#30 提携交渉


「いやあ、君の噂は聞いているよ」
 にこやかに口を開いたのは、福々しい顔をした男である。
 豪華なお屋敷。その応接室。床に敷かれた絨毯は毛足が長く、ソファーのクッションは最高。壁には、常夏の国となった日本には最早無用の存在、マントルピースなんかもある。
「ろくでもない噂ばかりでしょうね」
 シンジが答える。
 シンジは男と向かい合ったソファーに、ユウキと並んで座っている。
「いやいや、若いのに、大したものだと評判ですよ」
 男は、あくまでにこやかである。もともと細い目を更に細め、シンジを褒め称える。
「それで、ご用件というのは何でしょうか?」
 シンジは、男に問うた。
 男の名前は、高橋覗。第3新東京市の市会議員である。地元の名士。と言うことになっている。
「いやあ、市会議員の僕としては、君といろいろと仲良くしたいと考えてね」
 にこやかなままで、高橋が言う。
 それから、壁際に控えていたメイドに目で合図する。メイドは、黒髪ショートで眼鏡。可愛らしい顔立ちだが、どことなく、「いじめて」と言う雰囲気を周囲に発散しているように見えた。
「シンジ君は、いける口ですか? これは、市会議員の僕が特別に取り寄せた、最高級品ですよ」
 メイドが高橋の元に運んできたワインを自慢げに示す。
「まあ、そこそこにはいけると思いますが──僕達は、未成年ですよ」
「遠慮なく、頂きます」
 遠慮するシンジに、全く遠慮をしないユウキ。
「ユウキ」
「だって、折角ごちそうして下さるというのですよ」
 咎められ、ユウキが不満そうな顔をする。
「そうですよ。この市会議員の僕が勧めているのですから、遠慮は無用です」
 鷹揚に、高橋が頷く。
 ほらみろ。一寸勝ち誇った表情で、ユウキがシンジを見る。
 シンジは、そっとため息を零した。
「それでは、グラスをお持ちします」
 メイドが、一礼して言葉通り、グラスを取りに行こうとする。
「ノゾミ」
 そのメイドに、高橋が声をかけた。
「何を言っているのですか。市会議員の僕が、常々言っているでしょう。お客様をもてなすには、どうしたらいいかを」
「──!」
 メイドの少女は、怯え、羞恥の表情を顔に浮かばせる。
「ほら、いつものように早くしなさい」
 絶望的な表情で、メイドの少女──ノゾミは、スカートを持ち上げる。
「? 何をなさるのですか?」
 何となく、嫌な予感を感じた様子で、ユウキが問う。
「グラスなど、ノゾミがいれば必要ないでしょう。ほら、ノゾミ、いつものように」
「……」
 こりゃ拙い。
 ユウキが絶望的な表情で、シンジを見た。
 シンジは、それ見たことか、と言う表情である。
「あ、あの、私は女ですから、そう言うもてなしは、殿方の方に」
 こいつ、僕を売りやがったな。
 シンジはユウキを睨み付けるが、ユウキは知らんぷりである。
「そうですね。確かに」
 高橋の方は、ユウキの言葉を納得したようだ。
「それでは、シンジ君」
「あ、いえ、僕は、アルコールに弱いんですよ」
 シンジは必死で言った。先刻とは、一寸主張が異なっている。
 高橋がメイドにさせようとしているサービス。シンジは、どう間違っても善人ではないが、それを喜ぶような性格はしていない。
「それよりも、ご用件の方を」
「……そうですか? 勿体ないですね。折角の逸品なのに」
 本当に逸品だったら、もう少しまともな飲み方をするべきだ。
 その言葉は喉の奥に飲み込み、シンジはにこやかに応じた。
「他の、味の解る方にごちそうした方が、よろしいかと。見ての通り、僕は小僧ですから、あいにく、酒の味が分かるとは言いかねますので」
「そうですか?」
 高橋は、首を傾げた。
「まあ、そうですね。それでは、今回、市会議員の僕がシンジ君を招待した事情をお話ししましょう」
 ほっと、ため息を零すシンジ、ユウキである。
「実は、市会議員の僕の友人に、外国語学校を経営しているヘンリーという友人がいるんですよ」
「ご友人ですか?」
 どうせ、似たような人種だろう。
 そんなことを考えながら、シンジ。
「ええ。彼は、教育者として、素晴らしい人間です。それで、そのヘンリーが、市会議員の僕のノゾミを見て、一目で気に入り、是非に譲って欲しいと言ってきたのです」
 やっぱり、同じ人種だ。
 内心で、うんざりするシンジ。
「しかし、ノゾミは市会議員の僕の、大事な大事なメイドです。いかに友人のヘンリーの願いとは言え、軽々しく譲るわけには行きません。ノゾミも、市会議員の僕の元で働くことに喜びを感じていますし」
 ちらと、シンジはノゾミの方を伺う。
 とても、喜びを感じているようには見えなかった。
「で、代替え案として、他のメイドをヘンリーの為に用意しようと考えたわけですよ」
「成る程」
 内心のうんざりさを表に出さず、シンジが相づちを打つ。
「しかし、ヘンリーもなかなか評価の厳しい男でして、そこらのメイドでは満足しない。そこで、特別に風間組に頼んで用意して貰おうと思ったところで、彼らは壊滅してしまいました」
 高橋は、少々困った、そんな顔をする。
「ええと、それは」
「いえいえ、市会議員の僕は、シンジ君を咎めているわけではありませんよ。どころか、逆に歓迎さえしています。何しろ君は、あの碇ムテキ君の薫陶も厚き人物。風間組に頼むより、シンジ君に頼んだ方が、市会議員の僕や、ヘンリーの希望に添う人材を用意してくれるでしょうから」
「そうだと、良いのですが」
 ムテキ君ねえ。その呼び方に違和感を感じつつ、シンジ。
「大丈夫ですよ。市会議員の僕が保証します」
 鷹揚に、高橋は頷いた。
「つまり、用件というのは、そう言うことです。ヘンリーのために、特別なメイドを一人、用意していただきたいのですよ。勿論、お礼はします。それが、今回市会議員の僕がシンジ君をお呼び立てした用件ですよ」


「何というか、噂通りの人でしたね」
 感心と言うには、引っかかるものがある。それは、喉に刺さった小骨のように。
 微妙な表情、表現で、ユウキは高橋覗を評価する。
「本当に呆れちゃうね。あのメイド、見事なくらいに躾られているよ。可哀想に」
 シンジが頷く。
 そちらをユウキはジト目で見る。
「シンちゃんが、それを言うんですか?」
「僕は、いじめてメイドを侍らせて喜ぶ趣味はないよ」
 心外だと、シンジ。
「でも、結局は、メイドの手配を引き受けているくせに。同レベルというか、更に非道いような気が……」
「何を言っているんだよ、ユウキ。僕のは、あくまで仕事、商売だよ。趣味ならばともかく、仕事ともなれば、好き嫌いは言っていられないのが辛い所なんだよ? 顧客のニーズに合わせて、やりたくないこともしなくちゃならない。──ユウキだって解るでしょ? 高橋さんは、アレで市議会にはかなりの力を持っているんだから、公共事業の分配とかいろいろと相談できて、こっちにとって都合がいいことくらいは」
 地元の名士──と言うことになっている、は、伊達ではない。第3新東京市の市議会は、高橋の主宰する会派のほぼ、独占状態にある。実のところ、第3新東京市の市政を仕切っているのは、ネルフの誇るコンピューター、マギであるが、市議会に全く出番が無いというわけではない。また、マギが仕切っているとなれば、当然、反発も予想される。半ば傀儡、しかし、それだけに、逆らわないようにうま味を与える。そのうま味を、シンジも高橋と分け合おう、そう言うわけだ。
 また、好む好まざるに関わらず、女性は商品になる。
 その事を、良く知っているシンジであり、また、ユウキである。
「世の中、きれい事だけでは動いていかないとは言え、難儀なことですねえ」
 ユウキは、ため息と共に呟いた。
「まあ、仕方がないことだよ。相手のレベルが低ければ、そちらにあわせるしかないからね」
 シンジが応じる。
 相手のレベルが低いからと言って、自分のレベルまで引き上げるのは困難である。ならば、自分が相手のレベルにあわせるしかない。その方が早いし、確実なのだ。
 仕方なく、やっているんだよ。
 そんな表情、口調のシンジだったが、ユウキは何処まで信じているのか、そちらをジト目で見つめた。


「それで、次は何処へ行くんですか?」
 そう問うた時のユウキは、既にすっかり頭を切り換えていた。何しろ、日常茶飯事。それでも苦言を呈したのは、割り切れない部分があるからだろう。しかし、何時までも引きずったりはしない。
「次は、埴輪土木だね」
 シンジが答える。
 市議の高橋とは、これで繋がりが出来た。出来た以上は、それを生かさねばそんである。
 手っ取り早いのは、公共事業。特に、第3新東京市では建築関係が盛んである。
 この先、第3新東京市が完成し、建築関係の仕事が無くなったとしても、使徒が来れば、再び必要になる。もしくは、必要にする。何しろ、シンジはEVAパイロットである。使徒が壊さなくても、一寸EVAで転んでビルを壊してやればいい。あっと言う間に建築関係の仕事の出来上がりである。マッチポンプ。非常に簡単である。
 ならば、その業種の最大手、埴輪土木との協力体制を築きたい。談合、丸投げ。そうすれば、いろいろと収入が増えるに違いないから。
 そして、勿論シンジには、勝算があった。
「──と言うわけで、ユウキ」
「何ですか?」
 何が「と言うわけ」なんだろう。そんな顔でユウキ。
「今度は、ユウキに協力して貰うよ」
「まさか、私を売り飛ばすつもりですか?」
「そんなことはしないよ。だいたい、埴輪土木の社長は女の子だし」
 女の子じゃなかったら、売り飛ばすつもりだったんだろうか?
 そんな視線で、シンジを見るユウキ。いや、女の子だって、安心できない。
「只、これを──」
 ユウキの疑惑の視線に気が付かない振りをしながら、シンジはポケットから取りだしたモノを差し出す。
「──?」
 ユウキは、シンジに渡されたモノを、不思議そうに見た。
 それは、眼鏡だった。
 色気の欠片もない、何とも無愛想な眼鏡である。
「なんですか? これは?」
「眼鏡だよ」
「いえ、それは言われるまでもなく解るのですが」
「埴輪土木にいる間は、それをかけていてくれる?」
「良いですけど……」
 なんだか、不安。そんな顔ながらも、頷くユウキ。素直に眼鏡をかける。
 そうこうしている間に、二人は埴輪土木の本社ビルの前にたどり着いていた。何とも、名前の通りの形をしたビルだった。
「まあ、こっちの提携交渉は、モノの五分とかからないと思うから──」
 シンジがしゃべりきらないうちに、ものすごい勢いで埴輪土木本社ビルの方から、一人の少女が飛び出してきた。
 黒いドレスに身を包んだ、可愛らしい少女である。この娘が、埴輪土木の社長、瑞海カズキだった。
「おおぅ、眼鏡っ子!」
 カズキは、ユウキに噛みつかんばかりに接近する。目をきらきら光らせ、ユウキを見つめる。
「な、なんなんですか?」
 ユウキがびっくりした表情でシンジに尋ねる。
 シンジは、ユウキを取りあえず無視して、カズキに話しかける。
「瑞海社長、アポイントを取っていた碇シンジです。是非、あなたの埴輪土木との提携をしたいと──」
「提携?」
 聞いているのかいないのか、目はユウキを見つめたままで、カズキ。
「ほら、ユウキからもお願いして」
「ええと、よろしくお願いします」
「おおぅ、眼鏡っ子の頼み? するする、提携するする!」
 即答。
 シンジは、埴輪土木との協力体制を築いた。


「な、なんだか、非常に疲れました」
 言葉通り、ぐったりしているユウキである。
 あの後、社長室に案内されたユウキは、カズキのコレクションしている眼鏡を次から次へとかけることになった。
 勿論、シンジも案内されていたが、こちらは完璧に無視。しかし、シンジはこれ幸いとばかり、ユウキの助けを求める視線にも気が付かない振りをして、出されたお茶を飲んでくつろいでいた。ちなみに、お茶を持ってきた埴輪土木の女子社員も眼鏡っ子だった。
「徹底している人だねえ。気が付いた? 女子社員はみんな眼鏡をかけていたよ」
 埴輪土木社長、瑞海カズキ。眼鏡っ子に異常に執着する娘である。
 田茂地の調べで、その辺りを知っていたシンジは、交渉を有利に進めるべく、ユウキに眼鏡をかけさせたのだ。そして、その想像以上に上手くいった。何しろ、即答である。
「何処が、5分とかからないのですか?」
 一時間以上、眼鏡を付け替えさせられたユウキが文句を言う。
「交渉自体は、5秒とかからなかったじゃないか」
「……それでも、なんだか私だけ貧乏くじです。これからは、最初に事情を説明するようにして欲しいですね」
 口を尖らせて、不満を言う。
「ご免、ご免」
「なんだか、あんまり謝罪をしているふうには聞こえないんですけど」
「あははははは」
 シンジは惚けるように、笑った。
「……」
 そちらをジト目で睨み付けるユウキだった。


 二人は、最後に警察署に出向いた。
 色々、非合法なことをするシンジである。出来れば、警察関係者とは仲良くしたい。そう考えるのも、至極当然のことだろう。
 しかし。
 何と言っても法に背いた者を逮捕するのが警察の仕事である。
 そんなことが可能なのか?
 勿論、可能である。
「──と言うわけで、鴉葉副署長とは、仲良くしたいと思っているんですよ」
 シンジは、警察署の副署長室にいた。
「う〜ん」
 シンジの前に座った副署長の鴉葉ツキは、ちょっぴり困ったような顔をして応じた。
 副署長は、その地位に比して若い男だった。いわゆる、キャリアという奴だ。それ用の国家試験に合格した人間。近い将来には本庁に戻って、重要な部署に付くことになるだろう。色々、キャリアの弊害について言われている昨今であるが、問題ない。何しろ、上を占めるのはキャリアばかり。既得権を削られることに諾々と従うわけがない。反発を避けるため、妥協、妥協を繰り返し、結果、キャリア規制法案とでも言うものは骨抜きにされるに決まっているのだから。それが、この国の政治という奴である。
 鴉葉副署長は、容姿の点でも優れていた。きっぱりとハンサム。しかし、何処か薄っぺらい男だった。紙切れ並に薄っぺらい。風が吹いたら簡単に飛んでしまいそうな軽さだ。
「警察官のボクに、やくざが仲良くしたいって言われても……ねえ」
 シンジに同意を求めるような口調。しかし、鴉葉の視線は、ユウキの方を向いていた。きっぱり、そう言う視線だった。
 成る程、こういう人物か。
 それだけで、鴉葉という人間を理解できたような気がするユウキである。
「副署長にはいろいろとご指導を受けたいと」
「う〜ん、ボクも所詮は若輩者だからね〜」
「これは、取りあえず、ご挨拶の品と言うことで」
 どこから取りだしたのか、菓子折を取り出すシンジ。
 鴉葉は受け取り、僅かに首を傾げる。
「どうぞ、中身をお確かめ下さい」
「う〜ん、それじゃあ、調べてみようかな」
 言われて、菓子折を開く鴉葉。そして、即座に閉める。
「う〜ん、仲良くできるかも知れないね〜」
 にっこり笑い、鴉葉は応じた。
 シンジの渡したのは、勿論只の菓子折ではない。時代劇で言うならば、山吹色のお菓子である。
 やっぱり、そう言う人物らしい。
 確信するユウキ。
 シンジも鴉葉に笑顔に応じて、自分も微笑しながら、続ける。
「ええ、副署長さんには、是非に仲良くしていただきたいと思っています。──ところで」
「ん?」
「ところで、今晩はお暇ですか?」
「う〜ん、今晩は、サヨリちゃんとデートでもしようかと思っているんだけど……」
「それでは、お暇なときに、一度、僕にごちそうさせて下さい」
「ごちそう?」
「しゃぶしゃぶなんてどうですか? 矢張り、キャリアともなれば、一度くらいはしゃぶしゃぶに……」
「しゃぶしゃぶ? それは勿論……」
 ちょっぴり、身を乗り出してくる鴉葉。
「ええ、勿論」
 シンジは、にっこりと笑って言った。
「何故か女の子が下着をはき忘れている店です」
「う〜ん、なんだかボク、君のこと好きになってきたよ」
 嬉しそうに、満面の笑みで鴉葉が応じる。
「ええ、仲良くしていきましょう」
「うんうん」
 頷きあう二人。
 ユウキは、ばれないようにそっとため息を零す。
「ところで」
 そのユウキに気が付いているのかいないのか、シンジは、一寸まじめな顔になって、告げた。
「これから、僕らは少々、騒ぎなんかを起こすかも知れません。その時は──」
「任せておいて──と言いたいんだけど……う〜ん、それには、やっぱりこれがかかるよ」
 指で丸を作ってみせる鴉葉。
 シンジは、頷いた。
「勿論、承知しております。必要な金額を言って下されば、直ぐに用意します。──勿論、その時には、副署長の分も上乗せしていただいて結構です」
「う〜ん、君って、若いのに本当に話が分かるね〜」
「ありがとうございます」
 シンジ、鴉葉は、まるっきり悪代官と悪の商人の顔で、頷きあった。


「……何というか、世の中、腐ってますね」
 ユウキが、ジト目でシンジを見ながら感想を言った。
「そんなもんだよ」
 対して、シンジは平然と答えた。
 平和な第3新東京市の一日だった。

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