#53 少女の微笑


 とある日、碇シンジはネルフ本部内で一人で暇をしていた。
 ユウキは今日もまた、保安部員の訓練中。田茂地は、例の如くあちこち飛び回っている。
 だから、シンジは珍しく一人で、本部内をうろついている。
 シンジに言わせれば、これは暇をしているのではなく、店の従業員を物色している、などと、ユウキ辺りに突っ込まれれば言い訳しただろうが、現実、目的があったわけではない。
 通路を進むシンジ。
 そこで、向こうからやってくる人影を見つけた。
 ショートカットで童顔の女性。伊吹マヤだった。
 マヤは、左手で胸にファイルを押しつけるようにして保持し、右手にはなにやら、写真のようなモノを持っていた。
「……先輩、素敵」
 などと、小さく呟く声が聞こえ、どうやらその写真は赤木リツコのモノらしいと知れる。
 なんだかな〜、と首を傾げたシンジであるが、直後、ふと何かを思いついたような顔をする。頭の上で豆電球が点ったような恰好だ。
 シンジは、にこやかな表情になると、マヤの方に向かっていく。そして、声をかけた。
「マヤさん」
「え? あ、シンジ君」
 どこか、警戒するようなマヤの答え。
 マヤは、リツコにシンジについて、いくらかは聞かされている。そうでなくとも、いろいろとやばい噂のある──その殆どが事実──シンジである。警戒して当然だろう。少なくとも、マヤは充分以上の容姿を持っているため、シンジの経営する類の店の従業員にはばっちり。きっと、売れっ子になれるだろうから、心配して、しすぎると言うこともない。
「ちょっと、マヤさんに聞いて欲しいことがあるんですよ」
「わ、私に?」
 戸惑うマヤ。
「ええ」
 シンジは、その戸惑いを払拭するように、にっこりと罪のない笑顔を浮かべた。
 僕、悪い事なんて、したことどころか、考えたことすらありませんよ。
 そう言う、無垢な笑顔だった。
「何のようかな?」
 その笑顔に効果はあった様子で、マヤの警戒レベルが幾分下がったようだ。可愛らしく首を傾げ、シンジに問い返してくる。
「ええと、ここではちょっと」
 シンジは言って、左右を見回した。
 丁度いい具合に、近くに人気のない部屋が。
「ちょっと、こちらへ」
「え?」
 警戒レベルを下げていたマヤは、シンジに腕を引かれ、あっさりとその部屋に引きずり込まれた。
 ……
 ……
 一時間後。
 目を潤ませ、頬を上気させたマヤが、雲を踏んでいるようなおぼつかない足取りで部屋から出てくる。
「ごめんなさい、先輩」
 何がごめんなさいなのか、マヤが謝罪をする。しかし、ちっとも悪いとは思っていないような口調だった。
「やっぱり、女は、男の人とつきあうべきだと思うんです。それが、自然だと思うんです。……男の人って、素敵」
 意味不明の言い訳をする。最後は、どこか陶然とした顔で、呟いている。
「マヤさん、大丈夫ですか?」
 そのマヤを気遣いながら、一仕事を済ませた充実感を顔に浮かべたシンジが続く。
「大丈夫」
 マヤは、頬を赤くしてシンジに頷く。
「それじゃあ、マヤさん、お願いしたこと、大丈夫ですか?」
「はい」
 マヤは、素直に頷いた。
「これから、マヤさんは、僕のために働いてくれる。いいですね」
「……はい。わかりました」
 ……
 ……
 こうして、伊吹マヤは、シンジのために働くことになった。


 時間は戻って発令所。
 ユウキが、常と同じ微笑みを浮かべたまま、言葉もないリツコを見つめていた。
「流石に、貴重なEVAパイロットを殺害しようとされては、放っておくことは出来ませんねえ。何しろ、EVAは人類防衛の要、そのパイロットは現時点でシンちゃんと綾波さんの二人しかいない。これは、もはや、一個人の問題ではなく、人類全体に対する利敵行為ですね」
 つらつらと、リツコの犯した罪の重さを口にする。
「──で、これは、リツコさん個人の考えでしたことですか?」
「……」
 リツコは、無言で視線をユウキに向けた。
 何を聞こうというのか。
 ユウキには、これがリツコ個人の考えなどではなく、ゲンドウの指示の元で行われたことなどは、最早明白なことだろう。
「それとも、誰かの命令で?」
 言って、ユウキは視線を一段高い司令席に座るゲンドウの方に向けた。
「……例えば、司令、とか?」
「……」
 ゲンドウは、無言でユウキを見下ろしている。苦虫を噛みつぶした表情──はいつものこと。表向き、動揺しているようには見えない。どころか、全てに関心がないかのような振る舞いだ。
「どうですか、司令?」
 ユウキは確認するかのように、ゲンドウに向かって尋ねた。
 リツコは、一縷の希望を持って、ゲンドウを見上げた。
 ゲンドウが、いざとなれば自分を切り捨てるであろう事は、解っていた。確信していた。
 それでも──と、一縷の希望を抱くこと、それは、止めることが出来なかった。
「……馬鹿らしい」
 しかし、ゲンドウの答えは素っ気なく、リツコの希望をうち砕いた。
「それは、司令は全くこの件に関係がない、そう言っていると判断してよろしいですか?」
 念押しをするように、ユウキが尋ねた。
 ユウキは、いつものように微笑んでいる。
 最早、どうとでもなれ。
 捨て鉢な思いを抱きながら、リツコはユウキを見つめていた。
 そして、気が付く。
 ユウキは、いつも笑っている。いつも、同じように微笑んでいる。
 しかし、それは非常に無表情に近いことではないのだろうか?
 いつも微笑んでいると言うことは、無表情と、まるで違いがないのではないだろうか?
 場違いながら、リツコはそんなことを考えていた。
「当たり前だ」
 ゲンドウは何を馬鹿なことを、そうした口調で応じ、更に付け足す。
「赤木博士。君には失望した」
 言葉通り、ゲンドウはリツコに失望したのだろう。これは本心。ただし、シンジ殺害を狙ったことではなく、それを失敗したことに失望しているのだ。
「それでは、赤木博士の身柄は、こちらで預からせて戴きます」
 ユウキは、結論付けるように発言した。
 そして、青葉の方に視線を移す。
「青葉さん、お手数をかけますが、赤木博士をウチの地下牢に放り込んでおいて下さい」
 色々施設が充実しているからと、書類を偽造してまで手に入れた旧風間組組長宅。その種の設備もあるらしい。
「了解しました」
 即座に頷き、青葉が立ち上がる。
「待ちたまえ!」
 そこで口を挟んできたのは、冬月である。
「赤木博士のやったことは、確かに許されることではない。しかし、それを裁くのは公の場であるべきだ。私刑は、決して認められない──」
 ごとん。
 と、金属が金属に当たる音がして、冬月の言葉は中断させられる。
 冬月は、ぎょっとした顔で、その音の元を見た。
 音がしたのは、ユウキの足下だった。
 そこには、黒光りするモノ──拳銃が転がっていた。
 今の音は、拳銃が床に落ちて立てたモノだった。どうやら、軍服を着てコスプレしているユウキの腰のホルスターから、どのような具合でなのか、転がり落ちたらしい。
「あ、失礼しました」
 ユウキは、あっけらかんとした声、表情で言うと、落ちた拳銃を拾い上げる。
「冬月副司令、どうぞ、気にせずに続けて下さい」
 そのまま、手の中で拳銃を弄びながら、告げる。
 冬月は剣呑な表情を浮かべて、拳銃を弄ぶユウキを眺め、それでも意を決するようにして、口を開く。暴力には屈しない。そうした悲壮な決意が見えた。
「いいかね、赤木博士が法に背いたのであれば、法に則って裁かれるべきだ。無法を、無法で裁く、その様なことは──」
 がたんと、再び音がした。
 今度は、青葉の方だった。
 いつも、青葉の持ち歩いているギターケース、それが倒れた音。
 そして、これまたどうした拍子か、ギターケースは開き、その中に収めれていたモノをぶちまけた。
 軽機関銃、手榴弾、ナイフ……エトセトラ、エトセトラ。兎に角、危険な代物を。
「あ、済みませんです。すぐ、片付けます」
 言いながら、ちらと青葉がユウキに目配せするのを、冬月は見逃さなかった。見逃してしまえば良かったのかも知れないが、気が付いてしまった。
 その目配せの意味は、考えなくとも解る。
 実際、青葉は直ぐに片付けると言っておきながら、機関銃の一つを取り上げている。一向に、片付けるようでもない。
 意味するところは、一つだ。
「……脅しかね、それは?」
「まさか」
 ユウキは、常の微笑のまま、応じた。
「ただ、誰か、赤木博士に指示を出した人間がいるのではないか、そんな風に疑ってはいますけど。──で、その人は、やっぱり赤木博士を庇おうとするのかなあ、と。だとしたら、その人も確実迅速に排除しないと、草を刈って、根を残すことになりますし」
「そっすね。シンジさんを狙うなんて、絶対に許せる事じゃないっす!」
 青葉が、ユウキの言葉に頷く。
 二人とも、言葉では表向き否定しているが、その行動は脅し以外のモノではなかった。
「ええと、ユウキちゃん。私も拳銃、落とした方が良いかな?」
 首を傾げ、左右を見回した後、マヤが尋ねてくる。
「いえ、マヤさんは結構ですよ」
「そうっすよ。マヤちゃんは、『私、鉄砲なんて撃てません』って言うキャラクターなんすよ。そんな真似をしちゃ駄目ッスよ」
 青葉が力説する。
「……そうなの?」
「そうっす!」
 そんな二人のやりとりを後目に、ユウキは冬月の方に、笑顔を向けている。
 リツコが感じたのと同じ様なことを、冬月も感じていた。
 ユウキは、笑いながら人を撃つ。
 人を撃ち、返り血を浴びても、同じ様な微笑を浮かべたままであろうと。
 人当たりの良い、いつもにこやかに微笑を浮かべた美少女。
 その外見に騙され、これまで気が付かなかったが、この娘はどこか壊れている。
 あるいは、リツコがミサトに説明したように、「一つ目国の住人」、価値観が、まるで違うということか。
 そんなことを感じ、冬月は恐怖した。冬月はこれまで、ユウキらの危険な場面に出会うことがなかった。報告として受けてはいたが、これまで、実感として感じていなかったこと。それを、今、実感し、理解した。
「冬月副司令は、法って言いますけど、私たちは、その外側にいるんですよ。だから、アウトロー。親であるシンちゃんを狙われたら、何をさしおいても報復する。シンプルで、乱暴な世界。それが、私たちの世界です。──それに干渉しようと言うのでしたら、それなりのお覚悟を」
 あくまでにこやかに、しかし物騒なことを、ユウキが告げる。それから、更に笑いを深め、言った。
「──な〜んて、これは冗談です。まあ、私たちがリツコさんを確保しようとする理由を言えば、ネルフに任せておくと、闇から闇へと事件が葬られる危険があるからです。そうでなくとも、司令に気付かれないままに、このような事が進行していた。かなり、根は深く、ネルフ内部に、多くの賛同者がいるモノと思われます。それを調べる調査機関にも、その根が伸びていないとは考えられないため、司令の手にも余ると考えました。ここは、第三者である私たちが徹底的に調べたて、二度と同様の事を考えるモノが出ないようにするべきだと思ったのですが、どうですか?」
 それは、とってつけた理由にしか聞こえなかった。
 しかし、それでも二の句を継ぐことが出来なくなった冬月。
 そこへ、発令所の扉が開き、保安部員が入ってくる。
 安堵の表情を浮かべる冬月。
 餅は餅屋。
 暴力の専門家は、暴力の専門家に任せる。
 目の前の娘は、可愛らしい容姿ながら、自分とは世界が違う。見かけ通りの、只可愛らしいだけの存在ではない。学者崩れの自分たちの手には余る。
 それを、痛感していた。
 しかし──
「ユウキさん、何の御用でしょうか?」
 保安部員はユウキの方に向かって、指示を仰いだ。ゲンドウや冬月など、完全に無視。一顧だにしない。
「──!」 
 既に、それは指摘されていたこと。
 保安部員の多くは、シンジに取り込まれている、と。
 それでも、冬月は愕然とした。
 その間に、ユウキは当たり前の顔のまま、当たり前の口調で、リツコの連行を保安部員に命じた。
 冬月は言葉もなく、只、敗北感を感じた。
 冬月は、ネルフという組織が、自分やゲンドウの掌から、殆どこぼれ落ちていることを実感していた。

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