#33 オオアナ
N2爆弾は、クリーンな兵器である。
これまでの原爆とは違い、一切の放射能を発生させない。だから、地球に優しいクリーンな爆弾なのだ。
大規模破壊兵器。地表を焼き払い、巨大なクレーターを作り上げる。地図を書き換える必要が出るほどの破壊力は、プレートなどにも影響を与えるだろう。巻き上げられた粉塵は、遙か成層圏を越え、地球の周りを長い年月覆い、日照量を減少させて、寒冷化を招く。
しかし、地球に優しく、クリーンである。
何と言っても、放射能を発生させないのだから。
間違いなく、クリーンなのだ。
誰が、何と言おうとも。
第3新東京市近くには、巨大なクレーターが存在している。
第3使徒戦に於いて、国連軍が切り札として使用したN2地雷によって大地に穿たれたモノである。
その巨大なクレーターは、現在では通称、「オオアナ」と呼ばれ、一つのデートスポットになっている。
夜ともなれば、遠巻きにそのオオアナを眺めながら、愛を語るカップルに不自由しない。
「ごらん、今日も綺麗に輝いているよ」
「ほんと、青白くて、綺麗。──でも、アレって何の光なの?」
「さあ……放射能はないはずだから、チェルネンコ光ではないはずだし。燐光? セントエルモス、なのかなあ?」
そう、繰り返すが、N2爆弾は放射能とは無縁なのだ。これは、基本である。
しかし、理由は不明だが、オオアナは夜ともなれば、薄く青白い光に包まれる。この光の正体は不明。不明だが、確かに結構綺麗な見物であり、だからこそ、オオアナはデートスポットの一つに数えられるようになったのだ。
無論、正体不明のままで放っておこうと言う者ばかりではない。調べようとオオアナに調査に赴いた科学者も、勿論存在した。しかし、現時点では何も分かっていないと言うのが本当だ。
また、地球に優しい兵器。
その謳い文句に背くように、オオアナには一切の生物が存在しない。それこそ、ペンペン草も生えず、焼けこげた地表を露わにしている。おまけに、救助や調査に赴いた者の殆ども、直後に体の変調を訴え、多くはそのまま死亡している。生き残った者も、深刻な障害を抱え、闘病生活をしているという。
非常にデンジャー?
いや、違う。
何しろ、N2爆弾は放射能を発生させないのだから。
クリーンで、安全な爆弾なのだ。
誰が、何と言おうとも。
ある日。
そのオオアナを遠巻きに見つめる一人の男の姿があった。
男の名前は、猿田ハカセ。科学者である。
彼は、クリーンと評判のN2爆弾の安全性に疑問を抱き、オオアナの調査を続けている。
この辺りで、猿田が主流から外れた科学者だと言うことが解る。何しろ、有名どころ、主流どころの科学者は、こんな事を調べたりはしない。なぜなら、N2爆弾は、クリーンな爆弾なのだから。わざわざ、調べたりする必要なんて、無いのである。
猿田は調査、と言っても、墓場、あるいは病院送りとなった、調査隊の二の轍を踏むつもりはない。オオアナに接近することは、危険だと、当たり前に認識しているから。
猿田手持ちの放射能測定装置、いわゆるガイガーカウンターには反応はない。
N2爆弾の売り文句の通り、放射能はない。
それだけは、認めてもいい。
しかし、何らかの、人体、いや、生物全般に有害な物質が存在する。間違いないと、猿田は確信していた。
「冥府の物質、プルトニウム」
原爆の主材料となる放射性物質、プルトニウム。これさえ充分に所持し、基本的な物理学さえ修めておけば、誰にだって原爆は作れる。いや、プルトニウムの純度が高ければ、わざわざ加工するまでもなく、ある一定量が集まれば、勝手に爆発してくれる。結構、原爆とはシンプルである。
それはともかく。
原爆の材料、プルトニウム、それに対して──
「こちらは、天使の物質、エンジェリウムとでも名付けるべきか?」
猿田は呟いて、自作の装置を見つめた。ガムテープで補強されていたり、一目で寄せ集めの部品で作られたと解る、非常に見栄えの悪い装置だった。お世辞にも、洗練されているとは言い難い。しかし、勝負すべきは外見ではなく、中身である。
これは、猿田の開発した波形パターン測定装置である。
「微弱ながら、パターンブルーを測定している」
機械備え付けのモニターのグラフをのぞき込み、猿田は呟いた。
最初の測定以来毎回、ここ、オオアナでは微弱なパターンブルーが測定されている。だからこそ、猿田は正体不明の有害物質に、天使の物質、エンジェリウムという仮の名前を付けたのだ。
微弱な、本当に微弱な反応。ネルフの持つパターン測定装置でも、これだけ微弱では感知することは出来ないだろう。しかし、確かに存在した。
「何が、地球に、環境に優しい爆弾だ」
猿田は憮然とした声で吐き捨てた。
確かに、放射能こそ発生させない。しかし、それに変わらない有害物質をまき散らすのでは意味がない。いや、却って放射能よりも有害かも知れない。何しろ、何が生物に有害なのか、それすら分かっていないのだから。
がががががががががががが。
不意に、測定装置が耳障りな音を立て始める。
パターン測定グラフの波形が、激しく乱れている。
とは言え、ネルフの測定装置に感知できるレベルには、未だ、遠い。
これは、用途の違いのせいで、ネルフの測定装置が限りなく低レベルというわけではない。公平に見れば、ネルフのモノの方が、余程高レベルである。
ネルフの測定装置は、猿田のモノと比べれば、広く、薄く、と言うことになる。何しろ、カバーする範囲が桁違いに広いのだ。
対して、猿田の方は、ある一点を集中的に。
そうした、用途の違いである。望遠鏡と、顕微鏡のように、求めているモノが違う。そんなところである。
「何事だ?」
いきなりがなり立てた測定装置に戸惑いながら、猿田は素早くチェックを開始する。
機械の故障、それを真っ先に疑っていた。何しろ、お手製。いろいろな部分で不安定なのだ。
しかし、目に見えて故障しているようには見えない。見えているようでは、終わっているが。
「ゲイツの故障か? 矢張り、制御コンピューターのOSは、他のもう少し信頼性の高いモノを選択するべきだったか?」
幾つかのボタンを操作。そして気が付く。一番可能性のありそうな、OSの障害ではないようだ。となると、途端に故障の原因が判別できなくなる。
取りあえず、ここは機械の故障ではないとしておこう。
ならば、原因は?
故障していないとしたら?
「ま、まさか」
猿田は慌てきった声を出して、ポケットからオペラグラスをとりだした。
オペラグラスと馬鹿にしてはいけない。こちらも、猿田謹製の、スポーツ観戦用に市販されているモノよりは、余程優れたモノなのだ。
開くのももどかしく、猿田はオペラグラスを目に当てる。
見つめるのは、オオアナの中心部。
機械的に焦点が合わされ、視界がクリアになる。
「……」
猿田は、そこにあるモノを発見して、絶句した。
元々、オオアナが出来る前には、ここには一つの都市が存在していた。しかし、その都市は住人ごと、N2地雷によって焼き払われている。住人は、勿論シェルターに逃げ込んでいた。しかし、そんなことは焼け石だった。強力な、N2地雷の破壊力。地表を焼き払い、抉り──徹底的なまでに、都市を破壊した。破壊し尽くした。その強大な破壊力の前には、シェルターの分厚い壁も、紙切れ程度にも役に立たなかった。
また、その大破壊から運良く生き延びたとしても、正体不明の有害物質の存在。
N2地雷のメーカーは決して認めようとしないが、それは、現として存在する。
調査に赴いた者、救助に赴いた者。
そう言った人間が、正体不明の疾患に罹患して全滅すると、その時点でこの都市の住人は全滅したとされ、土地は封地とされた。
生ける者の何もない、死の大地、オオアナ。
ここは、そう言う場所のはずだった。
しかし、猿田の覗くオペラグラスの向こうには、動くモノが存在した。
モノ、などと言ってはいけない。それは、者だった。
一人の少女が、オオアナの中心にぽつりと立ち、地面の石ころを持ち上げている。
「ブルータイプ。……本当に、存在したのか」
猿田は、呆然と呟く。
目撃情報はあった。
デートに訪れ、そして偶然見かけた。そんな情報。
しかし、それは良くある都市伝説の類だと切り捨てられてきた。
何しろ、10万近い死者の出た場所、オオアナ。怪談の類が作られたとしても、全く不思議ではないのだ。
その、確認されていない人間の名前は、波形パターンにちなんで、ブルータイプとされた。ネルフの情報操作も、第3新東京市に住んでいれば、いろいろと粗も見える。見えまくる。そんなところだろうか。
噂では、ブルータイプは、その正体不明の有害物質──猿田の言うところの、エンジェリウムの濃厚な大気の中でしか生きられないと言うハンデを持つ。しかし、代わりに超能力を持っているという未確認の情報もある。そして、彼女らは──そう、ブルータイプは全てが少女だ──自分たちの街を焼き払い、家族を殺した人間達を憎んでいるという。同時に、自分たちの居場所を広げるため、有害物質エンジェリウムを全世界にまき散らそうという野望を抱いていると言う。
下らない、都市伝説?
いや、実際、ブルータイプは猿田の目の前に存在していた。
オペラグラスの向こうの少女は、持ち上げた石ころを吟味しているように見える。
ブルータイプ。波形パターンにちなんだと言うほかに、その容姿から名付けられたという説もある。
少女は、非常に青白かった。
蒼銀の髪の毛、顔色は不健康なまでに青白い。
格好は、粗末なぼろぼろの服を纏い、そこかしこを新聞で補強している。
髪の色さえなければ、焼け出された不幸な少女、そう見える。
しかし──
猿田は、思わず一歩、前に踏み出していた。前、オオアナの方に。
それを見計らったかのように、オオアナの方から風が吹いた。
「──くっ」
それだけで、猿田はめまいを感じた。
有害物質エンジェリウム。その致死性は高い。抵抗力の低い者は、これだけで命を失うことすらあるという。逆に、この風を受けると、生殖能力と引き替えに、能力がアップするという話も存在するが、何処までも未確認だった。
眩暈から立ち直った猿田は、慌ててオペラグラスをオオアナの中心に向ける。
しかし、そこには既に、ブルータイプの少女は存在しなかった。
まるで、猿田が白昼に夢を見ていた、とでも言うように、その痕跡すら見えない。
多くの者は、見間違え、そう考え、だからこそ、半ば笑い話の怪談、都市伝説の類として、ブルータイプは片付けられてきた。
しかし、猿田はそうは考えない。
ブルータイプ。その目的は、人類に復讐をすること。そして、自分たちの生息可能な場所を広げるため、全世界をエンジェリウムで満たすこと。
それは、ただの人である猿田にとって、脅威だ。猿田だけではない。全人類規模の問題となるだろう。
猿田を含める旧人類と、新人類ブルータイプとの、この地上の支配権をかけた戦い。どちらの種が生き残るか。これは、生存競争だ。
はっきり言って、これは一介の科学者である猿田の手には余る。
「……ネルフに、報せるしかないか」
わざわざ、自分で名前まで考えた有害物質、エンジェリウム。出来れば、その発見者は自分でありたい。そうすれば、エンジェリウムという呼び名は、全世界で認められる。同時に、猿田自身も。
しかし、それは猿田個人の欲だった。個人の欲のために、全人類を危険に晒すわけには行かない。
猿田は、測定装置を肩に担ぎ上げると、第3新東京市へと急いだ。
事態は、深刻だ。一刻も早く、対抗策を準備する必要があるのだ。
しかし、残念なことに、ネルフの受付は、猿田の話をあざ笑った。
「有害物質、エンジェリウム? おまけに、超能力を持った新人類ブルータイプですか?」
明らかに、その言葉は嘲りを多分に含んでいた。
「そりゃ〜、深刻ですねえ」
「そう思うならば、総司令に引き継いで貰いたい。技術部主任でも良い。兎に角、誰か、責任のある人間と──」
猿田は引き下がらなかった。
人類の危機。その危険意識、義務感が、猿田の背中を押していた。
「残念ですが、総司令は今、忙しいんです。技術部主任も同様です。──まあ、自分が後で知らせておきますから、ご安心下さい」
明らかに、猿田を追い返そうとしていた。後で知らせる。全く、当てになりそうになかった。多分、猿田が立ち去った直後、同僚に笑い話としてでも話した後、即座に忘却するだろう。受付の態度は、そう言う信頼できないモノだった。
「これは、一刻を争う状況なのだ。──君では話にならないから……」
「はいはい、みんなそう言うんですよ」
受付は、露骨に面倒くさそうな対応をした。
「玄関に隣のイヌが糞をした。これは、北●鮮の陰謀だ。早く対処しないと、やばいことになる。──隣の家が、毎晩大騒ぎする。これは、きっとアル●イダのテロだ。──私の下着が盗まれた。これは、きっと伝説の勇者の仕業に違いない。早く退治しろ。──ポルトガルやイタリアやスペインが負けたのは、●国の陰謀だ。これには、俺も同意。──亭主の稼ぎが少ない。これは地球のピンチだ。……ピンチなのは、あんたン家の家計だろうが。──兎に角、下らない苦情は、ネルフじゃなくて、市役所の窓口にでも言って下さいよ」
「だから、そんなものと一緒にしないでくれ。私は、冗談や嫌がらせでこんな事を言っているわけではないのだ」
「みんな、そう言いますね」
「……君と話していても、時間の無駄だ」
「意見があって、重畳ですね。お帰りは、あちらです」
「もういい。勝手に入らせて貰う。技術部主任の部屋は、何処だ?」
猿田は焦れて、実力行使に出た。
それまでだらけ、客の前だというのに鼻をほじっていた受付が、見るからに慌てる。
「一寸、勝手に入らないで下さい! 不法侵入ですよ!」
「君では話にならん。もっと、話の分かる者を──」
「侵入者です。直ちに保安部員を──」
慌ただしく通信機に向かって喚く受付。
「どうしたんですかあ?」
そこへ、呑気な少女の声。
「こ、これは、ユウキさん」
直立不動になる受付。明らかに、猿田に対するモノとは態度が違う。
「このおじさんが、どうかしたんですか?」
少年の声が聞こえ、そちらに視線を向けると、床に平たくなった猿田と、その脇に立つシンジの姿。とんでもない早業だった。
「不法侵入者であります。シンジさんの手を煩わせて、本当に申し訳ありません」
「別に、これ位は手間でもないけど」
シンジは、呑気に応じた。
「でも、どうしたんですかあ?」
ユウキが、小首を傾げて尋ねてくる。
「いや、このおっさん。何でも、人類のピンチをネルフに知らせに来たようです。有害物質……ええと、エンゲル係数に、新人類ブルータイプ」
「何ですか、それは?」
「さあ」
受付は、首を捻った。
「最近、日本は年中夏ですから。どうも、頭の中まで暖まってしまった人間も多いらしくて」
「それじゃあ、これは適当にぽいしておきましょうか?」
「いえいえ、そんなことをさせるわけには。こちらで、片付けます」
受付の言葉を待ち受けていたみたいに、わらわらと保安部員が登場する。
「それじゃあ、お任せします。僕らは、これで」
「今日は、シンクロテストですか? 頑張って下さい」
受付、保安部員の言葉を背に受けながら、シンジ、ユウキはネルフの中へと入っていった。
猿田は、保安部員の手で、第3新東京市の外れにうち捨てられた。
ここにいたり、猿田は決意する。
ネルフは当てにならない。
ならば、どうするか?
ネルフが当てにならないのであれば、自らの手で何とかするしかない。
そう心を決めた猿田は、行動を開始する。
がんばれ、猿田ハカセ。
ブルータイプの侵略から人類を守れるのは、あなただけだ!
……多分。
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