#77 嵐の前
綾波レイは、会議に熱中する者達を退屈そうに見つめた後、再びプールに飛び込んだ。
「それなら、尚更危険すよ。辞めて下さい」
会議に熱中する者達。その中の青葉が、慌てて叫ぶ。
欧州ゼーレ組は、潜在的な敵。そう思われてきた。
しかし、わざわざ切り札でもある人材の派遣をするとなれば、すでに、「潜在的」ではなくなっていると言うことかも知れない。
そこへ、のこのこと出向く。
欧州ゼーレ組の推し進める計画、「人類補完計画」、それとの兼ね合い、使徒撃退もあり、EVAパイロットでもあるシンジをそのまま暗殺、と言うことは難しいだろう。相手が如何にゼーレの切り札とは言え、シンジだって、あっさり暗殺されるようなかわいげはないと思う。しかし、どれも確実ではない。
補完計画については、依童を必要とする。これは、シンジに限るわけではない。綾波レイ、そして、今回弐号機と共に派遣されてくるセカンドチルドレンでも代替えが効くだろう。使徒撃退に関しても同様。確かに、シンジは現時点でエースであり、その不在はこれからの戦いを厳しいモノにするだろう。しかし、シンジ殺害が必要だとなれば、躊躇わないだろう。何しろ、弐号機パイロットはドイツ支部の誇る「天才」であると言う。シンジの抜けた穴を補って余りあるかも知れない。また、世界中で、EVAの建造計画が進んでいる。能力が足りなければ、数で補えばいい。いや、逆に、足りない数を能力で補う方が間違いだから、そちらの方が姿勢としては正しいだろう。数は、自乗倍で力となる。ランチェスターの自乗法則くらいは、取り立てて軍事に詳しくなくとも知っていておかしくない程に有名だ。勿論、そうした教育を受けている青葉達は当然知っている。欧州ゼーレ組にとってシンジは、必要不可欠な存在ではない。逆に、邪魔者だ。計画に対する影響を最低限に止められると彼らが判断すれば、即刻始末出来る。
対して、碇組には、シンジは必要不可欠な存在だ。何しろ、組長。シンジを中心にして、構成員はまとまっているのだ。いなくなれば、非常に拙い。拙いどころか、碇組は消滅する危険もある。次席のユウキは、能力的な不安はないとは言え、矢張り、次席は次席。また、シンジとの結びつきが強いだけに、シンジ不在でその能力を発揮できるかという不安もある。シンジを失うことは、絶対に避けねばならない事柄なのだ。
「もう、決めました」
しかし、シンジは青葉の願いを却下した。
「しかし、ですねえ」
それでも、青葉は更に言い募る。
「大丈夫ですよ。勝算というか、無茶をするつもりはありませんから」
シンジは保障するように、付け足す。
「『灰』はある意味、非常に有名です。その性格については、ある程度のプロファイリングが出来ています。──曰く、騒動屋。自分の手を汚すよりも、周りを煽って騒ぎを大きくして楽しむという、ある意味、非常に迷惑な性格。直接、僕に危害を加えるような行動に出るとは、考えにくいですから。やるなら、裏でこそこそと。誰かを扇動して、僕を狙わせますよ」
「……確かに、そう言う性格かも」
リツコが、記憶を探るような表情をして、頷く。加持リョウジは、大学時代の知り合いである。確かに、そんな部分があったと、納得している。
「それにしたって、わざわざ、火中の栗を拾うのは、避けるべきです。おまけに、使徒まで来るんですよ?」
「大丈夫ですよ。逃走手段は、ちゃんと確保しておきますから」
「しかしですねえ──」
更に言い募ろうとして、青葉はシンジの表情を見、諦めたようにため息を付く。
「──解りました。しかし、今回は、自分も護衛として付いていきます。自分じゃあ、シンジさんの護衛として力が足りないかも知れませんけど、壁くらいは出来ます。それに、どのみち、使徒の観測要員が必要ですから、構わないッスよね」
「まあ、それは」
シンジはユウキと視線を合わせ、二人して頷き、頭を下げた。
「心配かけて申し訳ないです」
「頭を下げて貰う必要は無いッスよ。自分は、シンジさんの子ッスから。いつかも言いましたけど、「やれ」って命令されたら、それに従うだけッスからね」
どこか照れたように、青葉が応じる。
「いえ、それでもありがとうございます」
「……私も、付いて行くわ」
そこで、自己主張したのはリツコである。
「加持君とは知り合いだし、ね。ミサトほどの効果はないとは言え、多少は、手を弛めさせる可能性は、あるかも知れないから」
それに、興味もあるし。とは、省略する。
「え〜、先輩も行くんですか? じゃあ、私も──」
「マヤは、留守番。あなたは、こちらでやることをしてなさい。そうね、送られてきた情報の解析、あなたに任せるわ」
「先輩のいけず〜」
一刀両断されたマヤが、泣き真似をする。
「マヤさん、申し訳ありませんが、お願いします。勿論、その代わり──」
「解ったわ。──でも、どうせなら先輩と一緒に」
泣いた鴉がもう笑う。ころっと表情を改めたマヤに、シンジは笑って請け負う。リツコの方は苦笑しているが、否は無い様子である。
「……そうか、ミサトさんか」
それからシンジは、しまったなあ、と言う顔をする。
「その『加持さん』とミサトさんは元恋人同士だったんですよね。──早まったかな?」
利用価値がないと見て、沈めてしまったが、どうやら利用価値はあったようだ。今更だが、後悔する。
「別に、今でもミサトはシンジ君の手の内にあるんでしょ?」
首を傾げ、リツコが尋ねる。引っぱり出して利用すればいいのに、と言う疑問だ。
「ええ、まあ、あると言えばあるんですが……」
不明瞭な声で、シンジが応じる。
「何しろ、沈める為の教育の真っ最中で──」
「メグ姉さん、随分張り切っていましたからねえ。ちょっと、必要になったからこちらによこせとは言い辛い状況なんですよ」
ユウキが説明を付け足す。その場合、こちらの貞操のピンチです。ユウキの貞操が今更あるのかどうかは兎も角、そんなニュアンスで告げる。
「マサさんを代わりに──と言うのは、流石に忍びないですし」
また、入院させてしまうのは、拙いだろう。碇組の主力実戦部隊(保安部員達)の隊長になりつつある帆村である。
「まあ、大丈夫でしょう。元々、僕とユウキだけで行くつもりでしたし」
「そうですね、それに比べれば、充分に心強いですよ」
ユウキが、にっこりと笑う。
「任せて下さい!」
笑顔を正面から向けられた青葉が、胸を叩いて請け負った。
「さて、今度は、本業の方についてですね」
「本業、ね」
リツコがぽつりと呟くが、それ以上は何も言うつもりはないようだ。黙って、シンジの言葉を待つ。
「鴉葉さん、報告があるんですよね?」
「あれ〜、やっと、ボクの出番〜?」
と、それまで、脇のデッキチェアに寝そべり、呑気していた第3新東京市警察署、副署長、鴉葉ツキが億劫そうに体を起こす。彼がいたから、ネルフ本部ではなく、この場所になったのだ。とは言え、これまでは勝手にやってね、と、くつろいでいた。くつろぎきっていた。
一応副署長の鴉葉が暴力団の碇組に出向いて遊んでいるのは、非常に拙いのではないかと思われるのだが、鴉葉の方は全く気にしていない様子だ。
「だって〜、もう、五月蠅いところはあらかた仲良くしたし〜」
と言うのが、鴉葉の主張である。
まあ、そう言うのだから大丈夫だろう、と、シンジはぬるい目で見ることにした。鴉葉は、なかなか便利な協力者であるが、駄目なら他を探しても問題ないのだ。
「ええとね〜」
鴉葉は、いつもの気合いの抜けるしゃべり方で、報告する。
「シンジ君に頼まれていた、天野連合の雇ったヒットマン、最後の一人だけど〜、これが、なかなか見つからないんだよね〜。オトモダチにも頼んで、色々協力して貰っているんだけど〜、これがもう、さっぱりと〜。もしかしたら、まだ、国内には入っていないんじゃないか、なんて可能性もあるくらいで〜」
「そうなんですか?」
天野連合の雇ったヒットマンは、4人。そのウチの三人までは、既に撃退されている。シャロン・ルースはユウキに、通称「ベースを持った渡り鳥」は青葉に、そして、郷田真はユウキとレイの手によって。
残ったのは、後一人。「神父」と呼ばれる人物。
その動向を鴉葉に──と言うよりは、鴉葉言うところの「オトモダチ」、警察組織その他の情報収集能力を当てにして探らせたのだが、どうも、芳しくない様子である。
「う〜ん。前回の、郷田真については、楽勝だったんだけどね〜。何しろ、アレだから、既に当局でマークしていたし〜」
郷田真は、亀と人間の合成人間である。非常に目立つ容貌をしていた。目立つ、と言うのが、非常に控えめな表現なくらいに。
だから、その動向をあらかじめチェックさせておき、性格のプロファイリングを済ませ、有効な手段を考え、と、撃退の準備は整っていた。だから第三新東京市に入った時点で、ユウキらによる先制攻撃がなされ、容易に殲滅できた。こちらの被害は零という、完璧な勝利を収めた。
「まあ、引き続き、探させてはいるけど〜。──でも〜、出来たら、もう少し穏便に始末して欲しいな〜。流石に、前回は駅前の爆発で、こっちも捜査しないわけに行かなくて、面倒なことになったから〜」
「善処します」
シンジは、政治家並にいい加減な返事をする。
「なんだか、政治家並にいい加減な返事だね〜」
鴉葉は、首を振るが、別段、その返答を問題視したわけではない様子だ。
「まあ、ボクは仕事ができて、臨時収入が入るって事だから、問題ばかりじゃないから良いけど〜」
「頑張って下さいね」
ユウキがにっこりと笑って、応援する。人事みたいな口調だが、実際、迷惑をかけて頑張らせるのは、ユウキが原因になる可能性が大きい。自称平和主義者だが、必要とあれば容赦しないのが、ユウキである。
「うん、ボク頑張る〜、だから、ご褒美よろしく〜」
鴉葉は応じ、それから、思い出したみたいに手を叩く。
「そう言えば、駅前爆破のテロリストのモンタージュが完成したんだった〜。ボクが色々口出ししたから、大丈夫だと思うけど〜、一応、チェックしておいてくれるかな〜」
言って、鴉葉は鞄の中から、二枚の写真を取り出した。
駅前である。目撃者は多い。一応、ユウキ、レイは変装していたが、用心に越したことはない。
鴉葉から受け取って一瞥したシンジは、僅かに吹き出した。
「え? そんなに面白いんですか?」
言って、のぞき込むユウキ。そして、直ぐに悲鳴を上げた。
「え〜、何ですか、これは?」
「こっちが綾波で、こっちがユウキだよね?」
「こ、これが私ですか?」
恐れ戦くユウキをよそに、シンジは簡単にオーケーを出す。
「これは、いくら何でもあんまりじゃないですか? 私、こんなに太ってませんよ!」
「これを見てユウキだって思う人はまずいないだろうから、これで良いでしょ?」
「でも、でも、これは──どうせなら、謎の美少女テロリストの路線で──」
「却下。──と言うわけで、鴉葉さん、これはこのままで行っちゃって下さい」
「うう〜」
不満そうに睨んでくるユウキを無視すると、シンジは集まっている人間の顔を見回した。
「他に、何かありますか? 無ければ、これで終わりにしますけど」
特に、無いようだった。
「それじゃあ──」
と、閉会の挨拶をしようとしたシンジの背後に、ぴたりとレイが貼り付いた。
「……終わったのね?」
レイは、私には関係ないわ、とばかりに、一人、プールで泳いだり遊んだりしていた。どうやら、プール使用は、レイ辺りの要求をユウキが聞いたらしいと、シンジは推測していた。
しかし、それは早計だったりする。
「……それじゃあ、碇君、私と一緒に泳ぎましょう。それは、とても気持ちのいいことなの」
「え?」
シンジが戸惑った顔をする。それから、慌てたように告げる。
「僕は良いよ」
「いえ、ここは、是非に泳いで貰いますよ」
しかし、ユウキがそれを許さなかった。
「洋上に行くんですから、泳げるようになっておかないと、いざというとき心配ですからね」
「──!」
シンジは、顔面蒼白になった。
「と言うわけで、シンちゃんはこれから、水泳の特訓です」
「う、裏切ったな。僕の気持ちを裏切ったな?」
「騙される方が悪いんですよ。わざわざ、ここで今後の方針会議をするように提案したときに、気が付かなかったシンちゃんの負けです」
「……なんだか、今の会話を聞いていると、シンジ君、泳げないように聞こえるけど?」
信じがたい、そんな口調で、リツコが尋ねてくる。
「ええ、シンちゃんは欠片も泳げませんよ」
「──」
リツコは絶句する。同じ人類だとは信じられないほどの運動能力を持つシンジが泳げない。にわかに信じることが出来ない。
「と言うわけで、さあ、練習しましょう」
「い、いや、ほらさ、僕は碇だし、碇が浮かんだら、役に立たないと思うけど──」
「どういう言い訳ですか?」
「それに、いざとなったら、海の上を走ればいいわけだし」
「精々100メートルでは、陸までたどり着けませんよ」
シンジは抵抗しようとするが、背中にレイ、更にはユウキに腕をしっかり抱き込まれ、それも叶わないようだ。いや、本気になれば、二人を引き剥がすくらい余裕だろうが、傷つけないように、となれば、それも難しい。
日向が、いいなあ、ユウキちゃんの乳の感触、どんな具合だろう、そんな羨ましそうな視線を向けてくる。確かに、男ならば頬の肉が緩みそうなシチュエーション。しかし、シンジにはそれを楽しむ余裕は欠片もなかった。
「シンちゃん。逃げちゃ駄目ですよ。水から。何よりも、自分から」
「なんだよ、それ、僕にはユウキが何を言っているか解らないよ〜!」
悲鳴を上げるシンジだが、ユウキに許すつもりはなかった。
夜が来て、ユウキは自分の部屋でくつろいでいた。
「まだまだ、先は長いですねえ」
ユウキの嘆息混じりの声に、水泳の特訓で疲れ果て、ベッドにぐったりと寝ころんでいたシンジが体を起こし、頷く。因みに、結局泳げるようにはならなかった。
「正直、綱渡りの連続だからね」
シンジは、これまで勝ってきた。勝ち続けてきた。
それは同時に、絶対に必要なことだった。
碇組。僅かな間に勢力を拡大し、傘下の組もできた。
だが、未だ、傘下の組に絶対の忠誠を期待することは出来ない。只、シンジが勝ち続けているから、彼らはその傘下で大人しくしている。もし、一度でも敗北したら、いや、敗北しないまでも、不利な状況となれば、即座に見限られかねないと言う危険がある。
そして、現状でも不満はある。
シンジも、矢張りムテキではないのだ。かつて、神戸山王会碇ステキが苦しめられた、天才の後を継いだ者の苦悩、それは、今度はシンジの苦悩となった。碇ムテキは、容易に越えられるような人間ではないのだ。
「幸いなことに、第4使徒戦での大勝利があるから、何とか綱渡りを続けていられるけど」
勝ち続けているとは言え、本当に勝利したと言えるのは、シンジの言葉通り、第4使徒戦における、天野連合精鋭2000の殲滅くらいのモノだ。その他の勝利はあまりに小さいし、勝利どころか、イニシアチブを握って、事態を有利に進めた、程度でしかないモノもある。巨大な天野連合にとっては、面子の問題を削除すれば、シンジの積み重ねてきた勝利は、精鋭の殲滅以外、問題にもならない。取るに足りない程度のことだ。
「まあ、文句を言っていても、仕方のないことですね。今は、出来ることをする、それしかないですし」
今は、天野連合は第3新東京市に手を出しあぐねている。その間に、力を充実させること。同時に、天野連合の隙をうかがっている状況だ。
正面から戦えば、勝ち目はない。正面から戦って、一戦二戦を勝利したところで、相手は巨大すぎ、いずれこちらが力尽きることは間違いない。
だから、シンジ達は一撃で天野連合を倒す事の出来るタイミングを見計らっている。が、流石に、そんな隙は容易に見いだせない。
「ま、それはそうだけど」
シンジは頷き、ベッドにひっくり返った。
「シンちゃんが、ムテキのおじさまくらいに強ければ、全然問題ないんですけどねえ」
ユウキは、シンジの横に座ると、呟く。
だったら、正面決戦でも余裕の勝利が望める。欧州ゼーレ組だって、それで殲滅できるかも知れない。
それを聞いたシンジは、顔を顰めた。
「人には出来ることと、出来ないことがあるよ」
「例えば、水に浮かぶように?」
「例えば、水に浮かぶように」
ユウキの、少々嫌み混じりの発言に、シンジはこの世の真理を告げるような厳かな口調で応じた。
それから、寝ころんだままちらとユウキの方に視線をやり、助平な手を伸ばした。
「ん? 今日は、私とするつもりですか?」
ユウキはその手に不審そうに視線を送る。
「それくらいなら、他の人を相手にすればいいのに。──何しろ、私の忠誠タイプは仁義ですから、放っておいても忠誠値は下がりませんし」
「ユウキ相手が一番楽なんだよ。他の人を相手にするときには、気を引き締めてなくちゃならないし、仕事だって意識もあるから、心から楽しめないんだよね」
「ほほう」
ユウキは、意地悪な笑みを浮かべた。
「それはつまり、私相手だと手抜きが効いて楽ちんだ。そう言うことですか?」
「え、いや、──そう言う訳じゃないんだけども……」
どこかしどろもどろになるシンジに、にししと笑いを向ける。
「そうとしか聞こえないんですけどねえ」
ユウキは悪戯っぽく笑い、別段気分を害した風でもなく、シンジに身を任せた。
その日の夜は、平和に更けていった。
シンジ、ユウキらの世界は、取りあえず、平和だった。
そして、それがこのまま続くと考えていた。
しかし、直ぐそばには、嵐が迫っていた。
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