#28 世間話
「おつとめ、ご苦労様です」
「おつとめ、ご苦労様ッス」
初号機から降りてきたシンジに、ユウキ、青葉が声をかける。
流石に、二度目。いくらかは慣れたのか、前回ほどの奇異の目は向けられない。と言うか、皆、目を逸らして見ないようにしている。
「シンジおぼっちゃま。……ひいふう」
ハンカチで、頬を伝う汗を拭いながら、田茂地も現れる。
「ご苦労様、田茂地」
「いえいえ」
ねぎらうシンジに、田茂地は首を振る。
「それほど、大した苦労はしておりません。……ひいふう」
「これで、ひとまずは大丈夫……とは言え、これからが大変だね」
「そうでございますなあ……ひいふう」
シンジの言葉に、田茂地が頷く。
天野連合2000は壊滅した。完膚無きまでに。
それはいい。
しかし、短期間とは言え、シンジの支配下から離れた第3新東京市。再び、シンジ支持を回復しなければならない。これが難儀だ。他に手がなかったとは言え、一度は見捨てたような格好になってしまった。信頼回復には、非常な手間がかかるだろう。それを考えれば、呑気に喜んでばかりはいられない。
「どっちにしろ、そっちは明日からだね」
流石に、今日は疲れた。それに、既に日が暮れかかっている。
「はい。──ところで、市議の高橋ノゾク様から、一度おぼっちゃまにお会いしたいとの言付けがありました。……ひいふう」
「市議の、高橋さん?」
どんな人? そんな口調でシンジ。
「資料は、既にそろえてあります。私の考えを述べさせていただけば、是非にお会いすべきかと……ひいふう」
見かけ、冴えない中年男の田茂地だが、仕事は出来る。出来過ぎるくらいに出来るのである。
「ふ〜ん、田茂地がそう言うんなら、間違いないね。時間を作って、会いに行くよ」
「ありがとうございます。……ひいふう」
田茂地が、深々と頭を下げる。
「それと、早いうちに建築関係の会社と提携したいね」
第3新東京市は、使徒迎撃都市である。これからも、使徒は来るだろう。そうすれば、兵装ビルは壊れる。いや、兵装ビルだけではない。いろいろと壊れるに決まっている。そうなれば、直さねばならない。つまり、工事には事欠かないと言うわけだ。第3新東京市で、活気に満ち、食いっぱぐれのない商売が、建築関係であろう。他にも大繁盛な商売がもう一つあるが、それはまた後の話。
「最大手は埴輪土木ですね。瑞海社長に面会を申し込んでおきましょう。……ひいふう」
「お願いするよ」
田茂地に告げたシンジは、ゆっくりと顔をケイジの入り口に向けた。
そちらから、葛城ミサト、赤木リツコを先頭にして、保安部員がやって来た。
「ううん。やっぱり、田茂地さんみたいには上手くいきませんねえ」
ユウキが、自分の掌を眺め、なんだか納得がいかない口調で呟く。前回、田茂地に一撃で昏倒させられたミサトは、随分長いこと目覚めなかった。しかし、今回、自分で昏倒させたミサトは、あっさりと意識を取り戻している。田茂地、ユウキとでは、所持している能力が違う、とは言え、やっぱり、少々悔しさを感じてしまうらしい。
葛城ミサトはその場で立ち止まると、きつくシンジを睨み付けて、言った。
「どういうつもり?」
「何のことですか?」
シンジは、首を傾げる。これだけでは、何を指しているのか解らない。
「使徒との戦闘の事よ!」
惚けるな、とばかりにミサトが怒鳴りつけてくる。
「勝ったじゃないですか? 何か、問題でもあったんですか?」
しれっとした顔で、シンジ。
「あんたねえ!」
ミサトが吼える。
「一体、何人死んだ──殺したと思っているのよ!」
「さあ」
あくまで、あっさりと、シンジ。
それが、ますますミサトの怒りに火を注ぐ。
「巫山戯んじゃないわよ! あのシェルターには、2107人が逃げ込んでいたのよ! そのうち、100人以上が民間人だったのよ! あなたの下らない抗争に巻き込んで──」
「何を言っているんですか?」
見事なまでの戸惑いの表情を作って、シンジが応じる。
「抗争に巻き込む? 僕には何のことだか、全く解りません」
「──!!」
怒りで声が出ないのか、ミサトが口をぱくぱくとさせる。
その間に、シンジは視線を青葉に移していた。
「青葉さん、何が起きたのかご存じですか?」
「はい、先ほどの戦闘に巻き込まれ、シェルターの一つが破壊されました」
「それは、申し訳ないことをしました」
「いえ、この程度の被害は許容範囲内と見るべきです。何しろ、相手は異形の怪物、使徒。確かに痛ましい犠牲です。しかし、負ければ人類が滅亡する戦いです。ともかく、戦いには勝利しました。人類の存続。これを持って、亡くなられた方達への手向けと……」
それは、誰の目から見てもわざとらしい三文芝居だった。
「……偶然だと、言い張るつもり?」
ミサトの声は、危険域にまで低まっていた。
偶然?
信じられるわけがない。偶然で、シンジに敵対していた天野連合2000人の兵隊が避難していたシェルターが破壊される。話が上手すぎる。信じられるわけがない。
「それ以外にどういう見方が? ──まさか、僕がわざとシェルターを破壊するような、非道い真似をしたとでも?」
心外だ、と言う顔でシンジ。少なくとも青葉よりはこちらの演技の方が、まだましなレベルだった。どちらもせいぜい学校の文化祭レベルだったが。
「正直、僕は使徒との戦いの方で手一杯でしたよ。作戦部長とやらは騒ぐだけで、何ら有効な指示は出してくれませんでしたから」
「そうですよねえ。アンビリカルケーブルが切れた直後、早く倒さなければやばいわ、ですからねえ。せめて、近くの電源供給ビルを示すくらいはして貰わないと」
ユウキが、シンジの発言の尻馬に乗る。これは、ミサトを怒らせようとしているとしか思えない発言だった。
「いい加減にしなさい!」
ミサトは、大声を出す。
「戦闘で破壊されただけじゃないわ。その後、そのシェルターは、「何者」かの手で、完膚無きまでに破壊されたわ。焼夷爆弾で破壊し尽くされたわ。生存者は零。──見事なまでにねっ! それでも、あなたは偶然と言い張るつもり?」
「怖い人がいますねえ」
「ほんとだね」
ユウキ、シンジはミサトの怒声にも感銘を受けたりせず、平然と感想を述べる。
ミサトは二人を睨み付け、ぎりりと音を立てて歯を食いしばる。そして、その食いしばった歯の間から無理矢理押し出すように声を出した。
「……もう良いわ。碇シンジ特務准尉。あなたをネルフの規律に則って、逮捕、拘束します。申し開きは後日に開かれる軍事裁判で述べなさい」
「いやです」
シンジは、まるでだだっ子のように拒否した。
「僕にはこれからやることがありますからね。とても、そんな暇はありません」
「あなたの意志は関係ないわ」
「それに、拘束される理由は? 僕には思い当たる節がありませんよ」
ぬけぬけと言ってのける。
「これ以上ここで議論するつもりはないわ」
ミサトは、シンジの発言を切り捨てた。それから、背後の保安部員に命令する。
「あなた達、碇シンジ特務准尉を拘束しなさい」
やれやれ。
シンジは、そんな仕草で肩をすくめ、言った。
「堀田さん、水原さん。葛城さんを黙らせて下さい」
聞き覚えのない名前。
ミサト、リツコが僅かに首を傾げる。
「わかりました」
声は、ミサトの背後から聞こえた。
慌てて振り向こうとするミサト。
それよりも一瞬早く、保安部員の一人が、ミサトの首筋を強打する。
声も立てず、ミサトが昏倒する。
それをリツコは呆然と見つめ、次いで我に返ると、悲鳴のような声で叫んだ。
「あ、あなた、一体何を!」
何故、保安部員がミサトの指示ではなく、シンジの言葉を優先するのか。
理解できない。そう言う顔である。
これが、シンジに付けられた──もっとはっきり言ってしまえば、兵隊としてシンジの部下となった保安部員10人ならば、解らないでもない。しかし、その辺りは当然考え、シンジとは無関係なはずの保安部員を連れてきているのだ。
否、戸惑っているのはリツコだけではなかった。
保安部員達、シンジに名前を呼ばれた二人以外も、きっぱりと戸惑っていた。
「おい、堀田、どういうつもりだ?」
そんな声が聞こえてくる。
「僕がジオフロントで暮らして一週間。その間、何もしないで無為に過ごしたとでも?」
シンジが、その疑問に答えた。
つまり、その間に味方に取り込んだ。そう言うことらしい。
「あ、あなた達、正気なの?」
リツコの認識では、シンジはきっぱり犯罪者である。その犯罪者に協力する。そこに、果たしてメリットはあるのか? 利を持って誘われたとしても、相手は犯罪者。共犯、従犯になってしまえば、ろくでもない未来が待っていることは明白。対して、胡散臭い組織とは言え、ネルフに所属していれば、身分は国際公務員である。給料、ボーナスはしっかりしているし、退職後の恩給だって素晴らしい。それを棒に振る価値が果たしてあるのか。
「正気です」
保安部員、堀田がきっぱりと答えた。疑問を差し挟む余地のない、きっぱりさだった。
「──後悔することになるわよ」
二人から慎重に距離を取り、リツコは残りの保安部員に命じた。
「この二人を含めて、拘束しなさい!」
人数と言う点で見れば、未だシンジの味方の方が少ない。
「止めといた方が無難ですよ」
シンジが、別段何でもない状況だ、そんな口調で告げる。
「どうせ、実力行使と言うことになれば、最初の二の舞になりますから」
シンジの脇では、ユウキがスカートをつまんでいる。その横の青葉は、担いでいたギターケースを腰溜めに構えている。田茂地はそのまま。しかし、この男が一番恐ろしいのだ。
「それでも、引く訳にいかないと言ったら?」
しっかりと保安部員の陰に隠れて、リツコが応じる。弱みを見せまいと必死だ。
「ネルフ全職員を殺し尽くすつもり? そんなことが可能だと? もし可能だとしても、あなたは犯罪者として手配される。安息の地は何処にもなくなるわ」
「別に、そんなことはしませんよ。効率的じゃないですから」
効率的であれば、その手段をとるだろう。そんな口調だった。
シンジはゆっくりと、自分たちを囲む保安部員の顔を眺める。
そして、視線を一人に固定すると、言った。
「あなたは、安田さんですね」
名指しされた保安部員、安田が戸惑う。
そちらに、シンジはにっこりと微笑んで、言った。
「最近、お子さんが生まれたそうですね。可愛い娘さんだそうで」
ますます戸惑いの表情が深くなる安田。しかし、それも次のシンジの言葉を聞いて凍り付く。
「でも、気を付けて下さいね。乳幼児の突然死。結構、あるらしいですから」
「な──」
絶句する、安田。
シンジは、そちらに興味を失ったかのように、ふいと、その横の保安部員に視線を移す。
「こちらは、加藤さん。妹さん、第2で大学生ですか? 出来の良い妹さんみたいですね。──でも、悪い男に誑かされないと良いですね。騙されて、薬漬けにされて、泡のお風呂に沈められる。都会は、危険が一杯ですから。気を付けるよう、伝えた方が良いのではないですか?」
更に視線を動かす。
その視線を正面から受けたら拙いとばかりに、保安部員達は慌て、顔を逸らす。
しかし、シンジは容赦しなかった。
「村橋さんは、婚約をなされたそうで、おめでとうございます。藤島ユリコさんでしたっけ? お綺麗らしいですね。悪者の情欲を煽る位に。──そちらは、田尻さん。故郷はG県でしたよね。お母さんは一人暮らしだそうで。最近、何処も治安が悪いから、ご心配でしょう。──そちら、キャットウオークからこちらに銃を向けているのは、伊藤さん。子供さん、小学校二年生ですか? 特殊な趣味を持つ変質者に狙われないと良いですね。──そこのあなたは──」
「脅迫するつもり?」
リツコが頬を引きつらせて、口を挟んでくる。
シンジは、さも心外だという表情を作って見せた。
「まさか。只の世間話ですよ」
しかし、口元に浮かべられた、ゲンドウすら凌ぐ邪悪な笑いが言葉を裏切っていた。
「まあ、確かに、僕は世間から後ろ指を差されるような職業をしていますから、危ない知り合いには不自由していませんけど。でも、それは完璧な誤解ですよ」
「……信じられないわ」
リツコの言葉は、隠しようもなく震えていた。
なんて言う子を、なんて言う子をネルフは内部に引き入れてしまったのだろうか。ゲンドウは、シンジを所詮は子供、欲しいものを与えておけば自由に出来る。利用出来る。そんな風に考えている。少々の思惑違いは、充分に修正できる。そう考えている。しかし、それは、あまりにも甘すぎる考えだ。これは、とてもそんなタマではない。
リツコは、恐怖を覚えていた。
拘束など生やさしい。今すぐ処分すべきだ。
しかし、それが果たせないことも、同時に理解していた。
ここに連れてきた保安部員は、既に使い物にならないだろう。全員、怯えた表情で、シンジから視線を逸らしている。必要とあれば理不尽な暴力すら辞さず、ネルフのため、いや、ゲンドウのために働く男達、保安部員。
しかし、比べものにならない、圧倒的な暴虐な意志の前に、彼らは無力だった。
「しかし、そんな誤解をされているとは、悲しいことですね」
シンジは、あくまで笑いながら、告げた。
「ここは、相互理解のために、よく話し合う必要があるとは思いませんか? 赤木博士」
「……私が引き下がったとしても、ミサトが黙っていないわよ」
事実上、リツコは敗北を認めた。
そして、余計な一言を口走ってしまった。
「そうですか?」
シンジは、僅かにうんざりとしたような顔をする。
「正直、面倒くさいですね。葛城さんの説得くらい、そちらでやってくれませんか?」
「ミサトを納得させることが出来ると、本気で思っているの?」
無理だと、告げる。
「ならば、僕が説得をしますけど」
シンジは、説得と言う。しかし、それを額面通りに信じられるはずがない。
「……」
リツコは、鉛を飲み込んだような顔をして、言葉に詰まる。
「現時点で代わりの効かないEVAパイロットと、代わりの効く作戦部長──対外的な臭い消し、広告塔と言い直した方が良いですね。はっきり言って、作戦部長としての葛城さんは、無能としか思えませんから」
使徒憎し。
それが、葛城ミサトの行動理念である。それを上手く利用しているのがネルフ──ゲンドウである。非公開組織であるため、周囲から胡散臭い目を向けられることが多いネルフ。その中で、重要な部署である作戦部長に、セカンドインパクトの原因、アダムを唯一目撃して生き延びたという有名人で、更には、何も裏の事情を知らず、使徒を倒すことだけを目的とするミサトを配し、なるべく露出させる。シンジの言ったように、ネルフの胡散臭さの臭い消し、対外的な広告塔。それが、葛城ミサトに求められているモノである。作戦部長としての能力など、初手から期待されてはいない。ネルフは使徒を倒すための組織である。ミサトにはそれを、声高に宣伝して貰えば充分なのだ。最近では、ネルフ憎しの感情が他の軍事組織内に広がっている。いざとなれば、ミサトを犠牲の羊と差し出すことまでゲンドウは考えている。ミサトを切り捨てる。それは、そのいざとなればが今になるだけのことだ。きっぱりと、代わりが効く。
対して、シンジは本人の言葉通り、本部で使える唯一のEVAパイロットである。将来はともかく、現時点では絶対に手放すことの出来ない存在だ。葛城ミサトとでは、重要度がまるで違う。
「さて、どっちが葛城さんを説得しますか? 僕はどちらでも構いませんよ」
リツコが脳裏で浮かべた考えを正確に理解している。そんな顔で、シンジが尋ねた。
「はっきり言わせていただければ、譲歩しているのは、僕の方ですよ。前線で戦う身としては、作戦部長は有能であるに越したことはありませんから」
「……わかったわ」
リツコは、そう答えた。ミサトは、リツコにとって、一応は友人である。そう答えるしかなかった。
「ありがとうございます」
シンジは、にっこりと笑って礼を言う。その笑いには、邪気は見えない。年齢相応の少年の笑いだった。
「でも、何時までも譲歩できるとは思わないで下さいね。あんまり、邪魔になるようでしたら、こちらで処分──いえ、対処します」
さりげにプレッシャーを与えるシンジである。
「……ミサトには、しっかりするように伝えておくわ。──でも」
「大丈夫ですよ。過分な期待をするつもりはないですから」
シンジは頷き、それからふと思い出した、そんな顔になって、話題を変える。
「ああ、それと、希望しておいた、あの二人を僕が説教すると言う件、どうなっていますか?」
あの二人とは、トウジ、ケンスケのことである。二人は戦闘終了後、気絶して倒れていたところを別口の保安部員達によって拘束され、現在、ネルフ施設内の独房に放り込まれている。
「……冬月副司令に確認を取るわ」
リツコは疲れを全く隠さない声で応じた。
[BACK]
[INDEX]
[NEXT]