#73 そして誰もいなくなった


 灯りの落とされた発令所。
 そこで、日向マコトは一心不乱にキーを叩いていた。
 時々、ちらちらと視線を背後に送るのは、彼のしている事が合法ではないことの証明。日向が現在行っていることは、ハッキングによる情報収集。ばれたら、拙い。
 しかし、日向はキーを叩く。
 叩かずにはいられない。
「……葛城さん、絶対に、見つけだします」
 小さく、日向は呟いた。
 現在彼がハッキングをしてまで探していること。それは、彼の敬愛する上司、作戦部長、葛城ミサトの行方だった。


 ネルフの作戦部長、葛城ミサトが行方不明になったのは、先日のJA完成披露パーティへの出席直後である。
 ご存じのように、JA完成披露パーティは、大騒ぎ、大混乱で終わった。
 その騒ぎに巻き込まれたらしい。
 と言うことになっている。
 しかし、日向はそんなことを信じたりはしなかった。
 これは、日向の思いこみ故のことではない。
 作戦部長が行方不明になった。
 普通、そう言う状況になれば、もう少し大騒ぎになっても良いのではないか?
 しかし、誰も気にしない。神様は彼の御座所にいて、世は全て事もなし。そんな感じだ。
 葛城ミサトの直属の部下である作戦部の人間達も、平然としている。いや、却って歓迎している節もある。
 それを、日向が指摘すると、彼らは言ったモノだ。
「別に、いてもいなくても変わらないだろう?」
「そうそう、葛城作戦部長がいなくても、ユウキさんがいるし」
 馬鹿な。と反論したいところだが、日向はそれをしなかった。
 彼らの言うことも、解らないでもない。
 自称作戦部長代理補佐心得見習い(仮)という、非常に巫山戯た役を、勝手に新設して勝手に就任した少女。無論、自身で自称と言っているように、対外的には存在しない役職で、給料だって出ていない。本来、作戦部に指示を出す資格も権利もない。ネルフは、少女の言葉に従う義務はない。だが、現実、作戦部はユウキの指示の元で使徒戦を戦い、それ以外の場面でも決裁を仰ぐ。
 作戦部は、葛城ミサト不在でも、何の問題もなく動いている。
 元々、葛城ミサトは部下達に好まれていたわけではない。
 多くの作戦部員は、葛城ミサトよりも年長だった。自分より年若い女の下でその指示に従わなくてはならない。このことに不満を抱いていたモノは多い。せめて、自分より有能であれば兎も角、そうでなければ尚更だ。
 葛城ミサトという女性は、基本的に大雑把。書類仕事を溜められるだけ、溜める。日向がその後始末の手伝いをしたことは、一度や二度では効かない。
 普段も、仕事を放り出し赤木リツコの研究室に入り浸たる。自身は、仕事の間の気分転換よん、などと口にしていたが、他の者にしてみれば、遊んでいるようにしか見えなかった。
 戦闘時には他の作戦部員をないがしろにして、思いつきだけで事を進める。それで、きちんと戦闘指示をすれば、まだ許容できるのだが、そうでもない。基本的に行き当たりばったり、困った状況になると、感情的に叫ぶだけ、と来ては、何故アレが自分たちのトップなのだ?、と言う疑問を抱かざる得ない。
 対して、ユウキは、彼らにも気を使ってくれる。書類仕事は、矢張り溜め込んでいるが、保安部員に訓練を付けたりと、忙しく働いている様が伺えるし、葛城ミサトほど、致命的なまでに放置はしない。能力についても、第5使徒戦ではハードラックに苦しめられたとは言え、充分に満足できるモノを示した。更に、先のJA戦。こちらは、誰よりも早く状況を認識し、ほぼ、その思惑通りに戦闘を進めている。あの、JAのイカサマ臭い先制攻撃。誰よりも早く、その可能性に気付き、緊急回避したらこそ、勝利があったのは疑いようがない。
 それに何より、男性向け特殊浴場の割引券を分けてくれたりと、色々、うま味もあったりする。
 だから、作戦部員は、葛城ミサト不在を気にしない。
 日向自身、他の作戦部員同様に感じているところはある。いなくても、問題なく動いている。作戦部のトップがミサトでなく、ユウキだったとしても、問題ないような気がする。
 だが、日向は必死でミサトの行方を探し求める。
 これが、本当にJA完成披露パーティの混乱に巻き込まれての行方不明であれば、探しても無駄かも知れない。
 しかし、そうではない。
 そうではないと確信している。
 なぜなら、作戦部長が不在となったというのに、新任の作戦部長の話は持ち上がらない。
 ユウキがいる、とは言え、前述のように、勝手に就任しただけのことで、対外的に──あるいは、対内的にも、認められることではない。それなのに、放置されている。これは、おかしな事だ。
 そこで人事書類を調べると、葛城ミサトは、変わらず作戦部長のままである。行方不明などと言う記述は一行もなく、作戦部長の任を勤め続けていることになっている。未だ、指定の口座に給料が振り込まれている。振り込まれ続けている。対外的には、未だ、葛城ミサトは作戦部長のままなのだ。
 こんなおかしな事がまかり通る。
 ネルフは、元々おかしな事がまかり通る組織だが、いくら何でもこれはおかしい。
 では、誰がそうしたのか?
 考えてみるまでもないだろう。
 だから、日向マコトは、葛城ミサトはまだ生きていると考え、探し続ける。
 それは、作戦部長葛城ミサトではなく、葛城ミサトを探し求める行為だった。


 葛城ミサト。
 容姿だけに限れば、飛び切りである。
 あの、日本人離れした乳。そう、乳だ。
 いや、それだけではない。
 頭を振って、日向は邪な考えを追い出しにかかる。 
 そんな、邪な思いではないのだ、日向の思いは。
 もっと、純粋で、プラトニックなモノなのだ。
 そう──
 日向マコトは、葛城ミサトに、好意以上の感情を抱いていたのだ。
 そして、葛城ミサトの方でも、日向に、好意以上の感情を抱いていたことは確実だ。そう、日向は思っていた。
「日向君、あなただけが頼りなの」
 そう言って、自分の肩に押しつけてきた乳の感触を、日向は忘れていない。
 アレは、絶対に自分に好意以上の感情を持っているに違いない。
 誘っていたのではないか?
 あの時、照れたりしないで、積極的に行動していれば。
 そんな後悔もある。
 こうなると解っていたら、今だったら、もっと積極的に行動するのに。
 このまま、二度と会えない。
 そんな事は、絶対に許容できない。
 だから、日向マコトは葛城ミサトを探し求める。
 そして、発見して助け出せば、きっと、葛城さんはますます自分に惚れることに違いない。そうすれば、あのでかい乳であんな事やこんな事をしてくれるに違いない。
 ちっとも、邪な考えを捨てきれない、日向だった。


 ところで──
 ところで、現実には、流石に作戦部内にも味方が少ないことに気付いたミサトが、少しでも味方を増やそうと、一番近くにいた日向に接近しただけの話だ。
 別段、日向に特別な好意を持っているというわけではない。逆に、「いい人」で、利用しやすそうなどという計算もあったくらいだ。
 ただ、日向が、日向の方だけが、自分に都合良く受け取っただけの話なのだが、それは兎も角。
 日向マコトは、只一人だけ、真面目に葛城ミサトの行方を探していた。


「駄目だ」
 日向は、キーを叩く手を止めて、吐き捨てる。
 マギを使ったハッキングでも、ミサトの行方は解らない。シンジの経営する店の情報ものぞき見たのだが、そこに、葛城ミサトの名前はない。
 あるいは、本当に始末されてしまったのか?
 泡のお風呂に素っ裸で、ではなく、芦ノ湖の底に、コンクリの靴を履いて沈んでいるのか?
「そんなことはない!」
 日向は、最悪の予想を頭を激しく振って追い出す。いや、泡のお風呂だって最悪だが。
「……何が、そんなことはないんだ、マコト」
 不意に声をかけられて、日向は椅子の飛び上がりかける。
 慌てて振り向くと、そこには青葉シゲルが立っていた。
「シゲル、お前一体こんな時間に、どうしたんだ?」
 用心深く、表情を伺いながら、尋ねる。
 用心深くもなる。何しろ、青葉シゲルと言えば、シンジ親派の筆頭だ。つまりは──敵だ。
「どうしたって、そりゃあ、俺の台詞だろう。お前こそ、どうしたんだ?」
 青葉は、日向の内心に気が付いているのかいないのか、気楽な調子で尋ねてくる。
「お、俺は……そう、作戦部の仕事だ」
「ふ〜ん」
 信じたのか信じていないのか、青葉はお座なりな返事をする。
「まあ、いいや。それより、お前、仕事終わったんだったら、久しぶりに俺と連まないか?」
「そ、それは──」
 日向は、否定的な返事を返そうとする。
 元々、部は違うと言えども、勤務場所は同じ、トップオペレーターの同僚として、青葉とはよく連んでいた。
 しかし、青葉の過去に──現在にもだ──日向は不安を覚え、以来、疎遠になっていた。仕事の方では、変わらずトップオペレーター同士、交流があったが、それも最低限に止め、私生活の方では皆無となっていた。
 青葉の言う、「久しぶりに」これは、大袈裟でも何でもなく、真実──いや、控えめな表現だ。
 今回も、日向は否定的な返事を返そうとした。
 今の心理状態で、青葉と一緒に酒でも飲み、下手に気が大きくなったりしたら、何を口走るか解らない。いや、きっと、ののしりの言葉をぶつけることになる。それは、拙い。命がピンチだ。
 だから、否定しようとする。
「俺はまだ仕事が──」
 が。
「いや、そうだな、久しぶりだな。お前と連むのも、良いかも知れないな」
 日向は思い当たって、慌てて言い直す。
 これは、チャンスかも知れない。
 このまま、マギを使って調べても、葛城ミサトの行方を見つけるのは、不可能かも知れない。少なくとも、これ以上探って、何か新事実が見つかると、脳天気に考えられないほど、日向は連日、調べてきた。調べ続けてきた。
 ならば、シンジに近い位置に存在する青葉に尋ねてみるのも、一つの手だろう。
 無論、真正面から尋ね、命のピンチを招くつもりはない。兎に角、酔わせて口を滑らかにさせるとか、作戦を練る必要があるが、こうして、マギに向かい続けるよりはましな結果になるかも知れない。今はほんの小さな手がかりでも、欲しい。手がかりを掴むチャンスは有効利用しなければならない。
 だから、頷いた。
「そうか」
 青葉は、日向の内心を知っているのか知らないのか、にこやかに笑った。
「最近、お前、つきあいが悪かったからな」
「……仕事が忙しくてな」
 何となく、友人を──友人だった人間を利用しようとすることに心の痛みを覚え、言い訳のように口にする。
 少なくとも、完全な嘘ではない。使徒再来からこっち、作戦部の仕事は格段に忙しくなっている。それは、事実なのだ。
「まあ、使徒が本当にやって来たんだから、仕方がないか」
 青葉も、素直に受け取ってくれたようだ。にこやかな表情のまま、日向の肩に、腕を回してくる。
「よし、今日は忙しいお前を、俺がねぎらってやる。俺の奢りだ」
「え? 良いのか?」
 いろいろと聞き出すために、自分が金を出すことも考えていた。しかし、向こうがこう言うのだから、甘えても良いかも知れない。
「任せとけ。何しろ、俺はお前より稼いでいるんだぜ。遠慮は無用だ」
 青葉は、力強く胸を叩いて見せた。
 ちなみに、ネルフのくれる基本給は、日向、青葉共に一緒の額だった。残業の分、日向の方が多かったくらいだ。
 なのに、何故、青葉の方が稼いでいるのか?
 それは、考えないことにした。


「よし、ここだ、ここだ」
 青葉が日向を連れてきたのは、高級そうな店だった。どことなく、派手。しかし、派手すぎない。趣味が悪いと思えるレベルの随分前で、踏みとどまっている。逆に、派手だが趣味が良い店。
「おい、ここって……」
 日向は、その店を見て、思わず躊躇った。
 高そうだから?
 違う。
 確かに高そうであるには違いないが、どうせ奢りである。
 そう言うことではなくて、そこが──
「ここ、飲み屋じゃないだろう?」
 そう、飲み屋ではなかった。
 シンジの経営する、男性向け特殊浴場だった。それも、ハイエンドクラスの。
「まあまあ、今日は疲れたお前を、俺をねぎらってやるって言っているんだ。奢りだ、奢り。心配するな」
 青葉はへらへらと、軽薄な笑いを浮かべる。
「いや、しかしだな。俺は、こういう店は──」
 日向も、他の作戦部員同様、この種の店の割引優待券を貰っている。しかし、かたくなに使用しなかった。使用しようとしなかった。なぜなら──
 兎に角、抵抗しようとするが、青葉はがっしりと日向の首をホールドして、逃がさない。そのまま、引きずるようにして、店の中に連れ込んでしまう。
「これは、青葉さん、お待ちしていましたよ。いらっしゃい」
 店の黒服が、青葉の顔を見て挨拶してくる。
 相当な顔なのだろうか?
 顔だろう。
 いろいろな意味で。
「こいつが、そうだ」
 そう言って、青葉は日向を前に押し出す。
 とっとっと、と、蹈鞴を踏み、日向は転びそうになるのを堪える。
「シゲル、お前……」
 これは、罠だったのだろうか?
 日向は、顔面蒼白になって、青葉の顔を見る。
 葛城ミサトを探す、ひいては、シンジの裏の仕事を探る自分は邪魔者である。その、邪魔者を排除しようと言う動き。自分は、のこのこ、罠に飛び込んでしまったのだろうか?
「そんなに青い顔をすんなよ」
 しかし、青葉は軽薄そうな調子で告げた。
「まあ、初めてで緊張するのも解る。解るが、そろそろ、童貞を卒業してもいい頃だろう」
「な、何を言っているんだ?」
「惚けるな。惚けるな」
 にやにやと、青葉は嫌らしい笑いを浮かべ、日向をいなす。
「馬鹿な、俺をいくつだと思っているんだ? 童貞の訳無いだろう!」
「嘘は良いって」
 ひらひらと、手を振る。
「お前は、後一歩の所でいい人でおわっちまう奴だ」
 断言してくる。
「……」
 日向は、黙り込んだ。
 その通りだったから。
 これまで、日向は全くもてなかったわけではない。仲の良い女友達だっている。
 だが、大事な場面では常に、
「日向君は、いい人だけど……」
 で、終わってきた。終わってしまっていた。
 だから、青葉の言葉は、全面的に真実だった。
 貰った割引券を使用することがなかったのも、初めてがプロ相手では……、と言う躊躇いがあったためだ。
「それじゃあ、みんな。よろしくな」
「は〜い」
 青葉が声をかけると、女の子達が応えた。
 いつの間にか、日向の後ろには、数人の女の子がやって来ていた。
「え?」
 戸惑う日向。
 そちらに、青葉は笑って告げた。
「今日は、特別にお前の貸しきりだ。頑張ってこい」
「ちょ、ちょっと待て」
 日向は、青葉に助けを求めるように手を伸ばすが、女の子達に囲まれ、引きずられるようにして、店の奥へと連れ込まれていった。


「ダイナマイトがよ〜♪」
 などと控え室でギターを弾いて歌っている青葉の元へ、日向が戻ってきたのは、あれから随分たってからだった。
 湯上がりの顔をほかほかさせ、どこか夢見心地の表情。雲を踏むようなふわふわした足取り。腰の辺りが、随分軽そうだった。
「おう、頑張ったな。どうだった?」
「気持ち良かった……」
 尋ねる青葉に、日向は夢見心地のままで、応えた。
「そうか」
 青葉は頷き、懐に手を突っ込む。直ぐに取り出した手には、ラミネートされたカードと、何かの回数券のようなモノが握られていた。
「ところで、マコト」
「……なんだ?」
 余韻に浸っているところを邪魔するな。そう言う邪険な顔で応じた日向に苦笑しつつ、青葉は言った。
「ここに、シンジさんの経営する男性向け特殊浴場全店で使用可能な無料回数券12枚綴りと、入店の時に提示すれば割安で最高のサービスを受けられるスペシャルVIPカードがある。──で、こいつを、お前にやっても良い」
「な。何?」
 目の色変えて、日向が青葉に握られたモノに注視する。
「よこせ、直ぐさまよこせ。即座によこせ。──シゲル、お前は俺の友達だろう?」
「まあ、落ち着け」
 いきり立つ闘牛をいなすように、青葉は間をおき、言った。
「その前に、一つ質問がある」
「何だ?」
 そんなモノはどうでもいいから、それを俺によこせ。先刻までの夢見心地の表情は何処かへ消え失せ、日向は血走った目で、青葉の握ったモノに視線を固定している。
「なあ、作戦部長の葛城ミサトって人、お前は知っているか?」
 青葉は真剣な顔で、日向の顔をまっすぐに見て、尋ねた。返答次第では、こいつはやれない。表情が、そう言っていた。
 葛城ミサト。あの乳は、捨てがたい。捨てがたいが、それに匹敵する乳は、ここにもあった。いや、より以上の乳も。そして、こちらの乳は、確実にあんな事やこんな事をしてくれた。
 では、どちらを選べばよいのか?
 簡単だ。分かり切っている。
「……誰だ、それは? 作戦部長はユウキちゃんだろう?」
 日向は、殆ど間をおかずに答えていた。
 青葉は、にこりと微笑んで、日向に手の中のモノを渡す。
「おめでとう、これは、君のモノだ」


 こうして、作戦部内に葛城ミサトに行方を探す者は、誰もいなくなった。

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