#54 天使の微笑
発令所でちょっとした騒ぎが起きている頃。
地上では、シンジが初号機を使い、零号機の救助を行っていた。
「なんだかなあ、誰も、こっちのこと気にしていないみたいだし」
少々ぼやきながら、傷ついた片足を庇うようにしながら初号機を進め、零号機の元へ向かう。
零号機は、中破して、その場に倒れている。
第5使徒の加粒子砲。その威力は凄まじく、急造仕立ての盾はほぼ融解していた。もう少し、その照射が続けられていれば、零号機本体の方にも深刻なダメージを受けていただろう。しかし、ぎりぎりで盾は持ちこたえ、何とか零号機は保った。──それでも、輻射熱によって装甲の何処彼処が融解、歪んでいたりはするが。
シンジは初号機を操り、零号機のエントリープラグを押さえている背中の装甲板を強引にひっぺがす。
押さえを失い、エントリープラグがエジェクトされる。
それを丁寧な手つきでもって抜き取ると、ゆっくりと地面に下ろす。
そこで、自身のシンクロをカット、初号機を停止させる。
こちらもエントリープラグをエジェクトさせ、シンジは初号機の外に出た。
シンジは肺に取り込んだLCLを、何とも微妙な表情を浮かべて吐き出すと、初号機の機体を伝って降りていく。初号機をしゃがませているとは言え、かなりの高さ。高所恐怖症の気が無くとも足が竦みそうな高さであるが、シンジに躊躇いはない。余裕に溢れた動きで、あっさりと下っていく。そして途中、まだ高すぎるのではないかという高さから平然と飛び降り、そのまま零号機のエントリープラグに向かう。
ハッチを開こうとして、熱に慌てて手を引っ込める。エントリープラグも、加粒子砲の輻射熱によって、かなり熱せられていた。
「しまった、前回もそうだったんだ」
学習しない自分に少し自己嫌悪しつつ、耳に手を当てて熱を冷ます。
それから、結局は強引に開けるしかないと気づき、一つ息を吐いて心を定めると、ハッチのハンドルに手を伸ばす。
じゅわ、と、プラグスーツの掌の部分から煙が立つ。熱で、プラグスーツに付着していたLCLが蒸発しているのだ。
シンジは眉根を寄せて不快そうな顔をするモノの、そのまま力を込める。
幸い、直撃を食らった前回と違い、今回はエントリープラグに歪みが出ていない様子で、最初こそ大きな抵抗があったモノの直ぐに緩み、簡単に回転を始めていく。
間もなく、ハッチは開いた。
ハッチが開くと同時に残っていたLCLが零れ出し、同時に中に籠もった熱気が溢れる。
熱気に顔を顰めつつ、シンジはエントリープラグの中に顔を突っ込んだ。
「まるで、サウナだね、これは」
呟きながら、湯気を通して綾波レイの姿を探し、声をかけた。
「綾波さん?」
綾波レイは、熱に頭が朦朧とする中で、自分の名前を呼ぶ声を聞いた。
「綾波さん?」
その声は、記憶にある。
しかし、とっさに名前が出てこない。
かすむ目でそちらを見ると、湯気の向こうに人影が見える。
アレは誰?
自問する。
自分は、あの人影が誰であるか、知っている。
しかし、のぼせた頭は、なかなかまともに動かない。名前が、どうしても出てこない。
だが、一つだけはっきりしていた。
この状況には、覚えがある。
既視感、などという曖昧なモノではなく、確実に自分が経験したことのある事柄。それに非常に酷似した状況。
そして、この状況が自分にとって非常に重要な事であると、感じていた。
「大丈夫? 綾波さん?」
まだ、膝辺りまで水位のあるLCLをかき分けるようにして、その人物が自分に近づいてくる。
レイは、近寄ってきた人物の顔を見つめた。
流石にこの距離になれば、その人間の目鼻立ちをはっきりと見ることが出来る。
「……碇君?」
ようやく、名前が出て来た。
そう言えば、前にも碇シンジには同じように助け出された。
同じように加粒子砲に撃たれ、耐え難い熱気に朦朧とした中で、碇シンジに助け出された。
それは、非道く重要なことに思えた。
なぜだか解らないが、脳裏に、歪んだサングラスも浮かんだ。しかし、関連が思い当たらず、取りあえず保留として棚上げする。
「大丈夫みたいだね」
シンジは、柔らかく笑いながらレイを眺め、そう口に出した。
「……どうして、笑っているの?」
なぜだか、そのシンジの笑顔が非常に心に残る。
非道く、気持ちを安堵させる笑いだった。
何故だろう?
自分は以前にも、こうしてエントリープラグの中で、誰かに微笑みを向けられたことがある。
そして、それは、自分にとって重要な出来事。
「う〜ん、やっぱり、綾波さんが無事で良かったから、かな?」
レイの問いに、シンジが答える。
レイは、なんだか自分でも理解不能な胸のむかつきを感じ、それをそのまま言葉にして吐き出した。
「私が死んでも、代わりが居るのに?」
水槽に浮かぶ、たくさんの自分。
それが、レイに、自分が真っ当な誕生をした人間ではないことを──どころか、人間ですらないことを知らせてきた。
人は、異端を排除しようとする。
故に、自分にはこの世界のどこにも居場所がない。
人の中に人以外のモノが混じれば、どうしても周囲から浮かび上がる。
後は、はじき出されるだけ。
人の世に、居場所はない。だから、レイはゲンドウの元を離れることは出来ない。
ゲンドウの元だけが、レイにとって安息の場所となる。
そう教え込まれてきた。
雛鳥が初めて見たモノを親と勘違いするインプリンティングにも似た、すり込み。教育と称して、綾波レイが物心ついて以来、意識をえて以来、教え込まれてきたこと。
碇司令は絶対。
それ以外の人間は、絶対にレイを受け入れない。
だから、余計なことを口にしてはいけない。
そう教え込まれてきた。
しかし、レイは自分でも理解不能な胸のもやもやに押され、思わず口にしていた。
そして、口にした直後、後悔していた。
水槽に浮かぶ自分を見つめる赤木博士の表情が思い浮かべられる。
その顔には、はっきりと嫌悪が浮かんでいた。
人以外の自分を蔑む視線。
──現実には、レイが人以外であることと、リツコの視線の意味の間には、もう少し違う理由があるのだが、レイにはそれは分からない。男女の関係の機微など、レイには理解不能だ。
だから、自分が人でない事に、その視線の意味を求め、納得していた。
なのに、口にしてしまった。
何故か、心安らぐ笑顔を浮かべる碇司令の息子も、同じように自分を蔑むのだろうか?
自分を否定するのだろうか?
「……それは知っているけど」
シンジは、言葉を探すような表情をした。
知っている?
ならば、自分は否定される。
恐怖。思わず、体を強ばらせるレイ。
「まあ、それは兎も角、この綾波さんは、一人だけでしょ?」
そこへ、シンジは気楽な口調で声をかけてきた。
「それに、人じゃないって言われても。……人のはずだけど、化け物みたいな人を知っているから。下手しなくても、きっと使徒より強いし」
それはムテキのことだが、レイには解らない。
「……」
それは、自分が人以外の存在である、その事も纏めて、受け入れてくれると言うことだろうか?
碇司令のように。
「あれ? どうしたの? 黙り込んじゃって」
沈黙したレイを気遣うように、シンジが話しかける。
「どこか、痛いところあるの? ええと、テレメトリではバイタルサインに問題ない、って報告だったけど」
レイは、首を振って、シンジの心配が的はずれであることを伝えた。
それから、こんな時、どんな言葉で答えたらいいのか、自分の語彙の中に答えが存在しないことに困り果て、少し間をおいてから、ようやく言葉を発した。
「ごめんなさい。……こんな時、どんな表情をしたらいいのか、解らないの」
「そう?」
シンジは、ちょっと考えるように首を傾げ、そして言った。
「笑ってみたら? きっと、綾波さん笑うと可愛いと思うし」
「……何を言うのよ」
何故か頬が熱くなり、困ったような、恥ずかしいような、自分でも分類不能な感情を持て余し、それでも、レイは笑って見せた。
それは、飛び切りの笑顔だった。
花が開くように。
決して派手ではなく、しかし、綺麗な笑み。
綾波レイのその微笑みに、シンジは面食らったような表情をした。
普段が普段、無愛想きわまりないだけに、その笑顔の破壊力は抜群だった。
「ええと」
シンジは、戸惑ったように頬を掻き、それから、綾波レイを助け起こす。
「取りあえず、エントリープラグから出よう。このままじゃあ、のぼせちゃうし」
エントリープラグの中は、まるでお風呂か何かのようだった。既に、レイはのぼせているかも知れない。
シンジはレイをお姫様だっこして、エントリープラグの中から運び出す。
レイは、お姫様だっこをするシンジの首に、両の腕を回している。
ユウキの言うところのケダモノシンジである。
既に、する気は充分だった。
「田茂地」
だから、シンジは忠実な執事の名を呼んだ。
「……ひうふう」
即座に、田茂地が現れる。
どこからどのようにして現れたのか。それを考えるのは無駄だと既に理解しているから、シンジは考えない。そう言うモノだと納得している。
「おぼっちゃま、こちらに……ひいふう」
頬を流れる汗をハンカチで拭いながら、田茂地が零号機脇の茂みを示す。
そこには、きっちりと布団が敷かれていた。枕元にはティッシュの箱と、非常時には2リットルほど入る水筒の代わりにもなるという便利なゴム製品が置かれている。
準備万端、ばっちりだった。
「──?」
シンジは、少々戸惑い気味の表情のレイをそこに下ろすと、即座に唇を奪った。
長い口づけ。
その間に、手慣れた仕草でレイを脱がしていくシンジ。
シンジがレイの唇を解放したときには、既にレイは生まれたままの恰好になっている。
シンジの攻撃により頬を上気させたレイは、どこか焦点の合わない視線で、シンジを見て、呟いた。
「……司令の時と違う」
父さん、やっぱりか。
既に、攻撃に対して迎撃をしてきたことから予想はついていたが、それでもシンジは内心で自分の父親を罵る。しかし、それを表に出さず、柔らかい口調で言った。
「父さんより、僕の方がきっと経験豊富だし、上手だからね」
「……するの?」
直接的に、レイが尋ねてくる。
まともな教育を受けていないレイは、こうした行為に対しての抵抗感がなようだ。
そうでなくとも、ゲンドウに良いように弄ばれてきたのだろう。
「まあ、経験があるだけ、こますのも楽かな?」
そんなことを呟きながら、シンジはレイに向かった。
「綾波さんの知らない世界に案内してあげるよ」
……
……
綾波レイは、シンジにさんざんこまされ、シンジ無しでは生きられない体にされた。
「何か、忘れているような気がするんだけど」
翌日、自宅でシンジは首を傾げていた。
「忘れていると言うことは、きっと、大したことじゃないんですよ」
それを受けて、ユウキが気楽な声で応じる。
「……そうかなあ?」
「そうですよ」
ユウキは力強く保障して、それから話題を変える。
「そんなことを言っていないで、引っ越しのお手伝いをして下さい」
綾波レイは、そのまま碇組本部に住居を移すこととなった。勿論、ゲンドウの許可など貰っていないのだが、ここには誰も、気にするような人間はいない。
「そうだね。そうしようか」
「是非、そうして下さい」
頷いてみせるユウキに答え、シンジは座っていたソファーから腰を上げる。
と、そこへ、碇マーガレットがやって来た。
「おい、シン坊」
「あれ? メグ姉、どうしたの?」
マーガレットは、どこか不機嫌な表情をしていた。
「どうしたの、じゃない。昨日入荷してくれるはずだった、ネルフの作戦部長とやらはどうした?」
「あ」
シンジとユウキは、顔を見合わせ、同時に声をあげた。
「ここ、何処よ。使徒は? 使徒はどうなったの? 一体、何がどうなっているのよ!」
その頃、ネルフの使われていない一室で、葛城ミサトが目を覚ましていた。
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