#66 女の諍い


「くんの、くんの、くんの、くんのっ!」
 不機嫌に唸りながら、葛城ミサトはスチール製のロッカーに当たり散らしていた。今なら、無呼吸連打で自由の女神だって破壊できそうな迫力である。
「けっ、あの俗物どもが! どうせ、ウチの利権にあぶれた連中の腹いせでしょ!」
 時田との舌戦に敗北したミサトである。ちょっとからかえば直ぐに感情的になる。それでは、口論で勝てるわけが無く、敗北は、最初から予想されているようなモノである。
 そして、収まりきらない感情を、ロッカーにぶつけて晴らそうと試みる。その様は、まるで子供である。
「およしなさい、大人げない」
 リツコは、ミサトの行動を呆れ返った声で窘める。
 が、リツコだって、渡されたパンフを燃やしたりしているのだから、子供じみているのは同様かも知れない。
 今は、JA披露パーティ会場から管制室へ場所を移す間にもうけられた休憩時間である。二人は、ネルフ関係者用にとあてがわれた、薄暗くて狭くて埃っぽいロッカールームで時間を潰している。この辺りの場所の選択に、ネルフに対する感情が見え隠れする。いや逆に、この程度で済んで幸いと言うところか。元々、嫌われ者のネルフ。更には、JA開発のバックにはシンジと敵対している天野連合がいるのだから。
 尚、シンジ、ユウキの二人はこちらへは来ていない。
「そんな、ネルフ関係者しかいない様な場所にいたら、狙って下さいと言っているようなモノですからねえ」
 とは、ユウキの言葉。二人は、なるべく人が多い場所を選んで時間を潰しているようだ。
 私もあちらに行けば良かったかしら。
 未だ、感情の収まらないミサトの様子を眺め、リツコはそんな後悔をする。
 ミサトの連打によって、ロッカーは既にべけべけになってしまっている。
 これ、もしかして賠償請求されるかも。
 そんなことを考え、今更手遅れながら、本腰を入れてミサトを止めることにする。
「真面目に相手をするだけ、馬鹿を見るわよ」
「でもさ」
「それに、俗物って言うけど、ネルフだって俗物の集まりでしょ」
 リツコは、冷静な大人の意見という奴を口にする。
 ミサト自身が言っているように、ネルフだって、利権によって俗物を飼っている。では、飼い主は高尚なのか? 勿論、否である。ゲンドウ、並びにシンジ達自身、自分が高尚だなどとは思っていないだろう。ゲンドウは、人を初手から馬鹿にしているし、シンジは元々そう言う世界の住人である。人が、利権で動く。そんなことは、当たり前だと認識している。却って無償で働かれた方が、どこかおかしいんじゃないかと疑ってしまうくらいだ。
「……リツコ、あんた、最近シンジ君達と連んでいるそうだけど……まさか、あの噂って本当なの?」
 ミサトは、ジト目をリツコに向けた。
「あの噂って?」
 冷静に、リツコは聞き返す。そんな曖昧な表現では解りません。態度はそんな感じだが、実際、ミサトの質問の意図は理解していた。
 噂。
 それは、リツコがシンジにこまされて取り込まれたというモノ。
 噂と言うには、いささか信憑性が高すぎる。ネルフ内部では、既に確定情報として囁かれていたりする。
 それも道理で、その話は、全くの真実だ。
 しかし、ミサトは信じがたいと、リツコに尋ねる。出来れば、否定して欲しい。表情はそう言っていた。
「さあ?」
 リツコは、惚けて見せた。
 嘘であって欲しい。それは、ミサトの本心だが、否定されれば、今度は納得できなかったりする。惚けられれば、勘ぐってしまう。
「はっきり答えなさいよ。答えられないって言うなら、真実だと思うわよ」
「好きにすれば?」
「……」
 ミサトは、澄まして応じるリツコの頭のてっぺんからつま先まで、まじまじと見つめた。
「……確かに、なんか肌の艶が良いみたいだし、腰の辺りが充実しているというか」
「嫌な目で見ないでよ」
 リツコは、顔を顰める。ミサトの今の視線は、気持ちのいいモノではない。そこいらの、助平中年親父にまじまじと見られているような嫌悪感を感じてしまった。
「まさか、マジ? ──ちょ、ちょっち、あんた、正気なの?」
 ミサトは、噂は真実だとの確信を抱いたらしい。泡を食って叫ぶ。
「シンジ君とあんたの年の差、いくつだと思っているのよ。それに、あいつは何かの目的があって、あんたの相手をしているに決まっているわ。絶対に、恋や愛や──兎に角、そう言った感情であんたを抱いているんじゃないことは断言できるわ! 絶対に、都合良く利用しようと考えているに決まっているのよ。──それに、下手をしたらそのうち薬漬けでぼろぼろにされて、泡のお風呂に沈められちゃうわよ!」
 ミサトがシンジをどう見ているか。それが、良く分かる発言である。
 もっとも、その殆どが誤解ではなく、大正解であるのだが。
「……薬漬けはないわね」
 リツコは、少し考えてから答えた。
「市場は健全に。薬で自分の街が汚染されるのは、嫌いみたいだから」
「何で、そんなこと知っているのよ! ……やっぱり」
「まあ、そう言う事ね」
 リツコは、面倒になってきたのか、ここであっさりと認めてしまう。
「で、それが、何か問題があって?」
「問題って……」
 ミサトはあまりにも堂々としているリツコに一瞬絶句し、それから火を噴いたみたいな口調で、慌ただしく叫ぶ。
「いくら何でも問題有りでしょうが! 愛がなきゃセッ●スしちゃいけないなんて、ガキみたいな事を言うつもりはないけど、問題よ、大問題。ビッグ・プロブレムよ!」
 怪しげな英語もどきを混じえながら、叫ぶ。
「だいたい、あいつは犯罪者よ。そんな奴の味方をして、何のメリットがあるっているのよ!」
「少なくとも、日々、充実しているわよ」
 リツコはさらりと答え、再びミサトを絶句させる。
「まあ、人の私生活に文句を付けるのは、その辺りにして貰おうかしら?」
 私だって子供じゃないんだから、放っておいて。そう付け足したリツコを、ミサトは勿論、放っておくことなど出来ない。
「だって、信じられないわよ。アンビリーバボーよ!」
「人と人との関係は、ロジックじゃないのよ」
「……研究一筋に生きてきて、男っ気の無かったリツコに言われると、なんかむかつく」
 ミサトは、あくまでジト目で、リツコを眺める。
「それって、年の割に恋愛経験に乏しい初な女が、悪い男に騙されているって奴を、地で行ってる?」
「何よ、それは!」
 ここまで言われれば、流石にリツコも不機嫌になる。反射的に叫び返し、それから、大人げないと思い、表情を改める。逆に、余裕たっぷりです、そんな顔になって、ミサトに告げる。
「ミサトこそ、人の色恋沙汰にちょっかいを出しまくって、欲求不満じゃないの? 加持君と別れて以来、ご無沙汰なんでしょ? 蜘蛛の巣、張ってないと良いわね」
「何よ、それは!」
 ロッカールームに、醜いのの知り合いの声が響いた。


 しばらく、醜い舌戦が繰り広げられる。
「──まあ、それは兎も角。もう少し真面目な話をしましょう」
 きつい言葉の応酬の後、流石に二人とも疲れ果てた顔で、話を真面目な方に戻す。これ以上続けると、口喧嘩だけでは済みそうにない。今日は二人とも、よそ行きの恰好である。ミサトは制服だから兎も角、リツコは自前のスーツ姿。とっくみあいになるのは、非常に拙い。
 リツコの提案に、ミサトは一応頷いて見せた。
 確かに、馬鹿みたいな事をしているとの自覚はあった。
 今、重要なのはJAのことだ。
 リツコの追求は、後でも出来る。
「ATフィールドと良い、機密情報がだだ漏れね。諜報部は何をやっているのよ。あのガキの手先になって、ゴシップばっか調べているんじゃないわよ」
 それでも、不機嫌な様子は変わらず、ミサトは吐き捨てるように言う。
 その言葉に、リツコの方は眉をひそめた。
「ATフィールドを始め、幾つかの情報は、保守レベルを下げたわ。と言うか、最近では積極的に外部に情報公開を進めているわね。ネルフの公式ホームページを作ろうか、なんて話もでているくらいだし」
「な、何よそれは」
 初耳らしく、ミサトが泡を食って叫ぶ。ネルフは、国連所属の特務機関、混乱を避けるため、全てを秘密にしておくはずではなかったのか?
「切欠は、前回の戦自との共同作戦ね。協力して貰う以上、何も知らせず、ってわけには行かないでしょ? 只でさえ、ネルフに対する反感は大きいわけだし、この機会に歩み寄りましょう、って言うことでね。だいたい、機密、機密、っていうけど、シンジ君達と良い、結構、情報は前から零れていたみたいだし、秘匿しておくメリットとデメリットでは、デメリットの方が大きくなっていたしね」
 使徒が来る前ならば兎も角、来てしまえば、全てを秘密裏に、と言うのは不可能ごとである。何しろ、ビルよりでっかいモノが戦う。それだけでも人目を引かざるえない。更に、そのビルよりでっかいモノに、これまでの兵器が無効化されるとなれば、様々な思惑から、目や、耳が、第3新東京市に、ネルフに、EVAに向けられることを避けることは出来ない。いろいろと痛すぎる腹を探られる前に、ある程度情報を公開して、牽制しようと言う意図もある。
「知らないわよ! 何それ!」
 聞いていないと、ミサトが吼える。
「ああ、そうだったわね」
 リツコは一つ、手を打って思い出したという顔をする。
「ミサトは、前回の使徒戦に参加していないのよね」
「……」
 ミサトは、物騒な視線でリツコを睨み付ける。
 強制的に気絶させられ、誰からも忘れ去られたまま、うっちゃられていたのはつい先日のこと。記憶が風化するだけの時間は与えられておらず、そうでなくとも、忘れがたい記憶だ。私は作戦部長なのよ〜!、と叫び、暴れ出したいくらいだ。
「まあ、それは兎も角」
 やばい。
 ミサトの表情を見たリツコは、少々慌て気味に話を続ける。
「確かに、幾つかの情報が漏れているというのは確かね。まあ、シンジ君の例でも解るように、裏の世界の人間の情報収集能力は意外に侮れない、そう言う事ね」
 この場合の裏の世界の人間は、各国の機関の抱えている諜報部、スパイとかではない。天野連合などの、アウトローの事だ。
 所詮は、犯罪者。リツコ自身、そう侮っていたのだが、とても気楽に構えていられるモノではないと、思い知らされている。シンジが言うには、下世話な事情にこそ通じていると言うが、ネルフの内情を知っていたりと、それ以外も馬鹿には出来ないのだ。
「……でも」
 ミサトの表情を伺いながら、リツコは続ける。
「厳密に見れば、情報を操作されているような形跡もあるわ。第3使徒の時、暴走したのは初号機と言うよりは、シンジ君だったし。──司令の仕業? あるいは、シンジ君かしら? まあ、単純な勘違いという線も捨てがたいけど」
「……ど〜せ、私はお味噌にされていますよ」
 ふん、とミサトは不機嫌にそっぽを向く。
 あら、自覚あったのね。
 とは流石に言わず、そろそろフォローを、などとリツコは考え始める。
「──まあ、その辺り、いろいろと納得行かないことだらけだけど、それは兎も角!」
 だが、リツコのフォローを待たず、ミサトは自分を鼓舞するようにして、話を戻す。
「今は、JAのこと。アレって、本気なのかしら?」
「本気って?」
 どうやら、どん底までは落ち込まないでくれたと安堵しつつ、リツコは先を促すように合いの手を入れる。
「アレよ。内臓リアクター」
 ミサトは両手を振り回し、派手なゼスチャーを混じえながら言った。
「格闘戦主体の人型兵器が、原子炉内臓。これが非道く危険なことは、子供にだって解るわ。いくらあの時田という男が小利口ぶった馬鹿でも、これが解らない道理はないでしょ? デモンストレーション用、あるいは、利益を受けるのが政治家や御用企業ばかりの、いつもの公共事業、そう考えるにしたって、現実、使徒が来れば、実戦投入もあり得る。なのに、あんな危険なモノを作って、どうするつもりよ。下手をしなくても、非道く厄介なことになるのは明白でしょ?」
「JAの相手が、使徒だと考えるから、そう思えるのよ」
 リツコは、落ち着いた声で言った。
「え?」
 戸惑いの顔をするミサトに、にっこりと笑って見せて、続ける。
「これは、私じゃなくて、ユウキちゃんが考えたことなんだけどね」
 と前置きして、リツコは続けた。

[BACK] [INDEX] [NEXT]