#76 灰


 プールサイドを、ぺたぺたと湿った足音を立てて、綾波レイが歩いている。
「さて、次は、第6使徒に対する対策ですねえ」
 ユウキが、議題が変わったことを示す。
「予測では、海洋型、ですか?」
 日向が、微妙に眉をひそめる。
 裏死海文書、それの記述について、シンジらの知る部分は彼らにも知らされている。流石の田茂地にも、全文を調べ上げることは出来ず、断片でしかない。しかし、あるだけましだろう。少なくとも、次の使徒の傾向や登場スケジュールは知れるのだから。
 それでも日向は、眉唾、と言う表情をしてしまう。何しろ、大昔の予言である。MMRや、Xーfileではないのだ、と言う気分になってしまうのは仕方がないだろう。胡散臭いこと、この上ない。
「少なくとも、欧州ゼーレ組は、それを全面的に支持していますね。実際、その記述におおむね沿う形で、これまでの使徒はやって来ていますから」
「その他、彼らの会合でも、それを示唆するような発言があったみたいだし。イベント、とか言っていたかな?」
 ユウキの説明をシンジが捕捉する。この辺り、どうやってか調べたのは、やっぱり田茂地である。方法については、シンジらですら知らない。知らないが、田茂地の集めてくる情報の信頼度は高いことを承知しているから、素直に事実と見て、それを元に対策を練るのはいつものことだ。
「輸送中の弐号機狙いっすか?」
 青葉が腕組みをして考え込む。
「基本的に、使徒は地下のリリスを目指して来るんすよね? いきなりの方針転換ですか?」
 何考えているかわからんな〜、と諦め気味に呟く。
「う〜ん、それなんですけどね」
 ユウキは未確認で保留、そんな口調で告げる。
「どうも、他にも何か輸送しているみたいなんですよ。流石の田茂地さんも調べきれなかったって言うから、極秘中の極秘、みたいです」
「EVAも一応、リリスコピーだけどね」
 リツコが付け足し、こちらも首を傾げる。
「まあ、兎に角、欧州ゼーレ組がそのつもりでいるんですから、10中8,9で来るんでしょうけど」
「しかし、海戦ですか?」
 取りあえず、あるモノとして考える。日向が困ったような顔をして、リツコを見る。
「ええ」
 リツコは頷き、続ける。
「基本的に、EVAは歩兵。海戦向きの兵器じゃないわ。まあ、シンジ君は水の上を走れるから……」
「って言っても、水中の相手は無理ですよ」
 シンジが首を振る。
「それに、水の上を走るって、結構疲れるんですよ。ムテキのおじさんなら、平気で太平洋渡りきりますけど、僕は精々100メートルがやっとですから」
「……それだって、冗談みたいに凄いんだけど」
 リツコは半ば呆れ混じりに告げる。それから、口調を変えて提案する。
「どうせなら、放っておくのはどうなの?」
「そうですね。下手に手を出して、こっちの戦力を減らす危険を冒すよりは、ここ(第3新東京市)で待ち受けた方が良いんじゃないですか? 海洋型って言っても、リリスを目指すなら、上陸する必要はありますし。今の第3新東京市はほぼ機能消失状態ですけど、そいつがやってくるまでには、ある程度の修復も期待できると思います。──僕がまた、あの子に怒られるかも知れないけど」
 最後はとほほ、と言う口調で日向。
「瑞海社長の件は、ユウキが任されましたから大丈夫ですよ」
「ええ、任されてしまいましたよ」
 シンジの請負に、少々嫌みな口調でユウキが付け足す。
「でも、今回は仕方がないですけど、何度も、ってのはご免ですよ。──どうせなら、瑞海社長対策に、誰か用意しておきませんか? 司令部の秘書課辺りから、適当に見繕えば……」
 秘書課なら、綺麗所が多いだろう。眼鏡っ子だって、いるはずだ。いなくても、眼鏡をかけて貰えばばいいだけの話でもある。そして、その娘に対応を任せれば、瑞海社長は気持ちよく働いてくれるだろう。
「わかったよ」
 シンジが頷く。
 それに満足して、ユウキは言った。
「兎も角、これで兵装ビルの修理は、現在の予定値より進展すると思います」
「とは言え、破壊力的な強化は、多分、間に合わないわね。有りモノで済ませるしかないわ」
 流石に、ここで強化することを決定したからと言って、即座に入れ替わるわけではない。いくらかの研究、そして実際の製造。あるいは、よそから購入という手もあるが、何にせよ、まだまだ先の事になるだろう。
「有りモノ、ですか?」
 ユウキは頷き、視線を時田ゴロウに向けた。
 その視線の意味を理解した時田ゴロウは、ユウキの問いに答える。
「残念ですが、現時点では、陽電子自走砲も、原子熱戦砲も使用不可能ですね。──陽電子自走砲は、前回の使用で出て来た問題点の解消のために改良中ですし、バベルの砲は、チャンバーの修復に時間がかかっています」
「どっちも使用不能ですか」
「陽電子自走砲は、電力の供給方法についても、見直す必要があるわね。毎回毎回日本全国から電力徴収なんてしていたら……」
 がっかりと俯くユウキに、しかしこれは言っておかねば、と、リツコが告げる。
「まあ、折角関係改善に努力しても、全てが無駄になりますねえ」
 ユウキがわかっていますと、頷く。
 シンジらは、今までの高圧的で排他的なネルフの状況を改めるべく、行動している。広報に力を入れ、戦自や国連軍との連携を計るようにしている。戦自の方はシンジの個人的知り合い、乃木の協力もあり、それなりに進んでいる。国連軍の方も、いくらかは。とは言え、元が低いだけに、改善されたと言っても、まだまだである。
「情報公開の方は、徐々に進めています。あ、ネルフの公式HPの素案、出来たから、後でユウキちゃん、確認してくれる?」
 HP制作を請け負ったマヤが口を挟む。どうやら、自信作らしく、機嫌がいい。
「マヤ、あんまりにあんまりな少女趣味なのは駄目よ」
「え〜」
 危険を感じてリツコが口を挟むと、マヤが悲鳴を上げた。どうやら、リツコの危惧は大正解らしい。
「だって、だって、可愛らしい方が、良いじゃないですか」
「限度ってモノがあるわよ」
 リツコは切り捨て、ユウキに向き直る。
「でも、良いの?」
「何がですか?」
「司令の方よ。あんまり勝手にやりすぎると……」
「大丈夫ですよ」
 シンジが頷き、請け負った。
「父さんは、僕の行動をフォローするしかないんですよ。少なくとも、書類上は司令の命令でやったこととなっていますからね」
 シンジは好き勝手にやっている。本当ならばゲンドウは、シンジのやったことを片っ端から駄目にしたい。しかし、そうは出来ない。少なくとも、書類上はゲンドウの指示によって行われたことになっており、そうでは無いことを証明しようにも出来ない事情もある。
 欧州ゼーレ組である。
 非アーリアどころか非白人でありながら、人類補完計画実行組織の長となったゲンドウである。それは、リリスが発見されたのが第3新東京市地下のジオフロント──「黒き月」であったと言うこともあるが、それだけではない。その能力を見込まれたからだ。実際、ゲンドウはその剛椀で、ネルフを作り上げた。能力を示したと言える。そう、能力を示したのだ。
 しかし、それだけに、今現在の自身の立場を説明できない。息子にいいように引っかき回されている。こんな事を、上位者であるゼーレの者達に知らせることが出来るわけがないのだ。
 能力があると見られたからこそ、ゼーレはゲンドウにネルフ司令の地位を与えた。しかし、無いとなれば? その地位を剥奪するだろう。躊躇無く、慈悲なく。元々、人間性は全く欠片も好まれていないゲンドウであるから、嬉々として。擁護して貰える可能性など、皆無である。
 だから、ゲンドウはシンジの行動を、自身の指示の元で行っていると表明せねばならない。後追いで、苦々しく思いつつ、自身を守るために、何とか理由を付けて、そうするしかないのだ。全ては自分のコントロール下で進んでいる。そう示しておかねばならないのだ。
「兎に角、本格的な戦闘は、こちらの土俵に引きずり込んでから、これで良いですね?」
 ユウキは、シンジを見て確認する。
 結局の所、シンジの本質は戦士。後方で指示を出すよりも、前線で戦うタイプである。対して、ユウキの方は後方から戦闘をコントロールする立場になる。だが、あくまで頭はシンジなのだ。だから、シンジの承認は必要である。
「うん、いいよ」
 シンジはあっさりと頷いた。
「でも、どちらにしろ、太平洋艦隊に出向く必要はあるよね」
「そうですね」
 日向が頷く。
 既に、太平洋艦隊が突破されることは確実と見ている。EVA弐号機があるとは言え、洋上では、今ひとつだろう。足場にするとしたら、艦隊旗艦でもあるオーバー・ザ・レインボウくらい。水中に入れば、確実に行動力が落ちる。どころか──
「何というか、戦争は既に始まっているのに、のんびりとB型装備で海上輸送……危機感、無いッスね」
 青葉がやれやれと首を振る。
「まあ、仕方がないですよ」
 ユウキが、口ほどには仕方がないと思っていない口調で応じる。
 ドイツ支部は、支部とは言え、上位機関である欧州ゼーレ組の本拠にある。しかも、司令は勿論アーリア系の人間である。実際の本部はこちらだ、そんな自負もある上、ゲンドウの性格もある。頭ごなし、偉そうに「よこせ」と言われて、素直によこすような間柄ではない。
 のんびり海上輸送は、その辺りの確執にも原因を求められるだろう。
「兎に角、観測用にキャリアーや偵察部隊も飛ばす必要はあるでしょうね。戦自や国連軍にも協力を要請しましょう」
 情報収集は大事である。おそらく、地上に上がる時点で、機能の拡大が成されるだろうが、それでも基礎となる部分は、変わらないと見られる。ならば、調べて損はない。どころか、絶対に必要だ。
「それと、僕とユウキは、直接、太平洋艦隊に挨拶に向かいますよ」
 そこで、シンジが発言し、日向はびっくりしたような顔をした。
「危険ですよ。わざわざ、シンジ君が出向く必要は……」
 大事なEVAパイロット。それだけではなく、日向にいろいろと良くしてくれるだろう。だから、失うことは出来ない。
「そうッスよ。他の者が──自分が出向いてもいいッスから、シンジさんはこちらで」
 青葉も慌てる。こちらは素直に、尊敬する「親」である。危険に晒すことは出来ない。
「もう、決めました」
 しかし、シンジは決定事項だと告げる。
「OTRの艦長と繋ぎを取っておきたいですからね」
「──?」
「まあ、正確には艦長と言うよりも、アメリカ軍、ですね」
 OTRは国連軍所属の空母である。だが、その出自はアメリカ軍だ。
 セカンドインパクトの被害は、アメリカにも深い傷跡を残している。結果、アメリカは前世紀程の影響力を失った。どころか、自前の軍の維持にすら事欠くような状況となった。その為、窮余の策として打ち出したのが、国軍の国連供出である。それに、多くの国が倣い、国連軍は文字通りの多国籍軍となったが、それでも、アメリカ軍の占める割合は大きい。──因みに、日本の自衛隊も国連所属となっている。戦自は、その後に作られた、日本国固有の軍である。
「できるの?」
 懐疑的に、リツコが尋ねる。
「情報公開をしたとしても、難しいんじゃないの?」
 ゼーレは白人中心の組織である。そして、アメリカを支配しているのも、矢張り白人だろう。多くの国からの移民で、人種のるつぼ、と言ったところで、その本質は白人支配であろう。即ち、ゼーレとの結びつきは強いと考えられる。
「そうでもないですよ」
 と、シンジはリツコの言葉を否定する。
「どのみち、国連に大きな影響力を持つ欧州ゼーレ組と戦争するのに、ネルフ、そして日本だけでは、土台不可能。敗北必至です。味方を増やす必要があります」
「それは、理解しているわ」
 シンジの構想では、ゼーレとの決戦の前に日本を支配下におくのは、当たり前、必須とされている。そうなれば、戦自、並びに国連極東方面軍も味方になるだろう。それだけでも、かなりの勢力ではあるが、全世界を相手に戦うには、きつい。と言うか、勝ち目はない。
 そこで、アメリカと言うことだろうが──
「それくらいなら、中国とかの方が可能性が──」
 非白人である方が、やりやすいだろうと言うリツコの提案に、シンジは首を振った。
「勿論、中国にも協力を求めるつもりです。ですが、やっぱり、精強なアメリカ軍の協力が欲しいです。で、これは、決して不可能ごとでもない。人類補完計画、サードインパクトを、「ドイツ人が全人類をホロコーストする」こう言い換えてみたら、誰が一番敏感に反応すると思いますか?」
「成る程──」
 リツコは理解して頷いた。
「つまり、あの国はそう言う見方もできるわね」
「ええ」
 シンジが頷く。
「どうです? 不可能ごとじゃないと思いませんか?」
「やってみる価値はあるわね。マギにも、シミュレートさせるわ」
「しかしッスね」
 と、そこで、青葉が口を開いた。
「それだけでは、シンジさんが直接出向く理由としては──」
「他にも、事情はあります」
 シンジは手を挙げて青葉を黙らせると、続けた。
「他にも、早めに挨拶しておきたい人がいるんですよ」
 シンジの本業、それは、あくまでも碇組の組長である。ネルフの仕事は、いわば副業である。大きな収入源であり、兵力であり、兵隊今日吸気管であるとは言え、あくまでネルフは従である。主ではない。
「? セカンドチルドレンすか?」
 皆、首を傾げる。その中で青葉がこれかな、と言う名前を出す。
 しかし、シンジは首を振って否定し、告げた。
「いえ、そっちはどうでもいいです。僕が先に会っておきたいのは、欧州ゼーレ組、4枚の切り札のウチの一人。『灰』」
「──!」
 これに反応したのは、青葉だけである。青葉だけが、シンジの世界に密接に関わっているのだ。
「ま、まさか、本当に出てくるんすか? あの、『灰』が」
 顔色を変えて、尋ねてくる。
「ええ、確実に。セカンドチルドレンの随員として、こちらに派遣されています」
「セカンドチルドレンの随員って──」
 今度は、リツコが顔色を変えた。リツコは、ミサトと違い、渡された書類には目を通す。だから、その随員の名前を知っている。いや、名前だけではない。
「そう言えば、リツコさんは『灰』とは知り合いなんですよね」
「──加持君の事なの?」
 驚き、かすれた声で尋ねる。
「そうですよ。加持リョウジ。ゼーレの切り札の一枚。『灰』。あるいは、『三足の蝙蝠』、『灰のカジエル』」
 シンジは、ゆっくりと、はっきりとした口調で、告げた。

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