#50 決戦、第3新東京市


 使徒の能力、機能拡大。
 よりにもよって、この瞬間に。
 ネルフの人間は、一瞬、思考停止に陥る。とっさに、どう動いて良いのか判断が付かない。絶望的な思いにからめ取られ、何をなすべきなのか、何が出来るのか、全く思いつくことが出来ない。
 幾度も指摘されていること。
 どうしようもなく経験不足。
 学者上がり、と戦自らに嘲りの声を向けられる。それには、理由があり、これがそれだった。予定通りに事態が進んでいるときは良いが、そうでなくなると、途端に反応が鈍る。彼らの事情など関係なく流れていく現状に、反応できなくなる。
「零号機は、防御態勢! 攻撃可能な兵装ビルから援護攻撃!」
 しかし、少女の凛とした声が、彼らに現状を思い出させる。
 声をあげたのは、ユウキ。ネルフにとっては全くの部外者。しかし、当たり前の顔をして、作戦の企画立案、そして指示を下してきた少女。彼女だけは、この程度のことで、全てを放棄したりはしない。思考を止めたりはしない。
 戦いが、思い通りに行かない事を、ユウキは承知していた。綿密に立てた作戦と言えども、ほんの些細な事から、意図した方向とは違う場所へ転がるようにして崩壊していくことがあることを知っていた。無論、都合良く事態が進まない事は承知しているから、その為の備えは準備している。しかし、どうしても、想定した以外の事態に行くことも免れることは出来ない。人間は、誰しも完璧ではなく、全ての事態に備えることなど出来ない。ユウキも勿論、万能ではなく、無謬でもない。自身がミスをすることがあるのは承知している。しかし、想定外の事態だからと言って、思考停止、行動停止に陥っても、何もならないことも承知している。いや、何もならないどころか、たいていの場合には、事態はより深刻になるだけ、有害である、と。
 見かけは、おっとりとした人の良さそうな少女ながら、それだけの経験がある。修羅場をくぐってきたと言っても良い。
 ユウキの声に背中を押され、発令所の面々が再起動する。
 その中でも真っ先に動き始めたのは、同じく、それなりの修羅場をくぐってきたことがあるのであろう、「ギターを持った渡り鳥」青葉シゲル。
「兵装ビルよりの攻撃、開始します!」
 言ったときには、既に使徒の近場の兵装ビルから、ミサイルが吐き出され、機銃が唸りをあげていた。
 どの程度有効か?
 おそらく、殆ど有効ではないだろう。しかし、邪魔くらいは出来るかも知れない。そんな、ささやかな希望。ささやかすぎる希望。
 しかし、希望があるならばやってみる価値はあるだろう。
 疾走する零号機、綾波レイの方は、事情はもっと簡単だった。
 彼女には、絶望はない。作戦が上手く行っていないことに対する感慨も何もない。
 レイは、命令された事に従って、行動するのみ。その様に、教育されてきた。
 だから、疑問など欠片も抱くことなく、ユウキに下された命令に従って、防御態勢を取る。
 幸いなことに、盾は捨てていない。
 使徒へ接近戦を挑むには、盾は邪魔。EVAの全長に匹敵するほどの巨大な盾を持っていては、走る速度にも影響するだろう。しかし、レイは盾をEVAに保持させていた。
 なぜなら──
 捨てるように命令されていないから。
 本来ならば、呆れてしまうような行動。しかし、今回はそれがレイを救う。この状況下での、僅かな希望か? 盾があれば、それだけ分は時間が稼げる。
「陽電子自走砲は?」
「現在次弾充填中。──エネルギーラインの幾つかに異常が発生し、バイパスとして用意した回線を使用しているため、初弾時よりも時間がかかります」
 伊吹マヤが、苦痛を堪えるようにして報告する。
 どうして、こんなに問題ばかりが発生するのか。その顔は、そう言っていた。
「構いません。充填を続けて下さい」
 ユウキには、マヤのような思いはない。
 元々、今回のような大電力を使用する事を考えて設計されたモノではない。少々の問題が出てくるのは想定されていた。最悪、一発目で砲身が逝かれてしまうと言う危険すらあったのだ。まだ使用できるならば、充分だ。逆に、ツいているとすら考えられる。
『了解』
 これは、自走陽電子砲を運用している、時田の返答。
「使徒、加粒子砲発射──目標は、零号機です」
 日向が、悲鳴のような声で報告する。
 兵装ビルの攻撃は、何ら役には立たなかった。そう予想していても、現実に役に立たない所を見せつけられ、絶望的な思いを抱いてしまう。
 日向の報告を受けるまでもなく、使徒の加粒子砲を盾で受ける零号機の姿は、発令所正面の巨大モニターにも映し出されていた。目を灼く閃光。その為、即座に補正されて、モニターの光量が落とされる。それでも、その光は眩しかった。
「零号機は、そのまま堪えて下さい。陽電子自走砲、発射可能となったら、そちらの判断で発射して下さい」
 ユウキの言葉に、日向は振り返った。
 更に一段高いところで椅子の倒れる音がする。これは、ゲンドウが立ち上がった際に立てた音。
 ユウキの言葉。
 それは、零号機を捨てる、そう言ったに等しい。
 このまま、零号機に使徒の狙いを集中させ、その隙に横合いからの陽電子自走砲の一撃で勝負をかける。
 ユウキの意図するところはこれだろう。
 では、狙いを集中された零号機はどうなるか?
 一目で知れた。
 モニターの中の零号機は、盾を翳して加粒子砲の直撃を避けている。
 しかし、直撃を食らわなくても、周囲に無差別に放出されている莫大な熱量。見る間に、EVAの体温が──エントリープラグ内のLCLの水温が上がっていくのがテレメトリによって伝えられている。既に、エントリープラグに付けられた冷却器はフル稼働状態。それでも、水温が上がっていく。このまま、加粒子砲を向けられている限り、上がることはあっても下がることはない。遠からず、人には耐えられない程に高温となるだろう。
 更に、盾。こちらも、目に見えて融解しているのが解る。急造仕立てとは言え、元々、高温に晒されることを前提として作られているSSTOの底部を更に加工して、かなりの防御力を持つ。しかし、それでも使徒の加粒子砲には耐えられない。打ち抜かれるのも、時間の問題だろう。
 そして、打ち抜かれたら?
「それは、レイちゃんを見捨てると言うことですか?」
 日向は、思わず叫んでいた。
「仕事に集中して下さい」
 ユウキの答えは、常と変わらない。どこか、おっとりとした声。
「しかし!」
「おい、マコト」
 青葉の窘める声も、日向の耳には入らなかった。
「仕事に集中できないならば、出ていって下さい。邪魔です」
 おっとりとした声で、ユウキは冷淡なことを告げた。
「一人と、人類全て。どちらを選びますか?」
 あくまで変わらないユウキの声。
 しかし、温厚に微笑んでいるユウキの瞳。それに何故か気圧され、日向は仕事に戻った。
 日向も、それ以外に取りうる行動オプションがないことを理解はしていた。


 それは、時間にしてみれば、僅か数秒にしか過ぎない時間。
 しかし、永遠に近く感じられるほどの長い時間。
 焦らされるような長い時間。
 なかなか数字の上がらない、陽電子自走砲の充填率。
 その間も、零号機の翳した盾は、少しずつ削り取られていく。
 エントリープラグの水温も、そろそろ耐え難い温度になる。
 わめき、大声を出したくなるような時間。
 永遠に続くかと思われた時間も、終わりを迎える。
『陽電子自走砲、充填完了──』
 待ちわびた報告が発令所に届く。
「良し!」
 誰かが、声をあげる。
 使徒は、無防備な横合いを晒している。
 先刻のように、互いに干渉しあって、狙いを外す気遣いもない。
 そう見えた。
 良いことは、続くように思えた。
 使徒は、零号機に対する攻撃を辞めていた。
 それは、加粒子砲を連続照射する限界を迎えたのか、使徒が陽電子自走砲の攻撃態勢が整ったことに気が付いたのか、判別は衝かない。あるいは、零号機という脅威が、既に排除されたと考えたのか。
 しかし、零号機は、レイはこれで救われていた。
 何とか、致命的な事になる前に、その照射は終わっていたのだ。
 使徒は、即座に次弾の充填にはいる。
 だが、それは陽電子自走砲の攻撃に間に合うとは思えない。いくら、機能拡大によって充填時間を短縮したとは言え、決して零ではない。最早、陽電子自走砲は即座に発射できる。
「勝った」
 僅かに、安堵の気配が発令所に零れる。
「まだです! 気を抜かないで下さい!」
 しかし、即座にユウキが窘める。
 そう、まだ倒したわけではないのだ。
 慌て、気を引き締め直す者達。しかし、幾ばくかの安堵感は残った。
『発射!』
 こちらも、既に勝ったつもりでいるのか、僅かに弾んだ時田の声。
 その声を受けて、陽電子自走砲が発射される。
 一直線に使徒に向けて延びていく、光の矢。
 その時、使徒が回転を開始した。
「──?」
 日向は、不審に眉をひそめる。
 何をしているのか、とっさに理解できない。
 使徒は、大地に打ち込んだシールドを軸にして、その場で独楽のように回転を始めている。徐々に速度は高まり、そして、殆ど間をおかず、すさまじいばかりの高速回転となる。
「何を……」
 呟く、日向。
 陽電子自走砲の攻撃は、使徒に迫っている。それは、回転して跳ね返せる類のモノとは思えない。
 その疑問に答えたのは、マヤの報告だった。
「使徒の周囲に、強力な磁界が展開されています!」
「──!」
 声なき、悲鳴。
 陽電子は、地球の自転、磁界の影響を受け、直進しない。
 その為に、マギの補正を受けて放たれる。
 しかし、その補正を受けていない新たな磁界の発生。
 使徒が、何らかの隠し業を持っているのではないか。そんな推測は報告されていた。それは、主に接近戦に際しての隠し技と考えられてきた。何しろ、使徒に接近することはこれまで叶わず、偵察は遠距離からに限られていたから、調べようがなかったためだ。
 とは言え、この段階で、こんな隠し技を見せつけられるとは、考えていなかった。あるいは、考えようとはしていなかった。
 使徒めがけて延びた陽電子の光の矢は、使徒の直前でその進むべき道を違え、ねじ曲げられるようにして天を目指して突き進んでいった。
 外された。
「……そ、そんな」
 日向が、呆然とした声をあげる。もしかしたら、それでも命中するかも。そんな一縷の望みも刈り取られた。
「使徒の発生させたモノは、磁界以外にも、何らかの斥力場があったようです」
 マヤが素早くマギに計算させ、発生させた磁界と陽電子の湾曲方向の誤差から、推測混じりに報告する。その声は、冷静であることを自らに果たしているかのように、荒れてはいないが、どこか、絶望したかのような気配があった。
 これで、剣は折れ、矢は尽きた。
 零号機はその場に蹲るようにして動かず。パイロット、綾波レイが生存していることは間違いないが、神経接続の幾つかに問題が生じ、更に、莫大な熱量に晒された機体は痛みが激しい。動くことは適わない。
 陽電子自走砲は、未だ健在。──いや、新たに幾つかの問題点が生じてはいるが、バイパス回線を使い、更には無理をさせれば、もう一撃くらいは発射可能。現実、既に、次弾の装填を始めている。だが、その充填にかかる時間。それは、先刻の比ではなく、絶望的な長さだ。とても、使徒の攻撃以前に発射態勢が整うとも思えない。そして、使徒の攻撃を防ぐ術もない。
 使徒は回転を止めて、そのスリットに光を走らせている。間をおかず、加粒子砲は発射され、陽電子自走砲は破壊されるだろう。そうなれば、使徒を止めるモノは、もう無い。
 使徒は、無人の野を行くが如く進み、その目標を達成するだろう。そして、サードインパクト。それで、人類の歴史は終わる。
 最早、撃つべき手はない?
 発令所の者には、何も取るべき手段はない?
 そう、無かった。
 しかし、全ての希望は潰えてはいなかった。


 爆発的な音が、使徒の近くで上がった。
 発令所を揺らす震動。
「──!」
 冷めた目でモニターを見つめていたマヤが、視線に力を取り戻すと、慌ててその正体を探る。
『……こちら……号機』
 雑音混じりの通信が、発令所に入ってくる。
 それは、少年の声。
『こちら、初号機』
 一瞬、発令所は沈黙し、次いで、歓声が零れる。
 爆発的な音は、邪魔っけな瓦礫をはじき飛ばす音。盛大に上がった粉塵の中から、姿を現した、紫色の巨大な鬼。──初号機。
『非道い目にあった。首の骨が折れるかと思ったよ』
 不満混じりの声。
 立ち上がった初号機は、その言葉を実証するかのように、確かめるように自身の首を振り、それから、やたらと人間くさい仕草で体に付いた埃を払う。
「シンちゃん、こちらはもうお手上げです。後は、任せました」
 ユウキが、どこか不機嫌な声で告げる。
『了解──って、ユウキ、なんか不機嫌じゃない?』
「いえいえ、全然そんなことはありませんよ」
 やっぱり不機嫌な声で、ユウキが応じる。
「別に、良くもまあ、この一番美味しいタイミングに出て来たものですねえ、狙っていたんじゃないですか、とか、こっちが苦労して立てた作戦が、結局の所、時間稼ぎ以上のモノにならなくて、最終的に初号機と使徒の正面切ってのガチンコになるなんて、むかつく、とか、そんなことを考えているわけではありませんよ」
『……別に狙っていたわけじゃないんだけどなあ』
 苦笑したように、シンジ。
「まあ、兎に角後は任せましたから、好き勝手やっちゃって下さい」
『了解』
 答え、シンジは初号機を使徒に向けた。

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