#55 ゼーレ
「碇君、今回の失態、あきれ果てたよ」
暗闇の中に立ち並ぶモノリスに、碇ゲンドウは心理的にも、物理的にも半包囲されていた。
モノリスには、00から12までの文字が付けられている。彼らはゼーレ、ネルフの上位組織である人類補完委員会の背後に潜む黒幕である。ゲンドウの飼い主とも言う。
ゲンドウは、いつもの机に肘をつき、顔の前で指を組んだ恰好。
常日頃からこのポーズで押し通してきたことを、今回ほどありがたく思ったことはない。いきなりこのポーズでは、都合が悪くて表情を隠しているとしか思われない。実際、都合が悪くて表情を隠しているのだが、常日頃からの恰好であるから、多少はその事情も和らげられると言う物だ。
「……問題ありません」
ゲンドウは、常と同じ様な不機嫌で無愛想な声を、努力して口に出した。
「問題ありません?」
甲高い声が、ゲンドウの言葉を馬鹿にするかのように繰り返す。
「どの辺りが問題ないのかね? 今回の一件で、ネルフの優位性は失われたよ。ネルフに大量の予算を配分できたのは、使徒を倒すことが可能なのは、EVAのみであるとされていたからだよ。その論拠が失われた。その何処が、問題ないのかね?」
ねちねちと、猫が小動物をいたぶるような響きの声が、ゲンドウに浴びせかけられる。
ゲンドウは表向き、表情を動かさない。内心で多大な努力をしているとしても、それを表には出さない。
「……使徒殲滅を最優先したまでです」
きっぱりと、ゲンドウは言う。
「人類補完計画にとって、使徒の殲滅は最優先課題。今回の使徒は、EVAで戦うのに非常に手強いと判断し、戦自の協力を要請しました。全ては、ネルフの主導の元で行われたこと。使徒殲滅がなった以上、問題はありません」
言いながら、ゲンドウは腹立ちを感じていた。
自分がしていることは、シンジの擁護である。
実際の戦闘は、ネルフではなく、あの小娘──シンジの仲間の小娘の手によって仕切られていた。その事を報告すれば、ゼーレは早速、シンジらの排除に動くだろう。不確定要素、不安要素は、即座に排除する。そこに、躊躇いはない。シンジがネルフを支配下に置いているのであれば、ネルフごと、始末する。ゼーレには、それだけの権力があり、同時に、それだけの戦力がある。その気になれば、世界の軍隊の半分以上を恣意のままに動かすことが可能だ。流石に、シンジもこれだけの相手は手に余るだろう。間違いなく、シンジは抹殺される。確実に。
しかし、そうなった場合、ゲンドウ自身も無事では済まない。
ゲンドウの能力を信用して、ネルフを任せた。
しかし、その能力に不安があるとなれば、ゼーレはゲンドウを切り捨てる。ネルフ司令の地位からの放逐では済まない。ゲンドウは、ゼーレの計画を知りすぎている立場にある。知りすぎた者は、ゼーレの元にいれば安泰だが、そうでなければ、即座に抹殺対象となる。
だから、ゲンドウはシンジを擁護するような立場をとらざるえない。
そして、これがシンジの狙い通りであると言うことが、また、ゲンドウを不機嫌にさせる。
ゲンドウのシンジ抹殺計画──エントリープラグに仕掛けを施し──は、失敗した。その責を受けて、赤木リツコがシンジらに拉致された。しかし、ゲンドウは無事。そのまま、ネルフ司令の位置にいる。シンジらに、物理的に排除されてもおかしくないにも関わらず、だ。
理由は、一つしか思いつかない。
親子だから。
こんな、アットホームな理由だと判断するほど、ゲンドウは間抜けではない。
ゲンドウは、ゼーレに対する防壁となることを期待されて、シンジに見逃されたのだ。
そして今、現実に、ゲンドウはゼーレに対する防壁となっている。腹立たしくも、シンジの思惑通りに。
自分を守るためには、シンジを守るしかない現状。たかだか14歳の子供に言いように振り回されています、などとは、口が裂けても報告できないのだ。何とか、適当な理由を付けて、この場を凌ぐしかない。
全く、腹立たしいことだ。
「成る程、君は、全て君の意志の元で行われた、そう、強弁するわけかね?」
モノリスの言葉に、内心ひやりとする。
何処まで、ゼーレは事情を知っているのだろうか?
「……その通りです」
不安を押し殺し、ゲンドウは頷いてみせる。
道化になった自分を嗤う余裕はない。
死は、正直怖い。人の生き死になどに心を動かされることはない。それは、自分をも含めて。そう考えてきた。しかし、現実には、自分の死は恐ろしい。これまでは、死を書類の上のこととして処理してきたために、錯覚していただけのこと。それを、シンジに思い知らされた。現実、身近にある死は、ゲンドウを萎縮させる。
だが、それ以上に、自らのシナリオが破綻することが怖い。妻と再び会うためだけに、ゼーレの犬となった。しかし、目的を達成できないままに退場させられるのは、絶対に避けたい。
未だ、勝敗はついていないのだ。
自らに、言い聞かせる。
確かに、これまでの所、シンジのワンサイドゲームで事は推移している。
だが、全ての結果が出たわけではないのだ。
負け続きでも、最後の最後に一勝すればいいのだ。全ての終わりに勝利者になれば、それで良いのだ。課程はどうでもいい。最終的な勝利者。それが、真の勝利者である。
だから、今、ネルフ司令の座から立ち退くわけには行かない。
「現有戦力では、使徒戦に不安があることは、以前に報告したとおりです」
「弐号機の話かね?」
「そうです。試作機である零号機まで戦線に投入する現状では、他の勢力の力も当てにしなければ、使徒殲滅は難しいでしょう」
自分の能力不足ではなく、推定されていた以上に、使徒の能力が高いことを告げる。これは、嘘ではない。第3使徒、第4使徒、第5使徒と、使徒の能力は強くなっている。EVAを一撃で行動不能にする第5使徒の加粒子砲などは、想像の外にあった。
「……弐号機については、既に海上輸送が行われている。近日中にイベントを一つこなした後、君の元に届く予定となっている」
正面の00のモノリスが、重々しい口調で告げてくる。
この00のモノリスの正体だけは、ゲンドウも承知している。キール・ローレンツ。人類補完委員会の議長であり、ゼーレのトップ。既に100才を越えた体を半ば機械化して、生にしがみついている醜い老人。この老人の妄執の産物こそが、人類補完計画。
「そのイベントの際には、君のネルフの力も当てにすることとするよ」
この言葉に、ゲンドウは小さく息を吐いた。
少なくとも、今のところ、彼らはゲンドウからネルフを取り上げるつもりはないようだ。
それを悟って。
モノリスが消え、ゲンドウはネルフ本部の薄暗い司令室、その執務席に戻る。
全ては映像であり、元々、執務席に座っていたのだが、ゲンドウには、戻ってきたという思いが強い。
ピラミッドの頂点、ネルフの最高権力者。その座に。
もっとも、最近では場所的には兎も角、権力的には、その座から滑り落ちた感も多々あるが、少なくとも、ゲンドウがネルフ司令であることには違いない。部下がおらずとも、ゲンドウに与えられた、ネルフ司令に与えられた権力、権利はある。それにしがみつき、現状を何とかするしかないのだ。
「老人達を、何とかごまかせたようだな」
脱力しかかる自分を叱咤し、何とか常のままの恰好を保持するゲンドウに、横合いから声がかけられる。
冬月である。
映像に映らないことを良いことに、冬月も今の会議を聞いていたのだ。勿論、発言することは不可能だが。
「……」
ゲンドウは、甘いことを言っている、今やたった一人となった腹心を見つめる。
冬月のように、ゲンドウには楽観が出来なかった。ゼーレは、半ば以上気が付いているだろう。その上で、自分をネルフ司令の地位に据え置いた。そう考えた方が良いかも知れない。
一瞬でも感じてしまった安堵を、冬月の楽観論を使って排除する。
周りは敵だらけ。僅かな油断も命取りとなる。
「碇、一つ悪い報告がある。赤木博士についてだ」
ゲンドウの内心に気が付いたのか、気が付かないのか、こちらはいつものペースで冬月が告げる。
「……何だ?」
切り捨てた腹心。そして、情婦。どちらも利用価値はまだあった。
「現状に復帰したようだ」
「……何?」
「赤木博士は、反省の色も濃いので、今回は不問とするそうだ」
誰が、とは尋ねなかった。
赤木リツコを裁くのは、ネルフの王様であるゲンドウの役目。そのゲンドウが、この判断を下したわけではない。
となれば、消去法をするまでもなく、誰がそうしたのかは解る。考えるまでもない。
「先刻、ユウキ君から、そう報告があった。今日から、再び技術部主任として復帰するそうだ」
冬月が、ため息混じりに告げる。
「どうやら、シンジ君に取り込まれてしまったようだ」
言う必要もないことを、わざわざ報告してくる冬月に殺意すら覚えるゲンドウだが、表面への漏出は避ける。
冬月は、現在では少なくなった、ゲンドウに利用できる手駒の一つである。この程度で切り捨てるわけには行かない。
「……部長職以上で、こちらで利用できる人間は?」
「葛城君を初めとして、数人、そんなところだ。しかも、その下の多くは、シンジ君の味方のようだ」
ゲンドウは、冬月の報告に顔を顰めかかった。
葛城ミサト。作戦部長である。本来ならば、充分以上の力になってくれるはずの地位にある人間である。だが、元々求められていた能力が作戦部長のモノではない。さほど、役に立つとも思えない。同時に、だからこそ、シンジが手を伸ばさずに放っておかれているとも言える。味方にしても、さほどメリットのなさそうな人間だ。そうでなくとも、作戦部のスタッフは、自称作戦部長代理補佐心得見習い(仮)を名乗る、あの小娘に取り込まれているのだから。
「……兎に角早急に、シンジの手の伸びていない人間をピックアップして、こちらの戦力を整える必要がある」
重い脱力感。しかし、諦観するわけには行かないと、精神的な疲労を押し隠して、ゲンドウは口を開いた。
モノリスは、ネルフ本部の執務室から消えた。
しかし、モノリスの主達は、未だ会議を続けていた。只、ゲンドウの前から場所を移しただけのことである。
「しかし、思いの外、使えませんでしたな」
甲高い声が、馬鹿にしたように告げる。
彼は、先刻からゲンドウを論っている。元々、白人優位主義の持ち主で、ゲンドウの様な黄色人種に、ネルフ司令などと言うような、計画に重要な立場を任せることが気に入らなかったのだ。その失点と見るや、責め立てることに躊躇をしない。
「そう言うものではない。少なくとも、これまでは問題なく勤め上げてきた。使徒進行にEVAを間に合わせるのは、奴でなければ出来なかったことだ」
他の声が、擁護する。と言っても、積極的にと言うよりは、ゲンドウを論う声がいい加減耳障りになったから、その程度だ。
「しかし、息子が登場した途端、馬脚を現してしまった。所詮は、その程度と言うこと」
「子供だと甘く見ては、我々も奴の轍を踏むことになるぞ」
再び、甲高い声を窘める。
「碇シンジ──碇ムテキの正統後継者」
僅かに、恐れの雰囲気が議場に零れる。
「馬鹿な。君たちは、木の影を見て、化け物と怯えているだけだろう」
「甘く見るな」
今度は、キール・ローレンツの声。
流石に、トップの声と見て、甲高い声がなりを潜める。
「碇ムテキの恐ろしさについては、我々も重々承知しているはずだ。確か、君の国の元帥の言葉だったか? 『碇ムテキが5人いたら、戦争の勝敗はひっくり返っていただろう』というのは?」
「マッカーサーの小僧ですな」
頷いたのは、おそらくアメリカ人だろう。
ゼーレの支配地域は、欧州を中心にアメリカを含む。南半球がセカンドインパクトの影響で壊滅していることを考えると、世界の三分の二以上を支配していることになる。
「東京を焼き払うべく、第3の原爆を積んで発進した「サンダーボルト」が、彼の投げつけた竹槍で撃墜されたというのは、あなたもご存じのはずでは?」
「……」
むむむ、と、甲高い声の男が口ごもる。
「SUCCESSOR OF MIGHTY──碇ムテキの正統後継者、碇シンジ、侮るわけには行くまい?」
キールが呟くように告げる。
「そこで、セカンドチルドレンに付けた『灰』だけではなく、『黒』の派遣もすることとする」
「──!」
声のない驚愕が、モノリス達から零れる。
「そんな、それでは、4枚の切り札の全てを極東に投入するというのですか?」
「計画遂行こそ、一番の大事。その為の障害を排除する、それこそが、最優先だ」
キールはモノリスの叫びに近い声に、即座に反応した。
「能力的には問題ないモノの、『灰』は少々事態を楽しみすぎるきらいがある。そこで、用心しての『黒』の派遣だ」
「しかし、それではこちらの守りが……」
「問題ない」
ゲンドウのような言葉を、キールは発した。
しかし、言葉が足りないと感じたのか、説明を付け加える。
「間もなく、量産モデルが完成する。それに、4枚の切り札と言うが、現実、我々の真の切り札たるはそれ以外の一枚、鬼札たる『白』。他の4枚とて、『白』の粗悪なコピーに過ぎん」
「……確かに」
その言葉に納得したのか、モノリス達が驚愕から抜け出し、安堵した風の趣を見せる。
「兎に角、現時点での我々の最大の敵手は、碇シンジ──そして、その背後にいるであろう、碇ムテキ。くれぐれも、油断するな」
「は!」
全てのモノリスが、一斉にうなずきの声をあげる。
キールはそれを満足するように見回し、会議の締めとなる言葉を発した。
「全ては、ゼーレのシナリオの元に」
「ゼーレのシナリオの元に」
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