#69 吊しますよ
ネルフ関係者などがあてがわれた、隅っこの埃っぽいロッカールームと違い、こちらはしっかりと賓客用に整えられた一室で、天野ミナカは不機嫌な顔をし、目の前に立つ男を見つめていた。
男は、何故、自分がそんな目で見られなければならないのか、理解していないように見えた。
それが、ますますミナカを苛立たせる。
男は、時田シロウである。
つい先刻、勢い込んで、ミナカに御注進にやってきた。
JAと、EVAの模擬戦闘をすることになった、と。
その顔は、誇らしげに輝いていた。
誉めて下さい。これから、ミナカ様の敵である碇シンジの初号機を、JAが完膚無きまでに殲滅して見せますよ。
時田の表情を具体的に表現するならば、こんな所だ。
その表情だけならば、JAが敗北する可能性など僅か一厘たりとも存在しない、そう見えた。
しかし、ミナカは冷静だった。
少なくとも、自身でJAを建造し、思い入れのたっぷりある時田などは比べモノにならないくらい、冷静に彼我のスペックを理解していた。
そして、ミナカならずとも、JAがEVAに勝利する事を脳天気に確信することは不可能だった。
無理とは言わない。その可能性が低いことは、容易に理解できた。
「何ですって!」
マリと一緒に、午後のお茶を楽しんでいたミナカであるが、時田の御注進の瞬間には、反射的に椅子を蹴立てて立ち上がっていた。
即座に、「吊しなさい!」と叫びかけ、何とか思いとどまる。いや、吊したって問題ない、そうとまで思っていたのだが、残念なことに、吊すために働いてくれる宮島アキノが、本格的なモノは帰ってからやるとして取りあえずで行ったお仕置きで、現在使い物にならないことを思い出したのだ。
「あの、何か問題があったでしょうか?」
飼い主の顔色を伺う様な目つきで、時田が尋ねてくる。いや、様な、ではない。ミナカはきっぱり、時田の飼い主だから。
「……」
ミナカは不機嫌な視線を向けるモノの、答えず、椅子に背中を預ける。
「ミナカ様」
こちらを心配してくるマリに手を振って大丈夫であることを示し、ミナカは天井を睨み付ける。
ミナカの構想は、ほぼ、ユウキの考えたような事だった。
正面から戦闘を挑んでも、JAの勝利はおぼつかない。だが、正面から戦うばかりが能ではない。
JAのスペックを眺め回し、ミナカは、狙いをEVAではなく、第3新東京市とした。使徒迎撃都市、第3新東京市にあってこそのEVAである。その外部におけるEVAは、確かに楽な相手でないことは確かだが、それでも、抵抗手段はある。上手く立ち回ってみせれば、電源供給の関係で、その脅威を排除することは不可能ではない。少なくとも、JAで正面から勝負を挑むよりは確実に、無力化できるだろうと判断していた。
しかし、目の前の馬鹿は、よりにもよって、ミナカが選択肢から排除した、馬鹿正直な正面決戦を選択し、既にそのお膳立てを整えてしまったというのだ。
頭を抱えたい気分だ。
そして、ミナカは実際にそうした。
憂える美少女。その絵に、時田は自身の置かれた状況を忘れたかのように、熱っぽい視線を送ってくる。
ますます、ミナカはうんざりとした。
「ミナカ様、どうなさいますか?」
マリが、ミナカの決済を求めてくる。
「何でしたら、私が交渉し、模擬戦は白紙に差し戻させますが?」
「私が、碇シンジに逃げたと思われろと?」
それは、只、面子の問題。
そして、重要な問題だった。
部下達には、退くことを許さない。
ならば、自分も決して退いてはならないのだ。
「では、正面決戦を?」
マリの表情も、いささか曇っている。
こちらは、当然、ミナカの構想を理解している。その為の、準備も手がけていた。
幸い、JAに対し、ネルフはちょっかいを出してきていた。クラッキングである。それを逆手に取ればいい。
某組織のクラッキングによって暴走したJAが、第3新東京市を目指し、そして、爆発する。それで、充分だった。
あくまで、ネルフは使徒退治のための特務機関であり、それ以外の事故、事件に対処する権利はない。だから、JAが暴走したとしたら、出張るのは戦自である。そして、戦自には既に充分な根回しが済んでいる。最近、碇組の方も戦自に接近しているようだが、こちらとは歴史の積み上げが違う。問題なく、戦自の防衛網をかいくぐり、JAは第3新東京市に到達できるだろう。そうでなくとも、原子炉内臓。下手な手出しは危険であると、誰もが思うだろう。日和見、責任放棄、たらい回しは、この国の伝統でもある。
「やむを得ないわ」
ミナカは、決断すると、大きくため息を零した。
全く、馬鹿なことを、馬鹿なことをしでかしてくれる。
目の前の時田に、殺意すら込めた視線を向ける。
「時田」
「は、はい」
流石に、物騒な瞳に気が付いたらしく、直立不動で時田が応じる。
「何でございましょうか、ミナカ様」
「敗北は許しません。必ず、勝利を」
「ご安心下さい。バベルを、使用します」
時田は、勝利を欠片も疑っていない様子だ。
それが、ミナカに疲労を覚えさせる。
ミナカの見た彼我の戦力差は、勿論、時田の言う「バベル」を含んだ上でのモノなのだ。それを、時田は理解していない。
もっと、早く時田にも事情を伝えておくべきだった、と言うのは、遅すぎる後悔だ。
暴走JAを第3新東京市で爆発させる。
制作者にとっては、余り面白からざる使用法だろうと、遠慮をしたのが悪かった。
「……何を言っても、今更後の祭りですわね」
ミナカは軽く自嘲する。
「ミナカ様、それでは、ここから退去を」
「解っているわ、マリ」
原子炉内臓のJAの戦闘。勝利するにせよ、敗北するにせよ、どんなことになるか解らない。この場所は、非常に危険な場所となった。素早く立ち去るべきだ。
「その前に」
ミナカは、時田を見据え、言った。
「一つ、私から作戦を授けておきましょう」
ミナカは、「作戦」が気に入らないと言う表情の時田を一睨みで黙らせ、そのまま貴賓室を後にする。
長居は無用。
少々急ぎ足になって、エントランスホールに向かう。
その背後には時田の他に、マリと、どこか足下のおぼつかないアキノが続いている。アキノの表情は、非常に意気消沈している。ミナカの機嫌が悪い。帰ったら本格的なお仕置きが待っている。この二つをつなぎ合わせれば、自分を待つ運命がどれほど過酷なモノであるか、容易に想像できるのだから、当たり前かも知れない。
吹き抜けのエントランスホール、二階部分に出たミナカは、そのまま、外周部分をぐるりと囲んでいる通路を進む。
その足が、不意に止められた。
片手を通路の手すりにかけて、下を伺う。
「?」
と、ミナカの見つめる方向を見たマリは、ミナカが何を認め、足を止めたのか理解する。
エントランスホールの一階部分を、碇シンジが出入り口に向かって進んでいる。
同時に、碇シンジの方でもこちらに気が付いたようだ。立ち止まると、こちらをふり仰いでくる。
ミナカ、シンジの視線が交差する。
そこには、暖かみは皆無だった。間違っても、キックオフ状態で背後に点描が飛びかったりはしない。二人は、敵同士なのだから。
先に、動いたのはシンジの方だった。
視線を逸らさないまま、口を開く。
「下着、見えてる」
この言葉に慌て、ミナカが手すりから飛び退くと、しっかりと自分のスカートを抑える。
それから、顔を赤く染めて、今まで以上にきつい表情になって、眼下のシンジを睨み付ける。
シンジの方は、笑っていた。失笑、そんな感じだ。
そして、更にミナカの頭に血を上らせるようなことを口にした。
「冗談だよ」
「──!」
言い捨てると、シンジは仲間と連れだって、エントランスから出ていく。
「……男という生き物は、何処まで下品で、何処まで失礼なの」
呟き、震える拳を握りしめて見送ったミナカは、非常に物騒な声で叫ぶように言った。
「時田!」
「は、はい」
八つ当たりだが、怒りを向けられた時田は、飛び上がるようにして、それから、直立不動になる。
そこへ、ミナカは物騒な視線を向けると、もう一度、確認するかのように告げた。
「敗北は、絶対に許しません。良いですか、絶対に許しませんよ」
「は、はい」
「もし、敗北した場合は──吊しますよ」
最早、時田の顔に、ミナカの示した「作戦」に対する不満は存在しなかった。
「いやあ、意外に初心みたいだねえ」
ビルを出たシンジは、おかしそうに笑う。
そちらに、ユウキが呆れた視線を向ける。
「はあぁ、シンちゃんは、ケダモノですからねえ」
「何だよ、それは。僕にはユウキが何を言っているのか解らないよ」
「本当に?」
「……まあ、冗談はさておいて」
シンジは、ユウキにジト目で見られ、誤魔化すように言い訳を口にする。
「アレだって、ちゃんと意味があったんだよ。あのお姫様が、とんでもないあばずれだったら、例のプランは変更を余儀なくされるわけだしさ。アレなら、十分通用しそうだよ」
それを、ユウキは一刀両断する。
「言い訳にしか聞こえませんねえ。──結局、シンちゃんがケダモノであることを否定できるわけではありませんし」
「それは兎も角」
そこへ、リツコはシンジを庇うわけではなく、口を挟んだ。
「大丈夫なの?」
「何が、ですか?」
「彼女、本気で怒っていたみたいだけど……」
あの物騒な視線。直接こちらに向けられたわけではないが、背筋が冷える思いがした。シンジに首筋にナイフを突きつけられたときに、嫌と言うほど味わった、氷を押しつけられる様な感覚。アレと同様、あるいは、今回のお姫様の視線の方が、より凄かったかも知れない。さすがは、シンジに対抗している、シンジをして、容易な相手ではないと言わしめるだけの存在。初めて、あの見た目、飾っておきたいくらいの美少女が、只の美少女でないことを理解させられた。きっぱり、恐怖を感じた。直接、あの視線でにら見据えられた時田に同情しかけたくらいだ。
「まあ、元々、敵同士だし。これで、彼女が冷静さを欠いてくれたら、それはそれでつけ込む隙が出来るだろうし」
ほら、やっぱり意味があったじゃないか、と言う顔で、シンジは主にユウキに向けて口にする。
ユウキの方は、一向に感銘を受けた風でもない。後付の理由に価値なんて認めません。顔が、そう言っていた。
「どちらにせよ、まずは、目の前の敵を──JAを倒すことに集中しないとね」
そのシンジの言葉に危機感はなく、リツコにしても、あくまでユウキの追求を逸らすための言い訳にしか聞こえなかった。
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