#56 世界征服
手早くシャワーを浴び、昨夜の情事の残滓を洗い流すと、服を身につけていく。
「あれ? もう、行っちゃうんですか?」
「仕事があるの」
尋ねてきた少年の声に、赤木リツコは短く応えた。正直、もう少し余韻を味わっていたいと重う。しかし、仕事は押している。どこぞの作戦部長と違い、ネルフ技術部主任、リツコのその肩書は伊達ではないのだ。中破した零号機は、修復と同時に装甲の換装を行う予定。マギのメンテナンス、殲滅した第5使徒の調査。仕事は嫌と言うほどある。そして、困ったことに、リツコの代わりを出来る人間はいない。技術部ナンバー2の伊吹マヤでも、リツコの代わりは勤まらない。リツコがいなければ、殆どの仕事が滞ってしまう。
マヤにせめてサポートさせたいところだが、現在、シンジの向こう側で気持ちよさそうに眠っている。時々、「ううん、先輩素敵」などと、語尾にハートマークが付きそうな口調で寝言を言っている。最近働かせ過ぎたという自覚があるから、情け容赦なくたたき起こす気にもなれない。
確かに、リツコの能力は優れている。自分でも、そう自負している。しかし、リツコが忙しすぎるほどに忙しいのは、それ以外の人材に多くの問題があるせいでもある。ネルフの人材は、上位下達式のやり方に慣れている。慣れすぎている。それが、司令、碇ゲンドウのやり方であるという点が一点、同時に後ろ暗い事情が多々あったため、部分部分の仕事をさせて、全体図を見せなかったせいでもある。その為、リツコがいちいち指示出しをする必要がある。これから先は、もう少し情報公開をして、自分の負担を減らしたいところである。
「それは、残念ですね」
「きゃっ!」
リツコは小娘のような悲鳴を上げた。
シンジにお尻をなで上げられたのだ。
その絶妙なタッチ。強すぎず、弱すぎず。女の──そしてリツコの体を熟知している。14歳の子供の技術ではない。
「可愛らしい悲鳴ですね」
「……大人をからかうモノじゃないわ」
悪びれずに気楽に評価するシンジを軽く睨み付け、リツコは窘める。それでも、頬が染まってしまうことは避けられなかった。
全く、大した少年だった。年齢的には、まさしく少年。しかし、その技術はそこいらの中年男をも易々と凌ぐ。凌ぎまくる。リツコはゲンドウ以外に経験がなかったから、客観的な評価は出来かねるが、それでも、ゲンドウとはレベルが違いすぎることを理解させられていた。比べるだけでも失礼なほどに、レベルが違う、と。基本的にゲンドウは、自身の欲望を満たすためだけにリツコを抱いており、こちらに事情には一片も考慮していなかった。逆にこちらを優先するシンジとは根本的に違うのだ。
「照れているリツコさん、可愛いですよ」
「何度も言わせないで。大人をからかうモノじゃないわ」
からかわれて、容易く頬を更に染めてしまう。
全く、これでは理知的な美貌を誇る赤木リツコ、失格だ。自分はもっと、冷静でいなければならない。そう言うキャラクターのはずだ。
そんなことをつらつら考えながら、リツコは意識してシンジから視線を逸らし、手早く服を身につける。勿論、最終的に白衣は外せない。
「ああ、そう言えば」
ふと思い出したように、シンジが口を開く。
真面目な口調だった。
「どうかしたの?」
「リツコさんに、一つ教えておかなくちゃならないことを思い出しました」
「何かしら?」
わざわざそう口にするからには、本当に必要なことなのだろう。リツコは興味に駆られて問い返す。
「僕たちが、マギの目を欺いた方法ですよ」
「……是非、聞かせて欲しいわね」
真面目な、真面目きわまりない表情になって、リツコは尋ねた。
それは、是非とも知りたいことだ。
教えて貰ったら、即座にゲンドウに報告する?
否、そんな気はもう無い。自分が、シンジに──シンジに抱かれることに耽溺していることを自覚している。今更、ゲンドウの元に戻る気はない。
只、あったのは科学者としての好奇心。
母が作り、自身が完成させたと自負していたスーパーコンピューター、マギ。そのマギを出し抜いた。是非とも、その手法を知りたい。
「簡単なことですよ」
シンジは、にっこりと笑って説明した。
そしてリツコは、ネルフ発令所にいた。
深夜、当直の人間に用を言いつけて人払いをし、現在、発令所にいるのはリツコ一人。
その発令所の、普段、使徒との戦闘時におけるリツコの立ち位置。そこから更に、一段低い場所。
ネルフの発令所は、まるで戦艦の艦橋の外観のように、何段かのフロアに別れている。上に行くほど地位が高くなる恰好で、最上段は勿論、ネルフ司令碇ゲンドウである。正面モニターを見易く、そんな説明がなされているが、何とかは高い場所が好き、そんな言葉を思い浮かべてしまうリツコだった。
リツコは上から二段目。ゲンドウの下。ここが、直接指揮を執る場所となる。
その更に一段下。人のための席はない。しかし、人以上に重要なモノが鎮座している。ここは、ネルフの誇るスーパーコンピューター、マギの御座所。
マギは、一つではない。それぞれ、微妙に性格付けの異なる三台のバイオコンピューターが連結されたモノである。この三台という部分が売り。例えば、情報量が絶対的に少ない場面で質問をする。普通のコンピューターであれば、正直に「情報不足」と返してくるだろう。しかし、マギは違う。三台のそれぞれが推論を出し、討議し、何らかの回答を導き出してくれる。人に近い。それが、売りである。
リツコは三台の内の一つ、カスパーの配置された場所に立つ。
メルキオール、バルタザール、カスパー。それが、三台のマギ、それぞれの名前。性格付けは、リツコの母、赤木ナオコ博士の人格が元であり、それぞれ、科学者である赤木ナオコ、母親である赤木ナオコ、女である赤木ナオコと言った具合に、変化が付けられている。
「これは、三人の私」
そんな言葉を、ナオコは残している。
その、女である赤木ナオコの人格を移植したカスパー。
リツコは、メンテナンスハッチを苦労して開いた。
「ふう」
そして、中をのぞき込み、小さく息を零す。
「成る程ね。こういうものを母さんは残していた訳か」
人の内臓のようにケーブル類の走るカスパーの体内。主要部分を覗けば、人の脳味噌そっくりな部分も見られるだろう。
そこに、所狭しとメモが貼り付けられている。内容は、シンジに既に知らされていたように、マギの裏コード。中には、「碇の馬鹿野郎」などと殴り書きされたモノもあるが、これはご愛敬だろう。
「メンテを人任せにするべきじゃなかったわね」
今更な思いを口にする。
マギ、そのハードを、そしてソフトの基礎を作り上げたのは、母、ナオコである。リツコはその跡を継ぎ、ソフト面の充実、実用化をしてきた。学習することにより、その能力を──推論の幅を広げ、確実性を高めていくマギ。ナオコだけでは、その完成は遠かった。リツコは残されたソフトに力を込め、完成に近づけてきた。その選択に、間違いがあったとは思わない。
しかし、ソフト面にだけ注意を払わず、一度くらいはハードのメンテナンスに顔を出すべきだった。
そうすれば、もっと早く、この裏コードの存在に気が付くことが出来たはずだ。そうすれば、ソフト面の充実も、もっと上手くやれただろう。否、上手くやれた。
「母さん、本気? 何でこんなコードまであるわけ?」
ざっとメモを見回し、リツコは呆れたような声を出した。マギを上手く使う方法ばかりではなく、上手く使わせない方法まで、その種類は雑多。重大なセキュリティホールの存在まで、このメモは明かしている。まるで、ゲイツのOS並に穴だらけ。ただし、より巧妙で、制作者の意図通りであろうから、ゲイツOSとは違う。否、ゲイツOSの方も仕様らしいから、まさしく仕様のマギと同様か?
「マギの乗っ取りでも考えていたのかしら?」
多くの穴は、根幹部分に関わっており、今更塞ぐことも難しい。全く、重要すぎる情報の宝庫だった。
しかも、これで全てではない。
メモをはがした痕と見える、幾つかの糊代が残されており、更に多くのメモが存在していた事は一目で知れる。そして、間違いなく、同数の裏コードの類が存在すると言うこと。
「全く、一から勉強し直しね」
呆れた声で呟きつつ、リツコはシンジに渡されたファイルを見る。このファイルには、既にはがし済みのモノまで含めた、シンジらの知る限りのマギの全ての裏コードがある。
シンジらは、これを使って、マギの目をかいくぐり、行動の自由を得ていたのだ。マギに多く依存しているネルフの防諜体勢であるから、赤子の手を捻るより簡単に暗躍できただろう。
では、何故、どのようにしてシンジ達部外者が、マギの責任者のリツコですら知らなかった、これらの裏コードの存在を知っていたのか。
それについても、シンジは何でもないことのように説明していた。
「ジオフロント、ネルフ本部みたいな大がかりな開発事業があれば、とても全てを秘密裏に行うことは不可能です」
その通りである。ジオフロントは、大昔の遺跡として発見、利用したに過ぎないが、ネルフ本部、更にはその地下の大深度施設など、途轍もない大工事が行われている。その大工事を、僅か少数の人間で行うことは出来ず、結果、多くの建築会社が参加している。口が多くなれば、それだけ秘密の漏れる危険も大きくなる。当たり前のことであるから、リツコは無言で頷いた。
「僕が記憶しているだけでも、埴輪土木を初めとして、丸投建設、贈賄開発、談合工事、その他諸々、多くの建築土木の会社が、ジオフロント開発に関わっています」
「それらに、息のかかった人間がいたという事?」
「はい」
シンジは素直に頷く。
「ネルフ側としては、勿論、機密の流出を恐れ、口封じを計りました。重要部分の工事を受け持った人間の殆どが、父さんらしいやり方で」
「始末された、と?」
「ええ」
シンジは、あっけらかんとした顔で頷く。重要部分に関わった人間だけ、とは言え、それはかなりの人数になるだろう。しかし、ちっとも気にしている風でもなかった。
「大深度施設に封じられた、リリスの抜け殻。その成長を助けるために喰わせる。他にも、人体実験の重要な被験者として利用したり、兎に角、いろいろと一石二鳥のやり方でもって」
リツコの顔色が、僅かに変わる。
ネルフ本部の建設がなった当時は、リツコはまだ高校生。ネルフに所属した頃には、既に施設は完成、稼働を始めていた。だから、そんなことがあったとは初耳だ。
しかし、そう言うことかという納得もあった。
地下のリリス。その肉体は、今も成長を──あるいは修復を続けている。上半身はほぼ出来上がっている。今は、下半身を形作ろうとしている。その下半身にあるのは、ぶよぶよとした肉のかたまり。そして──
そして、そこからは、何故か人の足のようなモノがいくつも生えている。
人の足のようなモノ。
違う。
アレは、きっぱりと人の足なのだ。リリスに取り込ませた、人の足。
「昔、セカンドインパクト直後の混乱期には、ネルフ──人工進化研究所でしたか?──は、人体実験を当然の如く行ってきました。その被験者の処理にも、リリスは大車輪の活躍を見せたみたいですね」
「……全く、私が思っていた以上に、一筋縄ではいかないみたいね」
リツコ自身、様々なやばい研究をしてきている。それでも、自分の行ってきたことが、ほんの氷山の一角に過ぎなかったことを悟る。
ゲンドウに信用されている。そう考えていた。実際、ミサトよりは信用されていただろう。後ろくらい計画に参加させられる程度には。しかし、全体から見れば、リツコも只の手駒に過ぎなかった。改めて、それを思い知らされる。
リツコは、自嘲の笑みを浮かべる。
ゲンドウに信用されている。そう思ってきた。実際、かなりの情報も与えられてきた。しかし、それは全てにはほど遠い、些少な量に過ぎない。
お味噌にされている。これは、非常に腹が立つ。
何となく、ミサトの苛立ちが理解できるような気がした。ミサトくらい、重要な情報からお味噌にされている作戦部長は、他組織にはいないだろう。
哀れなピエロ。
そうした視線で、ミサトを眺めていた部分があったことを反省する。現実には、自分だって、ゲンドウにとっては哀れなピエロ。同様な視線を向けられ、気が付いていなかったのだ。間抜け、と言う点では、自分の方が上かも知れない。
「僕らにとって、情報収集って言うのは、非道く重要なこと。これは、前にも言いましたよね。だから、ネルフ施設の青写真なんてのは当然手に入れてましたし、出入りの業者にも協力をして貰っていますし、内部の協力者も募りました。だから、結構なことを知っていたんですよ」
シンジの説明は、これで終わりだった。
「……呆れたわね」
リツコは、言葉通り、呆れた口調で呟き、シンジを見つめた。
「それで、あなたは、一体何をしようと言うの? ネルフの、ゼーレの計画を潰す正義の味方、なんてのは、柄じゃないでしょ?」
「非道いなあ。僕がまるで、悪者みたいじゃないですか」
そのままズバリ悪者です。
とは言わず、リツコはシンジを見つめた。
シンジは、僅かに苦笑して、口を開いた。
「僕の目的、それは勿論──」
「敵には容赦しないけど、味方には太っ腹、か」
再び発令所で、リツコは誰かが言っていたシンジ評を思い出す。保安部員だったか? 多額のボーナスを貰って、ほくほくだったようだ。
「信用された、ということかしらね?」
間違いなく、リツコは信用されている。自分から、離れられないと思われているのかも知れない。実際、その通りだった。
ゲンドウの時と同じく、リツコは矢張り、利用されているのだろう。しかし、少なくとも、ゲンドウよりも情報を貰えるし、信用されているように思う。
今は、それで充分だった。
人を殺すことを躊躇わない少年。それが、碇シンジ。
だが、最早恐れを感じる必要は無い。
敵には、容赦しない。しかし、味方に対しては寛大。この評価は、おおむね間違っていないのだろう。いざとなれば、味方でも切り捨てるかも知れないが、現時点では、この評価通りに行動している。
だからこそ、多くの保安部員を初めとするネルフの人間がシンジに取り込まれ、そのまま、シンジの為に、シンジの為だけに働くようになっている。
リツコも、シンジのために働くことになる。
「司令なんか、問題にならないくらい上手だし」
自分の欲望を吐き出す。その為だけにリツコを抱いたゲンドウ。はっきり、誰でも良かった、そう言う態度だ。
シンジの方も、おそらく誰でもいい。しかし、こちらは自分の欲求を満たすことよりも、相手のことを考えている。女性限定で、その忠誠をえるための手段の一つなのだから、当然だ。そして、そのテクニックも雲泥の差がある。リツコは既に、シンジ無しの生活は考えられない。完全に、籠絡されていた。
どちらにせよ、シンジに付いて人類補完計画を潰すのは悪くない。こうなってみれば、全人類巻き添えの心中計画の達成を望むつもりはない。世の中には、リツコの知らない、知らなかった世界が広がっている。その世界を、少しでも多く知りたい。その為にも、まだ、死にたくはない。
「しかし……」
リツコは小さく笑いを零す。
大人を凌ぐ狡猾さを身につけた少年。シンジ。
しかし、その目的は、笑ってしまうほど、子供っぽいモノだった。
「……世界征服」
全く、子供過ぎるほどに子供らしい目的。
しかし、本当に達成してしまうのではないか、そんな気さえしてくるから不思議だ。
少なくとも、ネルフの大半を、若干14歳にして押さえた。まだ、シンジに時間は多く残されている。何処まで行けるのか。それを見るのも悪くない。
将来は、解らない。しかし、今は、シンジに従い、その目指すところに協力するのも悪くない。リツコは、そう考えていた。
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