#35 男の尊厳


 その日、シンジが出先から自宅に戻ると、そこにはミイラの出来損ないが転がっていた。
 全裸の男。かさかさに乾き、骨と皮だけになっている。しかし、その顔は、まるで天国を見たかのようにだらしなく緩み、満足しきっているかの様に見えた。
「何、これ?」
 シンジは横にいたユウキに尋ねる。
 ユウキも解りかねると言う具合に、首を振る。
 ユウキは、今日もシンジと一緒に行動していた。だから、ユウキだけが事情を知っている、そんなことはあり得るわけがない。なのに尋ねてしまうあたり、シンジも戸惑っていたのだろう。
「何か、危ない病気でもはやっているのでしょうか?」
 ユウキはのほほんと、首を傾げて呟く。
「それって、洒落にならないんじゃあ?」
 シンジは、顔を顰める。
 ここ、第3新東京市には、正体不明の敵生体、使徒が襲来している。その死体が、現在、街はずれの山の斜面で解体、処理中である。訳の分からない怪物。どんな疫病を運んでくるか、分かったモノではない。ユウキの発言はそこまで考慮したモノではないのだが、シンジは少しばかりぞっとした。充分にあり得る。まじめに、洒落にならないのだ。
 二人は、顔を見合わせると、用心深い足取りで、自宅の中へ進んでいく。
 シンジは素手だが、ユウキの方は、スカートの中から拳銃を引っぱり出している。
 途中、更にもう一人のミイラを発見。
「……」
 シンジは、無言。
 しかし、緊張感に溢れていると言うよりは、どこか、恐怖を感じているように見える。
「?」
 ユウキは不思議そうに、シンジの表情を見、首を傾げた。
 何か、とんでもないことが起こっている。それは、確かだ。間違いない。緊張するのも解る。しかし、なんだかシンジの緊張は、微妙に何かが違う。そう思わせるモノだった。
「何か、思い当たることでもあるのですか?」
 ユウキは、用心して小声でシンジに尋ねた。
「い、いや、た、多分、そ、それはないんじゃないかなあ、と思う。な、なくて欲しいなあ、と思う」
「どもって、どうしたんですか? まるで、本家のカイブツさんみたいですよ」
 ユウキは、更に首を傾げた。
 シンジは、どうやらこの状況の理由に、心当たりがあるらしい。しかし、一体何事なのだろうか。
 そのユウキの耳が、微かな声を捉えた。
「……勘弁して下さい。もう、煙も出ません」
「まだまだ、オレは満足していないぞ」
 助けを請うような男の声と、オレとは言うが、女の声だった。
「ええと、この声って……」
 思い当たる所のあったユウキは、シンジの顔を見る。
「うわあ、まさかと思ったけど」
 シンジは、両手で頭を抱え、その場にしゃがみ込んでしまった。
「どうしたんですか?」
 ユウキは更に不審という顔をする。それから、シンジが小声で何事か呟いているのを見て、そちらに顔を近づける。
「……逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ、逃げちゃ駄目だ」
「その呪文、ひさしぶりですねえ」
 ユウキがおっとりと、どこか感心したふうに頷く。
「──たく、シン坊の奴、部下にろくな指導をしていないな」
 向こうからは、ぶつぶつ言う女性の声が聞こえてきた。それから、僅かな間。着衣を整えているような微かな音がして、その後、廊下の向こうの扉が開いた。
「ああ〜、やっぱり〜」
 その扉から出て来た女性を見て、シンジが悲鳴に近い声を出す。
「あれ? メグさん」
 ユウキは、一瞬戸惑うが、直ぐに普段通りの表情、口調で、お久しぶりですと挨拶をする。
 女性は、碇マーガレット。碇ムテキの娘の一人だった。
「久しぶりだな、ユウキ。シン坊には、可愛がって貰っているか?」
 マーガレットは、にこやかにユウキに挨拶をする。
「はい、それなりに」
「そいつは良いな。──で、シン坊の奴、何で頭を抱えているんだ? 麗しのメグ姉さんがわざわざ来てやったって言うのに」
 頭を抱え、ぶつぶつと例の呪文を唱えているシンジを不機嫌に眺め、マーガレットが尋ねる。
「さあ?」
 ユウキは、困ったような顔で、首を傾げた。
「おい、シン坊。麗しのメグ姉さんに挨拶はどうした?」
「……何しに来たんですか?」
 しゃがみ込んだまま、ジト目でマーガレットを見上げて、シンジが尋ねる。
 マーガレットは、山王会の関係者である。正面切っての敵対こそしていないが、碇組と山王会は潜在的な敵同士になるだろう。天野連合の謀略からの流れで、山王傘下の幾つかの組が碇組に流れたため、少なくとも山王の方では、きっぱり、こちらを敵視しているはずだ。
「ステキ兄が、シン坊の所へ行きたければ行けばいい、と言ったからな。だから、来てやったんだよ」
「……そんな、簡単に」
 呆れ気味に、シンジ。
「だいたい、山王も長くなさそうだしな。オヤジ殿がいなくなってから、どうにも息が詰まるし」
「……しかし、良くもまあ、ステキのおじさんが、メグ姉を手放しましたね」
 山王の経営する、男性向け特殊浴場その他、風俗関係の責任者がマーガレットである。本人にとっては仕事と言うよりは半ば趣味のようだが、それでも、その技術指導やスカウトの腕前は大したもので、その分野が山王の収入の大きな部分を占めているのは、マーガレットの存在故だろう。お手軽に手放せるような人材ではないはずだった。
「まあ、気にするな」
 マーガレットは、気楽に応じる。
 ステキだって、本当は、本気で出ていくとは思わず、売り言葉に買い言葉で口にしたに過ぎないだろう。しかし、マーガレットは気にしなかった。ここは都合良く、額面通りにステキの言葉を受け取り、好きにさせて貰った。
「本当は、もう少し早く来ても良かったんだが、アレでシン坊も終わりかな、と思ったんで様子を見ていたんだ。まあ、シン坊、良くやったな」
 アレとは、天野連合の報復部隊の事だろう。確かに、総勢10数人に過ぎない組に、2000人の兵隊が攻めてきた。これで終わるだろうと考えるのが普通だった。
「……何というか、ものすごく、日和見?」
「当たり前だろう。シン坊と一緒に終わる義理はないぞ」
「……そうですか」
 堂々と宣言され、半ば呆れ、半ばメグ姉らしいと納得するシンジ。無条件で自分の味方をしてくれる、そう言われるよりは、余程、信頼できるかも知れない。少なくとも、メリットがある限りは、こちらの味方をしてくれる、と言うことだろう。
「──と言うわけで、オレに専用の施設を用意してくれれば、シン坊に莫大な収入を保証してやるぞ」
「直ぐに用意します」
 シンジは即答した。収入は、多ければ多いほど良い。そして、マーガレットの手腕の確かさは、既に証明されている。躊躇う理由はない。
「うん、話が早いな」
 マーガレットは、満足したように頷く。
「……まあ、それはそれとしてだ」
 そのマーガレットの表情に、何を感じたのか、シンジは僅かに腰を引く。
「な、何ですか?」
「カイブツ兄の真似か? それは」
 ユウキと同じ事を言い、にやりと笑う。
「お前の部下の教育は、全然なっていない。おかげで、オレはまだまだ、食い足りない」
「……化け物」
 少なくとも、3人、吸い尽くされている。シンジが、ぼそりと呟く。
「失礼なことを言う奴だな。……まあ、そのあたりの詫びも含めて、シン坊、一寸、オレの相手をしろ」
「冗談じゃないですよ」
 シンジは悲鳴に近い声を出した。
「この年で、赤い玉が出たりしたら、どうするんですか? 洒落になりませんよ。そんな事になったら、生きる気力が無くなります。ゲームオーバーです」
 必死に、叫ぶ。
「大丈夫、加減はする。……多分」
「全然、信用できませんよ」
「全く、恩知らずな奴だな。誰がお前を男にしてやったと思っているんだ?」
「はいはい、恩に感じていますよ」
 シンジは、まるで気のない態度、口調で応じた。
「可愛くない奴だな。全く、あの時は可愛かったのに。……僅か3こすり……」
「メグ姉!」
 どうやら、男の尊厳に関わる話らしい。シンジは、大慌てで叫ぶ。
「いくらメグ姉でも、それ以上は……」
 怖い顔になって、シンジが告げる。
 それを見、マーガレットは軽く肩をすくめた。
「冗談だ。──全く、しゃれの通じない奴だな。そう思わないか、ユウキ?」
「私としても、詳しく教えて貰いたい所なんですけど」
 にしし。そんな顔で、シンジを見ながら、ユウキ。
「ユウキ」
「いやですねえ、怖い顔をして。勿論、冗談ですよ」
 シンジに睨まれ、ユウキは誤魔化す。
「それじゃあ、そのあたりをユウキにはこっそりと教えてやろう。それじゃあ、今から直ぐ。そこのベッドルームで、二人きりで」
「え?」
 素っ頓狂な声を、ユウキは出した。
「私ですか?」
「ああ、色々教えてやろう」
 きっぱり、獲物を見る目で、マーガレットがユウキを見る。
 ユウキは、だらだらと汗を流し始めた。今までは、半ば蚊帳の外。だから、安心しきっていた。しかし、いつの間にかしっかりロックオンされてしまったらしい。つまり、大ピンチ。
「あんな事も、こんな事も、教えてやるぞ」
 碇マーガレット、両刀である。男女、どちらだって構わない。つまり、シンジでなくて、ユウキでも。
「ええと……」
 ユウキは、助けを求める様に、シンジを見た。
 シンジは、自業自得という顔で、ユウキの懇願するかのような顔を見ない振りをしている。どうやら、男の尊厳に関わる問題を追求しようとしたことで、不機嫌になっているらしい。
 流石のユウキも、焦りまくった声を出す。
「え、ええと、私は、至ってノーマルですから、その」
「若いウチから、そんなに保守的でどうする? オレと一緒に、新しい世界の扉を開いてみるのも良いぞ。大丈夫、絶対に、良い思い出にすることを保証するぞ」
「え、遠慮しておきます」
 ユウキは、逃すまいとじりじりと間を詰めてくるマーガレットから逃れ、後ずさる。が、直ぐに背中が壁にぶち当たってしまう。それでも、更に下がろうと努力するが、無駄なあがきである。
 ユウキ、絶体絶命。
 そんな瞬間、誰かが帰宅した音がした。
「な、なんだ、これは!」
 悲鳴に近い声が、玄関口から聞こえてくる。
 どうやら、ミイラの出来損ないを発見したらしい。
「お前は、五十嵐? どうした、しっかりしろ!」
「マサさんですねえ」
 マーガレットの注意がそれた隙に、その包囲からするりとユウキは逃げだし、シンジの背中に隠れる。
「誰か、無事な者は──」
 どたどたどたと、慌ただしい足音がして、やって来たのはユウキの言葉通り、帆村だった。シンジを見つけ、僅かにほっとしたような表情になる。
「し、シンジさん。これは、一体何が起きているんですか? 玄関口で、五十嵐が──」
「何がって……」
 説明しがたい。そんな顔で、シンジ。
「ふ〜ん、なかなか、いい男もいるじゃないか」
 マーガレットが、帆村の顔をじろじろと無遠慮に眺め、呟く。
「……メグ姉」
 呆れたように、シンジ。
「そちらは──シンジさんのお姉さんですか?」
 帆村が、初めてマーガレットに気付いて尋ねてくる。どこか、ぼんやりしている様に見えた。
 マーガレットを見て、世の男性、女性がこうした表情をすることは、珍しいことではない。見た目、間違いなく美人なのだ。それも、男女を問わず惹きつける魅力に溢れている。まるで、食虫植物が獲物を惹きつけるように。
「遠縁のいとこ、って所だな」
 答えたのは、マーガレットである。それから、にっこりと会心の笑みを浮かべる。
「シン坊、オレは、この人に第3新東京市を案内して貰うことに決めたぞ」
 異論はないよな。そんな口調できっぱりと、マーガレットが告げる。
「案内って……」
 本当に案内なのか? そう反論しかけ、シンジは止める。
「解りました、メグ姉。帆村さん、こちら、メグ姉──碇マーガレット。以後、僕に、協力してくれることになりました。そこで、帆村さんは、メグ姉に第3新東京市を案内してあげて下さい」
 うって代わり、積極的になって、シンジは告げた。
「は? はい、それは、良いのですが……玄関先で、五十嵐がミイラになっています。そちらは──」
「気にしないで下さい」
「は、はあ?」
 不明瞭な顔で、帆村は首を傾げた。
「こちらで、医者を手配しますから、帆村さんは気になさらず、メグ姉の相手をしてあげて下さい」
「はあ、解りました」
 まだ、どこか納得がいかない様子だが、それでも、シンジの命令と言うことで、頷く。
「それでは、どこから案内しましょうか?」
「任せるよ」
 鷹揚にマーガレットは頷き、二人して連れ立って退場しようとする。
「あ、帆村さん」
 シンジは、その帆村を、帆村だけを止めた。
「これ」
 そう言って、財布の中からお札を取り出して、帆村に手渡す。
「何ですか? え? こんな大金を、いきなりどうして?」
「これで、スッポンか、ニンニクか……栄養ドリンクでも良いです。兎に角、何でも良いですから、精の付くモノを食べて下さい。──ただし、良いですか? 絶対にそれは、メグ姉には食べさせないで下さい。帆村さんだけ、こっそりと、食べるようにして下さい」
「はあ?」
 ますます、帆村は理解不能という顔になる。
 シンジが姉と呼ぶ人物。重要人物だ。
 確かに、美人だと思う。綺麗だと思う。スタイルもばっちりだし、男として、一度くらいは相手をして貰いたいと思う。
 だが、シンジが姉と呼ぶ人物である。
 きっぱり、後が怖い。だから、手を出すつもりはない。
 なのに、精力を付けろと、当のシンジから。
 これは、襲えと言っているのだろうか?
 二人の関係が、今ひとつ理解できず、帆村は首を傾げる。
「マサさん、頑張って下さいね」
「は、はあ?」
 ユウキの方まで、握り拳で帆村に声をかけてくる。応援している。
 一体、これは何なのだろうか?
「ほらほら、早く行こう」
 戸惑う帆村の腕に、マーガレットがしがみつく。それも、豊満な胸を押しつけるようなしがみつき方で。
「は、はい」
 そう言えば、ここのところ、ごたごたしていてご無沙汰だったなあ。
 そんなことを考え、どぎまぎしながら、帆村はマーガレットに従い、二人して退場する。
 そちらをにこやかに見送り、見えなくなると、シンジは脱力したように、その場にしゃがみ込んだ。
「助かった」
 心から、呟く。
 そちらの方のテクニックでは、通常人では問題にならない高レベルなシンジ。素人から玄人まで、問題なくこまして、自分の言いなりにすることが出来る技術を持っていると自負している。
 しかし、世の中には上には上がいるモノである。そして、シンジが知る限りで最高の場所にいるのが、碇マーガレットである。きっぱり、シンジなどは子供扱いである。特に、男の尊厳をずたずたにされた、初心者時代の思い出もある。兎に角、マーガレットだけは、シンジにとって鬼門だった。
「……マサさんを人身御供に差し出すなんて、シンちゃん、非道ですねえ」
 人事のような口調で、ユウキが告げてきた。
「ユウキだって、そうだろ」
 シンジは、自分だけを悪者にしようとするユウキを軽く睨み付ける。
 それから、二人は揃って帆村とマーガレットの消えた玄関の方に視線を向けると、やっぱり揃って呟いた。
「帆村(マサ)さん、成仏して下さいね」
 そして、そっと手を合わせた。


 碇組の重要な資金源となる、特殊浴場部門の総責任者、碇マーガレット。彼女は、こんな具合にして、碇組にやってきた。
 尚、それから数日、帆村の姿を見かけた者はいなかった。
 めでたし、めでたし。

[BACK] [INDEX] [NEXT]