#83 嘘と沈黙


 OTRの艦載機の影から様子をうかがっていた男が、本格的に体を隠し、無精ひげの生えた顎を撫で回した。
「いやはや……完璧に俺がここから見ていたことがばれているな」
 途轍もなく面白いことを見つけたみたいに、笑う。
「シンジ君に、あの女の子に──ロンゲは「ギターを持った渡り鳥」か? 最後のおっさんは、ゴミ処理係の田茂地。意外なほどに、人材が充実しているな」
 碇組は小さい。極東の小さな島国、その中の、更に小さな組織でしかない。
 しかし、青葉、田茂地は世界的に知られた、一流どころと言っても差し支えのない人材。更に、今のところ「ムテキの後継者」としてしか知られていないとは言え、シンジの能力も、これで一流と知れる。そして、もう一人の女の子も。
 欧州を中心に、世界を支配していると自負する欧州ゼーレ組でも、あれだけの能力を持つ人材は少ない。小さい組には、勿体ないほどの人材。
 とは言え、男にとって、それは脅威とは感じられない。
 何しろ、自分の力に自負があった。自信があった。
 それは、決して過信ではない。自分をどうこうしようと思うのならば、エヴァンゲリオンを使いでもしない限り、傷一つ与えることは出来ないと、理解している。
「いや、油断は禁物だな」
 それでも、気持ちを引き締める。
「あの国には、碇ムテキが居る。シンジ君も、その正統な後継者と目されているくらいだしな」
 と言い直すが、それでも矢張り、男の態度、口調には余裕があった。
「しかし──」
 男は、再び物陰に隠れたまま、視線をネルフのヘリに向ける。
 ヘリは、未だに揺れ続けている。
「なかなか、面白いことになってきたみたいだな」
 にやにやとした笑いを浮かべ、言葉通りに面白そうに呟く。
 惣流アスカ・ラングレーが、自分に好意を持っていたのは承知している。アスカは明け透けで積極的だったから、解らない方がどうかしている。それが、本当の恋心かと問われれば微妙だが、好意を持っていた、これだけは間違いない。
 そのアスカが、自分の意志から外れたところで、あのような事になっている。
 だが、男はおかしそうに笑うだけだった。野次馬的な興味、それから、一歩も外に出ていない。
 男は基本的に女好きだが、アスカは彼の守備範囲の外にいたから。年齢的な事情が一点。どうしたって、この男からすれば、アスカは子供でしかない。また、もう一つ、子供にしてはなかなか成長著しい胸の持ち主だが、それでもまだ小さい。やはり、胸は西瓜のように大きくなくてはいけない。男はそう信じて疑わない。多分、ネルフのトップオペレーター、日向辺りとは意見が合うだろう。
 だから、正直に言ってしまえば、アスカがどうなろうが、男は構わない。いや、一応随伴、護衛の名目で着いてきているわけだから、問題があるかも知れないが──要は面白ければいいのである。
 この辺り、能力は一流ながら問題視されている部分であるが、それでも男は気にしない。スポンサーの意向には、なるべく沿うようにしようと思うが、矢張り、面白いのが一番なのだ。
「はてさて、それじゃあ、俺も挨拶に行くかな」
 男は呟き、上機嫌な、尻尾頭が揺れるような歩き方で、艦橋を目指した。


 艦橋では、不機嫌一杯の表情で、提督がお出迎えをしてくれた。
「おやおや、ボーイスカウト引率のお姉さんかと思ったが……ワシには、何と表現して良いか解らないよ」
 流石に、シンジがヘリの中で何をしているか、バレバレらしい。見通しのいい甲板の上で、隠すところ無く行われたのだから当たり前の話であるが。
 それでも、ばれていないで欲しい。などと都合の良いことを期待していたリツコは、顔を微妙に引きつらせてしまう。
 太平洋艦隊と、友好な関係を築く。
 これが、わざわざ出張って来た目的の一つ。なのに、最初の最初から、躓いてしまった。無論、ネルフは元々嫌われているから、友好的な歓迎を受けるなどと楽観的な事は考えていなかったが、これは、想像以上に拙い。拙すぎだ。一応、幾通りかの対応パターンを考えてきたが、そのどれとも違う状況。何と言って言い訳したらいいのか、思いつきもしない。こんな状況は、全く想定外、欠片も予想できなかった。出来るわけがないではないか。
「申し訳ありません」
 口ごもってしまったリツコに代わり、ユウキが前に出て口を開いた。綺麗とは言い難いが、英語である。
 自分と青葉くらいしか英語をしゃべれないだろうと思っていたリツコは僅かに驚き──それから、ユウキのプロフィールを思い出して、納得する。ユウキは、名門中学、天才学園に通っていたのだ。それなりの、高等教育を受けてきているのだ。英語をしゃべれたとしても、それほど驚くことではないと思い直す。実際、頭は悪くない事を、これまでに何度も証明して見せているし。
 ユウキは、殊勝に聞こえる口調で、更に続ける。
「あの二人は、ずいぶん長いこと、遠く離れていた、婚約者同士なんです。確かに、アレは誉められたことではありませんが、あの二人は最前線で戦う兵士なんです。何時命を落とすか解りません。……少々の脱線は、ご容赦いただけないでしょうか?」
 リツコは呆れ返り、それでも表情には出さずに、ユウキを見つめた。全くもって頭がいいと呆れてしまいそうになる。──もう少し、まともなことに頭を使えばいいのに、とも同時に思ってしまう。
 呆れたことに、ユウキは一言も嘘を言っていない。
 確かに、二人はずいぶん長いこと、遠く離れていた。ドイツと日本、これまで一度も出会ったことがない。そう、本当にずいぶん長いことだ。
 そして、婚約者同士と言うのも、嘘ではない。シンジの一方的な決めつけであるが──形式や書類など、何とでもなるし、するだろう。いくらアスカが否定したところで──
 アスカとシンジ君じゃあ、役者が違うわね。
 と、リツコは内心で呟く。
 そう、いくらアスカが否定しても、シンジは簡単にいなしてしまうだろう。確信を持って断言できる。
 つまり、ユウキは一言も嘘を言っていないのだ。遠く離れていた。そして、婚約者同士。どちらも本当のこと。
 何時婚約者になったのか。その辺りを説明しなかっただけのこと。沈黙と嘘は違うのだ。
 ユウキのこの言い方では、ずっと前から婚約者だったように聞こえるかも知れない。だが、それは相手が勝手に誤解したことで、知ったことではない。確認しないで誤解した方が悪いのである。例えば、営業マン辺りに聞いてみれば、この考えを支持するだろう。
「……む」
 提督は、口ごもった。
 出会う前のプロファイリングでは、提督は至極真っ当な人間だと判断されていた。内心、少年兵を最前線で戦わせることに忸怩たる思いを抱いている、と言うことも、幾つかの証言から判明している。
「それにしてもだな」
「はい、おしかりはもっともだと思います。本当に、申し訳ありません」
 皆まで言わせず、素早く、しかし殊勝にユウキが謝罪する。
「……む」
 再び、提督は口ごもってしまう。
 ユウキが如何に物騒な女の子であるか。
 リツコは、当然知っている。しかし、提督は知らない。
 知らないでユウキを見れば、普通の女の子にしか見えない。その女の子が、申し訳ないという顔で、素直に謝罪している。それに、更なる文句を言うのは、自分が悪者の様に感じてしまったとしても、不思議ではない。
「まあ、いい」
 提督は、今ひとつ納得行かないモノの、その話題を収めるという合図を送ってきた。
「ありがとうございます」
 にっこりと、ユウキが魅力的な笑顔を浮かべてみせる。
 大したもんだわ。 
 と、リツコは感心してしまう。ユウキがその気になれば、世の男性諸子を、その手のひらで転がしてのけるだろう。それも、口先と表情だけで。ある意味、シンジ以上に危険な女の子かも知れない。
 全く、対したモノだわ。
 と、リツコは誰にも気付かれないように、そっとため息を零した。


「このたびは、EVA弐号機の輸送援助、ありがとうございます。こちらが非常用ソケットの仕様書です」
 頃合いと見て、リツコは事務的な会話を始める。
「ふん、だいたい、この海の上であの人形を動かす要請など、聞いちゃおらんぞ」
 リツコの差し出した仕様書を受け取ったモノの、提督は不機嫌に応じてくる。ユウキ相手には兎も角、リツコ相手に文句を言う分には、全く問題と感じないらしい。
「万が一の事態に対する備え、と、理解していただけませんか?」
「何時から我々国連軍は宅配屋に転業したのかな?」
「某組織が結成された後、だと記憶しておりますが」
「玩具一つ運ぶのに、たいそうな護衛だよ。太平洋艦隊、勢揃いだからな」
「ソケットを運んできたわけは、実は気になる情報が入ってきたためです」
 再び、ユウキが口を挟む。
 副長に話しかけ、嫌みを言っていた提督が、どこか微妙な表情になる。
「何かね?」
「輸送中の弐号機を、使徒が襲来するという、情報です」
「は?」
 提督は、ますます微妙な表情になる。
「確か、私の記憶では、使徒は正体不明──その発生方法については、全く解っていないと聞きましたが?」
 副長が、首を傾げる。
「ワシらが、お味噌にされているとは言え、それくらいは承知して居るぞ?」
 からかおうというのであれば、さすがに承知せんぞ。
 そんな視線で、ユウキを見る。
 歴戦の強者の睨み。おそらく、彼の部下がこの視線を向けられたら、恐縮し、緊張するだろう。
 しかし、ユウキは一向に堪えた風でもない。シンジ同様、強面に囲まれて暮らしてきたから、免疫が出来てしまっているようだ。
「使徒との戦闘も、人同士の争いと違わず、様々な思惑が絡み合っているのです。人類滅亡の危機に、馬鹿らしいこと、と思われるかも知れませんが。──もっとも、ネルフにそれを言う資格はありませんですね」
「ネルフに関しては同意する。──しかし、どう言うことだね? 良く理解できるように、説明して欲しいものだが」
 提督は、目を細め、誤魔化しは絶対に許さないと言う表情で尋ねてくる。
 ユウキは、視線を逸らすことなく真っ直ぐに見つめ、言った。
「これは、未確認の情報ですが、使徒襲来を予言した書物が、存在するそうです。──多くは秘匿され、我々も全てを承知しているわけではありませんが、その中に、次の使徒についての記述があったそうです。その名前、その襲来スケジュールについて」
「予言?」
 提督は、盛大に顔を顰めた。勘弁してくれ。そう言う表情だ。
「眉唾だとは、私も思います。しかし、これまでの所、その予言の記述に、おおむね沿う形で事態は推移しているようです。──ですから、ソケットの配達、私たちの派遣は、その備え、と言うわけです」
「……海の上は、我々の管轄だ」
 提督が、これだけは絶対に譲れないとの決意を秘めた言葉を返してくる。相変わらず、予言云々に関しては、信じがたい、そんな表情である。
「こちらの赤木博士は、ネルフの技術部主任。戦闘指揮に関しては、素人です。提督の領分を侵すつもりはありません。我々は、あくまで、アドバイザーです。技術的な分野から、助言をする。それは、許可していただけないでしょうか?」
「……むむ」
 提督は、難しい顔をして黙り込む。
 本来ならば、それも邪魔だと突っぱねたい。
 きっぱり、提督の中ではネルフは敵──あるいは、それに近い位置に存在する。その助言を受ける。許容しがたい。
 だが、それを言うのはあまりにも大人げない。
 いや、相手がリツコであれば、嫌みの一つも言うところだが、今現在、提督の相手をしているのは、年端もいかないような少女。──特に、東洋人は年齢よりも若く見えるモノで……提督には、ユウキは全くの子供にしか見えない。それに、嫌みをぶつけるのは、あまりに大人げない行為に思えてしまう。
「それと、こちらを──」
 ユウキは青葉に視線で指示を出す。
 青葉は、アタッシュケースを開くと、中から書類をとりだした。入っているのは、鉄板ばかりではなかったのだ。
「……何かね?」
 分厚いレポート用紙の束と、薄いレポート用紙の束を受け取り、提督は首を傾げつつ、ユウキに尋ねる。
「これまでの、使徒との戦闘の記録、そして、使徒について現時点で判明している事に付いてのレポートです」
「え?」
 と、驚いたのは、リツコである。
 そちらを視線で制し、ユウキは続けた。
「分厚い方は、詳細なモノを。もう一方は、当面、使徒との戦闘に必要不可欠と思われる部分の抜粋です。UN軍、戦自がどのような攻撃をして、何故、それが通じなかったのか──薄い方だけでも、早い内に目を通しておいていただけますか?」
「……どう言うことかね?」
 提督は、用心深い視線で、ユウキを見る。単純に好意と受け入れるには、ネルフは胡散臭すぎる。そう言う視線。
「なにが、でしょうか?」
「ネルフと言えば、特務機関であることを良いことに、全く、情報を外に出そうとしないことで有名だ。それが、いきなりどういう、方針変更かね?」
「……これまでの3度の戦闘で、ネルフ内は、揺れ動いています」
 揺れ動かした張本人の片割れが、人事のように言う。
「これまで通り、情報を出すことを良しとしない司令部と、他の組織との共闘を主張する下と。──私はまだ死にたくありませんので、勝手に情報をお渡しすることにしました」
「……」
「まあ、誉められたことではありませんし、組織としてもでたらめな話ですが──ネルフは、元々出鱈目な組織ですから」
「出鱈目、と言う部分には同意するが……」
 提督は、不明瞭な声で頷いた。正規に提出された書類ではないと言う部分に、問題を感じている。提督は、提督──つまり、この艦隊のトップである。それだけに、部下の勝手な振る舞いは、許容しがたい。それが、他組織と言えども。──とは言え、詳細な使徒との戦闘データ、それが、どれほど有効か、理解できないわけでもない。これから、使徒との戦闘をするという可能性があるというのならば、尚更だ。敵を知ること、それは重要なことだ。
 ユウキが、その提督の内心に気が付いているように、言う。
「提督ほどのお方であれば、情報も無しに敵と戦うことが、如何に危険なことであるか、十分に承知しておられると思います。今回、この艦隊を使徒が襲うという可能性がある以上、危険は少しでも減らしておきたいのです。何しろ、私の命にも関わってきますから」
 それに、とユウキは続ける。
「詳細なレポートの方に、何故、トップの意向を無視する形で動いているか、その理由についても、説明してあります。──色々、問題に感じていらっしゃるとは思いますが、是非、目を通して頂きたいのですが」
「……取りあえず、目は通しておこう。だが、全てを信じるとは思わないで欲しいな」
 特に、予言云々は眉唾過ぎると、用心深く、提督が応じる。
「はい、今は、それで充分です」
 ユウキはにっこりと、魅力的な笑顔を提督に向けた。

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