#58 パンダ使い その一


 第3新東京市郊外の森の入り口に、多くの人々が集まっていた。
 多くは、警察官。その中にはシンジの協力者でもある、第3新東京市の警察署、副署長の鴉葉ツキの姿もあった。
 鴉葉はいわゆるキャリア組である。そうでなくとも、現場にでるようなタイプの人間ではない。会議室で適当にお茶を濁し、「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ!」などと部下に叱咤されそうな人物である。そして、当人もその事を自覚しており、しかし、それがどうしたとばかりに開き直っている。その鴉葉が現場にいる。これは異常なことで、勿論事情がある。
 その事情は、鴉葉の脇に立っている、スーツ姿の中年女性だ。
 中年女性、と言っても、女は廃業しました、とでも言うような人物ではなく、多少のスタイルの崩れはあるモノの、未だ充分現役で通用する、そうした色香のある人物だった。
 女性の名前は中山アカリ。第3新東京市の市長である。
 勿論、公正なる選挙で選ばれた市長である──はずがなかった。
 何しろ、第3新東京市はネルフの街である。市政は議会ではなく、マギが取り仕切っている。冬月などは、メルキオール、バルタザール、カスパーの三台の多数決で行われる市政は「きちんと民主主義に則ったシステム」である、などと寝言を口走るかも知れないが、一般人にしてみれば、それは明らかに異質で受け入れがたいモノである。だから、表向き、市政は議会が運営していることになっている。そこへ、やる気満々の人物が市長として立ったら、様々な問題が発生するだろう。マギに任せて良しとするとは、とても思えない。
 その為、ネルフは選挙結果を操作している。
 マギに取り仕切られる街、第3新東京市。勿論、選挙は電子投票だ。そして、電子投票となれば、その結果を改竄するくらいは、マギには容易いことだった。
 結果、候補者の中で一番無難と思われた中山アカリが市長に、「マギによって」選ばれたのだ。
 主婦感覚の市長、と言うキャッチフレーズだが、お嬢様がそのまま大人になったような人物で、政治に関してはまるで理解も才能も乏しい。まさしく、マギの選択は間違っていなかった。
 ──が、たまに、普通の市長であれば初手から無視するような事柄に嘴を突っ込むから、困ったことにもなったりする。
 そして、まさしく今回がそうだった。


 まいったな〜、僕、今日はサユリちゃんとデートなのに、などと、内心、全くやる気のない鴉葉であるが、それを伺わせず、市長に話しかけた。
「市長、危険ですから、やっぱ、辞めときませんか〜?」
「危険だからこそ、早急に対処する必要があると思うんだけど」
 鴉葉の進言は、あっさりと否定される。
「市民の安全を守るのが、市長である私の仕事です」
 市長、中山アカリは使命感に燃えていた。が、どこか微妙に方向を間違えている。
 そう言うのは、警察に任せておいて欲しいな〜、などと鴉葉は考える。勿論、警察とは彼の部下達のことであり、鴉葉自身は含まれない。自分は命令を出す人、実際に仕事をするのは部下。それが、警察の正しいあり方であると、鴉葉は信じて疑っていない。何しろ、自分はキャリアなのだから。
 それは兎も角、事情を説明するならば、第3新東京市の郊外の森に、パンダが住み着き、森に近づいた者を激しく威嚇する、と言う事件が起きた。パンダは、あくまで威嚇のみ。現時点では負傷者その他は出ていない。しかし、非常に物騒だと言うことで、市局に通報があった。それを、中山アカリが聞きつけたのだ。
 何しろ、市政を取り仕切っているのはマギである。結果、市長を初めとして市議の者達は皆、暇をしている。多くの者は、それを良しとしている。例えば、市議の高橋ノゾクがそうであるように、彼らは市議であるというステータスを喜んでいるだけで、実際、何かをして、世の中を良くしようなどとは思っていない。マギが、そう言う人物を選んだとも言う。彼らは、市議という立場を手に入れ、同時に、ネルフに鼻薬を嗅がされて満足しきっていた。だから、現状に疑問を抱かないし、当然、どうにかしようとも思わない。持ちつ持たれつ。腐りきった関係ながら、良好な状態でいられた。
 中山アカリも、それで満足すると思われていた。しかし、彼女は彼女なりの使命感に燃えてしまった。とは言え、政治には素人であり、マギによって日々処理されていく市政を、「そうしたものなんだ」と納得してしまう、その程度だ。そして、暇をしてしまっているだけに、突如飛び込んできたこの事件に飛びついたのだ。これこそが市長の仕事だ、とばかりに。
 そして、市長の名の下に、警察に出動依頼が出された。
 貧乏くじを引いたのは鴉葉である。
 市長が現場に出る。これは、異例のことである。
 それを申し立て、思い直すように説得したのだが、中山アカリの決意は、あるいは使命感は硬かった。
 結果、保身第一に考える鴉葉も、現場に出ることになってしまった。本心を言えば、部下に任せて自分は女の子の部屋にでも転がり込みたいところだが、流石に、市長だけを行かせて何かがあった場合、彼の方にも責任問題が波及してくるから。
「……で、どうすればいいですか〜?」
 遂に説得を諦めて、鴉葉はアカリに尋ねた。
「……」
 アカリは、顎に指先を当てて、どこか年に似合わぬ小娘っぽい仕草をした後、尋ね返してきた。
「どうすればいいのかしら?」
「……」
 鴉葉は、ばれないようにそっとため息を零した。
 我らが第3新東京市の市長は、この程度の人物なのだ。ため息も零れようと言うものだ。
「……部下に任せるのが一番だと思いますけど」
 鴉葉は、内心を押し隠して提案する。
「何しろ、上が五月蠅く口出しをすると、迷惑になる場合が殆どだし〜。ほら、現場には現場のやり方ってものがありますしね〜」
「そうかしら?」
 アカリは小首を傾げる。
「そうですよ〜。と言うわけで、君たち、ちゃっちゃと突入しちゃって、パンダさんを撃ち殺して──」
 鴉葉はそれを了承と見て、投げやりな調子で部下に命令を下そうとする。
「駄目です!」
 そこで、アカリが声をあげた。
「え?」
 戸惑う鴉葉に、はっきりきっぱりとした口調で、アカリが告げた。
「駄目です。撃ち殺したら可哀想じゃないですか」
「って言われても、捕獲は手間もかかるし、危険も大きいですし〜」
「それに、何でもパンダを操っている女の子がいるって話でしょ?」
 確かに、そう言う未確認の情報もあった。
「でも〜」
 気が進まないことまるわかりの表情で、鴉葉は口ごもる。
「兎に角、その女の子を捜してみましょう」
 結論付けるように、アカリが言った。
「でも、どうやって探すつもりですか〜。森は、広いし〜。人海戦術にも限界が〜」
 撃ち殺すにしても、森は広いのだが、只、鴉葉にやる気がないため、反論じみたことを口にする。
 アカリの方は、鴉葉の発言の矛盾には思い至らなかったようだ。僅かに、考え込む表情をするが、直ぐに、素晴らしい考えを思いついたとばかりに表情を輝かせる。
「呼んでみましょう!」
「は〜」
「人間だったら、言葉が通じるはずです。そう、まずは話し合いですよ」
 にこにこと一人で頷き、アカリはハンドマイクを取り上げた。
 そして、スイッチを入れると、森に向けて呼び出しを始めた。


 出てくる訳無いのに〜、て言うか、本当にそんな人いるのかな〜、などと考えていた鴉葉の前で、茂みが揺れた。
 思わず呆然と口を開いて固まってしまった鴉葉の前に、子パンダを抱いた一人の女性が姿を現した。
 どうやら、噂は真実で、本当にパンダを操っている人間がいたようだ。
 この女性を一言で表現するならば、野暮ったい、だった。容姿自体はそれなりなのに、どことなく地味で、全身から、私、人付き合いが苦手です、とでも言っているかの様。眼鏡をかけた、長い髪の毛の女性である。
「あらあらあら」
 びっくりしている鴉葉と違い、アカリの方はこの状況を当然と考えているようだった。
 にこにこと、満面の笑みを浮かべ、女性の方に向かう。
「可愛らしいパンダさんね。名前は何て言うのかしら?」
 まずは関係のない話題で、取りあえず、この女性の緊張をほぐそうというのか、それとも天然か、アカリは友好的に話しかける。
「……うさま・びんらでぃん」
 女性は警戒の視線を向けていたが、それでも、しばらく経って口を開いた。それが、この子パンダの名前らしい。
「……可愛らしい名前ねえ」
 流石にちょっと引いたアカリであるが、それでも気を取り直して、笑顔を取り繕うとそう口にした。
「それは兎も角、本題に入るわね」
「……」
 女性は、あくまで警戒の視線を向けている。
 それに構わず、アカリは言った。
「この森に住んでいるパンダが、近くに来た人を威嚇するから怖いって、市役所に苦情が来たの。だから──」
「……この森は、パンダさん達のものなの」
「──そう言うわけには行かないの。土地の所有は市になっているし、そうでなくとも、人が襲われたりしたら、放っておくこともできなくなるの。だから、パンダさん達は──そうねえ、動物園にでも」
「駄目!」
 女性は、鋭く叫んだ。きっぱりと敵を見る目でアカリを睨む。
「駄目って言われても、それが一番……」
「あなた、ゲヒルンの関係者ね」
 と、女性は決めつけた。
「え?」
 鳩豆面で、アカリが戸惑う。平和に暮らしてきたアカリは、ゲルヒンと言う組織を知らない。ネルフは流石に知っているが、それが以前、そう名乗っていたなどとは、知らなかった。勿論、ゲヒルンとは関係など無い。
「何の事かしら?」
 だから、これは正直きわまりない言葉だったのだが、女性は信じなかった。
「惚けても駄目。また、あの子達を改造するのね」
「え? だから、一体……」
「絶対に、あの子達を改造させたりしない」
「だから、あのね……」
「なんか、話通じないみたいだし〜、丁度、出て来てますから、掴まえさせましょうか〜」
 鴉葉が、声をかけた。早いところ片付けて、サユリちゃんの所へ。そんな、投げやりな口調だった。
 その鴉葉の言葉を受けて、近くにいた強面の警察官達が女性を取り囲み、掴まえようとする。
 が。
 がさりと茂みが動いて、そこから巨大なパンダが2匹、姿を現した。
「ああ、そっちも掴まえちゃって」
 鴉葉は、簡単に命令した。
 そして、その命令を受けて、警察官達は行動する。
 その結果は……


「で、見事なくらいこてんぱんにやられちゃいました〜」
 あはははは〜。
 と悪びれず軽く笑って、鴉葉が言った。
 鴉葉の前には、シンジ、ユウキがいる。場所は碇組本宅である。
「まあ、パンダって、見かけアレでも熊の仲間ですからねえ。笹の葉ばっかり食べてる印象がありますけど、野生のパンダは雑食で、肉を食べたりもしますし。動物園なんかでも、気楽に檻に近づいた人間が中に引きずり込まれそうになったり、なんて事もありますし」
 ユウキがお茶を用意しながら、感想を述べる。
「更に言うなら、野生動物に警察官の使っている豆鉄砲なんか、まるで通用しませんから」
「そうみたいだね〜」
 鴉葉は、相変わらず気楽に笑う。
「おかげで、怪我人続出。彼女が止めてくれなかったら、死人が出ても不思議じゃなかったし〜。まあ、それでも、問題だってんで、現場責任者の首が飛んだけど〜」
 勿論、これは鴉葉ではない。どういう政治的取引を行ったのか、書類の改竄を行ったのか、鴉葉はそこにはいないことになっていた。元々、キャリアは守られるようになっている。責任は現場レベルでとらされ、キャリアにはなるべく傷が付かないように配慮されているのだ。キャリアのような幹部候補生の育成は、下っ端に比べて手間暇金がかかるから、などと理由も付いていたりするが、実際の所、上の方にいる者も矢張りキャリアなので、同じキャリアを大切にするのだ。仲間同士の助け合い、とは言え、非常に美しくない。
「で、何で僕の所に来たんですか?」
「解っているくせに〜」
 鴉葉の応えに、シンジはため息を零した。
「何が楽しくて、パンダと戦わなくちゃならないんですか?」
「ほら、僕とシンジ君は、一心同体少女帯だし〜」
「古いですねえ」
 ユウキが呆れたように呟く。
 その横では、シンジが顔を顰めている。嫌な一心同体だなあ、顔がそう言っていた。
「それに、どうも、彼女、ネルフに関係あるみたいだし〜。ここは一つ、ネルフの支配者のシンジ君に」
「ネルフに関係ある?」
 シンジは首を傾げて問い返した。
「なんだか、ゲヒルンに嫌悪感を持っているみたいだったし〜」
「パンダと、ゲヒルンですか?」
 ユウキも首を傾げ、シンジの方を見る。相変わらず、二人は無意識のうちに同じ様なポーズを取る。
「兎に角、お願いするからね〜。何しろ、この街の治安を守るのは、シンジ君達の仕事だし〜」
 鴉葉はあくまで気楽に責任放棄じみたことを言って、あははと笑った。

[BACK] [INDEX] [NEXT]