#62 招待状


 時は僅かに遡る。
 ピラミッドの形状をしたネルフ本部の頂点近く。薄暗い司令執務室では、今日も今日とて、碇ゲンドウが悪巧みをしていた。
「……また、君に借りが出来たな」
『返すつもりもないんでしょ?』
 受話機に話しかけるゲンドウに、どこか軽い調子の男の声が応える。
『で、どうです? 例のモノは。こっちで手、打ちましょうか?』
「いや」
 ゲンドウは、男の提案を切り捨てると、机の上に投げ出された資料にちらりと視線を向ける。
 そこには、ボスロボットが角張ったような物体の写真が添付されていた。
「君の資料を見る限り、問題は無かろう」
『では、シナリオの通りに』


 悪巧みは何も、ネルフ司令、碇ゲンドウの専売特許というわけではない。
 ここ、政府関連施設、その一室、完璧な防諜設備に守られた会議室でも、悪巧みは行われていた。
「どうかね? 最近は」
 当たり障りのない会話から、その悪巧み──会議は始まった。
「国民は落ち着いたモノです。何しろ、セカンドインパクトの地獄を経験したばかり。使徒襲来程度では騒がないよ」
 セカンドインパクト。その直後の状況は、この男の言葉通り地獄だった。頻発した災害、不足する食糧、蔓延する病気。セカンドインパクト以上に、その後の混乱期、この男の評した「地獄」の時期にこそ、多くの命が失われた。最近でこそ、一部でようやく復興がなった。しかし、あくまで一部。未だ、セカンドインパクトの疵痕は大きく、復興すらままならない地区は多い。
 それに比べれば、使徒による被害などは微々たるモノ。使徒に敗北すれば、人類は滅亡すると言われるが、少なくともこれまでは勝利してきている。だから問題にもならない。そうした口調だった。
「しかし、株価は順調に値下がり中ですね」
 一転、苦々しい口調になって、男が告げる。特に、「順調」の部分では苦々しさがより色濃くなる。
「総理も、構造改革よりも景気回復を優先すべきだ」
 これこそが、景気後退、株価がずるずると値下がりしている状況の諸悪の根元とばかり、吐き捨てるように口にする。国民受けが非常に良い総理である。公の場でこんな事を言おうモノならば、即座に「抵抗勢力」扱いされてしまう。ストレスも堪ろうというモノである。
「それは、兎も角だ」
 話のずれ始めた状況を、男の一人が引き戻す。問題は、総理のことではないのだ。
「回収した貴重なサンプルはどうなっているのかね?」
「第4、第5の使徒共に、特別法を盾に、ネルフが独占しています」
 応えたのは、時田シロウだった。
「あれだけの事実の集大成をか?」
「エヴァンゲリオンだけでは、飽きたらんと見えるな」
 忌々しげに、口にする。
「こちらも、情報公開法を盾に、資料の提出をネルフに認めさせましたが──」
 時田も同様の口調で言って、書類を取り出す。
「出て来たのは、これです」
 その書類は、情報公開をしているとは言い難いモノだった。文字、添付された写真の殆どが、黒く塗りつぶされ、知りたいことの殆どを知ることが出来ない。秘密は秘密のまま、そう言う、役にも立たない書類。
「舐められたモノだ」
「我々に有利な法的整備も進めてはいる」
 この言葉を発した男の口調は、それでも苦かった。
「しかし、ネルフの背後に欧州ゼーレ組がいる以上、その法も何処まで通用するか……」
「このまま碇の、ひいてはネルフの独走を許せと言うのか?」
「いつまでも、その状況に甘んじるつもりはありませんわ」
 若い女の声が、悲観的になりかけた会議の場に、力強く響いた。
 それは、美しい少女だった。緩やかなウエーブの長い黒髪。強い意志の力を秘めた漆黒の瞳。この場にはそぐわないほど、年若い。しかし、口を開いた途端、この会議の主役となり仰せた。それだけの存在感が少女にはあった。
 天野ミナカである。
「これは、我々が独自に入手した情報です」
 ミナカは、時田を視線で促す。
 一つ頷いた時田は、新たな書類を取り出し、列席している面々に配る。
「ほう」
 感嘆の声が零れる。
 それは、ネルフの半端な資料など問題にならない、詳細なモノだった。
「これは、凄い」
「内調の連中にも、見習わせたいモノだな」
「一体どうやって、手に入れたのかね?」
「蛇の道は、蛇ですわ」
 ミナカは微かに微笑み、婉曲な表現で疑問に応えることなく誤魔化した。
「しかし、ネルフのテクノロジーは凄いな」
「主力兵器のエヴァンゲリオンにしても、どうやってあれだけのモノを建造したのだ?」
「いかんね。独占はいかんよ」
「テクノロジーは勿論、資金も」
 ミナカは婉然と笑って、静かに告げた。
 何よりも、この男達にとって重要なのは、このことだろう。
 人類のピンチ、これは勿論重要だ。しかし、ある意味それ以上に、自身の懐が潤うことは重要だ。もし、自分がネルフの利権に関わっていたら、口が裂けても反ネルフを唱えることなどしない。その場合は、資金も情報も、独占するべき事柄に変わるのだ。
「そう、使徒に怯える毎日でも、金は必要だよ。生きている限りね」
「人を動かすのは経済、ですね」
 金をちらつかされれば簡単に変わり身をする自分を一時棚上げして、一般論にすり替えて、男達は口々に言う。
 それらを、ミナカは柔らかい微笑みを浮かべたまま、見つめていた。内心では馬鹿にしきっていようとも、表には現さない。屑どもとは言え、自分に協力してくれているのだ。利用価値はある。少なくとも、使える内は使わねば勿体ない。それなりの、安くはない投資をしているのだ。自身の感情を表に出して、彼らに離反されるのは馬鹿らしい。どこぞのファーストフードチェーンではないが、微笑むのは只だ。
「その為の軍事産業ですわ」
「そう、既に、使徒はネルフにしか退治できない相手ではない」
「戦自研の陽電子自走砲。通常兵器でも、充分に殲滅可能だ」
 第5使徒に止めを刺したのは、EVAではない。戦自研の開発した、陽電子自走砲である。
 ネルフの存在価値。それは、唯一使徒を殲滅可能なエヴァンゲリオンを擁している。それに尽きる。
 それが、EVA以外でも使徒殲滅可能となれば、これまでのような特権を与えておく理由が無くなる。ネルフの特権剥奪。例えゼーレと言えども、表向き、異論を唱えることは難しくなるだろう。
 現在でも、使徒殲滅可能な兵器、陽電子自走砲が存在する。すでに、ネルフは唯一ではない。
 が、同時に、陽電子自走砲はその運営上、大きな問題点を抱えている。
 充分な破壊力をえるためには、日本全土から電力を徴用する必要がある。これでは、使い勝手が良いとはお世辞にも言えない。使徒を退治するために毎回停電ともなれば、日本の経済活動にも関わってくる。これが、特に重要だ。景気が悪くなれば、自分たちの懐具合にも影響するのだから。
 つまり、今の段階では、ネルフに異を唱えることは難しい。
 だが、何時までも、現状に甘んじるつもりもなかった。美味しい、美味しすぎる利権をネルフに独占されたまま許すなど、彼ら、金権政治家の沽券にも関わる。
「我々の、使徒迎撃計画はどうかね?」
「テストも順調です」
 その切り札、我々の使徒迎撃計画の中枢と成すモノ──JAの建造責任者、時田が胸を張って応える。
「予定通り明後日に発表会を行います。日本政府、並びに天野連合の肝いりですからね。派手にやりますよ」


 会議室を出て、天野ミナカは廊下を進む。
 その、斜め後方にはミナカの腹心である、彼岸花マリが続いている。
「碇シンジに、招待状を送っておきました」
「ありがとう、ご苦労様」
 ミナカは、マリをねぎらう。
 そのミナカの頭の辺りを眺めながら、マリが少々口ごもったような口調で、尋ねる。
「碇シンジは、来るとお思いですか?」
 発表会が行われる場所は、旧東京。そこは、天野連合の支配地である。身の危険があることは、馬鹿でも解る。そして、少なくとも碇シンジは馬鹿ではないと、マリは判断している。
「別に、どちらでも構わないわ」
 ミナカは立ち止まると、マリの方に振り向いて、答えた。
「来るなら来たで、歓迎してあげる。来ないなら来ないで、碇シンジは臆病者と宣伝してやればいいことでしょ?」
「はい」
「それに、本当の招待状は、別で送ることになっていますわ。──何れにせよ、結果は同じ事でしょう?」
「はい」
 マリは頷いた。
 結果的に、碇シンジはやってくる。やってこなければならなくなる。その確信は、マリにもある。
 しかし、マリはもう一つ、尋ねた。
「しかし、勝てるとお思いですか?」
 JAはEVAに勝てるのか?
「さあ」
 ミナカは、あっさりと首を振った。
「充分EVAを殲滅可能なだけのスペックは持っているわね。でも、勝負は水物。やってみなければ解らないわ。それにね──」
「……」
 無言で先を促すマリに、ミナカは魅力的な笑いを向けた。
「駄目だったら、時田を吊るすだけのことでしょう? 問題ないわ」
「問題、ありませんか?」
「ええ」
 ミナカは、笑う。
「でも、JAは良いわ。魅力的ね」
「?」
 首を傾げるマリ。
「別段、EVAに正面から戦って勝つ必要はないのよ。要は、EVAを無力化すればいい。そう言うことでしょう? その為のJA。私の期待以上のスペックかも知れませんわ」


 碇組に限ったことではなく、その世界は、厳格な家長制度を残した世界である。
 家長──組長である碇シンジをトップに、序列が付けられ、目上の者に、下のモノは従う。そう言う制度。
「ユウキ、おかわり、お願い」
「は〜い、解りました」
 にこやかに、シンジの言葉に応え、ユウキがお櫃から、受け取ったシンジの茶碗にご飯をよそう。
「……おかわり」
 綾波レイも、同様に茶碗を差し出す。
「はいはい、解りましたよ〜」
 にこやかにユウキ。
 多少、上下関係を乱すようなこともあるようだが、おおむね、序列は守られている。
「綾波さんも、よく食べますねえ」
「……カロリーブロックより、美味しいの」
 綾波レイの食生活は、画期的なまでに改善された。効率重視、必要な栄養を必要なだけとればいい、具体的には、カロリーブロックや各種栄養剤で済ませるという、効率的だが非常に味気なかったこれまでの食生活が、通常の、人間らしい食生活に改善された。通常と順序は異なるが、綾波レイ取り込み計画で重要な要素である、餌付け、が行われたわけである。何が通常か、それは問わないように。
「食べ過ぎに注意して下さいね」
「……問題ないわ」
「でも、こないだみたいにお腹を壊しますよ」
「……問題……あるわ」
 困ったような、悲しそうな顔になって、綾波レイは自身の前の、おかずを盛った皿を箸でつつく。勿論、レイはベジタリアンであるから、肉抜きの特別あつらえのおかずである。
「まあ、何度か痛い目にあって、自分の限界を知れば、良いんじゃないの?」
 シンジが気楽に口を挟む。
「……碇君、優しくないの。あの時は、あんなに優しいのに」
「ほほぉう。それは、非常に興味深いですねえ」
「何の話かな?」
「まあ、それは兎も角、ユウキちゃんの料理、いつも美味しいわよね」
 困った顔のシンジを見かねたのか、口を挟んできたのは伊吹マヤ。
「そうっすね。ユウキさんの料理は、最高です!」
 力強く請け負ったのは、青葉シゲルである。
「でも、私も食べ過ぎるのが怖いわね」
 と、赤木リツコ。
 兎に角、碇家の食卓は賑やかだった。
 新たに、赤木リツコを始め、綾波レイ、伊吹マヤと言った人間も碇組本宅に住み込むこととなり、元からいた田茂地や青葉を初めとする面々と併せ、かなりの大家族を形成している。
 大きな食卓も、既に空きの席はなく、一杯一杯である。
 となると、割を食う人間もでてくるわけで……
「うう、何で僕らは、こんな所で……」
 泣き言を言ったのは、相田ケンスケである。
 ケンスケは、食卓から離れた場所、床に直に座り、みかん箱の上に新聞を敷いて卓代わりに、食事をしている。
 厳格な家長制度の残る世界。下っ端には、辛いのである。
「気にしても、しゃーないわ。ワシは、美味しい食事が出来るだけで、満足や」
 ケンスケの嘆きを窘めたのは、鈴原トウジ。矢張り、同じくみかん箱である。ケンスケと仲良く並んで食事をしている。
「それって、自分に言い聞かせてないか?」
「やかましいわい」
 と、そこへ、外へでていた田茂地が戻ってくる。
「相変わらず、賑やかでございますな……ひいふう」
「あ、田茂地、ご苦労様」
「田茂地さん、ご苦労様です。直ぐに田茂地さんの分を暖め直しますね」
「ありがとうございます……ひいふう」
 田茂地はユウキの言葉に礼を述べ、しかし、その行動を止める。
「その前に、食事中でございますが、こちらを」
 言って、一枚の書状を差し出す。
「ん?」
 受け取ったシンジは首を傾げる。
「随分、洒落てますねえ」
 横からのぞき込んだユウキが僅かに感嘆したように言う。
 確かに、洒落た書状だった。紙は、派手ではないが、非常に質が良く、趣味の良いモノ。おまけに、何かのコロンか、微かに、品の良い匂いまでする。
「誰から……って、うわ」
 書状をひっくり返し、差出人を確認したシンジが、半ば驚いたように顔を顰める。
「どれどれ……って、これは」
 のぞき込んだユウキも、同様に顔を顰める。
「誰からっすか?」
 青葉が好奇心に負け、身を乗り出すようにして尋ねる。
「天野ミナカ」
 シンジは、あっさりと青葉の質問に答えた。
「……天野ミナカ」
 その名前を、レイが口の中で転がすように繰り返す。
「あれ? レイちゃん、知っているの?」
 首を傾げて問うマヤに、レイは首を振る。
「……知らない。でも、女の名前ね」
「それがどうかしたの?」
 マヤはますます首を傾げる。
「……やっぱり、碇君はケダモノなのね」
 レイは、それに応えるという風でもなく、ぽつりと呟いた。
 シンジは、その言葉を受けて、ユウキの方を軽く睨み付けた。
「ユウキ、綾波さんにどういう教育をしているのさ?」
「事実をありのままに」
 さらっと応じたユウキに、シンジは、レイの教育係の人選を間違ったか?、とでも言うような微妙な表情をした。しかし、あえて口答えはせず、真面目な表情になった。口では勝てないと、解っているのかも知れない。
「その名前、何か問題があるの?」
「天野、って、まさか?」
 相変わらず首を傾げたまま問うマヤの声に、リツコの驚きを交えた声が被さる。
「天野ミナカ。天野連合のお姫様ッスね」
 こちらは、勿論知らない訳のない青葉が、緊張した声で呟く。
「内容は、何すか?」
「招待状だね」
 シンジは中身を軽く眺めると、横のユウキに手渡し、簡単に応えた。
「明後日のJA完成披露パーティ。その、招待状」
「先輩の所にも来ていましたよね。あと、葛城さんの所にも」
「ええ」
 マヤの言葉に答え、それから、リツコは難しい顔になってぽつりと呟く。
「ミサトがきちんと見ていることを祈るわ」
 書類仕事全般が苦手な、作戦部長葛城ミサト。その執務室に埋もれた書類は山ほどある。
「それは兎も角、これは間違いなく罠ッスよ。場所は、旧東京っすよね。あそこは、天野連合の支配地域。そこへのこのこ出かけたら……」
 青葉の言葉を、シンジは手を挙げて制した。わざわざ指摘されるまでもなく、そんなことはシンジだって当然理解している。
 その上で。
「出席しようと思う」
 シンジは、そう答えた。
「え?」
 戸惑う青葉に、シンジは笑って見せた。
「これは誘い。それは十分に理解しているよ。でも、敵に背中を向けるのは、面白く無いじゃない」
 子供っぽい理由に、青葉のみならず、リツコも反対しようとした。裏の世界の事情は、正直リツコには解っていない。しかし、敵対組織のまっただ中にやっていく。これは、飛んで火にいる夏の虫という奴だろう。
「それに、他に政府関係者も招かれているんだから、派手には出来ないだろうからね」
 それならば、十分に対処できるだろう。
 シンジの言葉は、青葉達には楽観的すぎるように聞こえた。
 慌て、反論して、シンジを翻意させようとする。
 が、青葉がリツコが口を開くよりも早く、大声が響いた。
「見事だ、シンジ」
 え?
 と、その声に皆が戸惑う。
「敵に後ろを見せる。それは、男として一番恥ずべき事柄。そう、敵が罠を用意しているならば、あえてそこにはまり、真正面から罠を食い破ってこそ、真の漢!」
「って、ムテキのおじさん」
 何時の間に。
 シンジが驚きの表情で、いつの間にか食卓に座っている男、碇ムテキを見つめる。
「と言うことで、ワシはシンジの考えを支持するぞ。──と言うわけで、ユウキ、おかわりだ」
 全く悪びれず、ムテキはユウキに茶碗を差し出した。

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