#25 緊張感の欠如


 第一中学校近くのシェルターの一つは、子供の賑やかな声に溢れていた。
 第4使徒の襲来は、平日の昼間であった。その為、このシェルターには、第一中学校の生徒が逃げ込んでいる。
 非常事態宣言、とは言え、生徒達に緊張感や恐怖感はない。授業が潰れて得をした。その程度の認識か、トランプに興じる者、昼寝をしている者と、それぞれにくつろいでいる。
 その様は、まさしくクラス委員長、洞木ヒカリの作文、
「いつも、友達と学校とかで避難訓練ばっかりやって来たから、今更って感じで実感無かったです。男の子は遠足気分で騒いでいたし、私たちも、怖いって感じはしませんでした」
 そう言う感じである。
 繰り返されてきた、避難訓練。
 これは、いざというときの行動を円滑にするためのモノである。しかし、繰り返された結果、一番必要なモノ、危機感を奪ってしまった。人は、状況に慣れる生き物である。第3新東京市の人間は、非常事態宣言、そして、その後に来るシェルターへの避難に、慣れきってしまっていたのだ。
 無論、前回のこともある。死者、負傷者が幾人も出ている。その事を、覚えている者も当然いた。しかし、所詮は人事、そう言う感想を抱く者は多い。何が起ころうとも、自分だけは大丈夫。根拠のない楽観論を抱いている人間は多い。また、情報規制と言うことで、表向き、死者負傷者は出ていないことになっている。
 ちなみに、箱根・風間組の壊滅は、事情を知る者へは使徒戦に巻き込まれたと処理され、それ以外には、非常事態宣言とは無関係の事故と言うことで処理されている。
 話を戻す。
 例えば、大きな事件が起きたとする。それが、テレビメディアなどで報道されている間は、痛ましいとか、自分も気を付けなければと思うだろう。しかし、時間が経ち、その事件の報道が減少、あるいは皆無となれば、いつの間にか、忘れてしまうモノだ。忘れなくとも、記憶の隅っこに追いやられ、普段の意識に上らなくなる。自分が関わっていたり、知り合いが関わっていたというのでもない限り、そう言うモノだ。なのに、今回の事件は報道すらされていないのだ。記憶の風化は、早い。
 そして、第一中学校2年A組の生徒、相田ケンスケという少年は、まさしく、緊張感を欠如させていた。


「ちっ、まただよ」
 常に持ち歩いているビデオカメラ、その液晶にテレビを写し、ケンスケは舌打ちした。
「なにがや?」
 だれた格好で、興味なさそうに鼻をほじりながら、しかし、それでもケンスケは友人と言うことでおざなりにでも尋ねたのは、鈴原トウジである。顔に青タンが付いているのは、シンジにやられた傷である。
「見ろよ、ほら」
 ケンスケは、トウジに見えるように液晶の向きを変え、示す。
 液晶画面には、第3新東京市の遠景、そして、その上に「現在、非常事態宣言が──云々」と、テロップが出ている。画面は、静止画、全く変化がない。
「また、文字ばっかし。僕ら民間人には、何も見せてくれないんだ」
 ケンスケは、顔を顰めて告げる。
「こんな、ビッグイベントなのに」
 両手を胸の前であわせ、目の幅涙を流しながら、ケンスケは身もだえする。
 ビッグイベント。こんな言葉が出るまでに、ケンスケは楽観的だった。
 トウジは、呆れたようにケンスケを見る。つき合ってられない。露骨に、そう言う表情である。しかし、その楽観論を咎めているわけではなかった。
 ケンスケの趣味は、シンジ、ユウキの転校の際に暴露された盗撮──あるいは、ビデオ撮影と、もう一つ、ミリタリー関係である。盗撮マニアに、ミリタリーマニア。オタクと言い換えても間違いではない。兎に角、非常に濃い趣味の持ち主である。
 そのミリタリーマニアであるケンスケにとって、ネルフの決戦兵器エヴァンゲリオンと、その敵──使徒は、非常に興味のある対象だった。そして、その実戦ともなれば、更に。
 トウジは、ケンスケのミリタリー趣味の顕れに、付いていけないと言う顔をする。
「うう〜、一度だけで良いから見たい〜。今度は何時敵が来るかわからないんだし〜」
 なにやら奇妙に身もだえしながら呟くケンスケ。可愛い女の子が身をよじっているというのであればともかく、男のケンスケである。はっきり言って、気持ちが悪い。
 覗き魔としてケンスケを責め立てたクラスメートの女の子達がそれに気づき、露骨に顔を顰めて視線を逸らす。あいつにだけは近づくまい。そう言う表情である。元々、評価が高かったわけではないケンスケ。現在では、地に落ちている。
 しかし、ケンスケは気が付かない。僅かに黙考していたかと思うと、何か良いことを思いついたらしく、表情を輝かせる。
「なあ、トウジ」
 見込まれたトウジこそ、不幸である。他の男子生徒は、ケンスケには近づかない。覗き魔と仲間扱いされる。イコール、女子に蛇蝎の如く嫌われる。色気づいてきた男子中学生にとって、それは絶対に避けたいことであるから、当然だ。
 しかし、硬派であることを自認し、また、ケンスケとも友人であったトウジは、トウジだけは、これまで通りに、ケンスケとつき合っていた。また、ケンスケが責められたその場面に居合わせなかったと言うこともある。なんや、雰囲気が変やな。詳しい事情を知らないため、この程度にしか感じていない。
「なんや?」
 トウジは投げやりに応じる。ミリタリーにケンスケ程の特別な興味はない。現在、トウジの関心は、シェルターで出される食事に移っていた。
 シェルターで出される飯はまずいから好かんのや。夕飯の前に家に戻れるとええなあ。
 そんなことを考えていた。
「内緒で、外出ようぜ」
 だから、ケンスケの提案は、直ぐにはトウジの頭に入らなかった。一寸首を傾げ、内容を吟味する。
 そして、ようやく理解すると、トウジは叫んだ。
「アホか!! 外出たら、死ぬやないか!」
 トウジの妹は、前回の非常事態宣言時、大怪我をしている。自分の身近な人間が巻き込まれて怪我をした。だから、トウジは他の者に比べれば、まだ危機感が存在すると言っていいだろう。楽観論に徹することは出来ない。
「馬鹿、し〜〜〜!」
 ケンスケが口元に指を一本立てて、トウジの大声を咎める。それから、周囲を見回し──どこもかしこも賑やかで、特に注意を引いたわけではないことを確認した後、口調を改めて、トウジの「説得」を開始した。別段、一人でだって見に行ける。しかし、共犯者がいた方が、気が楽である。赤信号、みんなで渡れば──と言う、非常に日本人らしい思考の流れだ。全く、見込まれたトウジこそ、不幸だった。
「ここにいたって、どうなるかわかりゃしないさ」
 トウジの妹は、シェルター内で被害にあった。それを指摘してやる。
 頑丈で、絶対安全のシェルター。これまでは、そう思われていた。しかし、現実にはそうではない。周囲はコンクリや特殊装甲板で囲まれ、核兵器でも、直撃を受けない限りは大丈夫。即ち、絶対に安全である。そう思われてきたシェルター。しかし、巨大人型兵器と、得体の知れない怪物のどつきあいの前には、その頑丈な壁も、無力だった。
「それにさ、トウジだって、あの転校生の戦いを見守る義務があるんじゃないのか?」
 そんなモノはない。
「なんや、それ?」
 不機嫌な顔で応じるトウジ。
 自分をのした転校生。しかも、妹に怪我を負わせて於いて──これが、トウジの中の真実──「運が悪かったね」、これだけである。謝罪はない。正直、一発殴りつけて──とも思うが、それが叶いそうにないのは、前回の通り。ならば、関わり合いにならないようにする。完全無視。そうするつもりだった。
 しかし、そのトウジにケンスケの説得は続く。
「この間の時だって、結局はあいつのロボットが、俺達を守ったんだぜ? それをよく考えもしないで、殴りかかったりしてさ」
 自分だって止めたりはしていない。むしろ、けしかけた節もある。ケンスケには、あこがれのロボットのパイロット。それが、自分と同じ中学生。何故、自分ではないのだ? そんなやっかみも存在したから。
 しかし、それを遠くの棚の上に置いて、説得を続ける。
 その説得も効果があったのか、トウジは、無言で考え込む。
 改めて指摘されれば、自分の行動が八つ当たりに過ぎないことはわかる。積極的に怪我をさせようとしたわけではない。その逆だ。皆を守るために戦ったのだ(好意的な判断、現実は──であるが)。トウジに、実感はないが、戦い、即ち殺し合いなのだ。必死であったろう。ケンスケの話によると、報道こそされていないモノの、国連軍を初めとして、死傷者は大量に出ていると言う。報道ではなく、ケンスケの情報と言うことで、これを頭から否定することは出来ない。報道など、当てにはならないことを、第3新東京市に住んでいれば、当然知っている。報道規制、情報操作は、日常的に行われているのだ。そうでなくとも、報道を、全てまともに信用する事は出来ない。何しろ、スポンサーの意向や、抗議団体の存在の有無によって、全く報道されない、無かったことにされてしまう事件は少なくない。例えば、○○国で邦人のレイプ事件が連続して起きても、国交友好化のためだったり、抗議で煩わしいことになるからと、一切メディアには乗らなかったりするのだから。他にも、サッカーの大会で、微妙すぎる判定(控えめな表現)で開催国のチームが勝利しても、日本の新聞は御用記事ばかりで、その微妙な判定に関する報道を殆どしなかったりもする。マスメディアを鵜呑みにするのは、非常に危険なのだ。メディア規制法案に反対するのは当然だと思うが、それ以前に、保身のために記事を選択するのは止めて欲しいと、真剣に思う。それを出来ないでメディア規制法案に反対しても、何を言ってやがる、そんな感想を抱いてしまう。
 兎に角、大量の死者が出た戦い。そこに、自分と同じ中学生が参加させられるのだ。足元を見て戦う余裕など、無い。激情も去り、落ち着いて考えれば、それを、理解できないわけではない。基本的に、トウジは善人なのだから。
「本当にあいつがヘボパイロットなのか、トウジは確かめる必要があるんじゃないの?」
 繰り返すが、そんなモノはない。
 本当に、転校生のことを考えるのならば、邪魔になりそうな行動は差し控えるべきである。しかし、ケンスケは目的のために手段を選ぶつもりはなかった。そこまで、大袈裟に考えているわけではないが、大事な趣味のためである。見つからなければいい。見つかったとしても、そう大事にはなるまい。少しくらいの逸脱は、許容できる。そう、考えている。何より、危機感が存在していないのだから、非常に気楽である。
 トウジは、なにやら考え込むそぶりだ。
 ここが、踏ん張りどころとばかりに、ケンスケの説得は続けられる。
 正直に話をすれば、ケンスケほどではないが、トウジにも興味はあった。巨大ロボット。男の子の好きなシチュエーションである。宝探しと仇討ちは、二大エンターテイメントと言う。しかし、戦争だって、でっかいエンターテイメントだ。これは、自分の身に危険が迫らなければ、と注釈が付くが。そして、またもや繰り返すが、さほどの危機感があるわけではない。妹が怪我をした、と言うことで、トウジには、他の者に比べれば、まだしも危機感はあった。しかし、それは比較すればと言うことで、他の者同様、自分だけは大丈夫という、根拠のない楽観論から逃れられてはいない。
 危機感と、興味の天秤。
「お前……ホンマ、自分の欲望に正直なやっちゃな」
 半ば呆れたようなトウジの口調。
 しかし、これはケンスケにとっては、誉め言葉に聞こえた。
 トウジがお尻を払いながら立ち上がる。結局、見に行く方に天秤は傾いたらしい。
 ケンスケは、説得の成功に喜びを隠せない。にこやかに立ち上がると、委員長、洞木ヒカリの方に向かい、声を掛ける。こそこそ、怪しい素振りで出て行くよりも、堂々と出ていった方が目立たないだろうという判断だ。
「あ、委員長。俺達、一寸トイレな」
 クラスメートの女の子とトランプに興じていたヒカリは、顔を顰める。
 もう少し、気を使った発言をしろ。自分は、女の子なのだから。
 とは言え、ケンスケ、トウジである。この二人に、そんな細やかな気遣いなど、期待するだけ間違っているだろう。
「んも〜、ちゃんと、済ませときなさいよ」
 ヒカリは、そのように判断して、投げやりに応じる。
 ヒカリの方も、前述の作文が示すように、緊張感を持って避難しているわけではない。それでも、ヒカリは委員長、委員長した、基本的にまじめな少女である。教師の言うことには、素直に従う。そうでなくとも、シェルターの外は危険であると、当たり前に認識している。まさか、そこへのこのこ出ていくような人間がいるとは、思っていない。それが、いかに問題児のケンスケ、トウジであっても。自分を基準にして、そう考えていた。
 直ぐに二人から興味を失ったヒカリは、再びトランプへと意識を戻す。
 それを見て、障害の一つが排除されたとばかりにほくそ笑むケンスケ。
 まだ見ぬ「ネルフのロボット」への興味を隠せず、駆け出しそうになるのを押さえながら、シェルターの外へと出ていった。


 天野連合2000人の避難したシェルターは、他のシェルターとは格段に違う緊張感に満ちあふれていた。
 そのシェルターにいる人間は、9割以上、天野連合の人間だった。しかし、不幸にも、このシェルターに逃げてしまった一般人は、なんて所に逃げ込んでしまったんだ、と絶望的な思いで、端っこに身を寄せて、目を合わせないよう、注意を引かないように心がけていた。私は、石。自分にそう言い聞かせて、気配すら断とうと試みている者もいる。絶対に、関わり合いたくない。彼ら、不幸な一般人達は、一刻も早い非常事態宣言の解除を願っていた。
「ふん、これが、使徒とやらか」
 ヤバイ連中の中心人物、富岳ヒャッケイが、携帯テレビの画面を見ながら、顔を顰めた。
 こちらは、ケンスケと違い、軍用の通信を傍受して、第3新東京市の様子を見ることを可能にしていた。ケンスケのように趣味などではなく、仕事として、そうしたことをしてきた人間だっているのだ。精鋭2000人。只、戦闘力が高いと言うばかりではない。
「こいつと、あのガキが戦うんですよね」
 部下、奥野ホソミチが、ヒャッケイ同様に顔を顰めながら、尋ねてくる。
 使徒の姿は、何とも言い難い代物だった。現実感が無いというのか、実際にこんな巨大生物が存在するとは、とても思えなかった。事情を知らなければ、子供向けの特撮番組だと思ったに違いない。
「使徒にエヴァンゲリオンか。全く、ワケのわからん世界だな」
 ヒャッケイは、うんざりしながら呟く。
 巨大ロボットと、異形の巨大生物の戦い。アニメの世界でもあるまいし、出来れば、近づきたくない世界だ。そんなモノが存在するなどと、正直、認めたくない。ヒャッケイにとって認められる世界とは、自身の腕力で道を切り開いて突き進んでいける類のモノだったから。
「あのガキも、素直にロボットのパイロットだけやっておけば良かったんだ。そうすれば、将来、人類を救った人間として、銅像の一つも立ったかも知れないのにな」
「馬鹿な考えを起こしたせいで、銅像みたいに固められて、哀れ芦ノ湖の底に沈む運命ッスか?」
 自分の表現が気に入ったのか、にやにやと笑いながら、ホソミチが告げる。
「そう言うことだ」
 ヒャッケイも、にやりと笑って頷く。
 本部の彼岸花マリが動いている以上、遠からず、シンジはネルフ内に潜んでいることすら難しくなるだろう。影響力のあると思われる国会議員などを動かし、ネルフに働きかける。国連所属の特務機関と言っても、ここは日本国内である。全く、その動きに意味がないとは言えない。更に、国連にも働きかける。メディアを利用するも良いだろう。ネルフの後ろぐらい秘密の一つや二つや三つや四つ、天野連合だって、当然掴んでいる。それを臭わせるだけでも、充分な効果はあるだろう。勿論、シンジが、世界に僅か3人しか発見されていないチルドレンの一人、などというのが、いかに眉唾であるかも承知している。組織を守るためならばと、切り捨てられることは間違いない。元々、ネルフはシンジを煙たく思っているのだから。
 間もなく、この抗争には──抗争とも言えないような状況にも、けりが付く。そのはずだった。
 そうすれば、ようやくヒャッケイの望む、血で血を洗う抗争が始まる。
 相手は、神戸山王会。
 今度こそ、逃げ回るだけのネズミを相手にするとは行かない。
 神戸山王会には、先代碇ムテキに従い、激しい抗争を続けてきた連中がうようよといる。
 今度こそ、今度こそ、楽しい戦いになりそうだ。
 にやりと、口元を笑いの形に歪め、ヒャッケイは呟いた。
「まあ、何はともあれ、あの糞ガキの最後の晴れ舞台だ。ゆっくり、鑑賞させて貰おうか」
 自分の勝利を、欠片も疑っていない。そう言う表情だった。

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