってもらいたいと物欲しそうな目で見つめる者、様々である。
二人が席を向かい合わせにして、食事をする準備をする。近くの席の者達、主に女の子が、一緒に食べようと提案するべきか、それとも邪魔者にならないようにするべきか、考えがまとまらない内に、一人の少年がシンジの前に立つ。
鈴原トウジである。
「転校生、ちと、顔かせや」
その声の調子を聞いて、一緒にお弁当を食べたいんだな、などと太平楽なことを考える者は少ないだろう。いや、ユウキならばそう考えるかも知れないが。兎に角、トウジの
声は硬く、顔つきもそれに倣った。どうにも、不穏な雰囲気だ。
「何?」
その雰囲気には当然気が付きつつ、しかし、シンジは平然とした口調で尋ねた。
「ええから、一寸顔かせ、そう言うとんじゃ!」
トウジは、机を思い切り叩きかねない勢いで、シンジに怒鳴る。悠長な話などする気はない、そう言う表情だった。その迫力に、クラスメートの幾人かは、慌てて首をすっこめる。関わり合いになりたくない、そう言う態度だった。
しかし、シンジは一向に恐れ入ったりはしない。もっと強面の大人を相手に、日々、暮らしてきたシンジである。中学生が吼えたところで、何の恐怖も感じない。
「何の用かは知らないけど、食事の後じゃいけないかな」
だから、面倒くさそうに提案する。
「食事なんて、後や!」
ますますいきり立つトウジ。悪循環である。
クラスメートは、トウジのこの言葉に、驚きを隠せない。裏で、トウジはジャージ男、などと言われている。格好から、見たままである。同時に、食欲魔人の異名も持つ。授業が終わった途端、「めしやめしやうらめしや」などと口走りながら、旺盛な食欲を見せる。小学校の頃には何が好きな授業と問われれば、体育と給食、などと堂々と宣言していた。今も、給食こそ無いが、その本質は変わっていない。そのトウジが、食事を後回しにする。天変地異の前触れ、サードインパクト必至か? ──は大袈裟にしろ、間違いなく、トウジは怒っている。
また、これらのあだ名が裏で囁かれているように、トウジはクラスメートに一目置かれている。不良、と言うわけではない。無いが、体育が好きな授業と言っているように、運動神経は優れている。その上、短気で喧嘩っ早い。
対して、シンジの方は──どう見ても、強そうには見えない。はっきり言えば、見た目、弱そうである。何しろ、女顔で、体つきは細く見える。
クラスメート達は、シンジの身を案ずるような視線を向けてくる。
しかし、その視線を全く理解していない口調で、シンジは言った。
「まあ、良いけどね。──でも、一つ、忠告。気にくわない転校生を校舎裏に呼びだして、ボコにしてやろう、なんて下らないことを考えているんだったら、止めたほうが無難だよ」
火に油を注ぐようなものである。只でさえ頭に血が上っていると見えるトウジの顔が、更に赤くなる。これは、間違いなく、ボコだ。そう言う視線で、クラスメートは転校生を見る。
それから、慌てて委員長、洞木ヒカリを探す。トウジを止める、このことに関して一番は、ヒカリをぶつけることである。それが、クラスメートの認識だった。
しかし、よりにもよって、今この時に──、一番必要なときに、ヒカリは不在だった。
「そうですよ、シンちゃん、これで、結構強いですから」
更にユウキが、こちらも状況を理解していないような口調で、のほほんと告げる。
ますます、絶望的なまでに、トウジの顔に怒りの色が濃くなっていく。
間違いなく、碇シンジはボコにされる。二人とも、全く状況を認識していない。クラスメートには、そう見えた。実際には、状況を認識していないのは、彼らやトウジの方なのだが。
「そんなんやないわ! ええから、付いてこい!」
言われ、肩をすくめてシンジは、トウジの後に続いた。
当然のような顔をして、ユウキも自分とシンジの分のお弁当を持って付いていく。ケンスケも、トウジの金魚の糞よろしく続く。
どうしよう。
クラスの者達は、そう言う顔を見合わせて、4人を見送っていた。
トウジは、肩を怒らせるようにして、屋上に移動した。
その後を、呑気におしゃべりをしながら、シンジ、ユウキが続く。二人が気楽な話をする毎に、トウジの方はますます怒りに強ばっていくようだった。
屋上の扉を開けて、先に出ていくトウジ。
そこへ、シンジが続く。
トウジは、数歩進み、振り返るといきなり、シンジに殴りかかってきた。
不意打ち──には、ならなかった。
わかっていました。
そんな顔をしたシンジは、その拳をあっさりかわす。あまりにあっさりかわしたので、殴りかかった方のトウジは、バランスを崩していた。泳いだ体。そこへ、容赦のない膝蹴りを叩き込む。見事なくらい綺麗に、鳩尾に命中する。
体を折るトウジ。
その体が、丁度いい場所に来たとばかりに、シンジは背中に肘を落とす。
トウジは、堪らず、屋上に倒れた。
「何だ、やっぱり、気に入らない転校生をボコにしようって言うんじゃないか」
シンジは、倒れたトウジを見下ろして、つまらない、そんな口調で呟いた。
そして、表情も変えず、倒れたトウジの脇腹につま先を叩き込む。
「と、トウジ!」
付いてきていたケンスケが、慌てて叫び、まろび出てくる。
鈴原トウジという少年は、第一中学校中で一目置かれているような存在のはずだった。ケンスケのような、盗撮マニアに軍事オタクという非常に濃い、そして、明らかにひ弱な人間がいじめられずに済んでいるのも、只一点、トウジの友達だから、そう言う理由からだった。それだけ、トウジの存在は、大きいものだった。運動神経に優れ、腕っ節も強い。三年生にだって、一目置かれている。
そのトウジが、見た目、中性的な顔立ちで、まるで強いとは見えないシンジに簡単にのされてしまう。
信じがたい。驚きを感じながら、ケンスケは慌ててトウジの元に駆け寄ろる。
そのケンスケの鼻面に、シンジは裏拳を叩きつけた。
眼鏡が飛び、鼻を押さえてケンスケはしりもちを付く。顔を押さえた両手の下から、鼻血がこぼれ落ちていく。
「彼の、仲間?」
シンジは、まるで転校の挨拶をして以来の普通の調子で、尋ねるともなしに呟いた。
表情も、変化がない。下らないこと、そう言う顔をしているが、怒ったりはしていない。只、当たり前のことをするように、当たり前の顔をしていた。
それだけに、ケンスケはびびってしまった。こちらは、トウジと違って、喧嘩は得意ではない。否、運動全般、得意とは言えない。
シンジは、ケンスケから視線を外すと、再びトウジに向き直る。
トウジは、屋上の床にはいつくばった格好で、それでも顔を上げて、シンジを憎々しげに睨み付けていた。
その顎を、躊躇無く、シンジは蹴り上げていた。
「と、トウジ!」
ケンスケが、悲鳴を上げる。
シンジは、顔色も変えない。更に、容赦なく、トウジを蹴り、殴り続ける。
「碇、止めてくれ!」
必死で、ケンスケは叫んだ。
しかし、シンジはまるで容赦はない。トウジは、体を丸め、少しでもシンジの容赦のない攻撃から身を守ろうとしている。そこへ、シンジは雨霰と足を、拳を飛ばしている。
「碇さん、止めて下さい!」
ケンスケは、口調を変え、懇願した。
「無駄ですよ」
それに答えたのは、ユウキである。
おっとり、のんびりした口調だった。目の前で、トウジは一方的にボコられている。普通の女の子であったら、目を逸らすだろう。そんな場面でも、ユウキの態度は変わらなかった。どころか、シンジの行動を全面的に肯定しているとすら、見えた。
「シンちゃんは、ああいう人間には、絶対に容赦はしませんから。気に入らない転校生をいじめようなんて考える輩は、徹底的に排除するんです。──まあ、殺されはしないでしょうから、安心していて下さい」
生かしておいて、他に同様の行動を取るモノが出ないように、見せしめにするつもりでしょうから。
とは、省略する。
何にせよ、ユウキはシンジを止めるつもりはないし、止められるとも思っていない。いじめっ子と言う存在に対して、シンジは全く容赦しない。これも、過去、自分がいじめられてきた故だろう。その事を、言葉通り、よく知っている。
「それより、自分の心配もした方がいいですよ。次は、あなたですから」
ケンスケは、顔面を蒼白にする。ユウキの言葉通り、トウジは徹底的に排除されようとしていた。次は自分。それは、とてつもない恐怖を感じさせた。
「ま、待ってください」
ケンスケは、震える喉から必死で声を絞り出す。
「トウジは、気に入らない転校生を絞めようとか考えて、碇さんを殴り飛ばそうとしたわけじゃないんです」
「……そうなの?」
シンジは、胸ぐらを掴みあげて持ち上げ、殴り続けていた手を止めて、尋ねた。
「さあ、私に尋ねられて、わかりませんよ」
「そうなの?」
今度は、ケンスケに問う。
「は、はい」
ケンスケは、がくがくと首を縦に振る。
「じゃあ、何で?」
「トウジの──そいつの妹が、この間の騒ぎに巻き込まれて、怪我をしたんだ。それで、碇がロボットのパイロットだと知って……」
「なんだ」
拍子抜けしたように、シンジは応じ、トウジの胸ぐらを掴み挙げていた手を離す。
トウジは、力無く屋上の床に落ちる。
「只の、八つ当たりなんだ」
きっぱりと、シンジは言った。罪の意識など、これっぽっちも感じていない、あっけらかんとした口調だった。
「そ、それは、そうだけど……」
ケンスケは、多少戸惑いながら、答えた。
確かに、冷静に考えれば、シンジに当たっても仕方のないことである。理性では理解した。ネルフのロボットは、シンジは、敵を倒すために戦っていたのだ。決して、トウジの妹に怪我をさせてやろうと思っていたわけではない。何が悪いか、と問われれば、矢張り、敵だろう。ロボットは、皆を守るために戦っていたはずなのだから。
しかし、ケンスケはシンジに感じた恐怖をぬぐい去ることは出来なかった。
確かに、そうなのかも知れない。しかし、そん風に簡単に割り切れるものだろうか。
「……そいつ、妹を大事にしていたから」
言い訳のように、付け足す。
「ふ〜ん」
シンジは、別段、感銘を受けた風でもなかった。それでも、一応は頷いて見せた。
「それなら、この程度でやめておいてあげるよ。──それじゃあ、眼鏡くん、後、よろしく」
あっさりというと、ユウキと連れだって退場しようとする。
「眼鏡って……」
「そうですよ。この人は、変態覗き魔の相田ケンスケくんですよ」
「それって……」
女子連中に、色々吹き込まれたらしいユウキの言葉に、ケンスケは肩を落とす。違うと、強弁するには、シンジは怖かった。怖すぎた。
ケンスケに背を向けて、二人は屋上の扉に向かう。
途中、シンジの携帯が鳴った。
「ん? 予想よりも、少々早いかな」
「どうしたんですか?」
のぞき込んだユウキに、シンジは携帯の液晶を示す。
「天野連合、もうくるんですか?」
「うん、思ったよりも早かったね。迅速な行動、質の方も、かなり良いみたいだね」
「──予定通りに行動するんですか?」
「そうだね。遅れると、洒落にならなかったけど、早くくる分には、対応可能だから」
「お弁当は……」
「ネルフの方で食べよう。まあ、しばらくは、ジオフロントで赤木博士の実験につき合うことになるね」
シンジは、そのまま立ち去ろうとして、何を思いついたのか、立ち止まると振り返る。
いきなり、こちらを見られたケンスケが、目に見えて緊張する。
「それじゃあ、変態覗き魔の眼鏡くん。もう一つ、お願い。僕らは、用事でネルフに行くから、そのように先生に伝えておいてくれるかな」
「その、変態覗き魔と言うのは、止めて下さい」
「わかったよ、眼鏡くん。あ、そうそう、それと、もう一つ」
「な、なんでしょうか?」
「そこのジャージくんが気が付いたら、伝えておいてくれるかな」
「トウジに?」
「うん、そう」
謝罪の言葉だろうか、というケンスケの予想は、裏切られる。
「ツいてなかったね、って」
「え?」
「運が悪い。ツいてなかったね、って。──恨むなら、僕じゃなくて、天を恨んでくれって。それじゃ」
今度こそ、二人は退場した。
ケンスケは、ぼこぼこにされたトウジを、どうやって保健室に運ぶか考えながら、あいつには、これ以上絶対に関わらないと、心に決めた。
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