#64 闇よりの視線


 会場ではJAの披露に先駆け、そのプレゼンテーションが始められようとしていた。
 最初、演壇に立ったのは日本国首相。日重共による制作、しかし、実体は政府主導と言うことを分かり易く示していた。
「私は、抵抗勢力には屈しない。景気対策よりも、構造改革。何も、後退などはしていない。改革は、緒に付いたばかり」
 いつもの言葉を、芸もなくいつものように繰り返す首相。この言葉を開会の挨拶代わりにして、JA披露会は始められた。
 その後、続いたのは肩書がやたらと付いたお偉方の演説。如何にこの計画が素晴らしいモノであるか、微に入り細に入り、説明してくれる。
 非常に長ったらしくて、価値のない演説。お偉方の演説というモノは、小は学校の校長を始め、大は国会議員まで、どれも似たようなモノである。うんざりするような遠回しな言葉の選択、眠くなるようなリズム。その内容を、深く吟味させないための処世術という奴だろうか。下手な言質を取られることは、彼らにとって避けるべきことだろうから。
 案の定と言うべきか、シンジ、ユウキはそれらの話には、全く興味を持っていない。真正面の目立つ席でありながらも平然と無視し、ユウキの用意したお弁当をパクついている。
 その二人──特にシンジに対して、危険な視線を向ける者が天井裏にいた。
 天野連合お庭番、宮島アキノである。
 狙いは、勿論シンジ暗殺。
 彼女は、シンジの隙を見いだすべく、鋭い視線をそちらに送り続けていた。


 アキノに命令を下したのは、天野連合の知恵袋、彼岸花マリである。
 マリは、天野連合会長、天野ミナカとのつきあいが長い。
 だから、ミナカがトイレから出てきたとき、その表情、仕草──兎に角、あらゆる場所に微かな、しかし、マリにとってははっきりとした違和感を感じた。
 常のように、きりっとした表情をしているミナカ。
 しかし、どこかが違った。
 どこか──その違いの意味までは掴めない。だが、違う。
 原因の方は、考えるまでもなく、先の碇シンジとの握手であろうと推測することが出来た。
 そうでなくとも碇シンジは、マリの愛するミナカにとって邪魔者だった。当初は、ミナカの進む道に転がっていた、取るに足らない石ころに見えた。しかし、今現在ではきっぱりと認識を改め、危険であるとすら思っている。ミナカが倒れるとは思わない。しかし、躓いて思わぬ怪我をする程度には危険な存在。
 ならば、排除するにやぶさかではない。
 だが、即座に用意してある大兵力を差し向けてこの場で排除、と言うのには問題がある。
 一つは、10中8,9までブラフであると考えながらも、あのお供の少女の持つ不穏な物体の存在。
 シンジを倒したが良いが、ミナカにまで害が及ぶという状況は、絶対に避けねばならない。ミナカこそが、マリにとって絶対的に優先する事柄。これは、基本だ。
 まずは、ミナカを二人から、充分に離れた位置に待避させること。
 これを果たさねばならない。
 そして、パーティ会場に人が集まってきた状況では、真正面からシンジ抹殺に動くことは危険だった。
 金は、充分以上にばらまいてある。
 JA制作の最大のスポンサーは、天野連合と言っても良い。
 日重共の重役連中、招待された議員連中、共に、充分な鼻薬を嗅がせてある。
 しかし、全員ではない。
 彼らの部下にまで鼻薬は行き渡っていないし、重役、議員の中にも、鼻薬の通じなかったモノもいる。そうした連中を遠ざけておきたかった。しかし、あくまで最大のスポンサーであって、唯一のスポンサーではない。全てを思惑通りに進めることは不可能であり、天野連合との繋がりのない人間もいるのは仕方のないことだった。
 となれば、取るべき手段は暗殺。
 幸いなことに、天野連合には、天野家には代々仕えてきたお庭番がいる。
 マリは、ミナカの元から一人離れ、周囲に誰もいないことを確認してから、小さく言葉を発した。
「アキノ」
 マリの言葉に答えて、天井裏から微かな返事が返ってくる。
 マリは、そちらに視線をやることなく、命令した。
「碇シンジを殺しなさい」
「はい」
 即座の、迷うことのない返答に満足しマリはいつものようにミナカに傅くべく、移動した。


 アキノは、天井裏からシンジの様子をうかがっている。
 何とも、碇シンジは隙だらけに見えた。
 しかし、手を出しあぐねていた。
 碇シンジは、本当に隙だらけに見える。
 だが、その横に座る少女。その存在が、アキノに行動に移ることを躊躇わせていた。
 ころころと、シンジの言葉に応えて笑い、そうでなくとも、常に微笑みを絶やさない少女。
 見た目、脅威度は零と見える。
 なのに、何かがアキノの感覚に引っかかった。
「……」
 この感覚は何なのだろうか?
 自問しながら、更に観察を続ける。
 少女は、一応シンジの護衛なのか、たまに、周囲に視線を巡らせている。少なくとも、もう一人の眼鏡の少年よりは、その仕事に忠実なように見えたが、あくまで比較の問題で、さほど有能には見えない。
 見た目、虫も殺せないような少女と見える。
 しかし、頭を振って、侮る気分を追い出す。
 見た目だけのことを言うならば、彼女の主人である、天野ミナカも、強そうには見えない。気は強そうだが、実際の戦闘力は、さほどとは思えない。深窓の令嬢。飾っておきたいような美少女。暴力とは、全く無縁に見える。──だが、強い。
 その事に思い当たり、気を引き締める。
 見た目だけで判断するのは、危険なことだった。
 更に言えば、碇シンジとて、如何に隙だらけに見ようとも、あの碇ムテキが見いだして育ててきた少年。馬鹿には出来ない。
 初手から、楽な仕事だとは思っていないが、自分の想像以上に難しい仕事になるやも知れない。
 いつの間にか頬を流れていた汗を拭い、気を引き締める。
 そして、アキノは僅かな視線を感じた。
 誰かに見られているという感覚。
 常人であれば見逃してしまう、微かな感覚。
 しかし、忍として訓練を受けてきたアキノは、人並みはずれ、そうした感覚が鋭かった。
 気が付くと同時に、アキノはその場を蹴っていた。
 激しい動き、しかし、音を全く立てないのは、これまでの厳しい鍛錬の賜物だった。
 そして、暗闇でも見通せるように訓練した瞳は、自分が今までいた場所に突き立つ、鋭い針のようなモノをも捉えていた。
 棒手裏剣。
 いつの間にか、自分が狙われる立場にあった?
 その事に愕然としつつも、アキノは更に場所を移動する。
 それを追う、棒手裏剣。
 アキノは、冷や汗を流しつつ、更に逃げる。
 逃げながら、敵の気配を探る。
 どこから狙われているのか。
 只、一方的に攻撃されるつもりはない。
 そして、気配を捉えたと感じた場所に、アキノの方も、手裏剣を放っていた。
 しかし、手応えはない。
 かわされた。
 それを理解するよりも早く場所を動かしたアキノを追って、更に加えられる棒手裏剣の攻撃。
 ただ者ではない。
 他の誰にも気が付かれることのない戦いが、パーティ会場の天井裏で繰り広げられる。
 双方無言、双方無音の攻防。
 その最中、アキノは自分が押されていることを感じた。
 悔しいが、相手の方が上だ。
 相手は、自分よりも正確に、闇を見通している。自分に向けられる攻撃の正確さから、それを悟る。
 このまま、暗闇の中で攻防を続けても、こちらに勝ち目はない。
 碇シンジ暗殺。それは、ひとまず置く。
 それどころではない。
 捨て身で碇シンジを狙っても、暗殺成功はおぼつかない。犬死には馬鹿のすることだ。今回が駄目であれば、次回の雪辱を果たせばいい。そう、次回の雪辱。その為には、まず、自身が生き延びることを優先するべきだ。
 思考を切り替えると、アキノは逃走に入る。
 ミナカやマリの所へ向かうのは論外。この恐るべき敵手を、主人の所へ案内するのは危険すぎる。
 人気のある場所への移動。それも論外。アキノはきっぱりと、忍者の恰好をしている。人前にでるには、胡散臭すぎる恰好だ。
 そう判断し、アキノは人気のない場所を目指して逃走する。
 アキノを狙う者は、こちらの排除を最優先に考えたようだ。
 攻撃は無くなったが、確かに自分に付いてくる気配を感じる。間違いなく、自分を追っている。
 引き離すべく、逃走速度を上げるアキノ。しかし、敵は難なく自分に付いてきている。
 背筋を、冷や汗が伝う。
 逃げられない?
 どれだけ速度を上げようが、フェイントを混じえ、たまに危険を冒して人の中を目にも留まらぬ早さで駆け抜けようが、敵は一定の距離を置いて追随してくる。否、距離を詰められている?
 パニックに陥りそうな自分を自覚したアキノは、決意した。
 このまま、逃げ切れない事に動揺して、敵に隙を見せるくらいであれば、正面から戦って活路を開く。
 だが、暗闇の中での戦闘は自分に分がないことは、既に判明している。
 ならば──
 アキノは、上を目指した。


 JA披露会場の行われているビルは、非常に特徴的な形をしている。
 天井部分が、巨大なドーム状になっているのだ。
 そのドームの上に、アキノは立った。
 即座に、狭い天井裏では使い難かった背中に差した忍者刀を抜き放つ。
 そして、油断のない視線を、周囲に巡らせる。
「……ひいふう」
 なんだか気合いの抜ける声を出しながら、敵が、アキノの視界に姿を現してきた。
 敵を見て、アキノはどことなく理不尽さを感じた。
 自分を追いつめた敵。
 しかし、その姿は、お世辞にも脅威に見えなかった。
 触れれば切れるような、精悍な、これこそ腕の立つ忍者、と言う外見をしていて欲しかった。
 だが、現実、アキノの前に立った男は、ただの中年男にしか見えない。まるまるとふくよかな体型。オフィス街にでかければ、嫌と言うほどに見ることが出来るくたびれたサラリーマン。そんな容姿だ。
「なかなか、腕の良い忍でございますな……ひいふう。さすがは、天野連合お抱えのお庭番、そう言うことですかな……ひいふう」
 男は、頬を伝う汗をハンカチで拭いながら、論評してくる。
 柔和な、笑いの形をした細い目が、こちらを見ている。
 理不尽さを感じ、アキノの頭に血が上る。
 何故、自分はこういう、脅威度零に見える男に劣らねばならないのか。
 激した感情に背中を押され、アキノは一気に男に襲いかかる。かかろうとした。
 しかし、直後に感じた、背中を氷柱に撫で上げられたような感覚。
 強引に、男へと向かっていた行動のベクトルをずらし、横っ飛びに逃れる。
 その判断は、ぎりぎりの所でアキノを救った。
 まっすぐに向かっていればアキノがいたであろう場所を、何かが引っ掻いて通り過ぎていく。実験施設も兼ねていることもあり、堅牢に作られているビルの天井に、深い轍が残されている。人の体など、簡単に分断するだけの威力があっただろう。
「……ひいふう。良い判断ですな」
 必殺の一撃をかわされたというのにまるで焦った風でもなく、男がアキノを誉める。
 腹の立ちそうな言葉だったが、今の攻撃を見たばかりのアキノは、背筋が冷えるばかりで、激高することはなかった。
 そして、ここに来てようやく、男の正体に思い当たる。
「……元山王会ゴミ処理係の田茂地?」
「懐かしい呼び名でございますな……ひいふう」
 言葉通り、男は懐かしそうに、細い目を更に細めた。
 最早、アキノには、一片の油断も存在しなかった。
 元山王ゴミ処理係の田茂地。あの、碇ムテキの片腕だった男。
「さて……」
 田茂地は、自分の方を油断無く睨み付けるようにして見つめるアキノに向かって、言った。
「そろそろ、決着を付けましょうか?、……ひいふう。小便は済ませましたか? お祈りは済ませましたか? 部屋の隅でがたがた震えて、命乞いをする心の準備はOK?、……ひいふう」
 言って、満足そうに頬を流れた汗を拭う。その様は、いつか使ってやろうと考えていた言葉を、ようやく使うことが出来た、そんな満足感に満ちあふれていた。
 アキノは、田茂地が動くより先に動いていた。
 受け身でいれば、長く持たずに押し切られて敗北する。それは、自明と見えた。だから、無茶を承知で先に動く。
 田茂地は、それに対して迎撃をする。無造作にこちらに突っ込んでくるように見えたアキノに、必殺の一撃を放とうとする。
 その寸前。
「火丼の術!」
 アキノは、叫ぶ。 
 その叫びに併せたわけではないだろうが、アキノを中心にして、炎が溢れかえった。
 人一人位、簡単に灼き殺せそうな炎の乱舞。
 しかし、田茂地は慌ても騒ぎもしなかった。
「甘いですな……ひいふう」
 そして、気合い一発。
 それだけで、炎が吹き散らされる。
 更に田茂地は行動を止めることなく、炎に紛れ、自分に迫っていた人影に攻撃を加える。
 人影は、その攻撃で簡単に真っ二つにされていた。
「……ひいふう」
 真っ二つになって転がる人影。
 それを見、田茂地は顔を僅かに曇らせた。
「なかなか、やるモノですな……ひいふう」
 呟く田茂地の前には、13種類のスパイスを使いこなす白髭の人形が上下に分割されて転がっていた。
 変わり身の術である。
「どうやら、甘く見ていたのは私の方ですか……ひいふう。してやられましたな……ひいふう」
 田茂地は、周囲の気配を探り、既にアキノがまんまと逃げおおせたことを悟ると、額の汗を拭い、残念そうな顔をした。
 こんな事では、大好物のブルーベリー味のガムも控えねばならないだろう。それが、非常に残念だった。


「失敗ですか?」
 ミナカが報告に戻ったアキノの顔を。冷たい視線で切り捨てた。
「……はい」
 言葉を飾っても仕方がない。どころか、ミナカの機嫌を更に悪くするだけだと悟っていたアキノは、素直に頷く。
「それでは、アキノにはお仕置きが必要ですね」
「……」
 目に見えて、アキノが怯えの表情を浮かべる。
 しかし、ミナカはそれに心を動かされた風でもなく、告げる。
「今晩、アキノはSM部屋に来るように」
「──!」
 助けて下さい。
 そんな視線で、ミナカの脇に立つマリに救いを求める。
 しかし、マリは綺麗にアキノの無言の懇願を無視した。

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