#81 結婚するって本当ですか?
ネルフのヘリコプターがOTR甲板に着陸する。
未だローターが回転を続け、ダウンウォッシュの発声する中、ヘリの扉が開き、最初に降り立ったのはケンスケである。
「凄い! 男だったら、涙を流すべき状況だね、これは!」
喧しく騒ぎながら、前後左右に落ち着きのない視線をやり、ウキウキとした調子でヘリから離れていく。巨大な艦橋、回転しているレーダー、甲板に並ぶ各種の飛行機など、ケンスケにとって見るべき場所はありまくりだった。宝の山の中にいるようなモノだ。感嘆の声をあげるのは、余人は兎も角、ケンスケには当然過ぎるほどに当然な事だった。
その後に続いたのはトウジ。うつむき、なにやらぶつぶつと呟きながら、ケンスケの後に続く。ケンスケにとっての宝の山も、トウジにとってはどうでもいいこと。どころか、目に入っているのかも怪しいくらいの暗く、虚ろな視線だ。
その、更に後に続いたのは青葉シゲルである。小脇にアタッシュケースを抱え、さりげなく、しかし油断無い視線を周囲に送る。一旦、ある方向で視線が停止したが、すぐに逸らし、さりげなく場所を移してシンジらを待つ。
次に降りたのはシンジ。青葉が一旦視線を止めた方向に視線をやると、すぐに向き直って手を差しだし、ごく当たり前の仕草でユウキ、リツコが降りるのを助ける。
ユウキはローターの巻き起こすダウンウォッシュを煩わしそうに髪を抑えたままシンジの脇まで移動すると、矢張り一瞬、同様の方向に視線を向けた。
リツコは不思議そうに同様の方向に視線を向けてみるが、取り立てて目につくものはなく、首を傾げながら、シンジらに問いかけようとする。
「は〜い、リツコ、元気してた?」
と、声がかけられたのは、その瞬間だった。
「?」
と、初めて気が付いたみたいにして、皆がそちらに視線を向ける。
そこに立っていたのは、勿論、セカンドチルドレン、惣流アスカ・ラングレーだった。背中の半ばまで伸ばした赤い髪の毛。瞳の色は青。先刻までシンジらが見ていた資料に添付されていた写真は、見合いなどに使うそれとは違い、全く修正されていない。確かに、飛び切りの美少女だった。そして、写真以上に気が強そうだった。
アスカは黄色いワンピースに身を包み、シンジらを挑発するような視線を送ってきている。
「久しぶりね。あなた、随分身長も伸びたみたいね」
リツコがアスカの挨拶に応じる。
リツコは技術者交流、技術交換など、ドイツ支部に出向いたことがあり、その時にアスカとは面識を得ている。
「そ」
頷き、アスカは続ける。
「他の所もちゃんと女らしくなっているわよ」
言って、その「女らしくなった他の場所」を強調するように、胸を張る。確かに、中学生離れした乳のでかさである。日向が見たら、血迷うかも知れない。
「おおぉ〜」
と、ケンスケが感嘆の声と共に、ビデオカメラを向ける。ミリタリーも好きだが、女の子も大好きなケンスケである。
「……紹介するわ。惣流アスカ・ラングレー。エヴァンゲリオン弐号機の専属操縦者、セカンドチルドレンよ」
ケンスケの様に顔を顰めつつ、リツコがアスカを紹介する。
それを受けて、アスカは更に胸を張ってみせる。
と。
その瞬間、どうした拍子か、一際強いダウンウォッシュが吹いた。
「おお?」
更にケンスケが身を乗り出す。
その風は、アスカの黄色いワンピースの裾を、盛大にめくり上げていた。へそが見えるほど、豪快に。
「──!」
髪の毛同様、真っ赤に顔を染めたアスカは、スカートを抑えるより先に腕を振り上げ、鋭く打ち下ろした。
肉を打つ音が、連続して4つ、響いた。
「なにすんのや!」
反射的に叫んだのは、頬に真っ赤な手形を付けたトウジである。これまで鬱状態にあったが、暴力を振るわれて黙っていられる性格でもない。また、内心のもやもや、それを吐き出す好機とばかりに、鋭く叫ぶ。
「はん、見物料よ! 安いもんでしょ?」
挑発的な視線を向け、アスカが応じる。
「なんやて〜? そんなもん、こっちも……って、4つ?」
トウジは叫び、そこで初めて、肉を打つ音が4つ響いたことを思い出して顔色を変える。
張られた瞬間、目を閉じてしまった。だから、誰がびんたを張られたか、見ていたわけではない。
しかし、4つとなれば。
トウジの脇では、同様に頬に手形を付け、レンズに皹が入ったカメラを構えたケンスケが、目の幅涙を流して呆然としていた。しかし、トウジ同様に思い当たったらしい。慌てて振り返る。
「……何で自分まで」
面白くなさそうな顔で、青葉シゲルが頬を押さえている。
これで3つ。
では、後一つは?
おそるおそると言った恰好で、ここにいる最後の男、シンジの方に視線をやる。
そして、トウジ、ケンスケは絶望的な表情を浮かべた。
シンジも、矢張り張られたらしい。ちょっと吃驚した表情で、自分の頬を抑えている。
「あ、あかん、もう駄目や」
「な、何よ?」
トウジの様子に首を傾げ、アスカが尋ねてくる。
無知な人間こそ、誰よりも勇猛でいられる。
トウジは、かつてシンジに突っかかっていった自分を都合良く忘却し、そんなことを考えていた。それから、我に返ると、泡を食って叫んだ。
「す、すぐにセンセに謝れ!」
「そ、そうだぞ。命が惜しかったら、すぐに!」
トウジ同様、ケンスケも叫んでいた。
「土下座や、土下座せえ。はよう!」
「そうだ、即座に──って、待てよ? もしかしたら、俺に撮影のチャンスが巡ってくる? なら、それはそれで」
「阿呆な事言うとるな!」
でへへ、と笑い出したケンスケを一喝して、トウジが叫ぶ。
トウジは、必至でシンジに謝罪するよう、アスカに告げる。
いけ好かない女。
これが、トウジの現時点におけるアスカ評である。だが、だからといって、非道い目にあうのを黙ってみていられるほど、トウジは冷酷ではなかった。
「はんっ!」
しかし、トウジの必死の思いは、当のアスカに伝わらなかったようである。鼻で笑われてしまう。
「あんた達、なに訳の解らないこと言ってんのよ──って、何?」
すっと、静かな動きで、アスカの前に移動した人間がいた。
ユウキだ。
トウジが、もうだめや〜と諦観して天を仰ぐ。
ケンスケは、やっぱり、俺が撮影するのかなあ、とだらしなく顔を弛める。
リツコは、まあ仕方ないか、と、即座に次のチルドレンを誰にするか考え始める。
青葉は、興味がない様子だった。
「何よ、あんた?」
何も理解していないアスカが、不審そうに目の前に立ったユウキを見つめる。
ユウキは、常のようににこにこしている。
トウジ、ケンスケの二人が何を言いたいのか。何故、あんなに泡を食っていたのか、アスカは未だ理解できていない。少なくとも、目の前の少女はにこにこと微笑んでおり、友好的に見えた。何らかの身の危険が迫っているようには、感じなかった。
と──
不意に、アスカの視界が回転した。
何がどうなっているのか、全く理解できない。
だが、自分の方に何かが凄い勢いで迫ってきているのは見えていた。
何か。
「ひっ」
その何かは、先刻まで踏みしめていたOTR甲板だった。
それに気が付いたアスカは喉の奥で小さく悲鳴を上げ、反射的に手を着いて、顔から無様に落ちるのだけは避ける。手首や肘に、結構な衝撃が走る。アスカが恵まれた反射神経を持っていなければまともに顔から落ち、鼻か前歯を折っていたかも知れない。それほどの衝撃。
「な、何?」
何がどうなったのか、未だに理解できない。
目の前の女が、自分に何かをした? どうやったかは解らないが、自分は投げられた?
そう考えた瞬間、アスカの頭に血が上る。
即座に噛みつこうと叫びを上げ、身を起こそうとする。
やられたらやり返す。それも、たっぷりと利子を付けて。非常にシンプルな思考。自分を無様にすっころばせたこの女に、報復を。自分が誰に手を出したか、きっちりと教えてやる。ぎったぎたにして──
「むぎゅ」
しかし、背中に乗せられた──おそらくは膝──によって、再びアスカは甲板に平たく貼り付けられてしまう。
「初めまして、惣流アスカ・ラングレーさん」
頭上から、声が降ってくる。その声は、非常にのんびりとしていた。
「あんた、何すんのよ!」
アスカは、首をねじ曲げて頭上から見下ろす女に向け、吼える。
自分は、エヴァンゲリオン弐号機のパイロット。偉大なるセカンドチルドレン。他に並ぶモノの居ない、重要人物。このような扱いは許容できるモノではない。
見下ろしてくる女は、あくまでもにこにこと、友好的にすら見える表情でアスカを見下ろし、言った。
「30秒差し上げますので、懺悔でも、走馬燈を見るのでも、覚悟を決めるのでも、ご自由にお使い下さい」
言って、女の方に向けようと首を曲げたアスカの顔、その側頭部になにやら突きつけてくる。
「何?」
それを視界に捉え、しかし、理解するのに時間がかかった。
聡明であることを自負するアスカ。それなのに、見えているモノが何か、なかなか理解できなかった。
黒光りする、鋼の固まり。それは……拳銃?
「SIGモデルP220? 凄い、凄い、凄すぎる〜!」
場違いにも、眼鏡少年が嬉しそうに叫ぶ声が、遠くから聞こえてきた。
「な?」
アスカは、呆然として、美少女にあるまじき間抜け面をしてしまう。
何がどうなっているのか、状況を理解するのに頭が半分も動いていないような気がした。
重要人物である自分が、殺されようとしている?
全く、理解できない。
自分を見下ろしている女を見上げる。
にこにこと柔らかい微笑みを浮かべ──そこで、気が付く──瞳は、全く笑っていない。
本気で殺すつもりなのか?
本気だ。
自分を?
どうして?
全く、理解できない。
助けを求めるように、周囲を見る。
OTRの人員は、近くにいない。アスカは良くして貰ったが、それでも、これまでの航海で、OTRの人間がネルフを嫌っていることは解った。本来、このネルフのヘリの到着にしたって、提督らが迎えに来るべき場面だが、ほったらかしにされている。他の人間も、遠くにいて、こちらを殆ど無視している。
近くにいるのは、リツコと、リツコが連れてきた人間ばかり。
ジャージの少年は、全てを諦観したかの様に首を振ってみせた。もう駄目だ。諦めろ。まあ、墓に花くらいは供えてやる。──覚えていたら、だが。視線がそう言っていた。
五月蠅い眼鏡の少年は、勿体ないな〜、生かしておいて、俺に撮影をさせてくれたらいいのに、などと呟いている。言っていることの意味は不明だが、止める気はないようだ。
ロンゲの男は、最初から最後まで、こちらのことなど気にしていないように見えた。視線はこちらに向けているが、どこかよそに注意が行っているように見えた。
もう一人、箸にも棒にもかかりそうにない無害に見える少年は、未だ頬に手を当てて、吃驚した表情を浮かべている。使えなさすぎる。
最後の希望、リツコに視線を向ける。
リツコとアスカは面識がある。そうでなくとも、ネルフ本部の科学部主任。EVAパイロット、チルドレンであるアスカがどれほどの重要人物であるか、当然理解しているはずだ。こんな場所で、意味もなく殺される。そんなことを絶対に許容できないはずだ。
だが──
リツコは、小さく肩をすくめ、首を振って見せた。
「私じゃあ、止めようもないわね。アスカ。あなたのことは、なるべく忘れないようにするわ」
それは、別れの言葉、死者への手向けの言葉だった。既に、アスカが殺されることを許容、あるいは諦観している発言。
「な。なんでよ! どういう事よ!」
あまりにもあまりに理不尽な状況に、アスカは吼えた。
「何で私がこんな目にあわなくちゃならないのよ。理由を言いなさいよ!」
「あなたは、シンちゃんに危害を加えました。──万死に値します」
あくまでにこにこと、アスカに銃を向けている女が告げてくる。
「何が危害よ! 高々あの程度のことで、巫山戯るんじゃないわよ!」
勿論それは、アスカに納得できる様な理由ではない。叫び、この女の戒めから逃れようと力を込め様とする。
しかし、何処をどう抑えられているのか、ろくすっぽ力が入らない。見事なまでにアスカは無力化されていた。
「そろそろ、時間ですね」
おっとりと、少女が自身の内腕の腕時計を見て、告げる。
死刑宣告。
しかし、全くそうは聞こえない口調、表情だった。
「ふ、巫山戯るんじゃないわよ! 私はセカンドチルドレンなのよ! EVAのエースパイロットなのよ! あんたみたいな只の人間とは、その価値からして違うのよ!」
体は使えないが、口は動く。だから、アスカは吼える。
しかし、少女は一向に、感銘を受けた風でもなかった。
「それでは、さようなら。惣流アスカ・ラングレーさん」
淡々と、少女が告げてくる。
銃の引き金にかけた指、その関節がゆっくりと白くなっていくのを見ていることが出来ず、アスカはきつく瞳を閉じた。
「待って、ユウキ」
と、そこで、助けが現れた。
「え?」
戸惑ったように、おそるおそる瞳をあけたアスカは、使えないと評した少年が、こちらに向かって歩いてくるのを見つめた。
「待って、ユウキ」
かけられた声に、ユウキは引き金を絞りかけていた指を止める。
「……まあ、シンちゃんが待てと言うならば、待ちますけどね」
言って、アスカの背中から膝をのけると、立ち上がる。
シンジは入れ替わりにアスカのそばにしゃがみ込み、手を差し出す。
アスカは、どこか呆然とした表情で、差し出された手を取る。自分が何をしているのか、良く分かっていないような顔だった。
その顔が、一瞬にして般若のように歪められる。
素早く立ち上がると、ユウキに襲いかかろうとする。体は自由になった。ならば、報復を。そこに、一片の躊躇もない。
が、ユウキは軽やかにステップバックしてアスカの攻撃範囲から離れ、更に、アスカはシンジが掴んだままだった手を引っ張ったため、両者の距離は離れる。
「この、放せ! 放しなさいよ! この糞女を殺してやるんだから! ──×××! ×××!」
興奮し、シンジの手を振り払って、ユウキに襲いかかろうとするアスカ。興奮しきったせいか、日本語からドイツ語にチェンジしている。
しかし、シンジは手を離さない。アスカは、更に振り払おうとするが、果たせない。
「×××!」
叫び、振り返るとシンジの頬に向けて、更に一撃を加えようとする。
邪魔するこいつも、敵だ。
が、あっさりとその手は掴まえられてしまう。
「×××!」
叫び、逃れようとするアスカを抱きしめるようにしてあっさりとシンジが抑える。その辺り、お手の物、余裕綽々だった。
「始末しておいた方が良いんじゃないですか? 生かしておいてもろくに使えそうにないですよ?」
その狂乱の様に、僅かに顔を顰め、ユウキが告げる。
しかし、シンジは首を振って、言った。
「僕、この子が気に入ったよ。不意を付かれたとは言え、僕に一撃入れたわけだし、その後の気っぷのよさ。──うん、良いよ。凄く、良い」
「そうですか?」
単に、何も理解していなかっただけなのでは?、と首を傾げるユウキ。
「うん」
しかし、シンジは頷き、その場にいた誰もが思いもしなかったことを言った。
「だから、この子を僕の妻にしようかと思うんだけど」
「は?」
ユウキのみならず、その場にいた人間の全てが、戸惑いの声をあげた。
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