#45 ケース・バイ・ケース


「勝手に?」
 リツコは、戸惑いの表情で聞き返した。
「そんなことが出来ると思っているの?」
 シンジの作戦。戦自の協力を得る。それは、個人で出来ることではない。サードチルドレンの独断でなせることではない。組織を代表していない個人が共同作戦を申し込んだ所で、鼻で笑われてお終い、と言うのが普通だ。ネルフ司令、碇ゲンドウの公認を得て、組織として申し込む事柄なのだ。
 そして、ゲンドウは絶対にそれを許可しないであろう。
 特務機関、ネルフ。その存在価値は、使徒を倒すことが出来ると言うこと。ネルフだけが、使徒を倒すことが可能。だからこそ、ネルフは周囲の軍組織に嫌われながらも、確固とした地位を得ている。権利を、権力を強めている。
 しかし、他の組織でも使徒殲滅が可能となれば、ネルフの存在価値は減じるどころか、その存在の意味すら失われる。
 そうなれば、これまでがこれまでである。傲慢なネルフに煮え湯を飲まされてきた各組織は、ここぞとばかりにネルフの既得権を削りにかかるだろう。最悪、ネルフという組織の解体まで、話が進むかも知れない。
 それだけに、ゲンドウは絶対に許可しない。
 確実だ。
 だが、シンジはその事を理解しているのかいないのか、平然とした顔で、可能だと言っている。
「リツコさんの心配は解りますけど、まあ、大丈夫ですよ」
 シンジに保証されても、この際、有効だとは思えない。
「父さんの許可が取れないのは既に織り込み済み。言葉通り、こっちで勝手にやるだけのことですから」
 勝手に出来ないと言うのは、前述の通り。
 しかし、シンジは自信に溢れていた。
「ちょっと、電話を借ります」
 そう言うと、シンジは許可を待たず、作戦課、第二分析室備え付けの電話を取り上げると、ダイアルを始めた。
 そして、待つことしばし。
『はい、乃木です』
 リツコに気を効かせてくれたのか、スピーカーから年若い少女の声が聞こえてきた。育ちの良さそうな、非常におっとりとした声。勿論、リツコの知らない声だった。
「久しぶり、キッコちゃん。僕、シンジ」
『シンジさん!』
 親しげな声を出すシンジに答える少女の声は、嬉しげに弾んでいた。
『本当にお久しぶりです』
「それで、申し訳ないんだけど、今日は仕事の話。お爺さん、いるかな?」
『仕事ですか?』
 少女の声が沈む。
「うん、ご免ね。また今度、遊びに行かせて貰うから」
『絶対ですよ』
 少女は念押しをすると、どうやら受話機から離れたらしい気配。
「……」
 リツコは、視線で「誰」と問うた。
「直ぐに解りますよ」
 ユウキの答えに、不満ながらも、リツコは素直に待つことにした。
 待つことしばし。
『久しぶりだね、シンジ君』
 年輩の男性のしっかりとした声が、聞こえてきた。
「お久しぶりです。乃木将軍」
『もう将軍はよしてくれ。儂は、既に引退した人間だ』
 シンジと、その相手が、にこやかに会話を交わしている。
 それを、リツコは酸欠金魚のように口を開閉させて見つめ、それから、ユウキの方に問いかける視線を向ける。
「そうです。元、戦自の総司令。乃木シゲヒコ将軍ですよ」
 ユウキはあっけらかんとした口調で答えた。
 ますます、リツコのぱくぱくが止まらなくなる。
 乃木シゲヒコ。
 セカンドインパクト後の混乱期。そんな時にこそとばかり、領土拡大を計った国もあった。そう言った国の一つ、某赤い国が、日本併呑をもくろんで、軍隊を侵攻させた。それを、激戦の末、撃退した戦自の総司令。それが、乃木シゲヒコ。この国が日本という名前のままであるのは、彼の活躍があったから、とまで言われている人物。その後、退官して野に下ったが、それでも未だ、戦自内にその親派は多いという。とてつもない、大物である。
 そう簡単に親交を結べるような人物ではない。だいたい、その性格は清廉潔白という。やくざモノであると言うだけで、既にマイナス点だ。
「──」
「現在、乃木さんは、アシヤに住んでいらっしゃいます。私たちは、その近くにいましたから」
 山王会の本拠は、関西である。
「たまたま、偶然、お孫さんのキクコさんが、悪者に襲われているところを、丁度通りかかったシンちゃんが助けて以来、つきあいがあるんですよ」
「──」
「いやですねえ。いくらシンちゃんでも、悪巧みばかりはしていませんよ。これは、本当の偶然ですよ。──どう考えても、わざとやったことがばれたときのデメリットの方が大きいじゃないですか」
 言葉の出ないリツコの質問を先回りする形で、ユウキが答えていく。良く、通じるモノである。
 その間、シンジの方の会話も進んでいた。
「──それで、戦自の協力をお願いしたいんですよ。だいたい、人類のピンチに利権争い、縄張り争いを繰り広げている方が、おかしな話ですし」
『うむ、君の言っていることが正しいことは解る。しかし、儂は既に退官した身の上……』
「それでも、乃木さんの影響力は、大きいです。一言、声をかけて下さるだけで良いんですよ。お願いします」
『うむ、しかし、ネルフの評判は悪い。悪すぎるぞ。いくら儂が声をかけたとしても、素直に頷いてくれるとも思えん。更に言うならば、軍人は、その独自の判断で動くことは出来ない。政府の命令があって、初めて動くことが出来るのだ。そのあたりは、どうするつもりかね?』
「そっちの方は、ネルフで何とかします。ですから、乃木さんには、軍部の取りまとめを。ちょっと、今回の敵は、本当にやばいんです。それに、他の組織との間のしこりを何とかしておかないと、先行きも不安で。下手すると、使徒そっちのけでネルフと戦自が戦う、なんて危険もありますし」
『……解った。儂の出来る限りの協力をしよう』
「ありがとうございます」
『礼はいい。確かに、君のいうとおり、人類の存亡がかかった戦いだと言うのに、下らない組織同士の争いなど繰り広げているのは、愚の骨頂だ』
 どうやら、話がまとまってしまったらしい。
 それから、乃木シゲヒコはがらりと口調を変えた。
『それはいいが、また今度、遊びに来たまえ。なに、キクコの奴が──』
『おじいさま!』
 背後で、慌てたような、照れたような少女の声が上がる。
『ははははは。ほら、この通りだ』
「はい、また、今度遊びに行かせて貰います」
『うむ』
 シンジは丁寧に礼を言って、電話を切る。
「さて、一つハードルクリア」
 頷くシンジに、リツコは声をかけた。
「ずいぶんと、司令達に対する対応とは違うけど?」
「そりゃあ、勿論」
 シンジは、リツコの言葉に、頷いてみせる。
「相手に応じて、対応を変えますよ。尊敬すべき人、唾棄すべき奴。対応がかわって、当たり前でしょう? ケース・バイ・ケースです」
「そうですよねえ。礼儀の通用しない人間に、礼儀正しく話しかけても、意味がありません。只の無駄ですしねえ」
「……」
 リツコは、無言で、シンジを見つめた。
 もう、この際、シンジがどうやって戦自の協力を取り付けるか、見物するつもりになっていた。
 どうせ、自分では止められないのだ。だったら、下手に邪魔をするよりも、黙ってみている方がましだと思ったのだ。


「シンちゃん、繋がりましたよ」
「ありがとう、ユウキ」
 気が付くと、いつの間にかユウキが、また、どこかに電話をかけていたようだ。
 シンジは、受話機を受け取ると、近くの椅子に座り、机の上に手をつき、顔の前で指を組み合わせるという、いわゆるゲンドウポーズを取った。それから、無愛想な声で、ぼそりと呟く。
「……私だ」
 その声は、ゲンドウによく似ていた。親子とは言え、リツコがびっくりするくらいにそっくりだった。
『何の用だ!』
 矢張り今回も、スピーカから通話相手の声が聞こえてくる。
 リツコは、この声に覚えがあった。
 こちらも、先の乃木シゲヒコと同様に、大物。しかし、知名度では、こちらの方が上だろう。何しろ、日本国首相なのだ。
「……ふっ」
 シンジは、薄く笑った。ゲンドウ笑いだった。
「……協力しろ」
『は? 貴様、何を言っている!』
 先刻の、乃木との友好的な会話と違い、こちらは、いきなり喧嘩腰だった。
 これも、当たり前の話。
 何しろ、ネルフと日本国の仲は、悪い。
 国内で、得体の知れない組織が得体の知れないことをしている。これだけでも我慢がならないのに、国連所属の特務機関という地位を笠に着て、頭ごなしに命令をしてきたりする。腹も立とうというモノである。
 そして、シンジはゲンドウの真似をしているらしい。それは、驚くほどそっくりで無愛想──そうでなくとも、ゲンドウは蛇蝎の如く嫌われているのだ。友好的な対応をなされた方がびっくりだ。
「……戦自を、出せ」
『ふん! いつもは、戦自など無用の長物、税金の無駄遣いだと抜かして於いて、危機になると、助けを求めようと言うのか? そんな都合のいい話があると思うのか?』
「……書類を送る」
 シンジは、視線でユウキに指示を出す。
 ユウキは無言で頷き、近くにあった端末を操作する。
『勝手なことを抜かすな! 何故、我々が貴様に──』
「……見ろ」
『いい加減にしろ、貴様! さては、抵抗勢力だな!』
「……見ろ それが貴様の為になる」
『ふん。仕方がない、見てやろう。だが、それで協力すると思ったら、大間違いだぞ!』
 鼻で括ったような返答。それでも、言葉通り、書類を見ているようだ。僅かな間。
『き、貴様、どういうつもりだ!』
 再び聞こえてきた声は、これまで以上の怒りに震えていた。
「──?」
 リツコは、問いかける視線でユウキを見た。
「正式な共同作戦の書類と」
「正式なって、そんなモノ、どうやって勝手に?」
「偽造しました」
 ユウキが、あっけらかんとして答える。天地神明に誓って、悪いこと何てしていませんよ〜、と言う声と表情だった。ちっとも、悪事だと思っていない。
「司令の電子署名くらい、マギを使えば簡単に複製できますから」
「どうしてあなたが、マギのオペレートが出来るのよ!」
 とは叫ばず、リツコはユウキの顔を見つめた。
 マギを使用するには、ユーザーパスが必要となる。勿論、ユウキはそんなモノを持っていない。持っていないはずだった。
 だとしたら──
「マギって、結構セキュリティーホールが一杯あるんですよ。その隙間を使えば、私にも使用可能になりますよ」
 リツコの疑問に、ユウキは簡単に答えてきた。つまりは、ハッキングをかましたと言うことである。
 しかし、それをわざわざ伝えると言うことは、リツコがこれから頑張ってセキュリティーホールを塞ぎにかかったとしても、それでも大丈夫という自信だろうか?
 マギの第一人者。
 それが、リツコの立場のはずだが、自信を喪失しそうになる。
 最初の、いきなり初号機ケイジに現れたときといい、シンジやユウキの方が、自分よりマギを知っているのではないか。そんな疑惑を覚えてしまう。
「それと、もう一つ。これを、添付しておきました」
 ユウキが端末を操作する。 
 すると、モニターに画像が映し出される。
 その画像は、首相が、どこかの料亭らしい座敷で、女性とよろしくやっている画像だった。
「前にも言いましたよねえ。私たちは、下世話な情報には良く通じているって」
 その証明が、この画像らしい。
「良いから、消してちょうだい」
 リツコは、僅かに狼狽えて、言った。露骨なそう言う画像に、僅かに顔が赤くなっている。年の割に、こうしたモノに、免疫がないらしい。
 その様を、ユウキと、そして通話中のシンジがちらと見たが、狼狽えているリツコは気が付かない。ましてや、シンジが口元に、にやりとした笑いを浮かべたことにも。それは、獲物を物色する目、そして笑いだった。
『私は、抵抗勢力には屈しない!』
「……自分の立場を考えろ」
 首相の立場。
 この首相は、国民受けが良いかわりに、党内の支持基盤が弱かった。国民の支持率の高さがこの首相の最大にして唯一の武器で、その武器を有効に使うべく、常々改革を口に出し、その改革によって既得権を削られるために反対する抵抗勢力との戦いという、国民に分かり易い図式を示してきた。自分が正義で、対抗する者達は悪であるとの宣伝を繰り広げてきた。一部でワイドショー政治家などと揶揄されるように、一見正論と見える、勇ましいことを口にし続けてきた。
 そう、全ては国民の支持を得るため。
 そのせいか、口に出したことは勇ましい割に、実行力にいささか疑問があった。たいていの場合、妥協妥協の積み重ねの内に、当初の理念が失われていたりする、と言った具合に。
 それは兎も角、国民の支持こそが、唯一の武器である首相。つまり、一番困るのはスキャンダルである。特に、首相本人の女性問題となると大問題だ。なにしろ、それが原因で、就任直後に退任を強いられた首相という前例もある。
『貴様、やはり抵抗勢力だな! 一体、どうやってこんな写真を──』
 シンジは、かけてもいない眼鏡の位置を直すふりをして、答えた。
「……その為のネルフだ」
 違う!、とリツコは力一杯叫びたかったが、何とか堪えた。
『ぐぬぬぬぬぬ』
「……やるなら早くしろ! でなければ、帰れ!」
 僅かに沈黙の後、食いしばった歯の間から、無理矢理押し出したような声で、首相は答えた。
『……改革は緒に付いたばかり。ここで、私が辞めるわけには行かない』
 いつまで緒なんだろうか? との疑惑を覚えたリツコだが、やっぱり、口にはしない。
 どうやら、この交渉の結論はでたらしい。
 首相は、苦り切った声で、協力を承諾した。


 その後、シンジは硬軟取り混ぜて、戦自、並びに政府に、ネルフとの共同作戦を認めさせた。
 そのかわり、ゲンドウの評価は、更に下方修正されたらしい。

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