#60 プロとアマチュア


 た〜ん。
 深夜の第3新東京市に、銃声が響き渡った。
 道を歩いていた酔っぱらいは、ふと、違和感を感じて足を止めた。
「あれ?」
 それが、この酔っぱらいの生涯最後の言葉となった。
 額に、小さな穴を開けて、酔っぱらいは倒れ、二度と起きあがらない。
 それを、スコープ越しに見つめる者が、ビルの上に立っていた。
「どんな屑でも、血の色は一緒。綺麗」
 やばいことをうっとりとしたやばい口調で呟いたのは、シャロン・ルース。天野連合が雇って第3新東京市に派遣した、ヒットマンの一人である。
 彼女は、第3新東京市にやってくると早速、自身の嗜好を満足させるように行動していた。
 依頼は、好きなように好きなだけ殺しても構わない、とのこと。
 つまり、これは仕事である。
 だから、問題ない。
 勿論、趣味で殺したってそれはそれで全然問題はないのだが。
 シャロンは、銃を下ろし、懐から幾葉かの写真を取り出した。
 それは、シンジ、ユウキを初めとする、碇組首脳部の写真。
 うっとりと、写真を眺めていたシャロンは、その一番上にあった一葉、シンジのそれを取り上げた。
「碇シンジ……」
 うっとりと、欲情したかのような視線を、写真のシンジにくれる。
「おまえの血も、やっぱり綺麗なのか?」
 熱を帯びた口調で、シャロンは呟いた。


「なんか、学校に行くのも、随分久しぶりのような気がしますねえ」
 などと呟くユウキと連れだって、シンジは第一中学校に向かっていた。
 ユウキだけではない。他に、綾波レイ、鈴原トウジ、相田ケンスケの姿もある。彼らは現在、碇組本宅に居住しているため、一緒に学校に向かうことに、何ら不思議はない。
「まあ、センセやユウキさんには、ネルフの仕事もありますからなあ。何しろ、世界を守るスーパーヒーローにスーパーヒロインでっから」
 と、追従したのはトウジである。彼も、それなりに身の処し方というものを理解してきたのかも知れない。
 トウジは代わらず、碇組の便所掃除要員である。しかし、その状況にも慣れてきていた。少なくとも、身の危険はない。更に言えば、父親も祖父も研究所勤め、妹は入院中と、家に帰っても一人わびしくしているしかない状況。それが、碇組にいれば、少なくとも寂しさを感じる事はない。おまけに、ユウキの作った、美味しい手料理が食える。食欲魔人の異名を持つトウジには、これはありがたい。今更、自分で作ったさほど美味しくない食事など、取りたくもない。
 しかし、危険がない、と考えるのは、トウジの早計だったりする。
 現実、通学中や学校では、トウジはシンジの護衛と言うことになっていたりする。勿論、護衛と言っても、その能力が期待されているわけではない。能力的には、シンジ、ユウキの戦闘力は、トウジなどとは比べものにならない。二人がトウジに頼るような場面となれば、それは絶望的な状況、と言う奴ですら通り越してしまっているだろう。
 では、何を期待して護衛となっているのか。
 それは、壁役である。
 黒服も着ていないし、鉄板入りのアタッシュケースも持っていない。しかし、トウジ、ケンスケの役目は、いざというときにシンジらの壁になって、向けられた攻撃を我が身で受け止めることだった。
 無論、彼らにその自覚はないし、そんなことは知らされていない。だから、気楽に笑っているのだ。
 自覚がないことは、この際、シンジらには問題ではなかった。いざとなれば、勝手にそう利用するだけのこと。二人には、それくらいの能力はある。自覚など無くとも、人の体は結構な遮蔽物になる。それで充分だったから。
 表向き、にこやかに談笑しながら、一行は学校に向かう。
 その途中で、不意にユウキが視線をあげて、近くにあるビルの壁の方を見上げた。
「──?」
 と、トウジが首を傾げ、ユウキの視線を追う。
 ユウキの見ているビルは、何の変哲もない兵装ビルに見えた。いや、兵装ビルなどと言うものは、ここ、第3新東京市以外では変哲のありすぎる代物なのだが、この際それは置く。そう、只の兵装ビルだ。トウジが不審を感じるような場所は無い。
「どないしたんですか?」
 解らないならば、尋ねてみればいい。簡単にそう思ったトウジが、ユウキに尋ねる。
「あそこ」
 ユウキはどこか不明瞭な、考え込んで上の空という声で、それでもトウジに応えてビルの一角を指さす。
「──?」
 トウジが注視してみると、ユウキの指差したビルの壁面に、何か布きれのようなものが見えた。
 ビル風に煽られて、大きくはためくそれは、只の、何の変哲もない代物としか見えない。
「アレが、どないしたんですか?」
 ますますわからんと、トウジは首を傾げる。
「洗濯物──女性用の下着みたいだね」
 シンジも同様にそちらを眺め、呟く。
 どういう目をしているのか、トウジにはそこまで判別が付かなかったのだが、シンジには当たり前のように見えているらしい。
「下着?」
 その言葉に反応したのは、ケンスケだった。
 ぎゅぴ〜ん、と怪しげな音を立てそうに瞳が輝き、ユウキの抜き打ちに匹敵する速度で取り出したハンディカメラを構えている。
「おお、アレはもっとも基本的な白のパンツ! 無論、黒レースやストライプも捨てがたいが、矢張り、大事なのは基本! 凄い、凄い、凄すぎる〜!」
「……」 
 トウジは、いつもの狂乱状態になったケンスケにやばいものを見る視線を向ける。そして、呆れたように呟いた。
「……ケンスケ、自分、大人になったっちゅうけど、ワシには何処がそうなんか、全然わからんわ」


 シャロン・ルースはとあるビルの屋上で、第一中学校を見つめていた。
 第一中学校、二年A組。そこは、碇シンジのクラス。
 間もなく、碇シンジはそこにやってくるはずだ。
 学校は、安全なセーフハウス?
 否、違う。
 この私、シャロン・ルースがやってきたからには、学校は安全ではないのだ。
 シンジの流すであろう血の色を思い浮かべながら、シャロンは薄く笑う。
 学校と、シャロンのいるビルの間には、かなりの距離があった。しかし、シャロンの腕ならば、確実に命中させられるだろう。その辺りに、不安を欠片も抱いていない。自身の腕に、絶対の自信があった。
 世界有数の腕前を持った狙撃手の一人。
 シャロンは、自分をそう見ていた。
 そして、それは事実だった。
 自分に匹敵する腕を持つ人間は、世界中を見回しても、そう多くない。
 せいぜいが「アジアの毒蛇」とかつて呼ばれた暗殺者、「ゴルゴ十三」。アメリカの犯罪組織の作りだした暗殺者、「亡霊」。更に、日本の神戸山王会の、名前すら知られていない謎の凄腕狙撃手。この三人くらいが、世界中でもシャロンの認める数少ない人間で、どれも、伝説とか言われて、本当に存在しているのかどうかも疑問な者ばかりだ。
 そう、シャロンは、自身の腕を、伝説と呼ばれているような人間と並ぶと自認していた。
 実際、ここから学校までの距離は、その自信が、いわれのないモノではないと示していた。
 この距離で命中させる事が可能であれば、オリンピックで金メダルだって余裕だろう。
 当たり前だ。表の世界、オリンピックに出場できるような世界で生きている狙撃手と、シャロンら、裏の世界に潜む狙撃手では、まるでレベルが違う。
 何しろ、両者の狙撃を行う状況が違いすぎるのだから、当然だ。
 例えば、警察関係者などは、遠間から当てる腕は、さして重要ではない。彼らに求められていることは、確実当てられる距離から確実に当てること。限界ぎりぎりの距離から狙撃するようなことは、まず無い。何しろ、彼らは狙撃後、逃走の必要がない。だから、標的にどれだけ近づいても構わないのだ。否、確実を期すためにも、近ければ近い位置から狙撃するべきなのだ。
 対して、逃走の必要のある裏の世界の狙撃手は、狙撃地点は遠ければ、遠いほど良い。その分だけ、逃走に使う時間が稼げるのだから。
 しかし、この距離から確実に必殺の一撃を放てるモノは、自身を含めた超一流中の超一流のみ。
 さあ、碇シンジ。
 早く姿を現せ。
 そして、私の一撃で、綺麗な血をまき散らして、倒れるが良い。
 シャロンは、静かにその瞬間を待った。


 そして教室の扉が開き、遂に、シャロンの待ちに待った人間が姿を現した。
 碇シンジだ。
 歓喜に震えながら、シャロンは、狙いを付ける。
 既にシャロンの脳裏には、シンジがまき散らす、美しい血の色が浮かび上がっていた。
 が、そこで、僅かな違和感を感じた。
 碇シンジは、こちらをまっすぐに見て、教室の中を、窓の方に歩んでくる。
 こちらをまっすぐに見て?
「……?」
 勿論、偶然のはずだ。
 気が付かれるはずがない。
 天体望遠鏡と見間違えるほどの巨大なスコープ越しですら、シンジの姿は米粒ほどにしか見えないのだ。肉眼で見える距離ではない。
 そう思っていても、シャロンは一抹の不安を感じた。
 シンジは、窓にたどり着いていた。そして、そのまま窓を開けると、にやりとした笑いを浮かべた様に見えた。
「──?」
 気が付いている?
 殆ど確信に近いモノを感じる。
 シャロンは、慌ててスコープから視線を外し、逃走に入ろうとした。
 そんなことはあるはずもない。
 理性は、そう告げる。
 しかし、シャロンは勘を優先した。
 理性よりも、勘を信じる。そして、助かったことは多い。
 違和感を感じたら、即座に逃げるべきだ。
 生き延びてさえいれば、次の機会を待つことが出来る。そう、生き残ることこそが重要だった。綺麗であることは間違いないが、自分の血をまき散らす事だけは、避けねばならない。
 だが、碇シンジの行動が、それを一拍遅らせた。
 碇シンジは、指を立て、上を指していた。
 好奇心に負け、シャロンは銃を僅かに動かし、そちらを──学校の屋上を見た。
「──!」
 学校の屋上。
 そこには、伏せ撃ちの姿勢をとった、一人の少女の姿。
 その姿は、シャロンの目から見ても、かなり様になっていた。否、シャロンがうらやむほど、完璧な体勢。
 そして、銃声が響いた。


「ああ、マサさんですか?」
 ユウキは、携帯電話を使い、ネルフと連絡を取っていた。
「への13番ビルの屋上に、死体が一つ、転がっていますから、始末をお願いしますね」
 告げると、ユウキは、使用したばかりのでっかいスコープをつけた対戦車ライフルを手早くスカートの中に片付ける。床の上に敷いたタオルもしまうと、立ち上がり、遠間に見えるビルを見つめた。
「シャロン・ルースさんですか」
 呑気な口調で、呟く。
「一応、プロフェッショナルを自認する私としましては、アマチュアに負けるわけには行かないと言うことで」
 シャロン・ルースについては、天野連合に雇われたヒットマンの一人として、既に田茂地が調べ上げてきた。
 その腕前は、ユウキの目で見て、お世辞抜きで優れている。事、狙撃に限れば、自分と同等か、あるいは、上を行く。ユウキは、これまでシャロンが関わったとされる狙撃事件から、そう判断した。
 更に問題点をあげるならば、攻める側は、自身でタイミング、場所を選べるが、守る側はそうは行かない。ネルフの保安部員を使い、積極的に刈り立てるとしても、なかなか容易ではない。その上、一流どころの暗殺者。例え、発見できたとしても下手をすれば──いや、下手をするまでもなく、こちらにも大きな被害がでることは確実と見えた。
 が、シャロンの性格、その他を調べ上げ、ユウキは、彼女をアマチュアと判断した。
 趣味嗜好を満たすために、無差別に狙撃する。その行動。プロのする事ではなかった。精々がフリークという所か。
 特に、先日の無意味は酔っぱらいの狙撃はいただけない。アレで、シャロンが第3新東京市に入ったことを、分かり易く証明してしまった。
 以来、ユウキは注意深く、周囲を伺ってきた。
 シンジを狙う。それは、許容できない。
 シンジならば、気配を感じて避けるかも知れない、そんな思いもあった。少なくとも、碇ムテキであれば、確実に避ける。あるいは、気合い一発、跳ね返す。
 だが、初手からそれを期待して、何もしないと言う選択肢はなかった。
 そして、今日、ビルの壁に引っかかった、不審な洗濯物を発見した。
 第3新東京市のような、ビルの林立する場所では、ビル風が巻いて、狙撃にはお世辞にも適さない状況となる。特に、第3新東京市は使徒戦のあおりで、ビルが建ったり壊れたりと激しく地形が変わるため、地元民のユウキにすら、その風は読みづらい。
 多寡が風、と言ってはいけない。ほんの僅か、確かにほんの僅かばかりの影響を受けるだけとは言え、遠距離になれば、その僅かなずれが、最終的には馬鹿に出来ない大きなモノになる。その為、遠距離の狙撃をする際には、風の流れを知って修正を加えるため、ビルの壁面などに布きれを引っかけたりする。あの洗濯物は、まさしく、それと見えた。
 後は、更に保安部員を使って、他の不審な洗濯物その他を探させ、逆算して、狙撃地点を割り出すくらいは、ユウキには容易かった。
 狙撃地点を割り出せば──保安部員を送り込むと言う手もあったが、ユウキは、逆にこちらから狙撃することを選んだ。
 そこに、趣味を優先するアマチュアに負けられない、と言うささやかなプライドがあったことは確か。
 そして、ユウキはシャロンを見事に狙撃した。
 普通の人間であれば、当てることはまず不可能な遠距離。しかし、銃に関しては天才的と、シンジ、そしてムテキのお墨付きを貰ったユウキには、容易い距離だった。
「さて。そろそろ戻らないと、遅刻ですねえ」
 ユウキは何事もなかったかのようにのほほんと呟くと、階下──シンジのいる教室へと向かった。

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