#47 決定的な亀裂


 碇ゲンドウは、医療室のベッドで眠る少女を見下ろしていた。
 年を経るに従い、少女の容姿は、ゲンドウの妻、碇ユイにどんどん似てくる。
 それも当たり前の話で、妻と少女とは、遺伝子がほぼ共通している。姉妹、親子という以上に。その様に、少女は作り出されているのだ。
 だが、いくら酷似していようとも、少女はユイではない。
 その辺りを承知の上で、ゲンドウは少女に、妻の面影を重ねずにいられない。
「……ユイ」
 少女を見下ろし、静かに、亡き妻の名前を呟く。
 全ては、ユイのため。ユイとの再会のため。
 その為に、ゼーレの老人達の計画に乗った。下げたくもない頭を下げた。汚れ仕事もこなした。老人達の犬になった。
 だが……
 ユイに会うための自らの計画。それは、既に破綻しているのではないか?
 巨大な喪失感を伴う疑惑を、覚えずにはいられない。
 既に、全ては終わっているのではないか?
 それもこれも、全ては──
 ゲンドウは、手を伸ばして少女の頬を、顔に似合わぬ繊細な手つきで撫でる。
 眠る少女。整った容姿、そして、少女の持つ儚さが手伝って、童話に登場する眠り姫と言った風情だ。
 この少女だけが、ゲンドウの心に僅かな平穏を与えてくれる。
 無論、それが只の代償行為でしかないことを、ゲンドウは理解している。
 少女は、ユイに似ている。そう、似ている、だ。如何に容姿が酷似していようとも、決して、亡き妻、ユイではない。
 そう、代償でしかない。
 理解している。しかし、理性はともかく、感情の方がそれに納得しない時がある。
 妻にどんどんと似てくる少女。
 この少女のことについて、考え、行動するとき、いつもの自分と異なる感情が零れることがある。
 かつて、洗脳をより強固にするための仕上げとして行われた、零号機機動実験の失敗。シナリオ通りの行動を、ゲンドウはした。しかし、本当にシナリオ通りの行動だから、ああしたのだろうか? この少女を心配していた部分は無かったのか? 狼狽えたように、息を切らせ、少女を助けたのは、只、シナリオにある行動だから、だけだったのか?
 ゲンドウは、頭を振る。
 これは、危険な傾向だった。
 あくまで、この少女は駒だ。計画の遂行のために必要な駒。
 只、それだけだ。
 冬月に、「レイにこだわりすぎだ」と揶揄されるまでもなく、自分でも、これが危険な傾向であることは理解している。理解しているのだ。
 しかし、感情が付いてこない。
 自分が、感情にまかせて行動する。こんな経験は、それこそ、求めて止まぬ妻、碇ユイ在命当時、以来のことだ。
 あくまで、この少女は、代わりでしかない。
 自身に言い聞かせるようにして、ゲンドウは脳裏に呟く。
 ほんの、代用品。
 そして、計画に必須な人材。
 あくまで、重要なのは計画に必須であるという部分。代用品というのは、ゲンドウの我が儘に過ぎない。この少女も、他の部下達同様、駒として扱うべきだ。その為の教育も、施している。
 そう、駒だ。
 その上でならば、抱こうが何をしようが構わない。只、心だけは、与えてはならない。
 計画は、最終段階に入ってきている。
 この段階で、余計な問題は抱えるべきではない。
 あくまで、性欲処理。この少女の個人的な利用は、最大限、その程度に止めるべきだ。それ以上のこだわりは、危険だ。
 自身を説得しつつ、ゲンドウは、なおも葛藤する。
 それでも、尚──
「……シンジ」
 ゲンドウの呟きには、深甚な憎悪が混じっていた。
 全ての計画を破綻に導きかねない、最大の不安要素。イレギュラー。
 シンジさえ計画通りに育っていれば、何の問題も無く、計画遂行に向けて事態は進んでいただろう。その場合、ゲンドウの少女へのこだわりなど、些細なこと。問題とするまでもなかったことだったろうに。
 自身の計画を破綻させかねない人間が、自分の息子。
 これは、何かの皮肉だろうか?
 駒。それも、使い捨ての。それだけでしかなかった自身の息子が、最大の障害となって立ちふさがろうとしている。
 何にせよ、絶対に許容できることではない。
「……シンジ」
 再び、憎悪を込めて呟く。
「父さん、何の用かな?」
 不意に、答えがあり、ゲンドウの心臓が跳ね上がった。
 しかし、驚きを面に出すことだけは、何とか避けた。苦労して、鉄面皮を保つ。
 感情を見せる。それは、絶対に避けねばならない。下手をすれば、自分の急所を露呈させることになる。
 特に、このシンジの前では、避けるべきだ。
 元々、ゲンドウは無愛想きわまりない男。同時に、表情を隠す為のアイテム、サングラスと髭が、それを助けた。
「……」
 ゲンドウは、ゆっくりと医療室の入り口を振り向いた。
 そこには、シンジが立っていた。いつもの小娘も一緒だ。
 サングラスの下の瞳に憎悪を込めて、睨み付ける。
「……何をしに来た」
「別に、父さんに用はないよ」
 軽く、シンジが答えてくる。
 自分を軽く見られた。同時に、レイにシンジを接触させるのは避けるべきだと判断したゲンドウは、威圧的な態度、口調で告げた。
「……貴様がここに来る必要はない、失せろ」
 部下達が怯み上がる威圧感を、シンジは平然と耐えた。耐えた、と言う自覚もないかも知れない。一向に恐れ入った風でもない。
 ネルフの王様。心理的、物理的にネルフという組織の、ピラミッドの頂点に存在するゲンドウに対し、まるで怯む様子はない。
 この辺りも、ゲンドウの癇に障る。
 ネルフとは、ゲンドウの駒の集まり。駒は、自分で考える必要はない。只、ゲンドウの命ずるままに行動し、そして、死ねばいい。只、それだけで充分だった。自由意志などは、必要ない。
 おおむね、ゲンドウの満足のいく組織であったネルフ。しかし、このシンジが来て以来、ネルフにはガタが来始めている。自分の考えのままに行動するシンジ。それだけでも腹立たしいのに、更には、ネルフ内に影響力を拡大し、ゲンドウの命令系統から外れる人間を、多く生み出してきている。
 許容できることではない。
「あのね……」
 シンジは、呆れたような口調、表情を隠さず、ゲンドウに向かう。
 頭痛を堪えているような表情に、かちんとくる。
「……貴様」
「組織のトップが、この非常時に何をやっているのさ?」
 怒鳴りつけようとするゲンドウよりも早く、シンジが口を開いていた。
「息子と同い年の女の子の寝顔を眺めて、にへらにへらと笑っているなんて、はっきり言って、見ている方が恥ずかしいよ。自分が、スケベなヒヒ爺とか、「ち」に点々のおぢさんだって、理解している? ──まあ、色恋沙汰は自由らしいけどさ。それでも、組織のトップならさ、せめて時と場所を選んで欲しいね」
「……ここへ何をしに来た」
 シンジの言葉に、頭に血が上る。しかし、何とか激高は避けて、問う。
 シンジの言葉は、無視した。まともに相手をしても、意味はない。憎まれ口ではあちらの方が上だという判断もあった。
「先刻も言ったでしょ。父さんには用はないよ。用があるのは、綾波さんの方。──作戦が決まったから、連絡に来たんだよ」
「……何故、貴様がそんなことをする。葛城一尉はどうした?」
「……」
「……」
 シンジとユウキが顔を見合わせた。
 それから、どこか哀れむような表情になってゲンドウに向かう。
「報告、来てないの?」
「もしかして、ず〜っと、この部屋で綾波さんを眺めていたんですか?」
「……何の話だ」
 無愛想な口調で、ゲンドウは二人の言葉を間接的に肯定してしまった。
 二人は、揃って深いため息を零した。
「は〜、真面目に致命的ですねえ」
「ホント、何考えているんだか」
「いい加減にしろ!」
 バカにされていると感じたゲンドウは、声を荒げる。
「それじゃあ、いい加減にして」
 シンジは、別段ゲンドウの不機嫌さに押されたというわけではなく、前置きして説明した。
「葛城さんは、現在行方不明。──で、仕方がないんで、僕らで勝手に作戦を立てて、現在その準備中」
「……バカな」
「うん、確かに、こんな時に行方不明なんて「バカな」事だと思うよ」
 しれっと、シンジが応じる。微妙に、ゲンドウの発言の主旨をずらしている。
「まあ、作戦を簡単に説明すると──」
「シンちゃん、作戦名は重要ですよ」
 と、横からユウキが口を挟む。
「……作戦名は「いわし」。──で、説明に戻ると、陽電子自走砲、そしてEVA2体による連続攻撃。あ、そうそう、戦自に共同作戦を申し込んで、承認されたから」
「……何?」
「父さんが何処にいるか解らなかったから、こっちで勝手に書類を整えたから、よろしくね」
「……」
 ゲンドウは、シンジを睨み付ける。
 勿論、ゲンドウに、戦自との協力、などという選択肢は存在したことすらない。それを勝手にやられてしまった。腹が立たないわけがない。
 かといって、動き始めてしまった作戦を、一方的に破棄できるモノでもない。
 だいたい、何と言って破棄するのか?
「アレは、自分のあずかり知らぬ所だ」
 などと、言えるわけがない。
 書類を偽造され、司令の目の届かぬ所でやられたこと。
 真正直にそう言えば、大きな傷を負うのはゲンドウである。
 監督不行届。管理能力欠如。そんな烙印を押されてしまう。
 一度、無能モノと烙印を押されたら、誰もゲンドウを恐れなくなる。ゲンドウは、国際社会で嫌われると同時に、恐れられている。それが無くなれば、今まで虐げられてきた者達が、揃って牙を剥くだろう。
 それ以上に、上位組織ゼーレがある。こちらも、無能モノに容赦はしない。ゲンドウの後がまを狙っている人間など、それこそ掃いて捨てるほどに存在する。即座に司令の罷免と、ネルフからの放逐がなさるだろう。
 そうなってしまえば、ゲンドウのこれまでの苦労は無に帰す。遂行しようとしている計画は、完全に失敗に終わる。
 それを避けるためには、この共同作戦の申し込みは、ゲンドウの意志によってなされたモノでなければならない。
 そう。
 これは、ゲンドウが申し込んだモノなのだ。
 そうするしかない。
「……貴様」
 睨み付ける。視線だけで人を殺せるならば、そうしている。そう言う、凶悪な視線。
 だが、やっぱりシンジには通用しない。
「と言うわけで、綾波さんにはこの作戦に──」
「いわし作戦」
「……そう、そのいわし作戦における、任務を通達しておかなくちゃならないんだ。理解した?」
「……」
 ゲンドウは、無言できびすを返した。
 このままでは、自分を押さえられそうにない。
 そして、押さえられなかった場合、地に伏すことになるのは──
 自分の方だと考えてしまう事にも、腹が立った。
 しかし、このままで終わらせるつもりもなかった。
 最早、シンジは有害であることは確実だ。それも、早急に排除しなければならないほどに。
 医療室を出、通路を進みながら、ゲンドウは赤木リツコに連絡を取った。


「やれやれ」
 シンジは、軽く首をほぐすような仕草をした。
「本気で、何考えているんだか」
「でも、そのおかげで、私たちは好き勝手に行動できましたし、これは良かったと考えていいんじゃないですか?」
「まあね」 
 ユウキの言葉に応じ、シンジはベッドの方に視線を移した。
 ベッドに伏す綾波レイが、瞼を開いていた。
「あ、起きたんだ」
 シンジの言葉に頷きもせず、レイは体を起こした。
 体を覆っていたシーツが、重力に引かれて落ち、その下の裸身を露わにする。
 小降りの双丘、肉付きの薄い体がシンジの目に晒されるが、レイは慌てるそぶりもない。隠す必要など感じていない、そんな風情。大深度施設で、いろいろと裸になり慣れているため、羞恥心を持っていないのだ。
「普通は、悲鳴を上げて、胸を隠すところだけど」 
 レイの事情にはかなり通じているつもりのシンジだったが、幾分呆れ混じりの声を出す。
「そうですよねえ。ケダモノシンちゃんの前で胸を晒すなんて、襲ってくれって言っているようなモノなのに」
「……僕は、状況を考えて行動する人間のつもりだよ。決戦前に体力を消耗して、どうするのさ?」
「それは初耳ですねえ」
「……」
 シンジは、軽くユウキの方を睨み付ける。
 しかし、ユウキは一向に堪えず、おほほほと、わざとらしく笑ってみせる。
「……何?」
 そこへ、レイが口を開いた。
 無愛想で、何を尋ねているのかも理解できないような質問。
 シンジは、それを都合良く捉えると、作戦の説明を始めた。

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