#82 大人達のあの儀式


 シンジの爆弾発言。
 それによって、まるでゲイツ社自慢のOSのようにフリーズした一行の中で、最初に再起動を果たしたのは、惣流アスカ・ラングレーだった。
「あんたバカ? いきなり何を言い出すのよ」
 言葉通り、きっぱりとバカに仕切った声で、告げる。
 只でさえ、一般的に中学生くらいの男女では、精神的、肉体的な成熟は女の方が早い。更にアスカは、14才にして大学を卒業した才女である。それだけに、同年代の少年は、全て馬鹿に見える。
 その馬鹿の中でも、いきなり自分に求婚してきたこいつは、飛び切りの馬鹿だ。
 そう、結論する。
 とびっきりに馬鹿にした目で、そいつを睨み付けてやるが、当の本人は、気付いているのか居ないのか、平然とした顔で、口を開いた。
「そうだね。考えてみれば、僕はまだ14才だし、法律的に結婚は許されていないんだよね。──法律なんて、ろくに守ったことないから、すっかり忘れていたよ」
 あはははと、気楽に笑う。
 少々不穏当な発言があったがアスカは無視し、それよりも重要なことを思い出していた。
 今の恰好である。
 あの糞女──ユウキのことである──に報復を、と飛びかかろうとした所で、件の少年によって戒められている。
 言い換えれば、抱きしめられている。
「あんた、いつまで人のこと抱きしめているのよ」
 助平な場所に触られているわけではないが、だからといって、抱きしめられていることを許容することは出来ない。
 至近距離から、肘を打ち込んでやろうとする。
 これまで、厳しい訓練に耐えた、自称、EVAのエースパイロットのアスカである。生身を使った格闘訓練だって受けてきているし、その戦闘能力は高い。同年代の、それも、こんな呑気そうな顔をしている奴を叩き伏せることなど、容易いこと。そのはずだった。
 しかし、アスカの攻撃はあっさりといなされていた。それこそ、問題ともならないあっさりさ、当人は、攻撃を防いだという認識すらなさそうな様で。
「──!」
 僅かに驚き、次の瞬間には気持ちを切り替える。
 アスカは、非常に好戦的な性格の持ち主である。当初の目的なんて、既にどうでもいい。只、重要なのは自分の攻撃がかわされたこと。
 かわされた、ならどうする? 
 勿論、更なる攻撃を加え、確実に殲滅する。
 非常に簡単に、こうした結論が出るくらい、好戦的である。
「このぉ!」
 と、抱きしめられたままでも比較的自由になる足を振り回し、男の急所を狙う。その痛みを、女性は絶対に理解することは出来ないから、無慈悲なまでに遠慮のない攻撃である。女性は、彼方に存在するから、彼女と書く。確かに、男とは絶対に分かり合えない部分が存在することは確実だ。
 しかし、それもかわされた。
「な、なんなのよ、こいつ」
 自身の高い戦闘能力に自身があっただけに、まるで子供扱い、と言うよりも、全く相手にされていないと言う状況に、アスカは混乱する。
 一方、その混乱など一顧だにせず、少年は平然と告げた。
「まあ、結婚は兎も角、その約束だけでも──まあ、婚約って所かな?」
「勝手に話を進めるな!」
 吼える。
 が、少年はやっぱり気にしなかった。
「と言うわけで、誓いのキスを」
 勝手に話を進めていく。
「や、やめなさ──むぐ」
 アスカは必死で抵抗しようとするが、それすら問題にならず、あっさりと唇を奪われてしまう。
「ふむっ! ふむっ!」
 どころか、少年の舌は、アスカの口の中を好き勝手に蹂躙する。
「お、大人のキスや」
「凄い、凄い、凄すぎる〜!」
 と、他二人の少年からの、無責任な声が聞こえる。
「ふむむむっ!」
 必死で抵抗するアスカ。逃れようと暴れ、足や腕を振り回そうとするが、少年は矢張り全く問題にせず、見事なまでの巧妙さで、アスカを抱きしめて放さない。対して力を込めているようにも見えないのに、アスカの抵抗など、何処吹く風だ。──どころか、無遠慮な手が、アスカの体をまさぐり始めている。
「むむむむ!」
 貞操のピンチ。
 ますます必死になるアスカ。
 しかし、やっぱりそれは無駄なあがきで。
 そして、アスカの想像以上に、少年は熟練で、手練れで、巧妙だった。


 くたっと、体の力が抜けきったアスカを抱え、シンジは唇を放す。
 アスカの方は息も絶え絶え──とは言え、暴れて疲れたから、と言うだけではなく、瞳にピンクの靄がかかっているような恰好である。熱い呼気を漏らし、たまに、ぴくり、ぴくりと体が痙攣していたりする。
「凄い、これがシンジさんの実力!?」
 ケンスケが、驚き、羨望の声をあげる。色々経験して、かなり大人になったつもりのケンスケ。しかし、上には上が存在することを知る。自分は、ようやく大人へと至る道の、入り口にたどり着いただけだと悟る。
「凄いわね」
 リツコも半ば呆れ、そして残りの半分は感心した口調で呟く。自分も、同様の攻めをシンジにされたことがあるわけだが、客観的に眺めると、これは本当に凄いと感嘆してしまう。同時に、顔が赤くなるのを隠せない。年の割に経験が乏しく、意外に初なリツコである。
 シンジは、周りの賞賛(?)の視線を意に介さず、言った。
「田茂地」
「ひいふう」
 ぎょっとして、リツコが飛び退く。
 本当にいつの間にか、田茂地がリツコの隣に立っていた。いつものようにくたびれた表情、くたびれた恰好、額の汗を拭っている。
「た、田茂地さん?」
 輸送ヘリには乗っていなかったはずである。こんな場所に、いるはずがない人間である。
 なのに、田茂地は平然として、ここにいた。
「あなた、一体どうやってここに?」
 リツコの疑問は当然のこと。
「内緒、でございます。……ひいふう」
 田茂地はリツコの疑問には答えず、シンジの方を向いて、一礼した。
「あちらの方に、準備ができおりますです、はい。……ひいふう」
 田茂地が示したのは、リツコらの利用したネルフのヘリ。その客室に布団が敷かれ──確かに、準備が完了していた。
 これまた何時の間に、と愕然とするリツコであるが、シンジはやっぱり気にしない。
「ご苦労様、田茂地」 
 と平然とねぎらうと、アスカをお姫様だっこする。両者の身長は殆ど変わらず、どころか、アスカの方が微妙に高い位なのに、その重量を全く問題としない飄々とした足取りで、そちらの方へ進み始める。
「や、やめなさいよ」
 シンジの腕の中で、アスカが力無い声をあげる。どうにも、手足に力が入らないらしいらしい。
「照れることないよ。大丈夫、優しくするから」
 ちっともアスカの内心など理解していない声でシンジは答え、ヘリの中に踏み居ると、呆然としている一行の前で扉を閉める。
 すぐに、ヘリは激しく揺れ始めた。


 そんなに激しく揺れて、いろいろな意味で壊れてしまわないだろうか、と、呆然とヘリを見つめていたリツコは再起動した。
 ようやく、自分たちが何をしにここへ、OTRへ来たのかを思い出したのだ。
 表向き、弐号機専属パイロットと、EVA弐号機の受け取り。
 勿論、国連軍のネルフへの悪感情から、果たせるとは欠片も思えない。
 だが、それは表向きの事情で、別段果たせなくとも構わない。いずれ、放っておいても横須賀に着く。着けば、どちらもネルフの管轄になるのだから。
 本当の事情は、襲来を予測されている第6使徒への備えと、欧州ゼーレ組の送り込んだ謎の──ちっとも謎じゃないかも知れないエージェント、『灰』の様子見だ。
 そして、どちらにせよ、まずはOTRの責任者に面会して、着艦許可その他の交渉をしなければならない。
 本来ならば、着艦直後、提督らの出迎えがあって行われるはずの儀式であるが、嫌われ者のネルフと言うことで、完全に捨て置かれた状況。こちらから艦橋に尋ねて行くしかないだろう。
 本来なら──例えばミサト辺りならば、人のことを馬鹿にして、と、頭に血を上らせているところだ。リツコは、もう少し冷静だ。ネルフがどういう視線で見られているか、それを客観的に見ることの出来る、冷静さを持っている。いや、シンジに取り込まれ、一度外からネルフを見ることによって持ち得たと言うべきか、兎に角、完全に納得はしないまでも、理解はしている。
 そして、この場合、これは幸いだったと、揺れ続けるヘリを見て安堵する。
 下手をしたら、とんでもないことになっていたかも知れないのだ。いくら何でも、一連の騒ぎは、常識的な人間であれば、眉をひそめる類のモノだろう。
 いや、周りからは丸見えなので、既にとんでもないことになっているかも知れないが。
 兎に角、都合の悪いことはひとまず忘れ──そして、もう一つ、非常に、ある意味、提督の機嫌などよりは更に都合の悪いことを思い出してしまった。
 リツコは、一つ唾を飲み込むと、ゆっくりとユウキの様子をうかがった。
「? 何ですか?」
 にこやかに、常と変わらぬ微笑みが、リツコを見返した。
「──?」
 若干の不審。どうして、この子は平然としているのだろうか。そんな疑問が頭をよぎる。シンジに、一番近しい女性は、間違いなくユウキである。それを捨て置いて、アスカへの求婚。猛り狂ってもおかしくない。自分がユウキの立場だったら、マギに命じて本部ごとの無理心中を図るかも知れない。──もしかしたら、自分は非常にイタイ女だろうか?、と愕然とするも、それは兎も角。
 なのに、ユウキは平然と──少なくともリツコの目には、平然としているように見えた。
 常と全く変わらぬように見える微笑。
 ほっと、安堵の息を零す。その方が、都合が良いことは確か。下手にユウキが荒れたりしたら、リツコには抑えられないだろう。
「何時までも、ここにいるわけには行かないわ。兎に角、責任者に挨拶に行かないといけないのだけど……」
 と、視線で揺れ続けるヘリを示す。
「そうですね」
 ユウキは静かに頷いた。
「まあ、シンちゃんのことは、取りあえず放っておきましょう。終わるまで待っていたら、いつまで経っても挨拶に行けませんし。──田茂地さん」
「何でございましょうか……ひいふう」
 田茂地が、汗を拭いつつ、ユウキの方に来る。
「シンちゃんの方のガードを頼みますね」
 ちらと、ほんの一瞬だけ、視線を動かす。先刻、ヘリから降り立ったときに、青葉を初めとして、シンジ、ユウキが気にした方角である。
 何かあるのか、とそちらを注視しようとするが、リツコは思い直って、その衝動を抑える。リツコの行動は既にバレバレかも知れないが、それにしても、わざわざそちらに注目していると教えるモノではないと、思い直したのだ。その三人が一瞬でも注目したというならば、そこには何かが居る──あるいは、あるのは確実と思えたから。そして、ユウキらが露骨な関心を示していない以上、気が付かない振りをした方が良いだろうと判断する。
「わかりました……ひいふう」
 田茂地が、頷く。その細い目も、一瞬、ほんの一瞬だけ、同様の方向に向けられたように、リツコには感じられた。
「青葉さんは、私たちの方のガードをお願いします」
「わかりました!」
 きびきびと、青葉が応じる。
 それから、ユウキはトウジ、ケンスケの方を見る。
 トウジは、こちらの方に注目している。
 ケンスケは、よだれを垂らしそうな表情で、揺れるヘリを見つめている。
「お二人も、私に着いてきて下さい。ず〜〜〜っと見ているのは、趣味の良いことではありませんよ」
「ほら、ケンスケ、ユウキさんもああ言っとるやろ? 早うせい」
「……」
 未だ、興味津々な顔のケンスケの首っ玉を掴まえて、トウジが無理矢理に引っ張ってくる。
「さて、それでは、参りましょうか?」
 ユウキが宣言して歩き始める。
 リツコはその背中に続きながら、もう一度、そっと安堵のため息を零していた。
 何はともあれ、ユウキが問題だと感じていないのであれば、それは幸いだ。
 おかしな騒動は、ご免被りたい。
 どう考えても、シンジとユウキの間に亀裂が入るのは、避けた方が良い事柄だったから。


 しかし、それはリツコが気が付かなかっただけの事。
 その事にリツコが気が付くのは、もう少し先の話になる。

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