#37 シトとヒト


 解体現場。
 大慌てで建てられた巨大なプレハブによって、使徒の死体は隠されている。そして、その中では現在、使徒の調査、及び解体が急ピッチで進められている。
 第3新東京市に住んでいる者にすれば、「使徒」と言う存在について、知らないではいられない。それでも、一応は機密事項である。長々と、機密である存在の死体を野ざらしにしておけない。
 そしてもう一点。巨大な、しかし生き物である使徒。その死体を放っておくことは、衛生上も良くない。年中通して夏である日本。その温度、湿度は高く、早くも使徒は腐敗を始めている。このまま放っておけば、臭いだけではなく、疫病の原因にもなりかねない。しかも、得体の知れない生物。未知の疫病を発生させるかも知れない。一刻の猶予もない。
 しかし、使徒は巨体である。
 その大きさが、処分の進行を妨げている。
 殆ど、どこかの工場か工事現場のように足場が組まれ、重機まで持ち出して使用している。しかし、一向に使徒の処分は進んでいるようには見えない。また、繰り返すが、得体の知れない生物である。処分も、簡単に済ませることは出来ない。確実に処理するため、焼却処分をしている。勿論、そんなにでっかい火葬場は、存在しない。また、そこいらの焼却炉を使うわけにはいかない。出来うる限り高熱で処理しないことには、安心できない。万が一の時には、ダイオキシンなどと言うレベルではすまないのだ。 ネルフ特製の高熱処理用の炉を使ってはいるが、フル回転させても、なかなかおっつかない。
 その巨大なプレハブの中に建てられた、こちらは普通のサイズのプレハブ住宅。
 そこが、臨時の赤木リツコの執務室だった。
 愛用の携帯端末から、その他いろいろを持ち込んだその部屋の中で、リツコは難しい顔をして携帯のキーを叩いている。
 そのリツコの脇では、仏頂面をした葛城ミサトが、臭いに鼻を顰めている。
 まじめに仕事をしているリツコと、何をするでもなくそこにいるだけのミサト。
 いつもの図式である。
 だが、いつもの図式だからと言って、心が安まるわけではない。はっきり言って、リツコにはミサトの存在は鬱陶しい事きわまりない。せめて、こちらに気を使ってくれればいいが、そんなことを初手から考えないのが、葛城ミサトである。お気楽で脳天気。それはいいが、悪意がなければ全て許されると思っているような節があるのは、勘弁して欲しい。
「あなたも仕事をしなさい」
 リツコは、何度口に出そうとしたか解らない。
 おそらく、現時点でも作戦部長の元へは、様々な決済を求める書類が届いていることだろう。その全てを部下の日向マコトに押しつけて、自分はここで何もしないでいる。使徒との決戦時の作戦指揮だけが、作戦部長の仕事ではない。戦闘のため、準備を整えるのも重要な仕事なのだ。
 しかし、言っても詮無いことである。今まで、何度同じ事を口にしたか解らない。今まで通じなかった事が、今通じると考えるほど、リツコは楽観的ではなかった。元々、ミサトに求められているモノは、作戦部長としての優れた作戦能力ではない。事務仕事の処理能力ではない。ネルフ司令碇ゲンドウは、違った理由で葛城ミサトを飼っているのだから。
 兎も角、無駄なことは極力するべきではない。そう考えたリツコは、無言でキーを叩く。
「……そこで何もしていないんだったら、コーヒーでも入れてくれる?」
 それでも、我慢が出来なくなって、口を開く。多少嫌みが混じったが、それも仕方のないことだろうと自分を許容する。
 ミサトは無言で立ち上がり、リツコが自分で持ち込んだ道具や豆を使ってコーヒーを入れる。リツコの分は、専用の猫のカップに。ついでにいれた自分の分は、紙コップに。
「ありがと」
 リツコは短く礼を言い、再び無言でキーを叩き始める。
 その様子を、矢張り無言で、何をするでもなく、不機嫌な表情をして見つめているミサト。
「……鬱陶しいわね」
 遂に我慢の限界を超え、リツコは手を休めミサトの方へ向き直る。折角の、コア以外は無傷の使徒の遺体。理想的なサンプル。調べたいこと、調べさせたいことはいくらでもある。なのに、これでは集中できない。
「言いたいことがあるなら、はっきりしなさい」
「それじゃあ、言わせて貰うけど」
 どうやら、余程聞いて貰いたいことがあったらしい。水を向けると、即座にミサトは口を開いた。
「何で、私たちはあのガキの我が儘に振り回されなくちゃいけないわけ? ネルフは国連所属の真っ当な組織よ。やくざの出先機関じゃないわ!」
 口を開くと、感情を抑えきれなくなったのか、語尾が鋭くなる。
 リツコが、耳を押さえて見せようかと考えたとき、他の人間が口を挟んできた。
「真っ当かどうかは、意見が分かれるところですねえ」
「まあ、組織の中の人間には、なかなか外からどう見られているか、解らないもんだよ。その組織の中だけが全世界と錯覚することは多々あるからね。ここで一度、戦自や国連軍の意見に、耳を傾けることをお勧めしますよ」
 ミサトはその声にびくりとして、椅子の上から僅かにお尻を浮かせてしまう。
 それから、自分がびっくりしたことが気に入らない表情で振り向くミサト。
 そこには、声や口調から予想が付いたとおり、シンジ、ユウキが並んで立っていた。
 ユウキの方は、きっちりとヘルメットを被り、安全靴をはいている。きちんと、安全基準を遵守している。シンジの方は、首にヘルメットをかけると言った、いい加減な格好である。
「葛城さんも、髪の毛が心配なんですか?」
 ユウキが、のほほんとした声で、ミサトに尋ねてきた。
「え?」
 意味が分からず、不意を付かれた格好で、ミサトは聞き返す。
「いえねえ、シンちゃんは、髪の毛が心配だから、ヘルメットを──」
「ユウキ!」
 鋭く窘められて、ユウキは小さく舌を出す。
 ミサトもシンジ同様、ヘルメットをいい加減に首に引っかけた格好である。
「心配すること無いのに。──だいたい、シンちゃんのお父さんを見る限りでは、てっぺんじゃなくて額から来ると思うし」
「……」
 ミサトは脳裏に、ゲンドウの顔を思い浮かべる。そう言えば、ゲンドウは額が広い。シンジも、それに似た頭の形をしている。
「……ユウキ」
「あ、シンちゃん、冗談だから」
 怖い声で名前を呼ばれ、ユウキが慌てたように誤魔化す。
「冗談にならないよ。──全く」
 シンジは、結構本気で心配している様子である。
 僅かに苦笑し、リツコは立ち上がって二人分のコーヒーを入れる。
「ありがとうございます」
 仲良く二人、唱和してお礼を言って受け取る。
「相変わらず、良い豆を使っていますねえ。──一寸、周囲の臭いがアレですけど」
 ユウキがブラックのままで一口軽く飲んで、感想を述べる。それから、ミルクと砂糖を要求した。
 リツコはそれを満足そうに見て、頷く。矢張り、コーヒーはまずブラックで一口。それから、好みに合わせてミルクや砂糖を入れるべきである。──リツコは、ブラック派だが。折角自分で吟味した豆や道具である。矢張り、違いの解る人間に飲んで貰いたい。その点、ユウキには合格点をあげられる。逆に、ミサトは失格。コーヒーなんて、みんな同じ味じゃない。そんなことを、平然とリツコに告げるような奴だ。きっぱり、味音痴。自分のスペシャルブレンドを飲ませるのは勿体ない。
「……あんた達、何しに来たのよ」
 不機嫌な声を、コーヒーの味について談笑始めたリツコとユウキの方に向けたのは、ミサトである。睨み付けるような視線で、シンジ、ユウキを見る。
「私が呼んだのよ」
 やれやれという口調で、リツコが口を挟む。
「何でよ」
「何でって、パイロットのシンジ君にも、いろいろと知っておいて貰いたいことがあるから」
「……」
 己を知り、敵を知れば、百戦危うからず。こういう言葉がある。未だ正体不明の敵、使徒。その正体について知ることは、無駄ではないだろう。直接的に、敵を倒す方法を知ることにならなくとも、何かの足しになるかも知れない。一応、これが表向きの事情。勿論、他にも目的はあるが。
 ガキね。
 不機嫌に黙ってしまったミサトに一瞬だけ視線を向けると、リツコはシンジを促して、モニターが見える場所に移動させる。
 リツコがキーを叩くと、画面が数字、記号で埋められ、最後に「601」の文字が大きく映る。
「何これ?」
 いつの間にかのぞき込んでいたミサトが尋ねてくる。
「解析不能を表すナンバーですよ」
 答えたのは、シンジである。口調に呆れが混じっている。それくらい、しっとけ。そう言う声だ。
「何で、あんたがそんなことを知っているのよ」
「僕は意外と、いろいろと知っているんですよ」
 シンジは睨み付けてくるミサトを適当にあしらうと、リツコの方に向き直る。
「出来れば、端的に、分かり易く解説していただけますか? 僕は中学生ですから、難しい生物学的なことなんかを言われても、解りかねますから」
「そうなの?」
 リツコはシンジの顔を見つめながら首を傾げた。
「結構、いろいろと知っているんでしょう?」
 もう一つの目的。シンジは果たして、何処まで知っているか。それを知るための牽制。いや、今回、ここに呼び出したこと自体も、その為の手段の一つである。どちらかと言えば、表向きの事情よりも、こちらの方がウェイトが大きい。
「ええ」
 シンジはリツコの内心に気が付いているのかいないのか、しれっとした表情で答え、続けた。
「例えば、一昨日の夜の赤木博士のお相手とか、そう言った下世話な事ならいろいろと」
 わたわたわたと、目に見えてリツコは慌てる。
「な、なんの事?」
「何のことでしょうねえ」
 ユウキが惚けるように口にする。元々、どこかのほほんとした雰囲気のユウキであるから、その惚けっぷりは板に付いていた。
「え〜、リツコ、つきあっている男がいるの? 誰よ、一体」
 ここで、ゴシップ好きのミサトが黙っているわけがない。シンジ、ユウキらに対する敵意は一時封印して、興味津々の顔で尋ねてくる。どこか、ちっ、自分だけ男作りやがって、そんな感情が伺えたが。
「そんなことより、まじめな話をするわよ!」
 リツコは強権を発動させた。
 完全に、あちらにペースを握られている。それを忌々しく思いながらも、慌て、この話題は終了とする。
「何言ってんのよ。そっちの方が重要でしょ」
 しかし、ミサトは追求を弛めない。
「ミサト」
 一寸怖い声になって、リツコはミサトを睨み付けた。
「あなたは作戦部長でしょう! なら、使徒についての情報がどれだけ重要か、分からないとは言わせないわよ!」
「何というか、無理矢理正論で誤魔化そうとしているような」
「そうですねえ」
 呑気に論評する二人も睨み付ける。一体、誰のせいで、脱線したのか。その事をちっとも気にしていない二人に腹が立つ。
「まあ、赤木博士の言うことももっともかも知れませんねえ」
 その視線に晒されたユウキが、僅かに慌て、取りなすように口を開く。
「そ、そうね」
 ミサトも、同様に頷く。
 よろしい、とばかりに頷き、リツコは表情を改める。
 もしかして、こちらが誤魔化されたのだろうか。
 そんな思いもあるが、蒸し返すのは避けたい。こうなったら、次の機会を狙うしかないだろうと、心を決める。
「──で、解らない事が解ったようですけど、それで全てですか?」
 シンジが、本道に戻す質問をしてくる。
 リツコは一つ頷き、質問に答える。
「解ったこともあるわ。使徒は粒子と波、両方の性質を備える、光のようなモノで構成されているのよ」
 これに、シンジ、ユウキ、そしてミサトが揃って首を傾げる。
 どうやら、3人とも、良く分からなかったらしい。
「……で、動力源はあったんでしょ?」
 ミサトが、その話題から逃れるように、別のことを口にする。
「らしきモノはね」
 リツコは、そのミサトの言葉に乗ることにした。使徒の構成物質について詳しく解説しても、3人とも理解できるとは思えない。特に、シンジユウキは中学生である。おそらく、基礎の基礎から説明しなくてはならないだろう。それは、非常に面倒くさい。
「でも、その作動原理がまださっぱりなの」
「動力源は、矢張り、S2機関ですか?」
 ユウキが、ぽつりと呟く。
「──!」
 リツコは、椅子から立ち上がっていた。
「どうして、S2機関を知っているの?」
「え? 調べましたから」
 ユウキは、さも当然という顔で答える。
「いきなり、胡散臭い組織に呼ばれて、胡散臭い決戦兵器のパイロットにさせられる。下調べくらいはしますよ。──正直、内容理解とかはさっぱりですけど」
 シンジが説明を付け足す。
 リツコは、僅かに目を細めて、二人を見た。
 何処まで知っているかの追求を諦めようとした途端、これである。
 しかし、これでは、シンジが何処まで知っているかの結論は出せない。S2機関については、その気になって調べれば、誰にだって知ることは出来る。論文だって、発表されているため、機密ではないのだ。
 リツコは、気持ちを落ち着けるため、コーヒーを一口、口に含む。
「何よ、そのS2機関って」
 尋ねたのはミサトである。
 リツコは、思わず口からコーヒーを吐き出しそうになってしまった。
 三対、六個の冷たい視線がミサトに向けられる。
「な、何よ、その冷たい視線は」
「……あなたのお父さんも浮かばれないわね」
「カエルの子はオタマジャクシという奴ですか?」
「ユウキ、それ、なんか違う」
 ため息混じりのリツコ、ユウキ、シンジの言葉。
「何なのよ! はっきり言いなさいよ!」
 ミサトは、誤魔化すような大声を出した。
 リツコはもう一つ、これ見よがしのため息を零した後、説明する。
「S2機関の理論を提唱したのは、あなたのお父さんよ」
「へ?」
「あなた、お父さんの仕事、全然理解していなかったのね」
「……うう」
「まあ良いわ」
 ひとまず、ミサトをやりこめて満足したリツコは話題を変える。
「次はこちら」
 端末のキーを叩くと、再びモニターの画面が変わる。
「とかく、この世は謎だらけよ。例えば、ほら、この使徒独自の固有波形パターン」
「どれどれ?」
 ミサトは気まずさを誤魔化すように身を乗り出し、そこでまた大声を出した。
「──これって!」
「そう、構成素材の違いはあっても、信号の配置と座標は人間の遺伝子と酷似しているわ。……99,89パーセントね」
「それって、EVAと……」
 ミサトは盛り上がる。
 が、そこで、シンジとユウキが冷めた表情をしていることに気が付いた。
「何よ、あんた達」
「いえ、気にしないで進めて下さい」
「って、気になるわよ。何、あんた達は、これを見て何も感じないの?」
「そうね、私も、あなた達の意見に興味があるわ」
 リツコもミサトの言葉に乗ることにする。
「──って言うか、ねえ」
「そうですねえ」
 シンジ、ユウキは顔を見合わせた。
「何よ、はっきりしなさいよ!」
 このところの扱われ方のせいか、ミサトが短気に叫ぶ。
「──じゃ、はっきり言いますけど、今更、何を言っているのか、っていうのが感想ですね」
「何よ、今更って。──これは、今回初めて解ったことでしょ?」
「まあ、表向きはそうですけど、EVAが使徒のコピーだなんて、僕らの世界じゃ常識ですよ」
「え?」
 虚をつかれたように、ミサトが黙る。
 リツコも、驚いた表情をしていた。こちらには、そこまで知っているのかという驚きがあった。
「天野連合なんかが、EVAの──あるいは、使徒の肉体片を入手するために、結構な数の工作員を送り込んでいること、全然気が付いていなかったんですか?」
「ま、まさか、そんな」
 呆然と、リツコが呟く。工作員云々よりも、EVAの正体あたりの事情を、他の組織も知っている。それに愕然としていた。
「ちょ、一寸、リツコ、それってどういう事よ!」
 ミサトの方は、自分がつんぼ桟敷にされていた事に気が付いたらしい。リツコにくってかかろうとする。
「ん?」
 その時、誰かがプレハブの外を横切り、それに気が付いたユウキがそちらを見る。
「あれ? シンちゃんのお父さんですね」
「え?」
 シンジもそちらの方を確認するように見る。
 二人の興味がそちらに移ったのを見、リツコ、ミサトは何となくつられてしまい、同じくそちらに視線を向けた。

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