#42 トップの責任


 ゆっくりと空を、巨大なクリスタルブルーの八面体が進んでいく。
「全く、何でも有りだな」
 呟きは、早期警戒網にて最初に接近を感知した戦略自衛隊、その幹部の一人の言葉である。
 得体の知れない敵生体、使徒。
 その、5番目。
 つまり、これも生物と言うことだ。
 どちらかと言えば、生物と言うよりは無機物のように見える外観。呆れも混じろうというモノである。
「迎撃部隊、発進させますか?」
 部下の問いかけに、その幹部は首を振った。
「ふん。どうせ、俺達が何をしたとて、ネルフには税金の無駄遣いにしか見えないらしい。なら、任せるさ」
 幹部は、顔を歪めて応じた。
 第3、第4の使徒襲来には、即座に出撃した戦略自衛隊であるが、今回は出撃を見送った。
 労多くして、利は皆無。命がけで戦って、ねぎらいの一つも貰え無いどころか、逆に酷評される。それでは、戦意が上がるわけがない。
 また、前二回を、ネルフが撃退に成功しているという事情もある。
 自分たち、戦略自衛隊をさしおき、学者崩れのネルフどもが撃退をした。これには、引っかかる部分も多々存在する。するが、それが現実だ。
 何はともあれ、撃退には成功している。
 それが、再び緊張感を奪っていた。
 どうせ、ネルフが何とかするだろう。
 何の期待もされず、ただ、武器弾薬、下手をしたら人命までをも浪費するくらいならば、何もしない方がましである。
 「税金の無駄遣い」は避けるのが利口だろう。向こうも、そう言っている。
 そんな後ろ向きな考えでもって、今回、戦略自衛隊は出撃を見合わせることとなった。


「おそらく、第5の使徒だ」
 ネルフ、実験観測室。
 連絡を受けた冬月の言葉に、ゲンドウは即座に命令を発した。
「テスト中断。総員第一種警戒態勢」
 零号機の再起動実験に成功し、このまま連動実験に入る予定であったが、使徒撃退は最優先で行わねばならない事柄である。ゲンドウの命令は、至極当然であり、周囲の者は、命令に従うべく行動を開始する。
「零号機はこのまま使わないのか?」
「まだ、戦闘には耐えん」
 冬月の質問。これにも、ゲンドウは即答した。
 まだ、ようやく起動したと言うだけだ。フィードバック誤差など、未だ、様々な問題が存在する。今後、修正、そして調整をして、仕上げていくことになる。
「初号機は?」
「380秒で準備出来ます」
 応えたのは、リツコ。
「良し、出撃だ!」
 言って、ゲンドウはシンジの方を見る。
 シンジは、ユウキと顔をつきあわせるようにして、レポート用紙の束を見ていた。そのレポート用紙には、どのように撮影したのか、現在第3新東京市に進行中の使徒の写真が貼付されている。
「これって、本当に生物ですか?」
「ホント、何でも有りなんだ」
「ひいふう……全くでございますな」
 何時の間に現れたのか、二人の前では、田茂地が流れる汗を拭っている。このレポートの作成者は、勿論、この田茂地である。
「この外観……格闘戦向きには見えないけど」
「解りませんよ。このスリット部分から腕が生えてくるかも」
「刃物が生えてきて、回転して攻撃というのはどうでしょうか? ……ひいふう」
「回転するなら、やっぱりドリルだよ。ドリル」
「……どうして、男の子はドリルが好きなんですか?」
「そりゃあ、漢のロマンだから」
「そうでございますな、ひいふう」
 この答えに、女の子の私には理解できませんと、ユウキが顔を顰める。
 ゲンドウは、そちらを睨み付け、眉根に皺を寄せた。
「何をしている。早くしろ!」
 自身の命令に従わず、一向に行動しようとしないシンジに向け、内心をそのまま顕わした、いらだたしげな声をかける。
「戦自の攻撃は?」
 シンジは、ゲンドウのいらだちなど一顧だにせず、田茂地に質問する。
「それが……全く出撃しておりませんです。ひいふう」
 そして、帰ってきた質問に、こちらも眉根に皺を寄せた。
「どう言うことですか?」
 使徒は、人類滅亡を誘発する。
 これは、基本である。なのに、出撃しない。信じられないとばかりに、ユウキが尋ねる。
「ひいふう。どうやら、税金の無駄遣いをしたくない様子です」
 ちらりと、田茂地は冬月の方に視線をくれる。
「まあ、その発言に問題があったことも確かだけど、戦自の態度にも、呆れちゃうよ」
「いい加減、ネルフの態度を腹を据えかねていたところに、その言葉がとどめを刺した格好だとおもわれます。ひいふう」
「ふ〜ん」
 シンジ、ユウキがハモって、二人して冬月に冷たい視線を向ける。
「……な、なにかね?」
「いえ、何も」
 狼狽える冬月に、シンジは冷たく応じ、何事か考え込むように腕組みをする。
「いい加減にしろ、初号機パイロットは出撃準備!」
「シンジ君、出撃よ!」
 いらだちを隠さないゲンドウと、ミサトが同時に叫ぶ。
 シンジは、初めて気が付いたと言うように、そちらを見た。
 考えを纏めるように視線を宙に向けた後、シンジはまっすぐにゲンドウを見る。
「一つ、パイロットからの提案」
「後にしろ」
 にべもなく、ゲンドウが応じる。
 シンジは、その言葉に目を細めた。
「今回の戦闘についての提案なんだよ? 後じゃあ、意味がない」
「……何だ?」
 雰囲気の変わったシンジから逃れるように、サングラスの向こうのゲンドウの視線が泳いだ。しかし、それ以上は態度に示さず、常の威圧的な雰囲気を保ったまま、ゲンドウは尋ねた。
「零号機も出撃させて」
 あっけらかんとした口調で、シンジが告げる。
「シンジ君、零号機は、まだ戦闘に耐えないわ。シンクロ誤差や、フィードバックの調整、その他、手を入れなければならないところは、いくらでもあるのよ」
 答えたのは、リツコである。
 しかし、その発言はシンジに何の感銘も与えなかった。
「僕の最初の戦闘、忘れた訳じゃないですよね」
 この言葉に、リツコは口を閉ざす。
 シンジの最初の戦闘、それは、いきなりのぶっつけ本番。調整など夢のまた夢の状況で出撃をしたのだ。
「あの時と、今回では状況が違うわ!」
 ミサトが叫ぶ。
 が、やっぱり、シンジは感銘を受けたりしない。
「そうですね。今回は、敵の攻撃方法すら不明。どこかの誰かさんの無責任な放言で、戦自はへそを曲げちゃいましたし。──もっとも、日頃の積み重ねの結果ですから、その誰かさんだけが悪いというわけではないですけど」
 ユウキが、辛辣な口調で辛辣なことを告げる。それから、ころりと口調を改める。
「──まあ、その責任問題の追求は兎も角、負けることの許されない戦い、その時の最大戦力を投入するのが、冴えたやり方だと思うのですが、どうでしょうか?」
「そうだよねえ。緒戦は主力を温存できる、選手の層の厚い強豪校ならば兎も角、ネルフって、どう見ても万年一回戦負け、ろくに戦力も揃っていない弱小校だし」
「あんたねえ、レイに死ねっていうの?」
 ミサトが、今度は感情論を口にしてくる。
 やっぱり、シンジらに感銘はない。
「つまり、第3使徒戦では、僕に死ねと言ったと」
「そう言う問題じゃないでしょ!」
 ミサトが吼える。
「まだ、零号機は使い物にならないわ。第3使徒の時のシンジ君の扱いについては、申し訳ないと思うけど」
 リツコの方は、まだミサトよりは懇切丁寧に、シンジの翻意を促そうとする。
「別に、有効な戦力にならなくとも、囮くらいにはなります」
「──な!」
 シンジの言葉に、ミサトが目を剥く。
「零号機は、先にぶつかって、相手の攻撃方法その他を解明してくれるだけで充分です」
「あんた、人の命を何だと思っているの?」
「僕は、人の命よりも、自分の命の方が大事です。──それに、今となっては、僕だけの命でもありませんしね」
 シンジは、平然と言った。それにミサトが吼えかかるよりも早く、質問する。
「僕の立場は何ですか?」
「初号機専属パイロット、サードチルドレン、碇シンジでしょうが!」
「違いますよ」
 ユウキが、ミサトの怒りの口調に、のほほんとした口調で返す。
「まず、その前提から違っていますね。シンちゃんは、碇組組長。系列組織12、潜在的な構成員まで含めて総勢317人の上に立つ存在なんですよ」
「──な!」
 ミサトが目を剥き、酸欠の金魚のように、口を虚しく開閉させる。何か言い返そうとするが、言葉が出てこないらしい。
「僕は、これでも組織のトップなんですよ。配下の者に対して、責任があります。これまでとは、事情が違います。安っぽく命を懸けて、自分の身で威力偵察なんて真似を何時までもやってられないんですよ。──だいたい、綾波さん、同じパイロット仲間のはずなのに、未だに正式な紹介をされてませんよ。そんな赤の他人、自分の命や部下の将来と比べることもできませんよ」
 碇組、系列組織。今のところ、シンジがいるから成り立っている寄せ集めに過ぎない。シンジがいなくなれば、あっさりと瓦解するだろう。そのあたりを見越しての、天野連合、ヒットマン派遣である。その事をシンジ自身は勿論承知している。となれば、以前のような無茶は出来ない。
 きっぱり、第4使徒戦は賭だった。何度も自分の命をチップに賭をするモノではない。少なくとも、今回は前回のような必要性もない。ならば、我が身は可愛い。安全策を取るのが当然である。
「あんたはいつまで、巫山戯たことを言っているのよ。これは、人類の存亡をかけた戦いなのよ? 下らない極道ごっこなんて、やってるんじゃなわよ!」
 ようやく、ミサトが言葉を発するが、シンジは冷たく無視する。
「いちいち感情的にならないで下さい。それじゃあ、僕の立場はとりあえず置いて於いて、使徒戦に限って言いますよ。──自分で言うのも何ですけど、現在、エースは誰です? 僕でしょう? その僕が、いきなり攻撃方法も解らない敵の前に出ていって、一撃でやられたりしたら、どうなります? 残された零号機で対抗できるんですか? だったら、最初は零号機で様子見。その後、僕が出る。その方が確実でしょう? 順番に、間違いがありますか?」
「……」
「だいたい、父さん。組織のトップが、一人だけを贔屓するのも問題だと思うけど? いくら母さん似の若い愛人の身が心配だからって、判断を間違っちゃ拙いと思うけど?」
 シンジの言葉に、ざわざわと、実験制御室にいた人間がざわめく。全く寝耳に水、と言うわけではなく、彼らにもそうした疑惑はあっただろう。それだけに、余計に戸惑う。
「……くだらん事を言うな」
 ゲンドウは、慌てず騒がず、鉄面皮で対応した。内心は兎も角、外見はシンジの言葉が事実無根である、そう告げていた。
 シンジは、その様子ににやりと笑って続ける。
「だったら、ますます問題がないね。──まあ、それは兎も角、海のモノとも山のモノとも未だ解らないパイロットと、一応、使徒を2体撃退したパイロットと比べれば、どちらを温存すべきか、判断は容易でしょ? 幸い、彼女の代わりは山ほどいるし」
 今度のシンジの言葉に、はっきりと、ゲンドウ、リツコ、冬月が顔色を変えた。
「シンジ、貴様何を知っている?」
 決定的な決裂。その寸前で、にやりと邪笑して、シンジが告げる。
「僕のクラス、全員、チルドレン候補生でしょ? つまり、代わりは一クラス分居ると」
 ぎりぎりまで上がっていた内圧が、下がる。
 ゲンドウ、リツコ、冬月が、ほんの僅かに、どこか安堵したような、拍子抜けをしたような表情になる。
「火薬庫で火遊びをするのは止めた方が良いと思いますけど……」
 ユウキの呟きは小さく、誰の耳にも届かなかった。届けば、3人はそんな表情は出来なかっただろう。
「まあ、愛人の方の代わりについては、僕がリーズナブルな価格で請け負うよ。教育から躾まで、そちらの要望に合わせて。顔の方は、整形でもすれば、母さんそっくりにするぐらい、簡単だし。だいたい、綾波さんもそうしたんじゃないの? はっきり言って、他人とも思えないほど、母さんの若い頃にそっくりなんだけど」
「巫山戯るな!」
 はっきりと、ゲンドウが怒りを湛えていた。碇ユイへの思いを侮辱するような言葉は、彼にとって許せるようなことではない。
「まあ、部下の前で出す話題じゃなかったね」
 シンジは、周囲の人間を見回す。
 今更である。周囲に人がいるからこそ、その話題を出したとしか思えない。
「でも、父さん、身辺は綺麗にしておいた方が良いよ。特に、父さんは敵が多いみたいだし」
「いい加減にしろ! 命令だ! 出撃しろ!」
 怒声をあげるゲンドウ。余程の急所を付いたのか、常のように静かに威圧する、と言う図式から逸脱している。しかし、迫力はあった。周囲の部下達は、ネルフの王様の怒りに、首をすっこめる。
「まあまあ、父さん、落ち着いてよ」
 しかし、シンジは平然としていた。
「それじゃあ、綾波さんに聞いてみようか? 出撃するか、否かを」
「何?」
 ゲンドウが、戸惑う。
「は〜い、通信繋ぎましたよ」
 ユウキが、その言葉を待っていたとばかりに、シンジにマイクを手渡す。先に、用意していたらしい。
「綾波さん、聞こえる?」
「……」
「今、使徒が接近中だけど、零号機ででられる?」
「……命令なら、そうするわ」
 他の者が口を挟む暇もなく、レイは答えていた。
 レイに下されている命令の一つ。使徒殲滅。それは、達成せねばならない至上命令。己の命に替えても。
「ほら、問題ない」
 にやりと笑って、シンジ。
「巫山戯るな。葛城二尉、どんな手段を使ってもかまわん。そいつを初号機のエントリープラグにたたき込め!」
「はっ!」
 ゲンドウの命令に、ミサトが応じる。ミサトの方も、いい加減腹に据えかねていた。
「……学習能力無いのかな?」
「さあ?」
 シンジ、ユウキは顔を見合わせた。
 それから、シンジはにやりと笑う。
「じゃあ、僕らはしばらくどこかに隠れているよ。そうすれば、零号機を使わざるえないでしょ?」
 ばたばたと、実験管制室に走り込んできた保安部員を眺め、シンジは呟いた。

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