#32 シンジ対策


「碇、お前の息子は一体何を考えているのだ?」
 シンジ対策が話し合われていたのは、天野連合だけではない。
 ネルフ司令室。ここでも、ゲンドウ、冬月、リツコと言ったネルフ首脳が集まり、シンジについて、話し合われていた。
 薄暗く、そして無意味なまでに広い司令室である。天井、並びに床に描かれた模様──セフィロトの木が、何ともヤバ気な雰囲気を更に高めている。宗教団体の教祖様の部屋、と言われても、素直に納得できてしまうくらいの胡散臭さである。
 冬月が問題にしているのは、勿論、第4使徒戦におけるシェルター破壊を初めとして、シンジ言うところの「本業」に関わる部分である。
「……問題ない」
 ゲンドウは、机の上に肘をついて口の前で指を組あわせるという、表情を隠すお得意のポーズで、冬月の疑問を一言で切り捨てた。
「お前は、問題ないと言うが……」
 その答えを納得できない冬月が、更に言い募ろうとする。
「所詮、我々の計画には影響がない」
 しかし、ゲンドウが冬月の言葉にかぶせるようにして、告げる。
 ゲンドウの第一番の目的。それは勿論、自身の計画の遂行である。その為にこそ、ゼーレにしっぽを振って見せているのだ。もっとも、ゼーレの者にしてみれば、ゲンドウは不遜すぎ、とてもしっぽを振っているようには見えないのだが。
 人類補完計画。ゼーレの計画である。それに便乗した形の、ゲンドウの計画。
 冬月もゲンドウのその計画を是とし、その協力のために、大学の助教授という立場を捨てている。だから、ゲンドウの言うように、それこそが大事であり、そこに関わらない限り、シンジの行動はどうでもいいという事も解る。
 とは言え、とても納得できることでもなかった。
「問題ない」
 ゲンドウは、もう一度繰り返した。
 当初、シンジが何を知っているのか、何を目的としているのか、ゲンドウも疑問視していた。ネルフは非公開組織である。なのに、シンジはかなりのことを知っていた。特に、EVAのシンクロシステムの秘密を知っていたことには、驚きを隠せなかった。
 シンジが、何を知っているのか?
 かなりのことを知っている。間違いない。そして、その上限が、どの辺りであるのか。こちらは、未だ不明だ。
 シンジは、何を目的としているのか?
 これについては、分かり易い。間違えようもないほど、はっきりしている。
 シンジの目的は、日本の裏社会に、自身の組織をうち立てること。最終的には、日本の裏社会の支配が目的だろう。現時点では、自身の組の設立から、その勢力の拡大を進めている。
 どちらも、取るに足りない、とは言わないが、ゲンドウは問題ないレベルだと判断していた。
 知っていることに関しては、シンジは根幹となる部分を知らないと、判断している。EVAのシンクロシステム、最初は驚いたが、今では逆に納得している。確かにある程度の情報が集まれば、そこから推測することは十分に可能なのだ。初号機と、碇ユイの事故。そして、初号機パイロットのシンジ。弐号機と、惣流博士の事故。そして、弐号機パイロットのその娘。更に、A10神経接続。推測する材料は、充分に存在する。何も考えず、只の偶然だと考えるような奴は、シンジの連れの小娘の表現を借りるならば、まさしく「おつむてんてん」な者だけだろう。  只、情報の流出についてだけは、留意しておかなければならない。知っているのは、シンジだけではないだろう。おそらく、シンジの育てられた神戸山王会も、このことを知っている。情報というモノは力である。独占すれば、巨大な力を産む。その事を、元々情報操作を得意としてきたゲンドウは当たり前に知っている。裏社会の組織である山王会でも、同様に考えているのだろう。
 今、必要なのは、これ以上の情報の流出を避けねばならない。そう言うことだ。
 行動の方、裏社会に勢力を拡大する。こちらの方は、全く持ってゲンドウの関心の外にある。
 全く、低脳でレベルが低いことだとまで考えている。
 只、問題は、その程度の低い抗争に、ネルフやEVAを使われること。それは、非常に面白くない。これは、自分のやって来たこと、そして、これから先遂行する計画を貶める行動だと感じた。多寡が、暴力団同士の抗争に使われる。断じて、「その為のネルフ」ではないのだ。
 しかし、この事がゲンドウに、シンジは計画を知らないだろう、と判断させていた。
 下らない地下組織同士の権力闘争に明け暮れようとするシンジ。
 ゲンドウの計画を知っていれば、そんなことにかまけている余裕はないはずである。もし、ゼーレ、ゲンドウの計画を知っていれば、そちらの阻止にこそ、力を振るうはずだ。本格的に天野連合との抗争を開始したシンジである。あちらもこちらも、などと欲張ってどうにかなるほど、甘い話ではないのだ。
 ゲンドウの計画が達成されてしまえば、ゼーレの計画が達成されてしまえば、財産や権力などは無意味な世界となる。シンジは、それを知らないとしか思えない。
 人類補完計画。ゼーレの老人達の遂行しようとしている計画は、お綺麗なお題目で言えば、「人工的にサードインパクトを発生させ、人類を不完全な群体から、完全な単体生物に進化させる」である。しかし、「老い先短い老人達の、人類全てを巻き込んだ無理心中」と言い換えることもできる。何しろ、その完全な単体生物とやらは、セカンドインパクトの発生地、南極を中心に澱んでいる赤いLCLなのだから。果たして進化といえるのか。更には、生命活動をしているのかすら疑問だ。
 そんな下らない計画に、何故、ゲンドウが関わっているのか。
 それはただ一つ、老人達の計画に便乗して、サードインパクトの方向をねじ曲げ、EVAに取り込まれた妻、ユイに再会するためである。
 こちらもまた、非常に下らない。本人にしてみれば、下らないと切り捨てられることを許容できないだろうが、巻き込まれる他の者にしてみれば、まさしく、いい加減にしてくれ、と言う計画である。ラブロマンスと言うには、非常にはた迷惑すぎる。ロミオとジュリエットを気取るには、ゲンドウの外見が胡散臭すぎる。その上、ロミオとジュリエットというのは、中学生くらいの年齢の、恋に恋するお話なのだ。社会的に責任を持つ中年のやるような事ではない。
 きっぱり、ゲンドウの計画を周囲の者が理解してくれる可能性は絶無である。
 だからこそ、真の事情を知る者は、この3人に限られている。
 冬月は、矢張りゲンドウと同じく、ユイとの再会を望み、同時に、ゼーレの老人達と同じく、老い先短い。
 リツコの方は、ゲンドウが体も心も縛っている。いや、心の方は不明だが、少なくとも、支配しているという実感が、ゲンドウにはある。
 他の者には、何も知らせない。司令の権力でもって、頭ごなしに命じるのみだ。しかも、計画の根幹となる部分を知られないように、細切れにした任務を。──だいたい、ネルフは大組織である。右手のしていることを、左手が知らない。それが、組織の常である。部下に計画の全体像を掴ませないようにすることなど、大して難しいことではない。
 また、知られた場合は、即座に始末すればいいだけのことである。シンジとの再会で、直接的な暴力に晒されることに弱いと判明したゲンドウであるが、組織の長として処分を命じるのは、手続きや書類の上だけのこと、問題ない。
 話をシンジのことに戻す。
 シンジの行動が、ゲンドウに目障りであることは間違いない。
 しかし、計画の本筋に影響がでない限りは、放置しておいて問題ないと判断していた。
「計画に問題はでていない」
 以上のような事情から、ゲンドウは、きっぱりとした口調で告げた。
 しかし、冬月は、ゲンドウほどには楽観視できなかった。
「しかしだな。シンジ君の影響は、保安部を中心に広がっているぞ」 
 冬月の言葉通り、保安部員を中心として、シンジ親派が数多く生まれてきている。いや、中には脅迫されていると見える者もいるが。しかし、どちらにせよ、その勢力は日に日に高まり、無視できなくなってきている。
 暴力団同士の抗争に明け暮れようとするシンジ。
 そして、その兵隊を、ネルフの保安部員でまかなおうと言うつもりらしい。
 経験不足が指摘されている保安部員達。しかし、その装備は流石に国連所属と言うこともあり、かなりのモノがそろえられている。また、経験不足とは言え、専門の教育を受けてきているのだ。その経験不足さえ解消されれば、充分以上な戦力になる。そして、シンジの周りには敵が多く、これから先、いくらでも経験を積ませる機会は存在するだろう。
 兎に角、シンジ一派とでも言うモノが、ネルフの内部に存在する。これは、面白いことではない。
「……問題となったら、切り捨てればいい」
 ネルフの王様、ゲンドウにとっても、勿論面白くない。ネルフは、ゲンドウの恣意のままに動く組織なのだ。そこに、ゲンドウに従わない連中が増える、許容できかねる。だが、ゲンドウはこう答えた。
「だが、問題となってからでは遅いかも知れんぞ?」
 冬月は、更に告げる。
「解っていると思うが、保安部員にしろ、何にしろ、新たに雇うことは簡単ではないのだ」
 色々、後ろ暗いことを抱えているという事情。更に、周囲の組織との関係が、壊滅的に悪いという事情。新規に雇うとなれば、主義主張は勿論、背後関係までしっかり調べてからではないと安心できないと言う事情がある。他組織と繋がりのある人物をジオフロントにいれるなど、論外なのだ。
 しかし、一人二人という話ならばともかく、大量にとなれば、難しい。難しすぎる。
 また、シンジの懐柔の手を伸ばしているのは、その本業の関係から、暴力の専門家、保安部員を中心にして、調べモノをする諜報部へと延びている。
 新規雇用の人材の背後関係を調べるのは、諜報部の仕事である。事務仕事の人事部では、難しすぎるのだ。そして、その諜報部がシンジの手の内ともなれば……
「…………問題ない」
 今度のゲンドウの返答には、僅かばかり、これまで以上の間が空いた。
 矢張り、ゲンドウも自分同様に懸念を抱いているらしい。
 そう、冬月は判断する。
 しかし──
 やっている事の善し悪しはともかく、カエルの子はカエルか、との感想を冬月は抱いていた。
 周囲を威圧、恐怖感でもって組織を掌握するゲンドウ。
 天真爛漫のカリスマでもって、周囲の者を惹きつけたユイ。
 シンジには、この両者から受け継いだ才能があった。上に立つべくして立っている。そう見えた。
 全く、やっていることが親子揃って本当に善し悪しであるが。
 自分を棚上げして、冬月は嘆息した。
 全く、手間ばかりかかせる親子である。
「兎に角、シンジ君に対する準備をしておく必要があるぞ」
 野放しには絶対に出来ない。その思いから、冬月は口にした。
「問題ありません。所詮は、予備です」
 ゲンドウは、冬月が内心で愚痴っている間に考えを纏めたのか、今度は即答する。
「赤木博士」
 そして、今まで黙ってやりとりを見つめていたリツコに声をかける。
「はい」
 リツコは、短く応じる。
「レイの方はどうなっている?」
「はい」
 もう一度頷き、リツコは唇を湿らせると、報告する。
「体の方は、問題ありません。3人目であることを隠すために、怪我をしているように見せているだけですから。「教育」の方も、一応の終了をしております。しかし、前回ほどの決め手がない分、支配力は弱まっていると言えるでしょう。が、どちらにせよ、これ以上は現状では不可能といえます。──後は、零号機の凍結解除さえ出来れば、直ぐにでも起動実験は可能です」
「近日中に、委員会から許可と予算を出させる」
 起動実験で「暴走」したEVA零号機は、現在、硬化ベークライトで固められた凍結状態にある。これを実戦配備するためには、かなりの金額が必要となる。その辺りを、ゼーレの老人達は出し渋っている。これは、ゲンドウの人気の無さにも原因を求めることが可能だ。嫌がらせ。その側面もあるのだ。しかし、何時までも凍結していられるモノでもない。近日中に、第5の使徒の襲来がある。遅くとも、その時までには予算が降りてくるはずである。
「赤木博士は、零号機の起動実験の準備と同時に、初号機に仕掛けを施しておいて貰おう」
「レイが出れば、シンジ君は用済みと言うことかね?」
 僅かに慌て、冬月が口を挟んでくる。
 これが、ゲンドウのシンジに対する準備だ。
 用済みとなれば、どうするか?
 いや、用済みな上に、有害となればどうするか? 
 決まっている。
 ゲンドウは、冷めた目で冬月を見つめた。
 相変わらず、覚悟が足りない。いつまで善人ぶったことを言うつもりか。すでにお互い、全身は他人の血で汚れまくっているというのに。そしてこれから、更に血の量は増える。増え続けるというのに。
 その、冷めた視線はサングラスの向こうに隠され、冬月からは見ることは出来なかった。
「使徒の方をどうするつもりだ? はっきり言って、レイ一人では荷が勝ちすぎるぞ」
「ドイツから、弐号機をパイロットごと召還する手はずになっています」
「……そうか」
 冬月は、反論を封じられて黙り込む。
 結局、口を挟んでくるだけで、何もできないのだ。何もしないのだ。
 ゲンドウは、隠した口元に、嘲るような笑いを浮かべた。


 リツコは、ゲンドウ、冬月の様子を無言で見つめていた。
 この二人は、いざとなればシンジを排除すればいい。そう考えている。そして、それは大した手間も無いことだと。
 しかし、リツコは二人ほど楽観できないでいた。
 明らかに、リツコとシンジの倫理観は違う。否、リツコだけではない。育った環境のせいで、シンジの善悪の判断は、通常の人とは著しく異なる。
 彼にとって、悪事は悪事ではない。目的達成のために必要となれば、普通の人が悪と認識するようなことでも、躊躇わない。躊躇うとしたら、そのメリットとデメリットの計算の結果だけが理由だろう。悪いことだから、と躊躇うことはしない。つまり、精神的な掣肘をまるで受けない。当たり前のことを、当たり前にする。その程度の認識でもって──例えば、人を殺す。
 そして、シンジは、只、悪事を働くだけの馬鹿ではない。きちんと、物事を考える頭を持っている。状況を判断し、自分が有利になるように行動する。暴力にモノを言わせるだけの馬鹿ではない。
 EVAを使った、敵対組織の人材の排除。
 巫山戯るな、と言いたい。
 しかし、効率的であったことは確かだ。
 いかに暴力の専門家とは言え、EVAを相手にすれば、そんなものは何の足しにもならない。一撃して叩きつぶされるだけ。事実、潰されている。
 しかも、使徒の襲来を利用して、敵対者を一カ所に集めて、纏めて潰している。
 一人一人を潰していくのでは、EVAを使っても手間がかかりすぎる。その辺りの問題を、きちんとクリアして。
 また、使徒退治に便乗する形であったため、EVAを使用したことに関する経済的損失は、シンジにはない。全てはネルフ持ちだ。──もっとも、経費その他をシンジが持ったとしても、勝手に利用することを許可などは出来ないが。
 更に、ネルフの側の事情も理解している。
 非公開組織であること、そして、自分の重要度。その辺りをしっかりと。
 ネルフとしては、現時点ではシンジを庇わざるを得ないのだ。また、EVAを使って暴力団員を虐殺した、こんな事情を公表できるわけもない。
 結果、ネルフはシンジに頼まれるまでもなく、情報操作を施し、事故として処理せざるを得ないのだ。
 シンジは、馬鹿ではない。
 自分が排除されるとなれば、素直に従うはずがない。
 また、同時に、自分がそうした危険な場所にいることも理解しているはずだ。
 その辺りを、この二人は理解しているのだろうか?
 いや、理解している。その上で、気が付かない振りをしているのではないだろうか?
 国際社会では、恐れられ、疎まれているゲンドウ。同時に、重要人物である。
 しかし、シンジには、そんなことは問題でもないだろう。
 必要とあれば、もしくは、自分に危害を加えるとなれば、始末することに躊躇はしないだろう。
 親子だから。そんな安心の仕方もできない。
 シンジを捨てたゲンドウである。自分に必要な駒としてしかシンジを見ていないゲンドウである。
 なのに、向こうだけが自分のことを大切だと、親子の情を持っていると思うほど、虫の良い話もないだろう。ゲンドウにとってそうであるように、シンジにとっても、ゲンドウなどはどうでもいい存在。使える内は使うが、そうでなければ始末する。その程度の存在だろう。
 しかし、ゲンドウはそれに気が付かない振りをしている。
 リツコの見るところ、間違いなく、ゲンドウはシンジに恐怖していた。
 いざとなれば、自分を始末しようとする存在。人の生き死にが書類の上だけの世界で暮らして来たゲンドウに、直接的な暴力を見せつけた存在。
 恐怖している。
 だからこそ、認めたくない。
 事実から、目を逸らして心の安定を図っている。
 小さい男だ。
 リツコは、内心でせせら笑う。
 しかし、同時にその思いは、自分に返ってくる。
 ならば、自分は?
 小さなゲンドウに従う自分は何なのかと。
 リツコは頭を一つ降ると、もう一つの懸念をゲンドウに伝えるべく、口を開いた。
「葛城二尉の件ですが──」

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