#84 婚約指輪
微笑み一つでにこやかな雰囲気を作り出したユウキ。
更に提督と話をしようとしたとき、軽い声が背後からかけられた。
「よ、リッちゃん、相変わらずりりしいな」
軽く手を振ってくる男に、呼ばれたリツコは、表情を消そうとして失敗し、どうにも微妙な表情を浮かべてしまう。
男の名前は、加持リョウジ。──シンジらの言葉を信じるのならば、欧州ゼーレ組の切り札と言われる男、「灰」。いや、シンジらの言葉を疑う理由もないので、加持は間違いなく欧州ゼーレ組と繋がりがある。
どう対応すべきか?
リツコには、前もって考えておく時間があった。
そして、表向きこれまで通り対応すればいいと判断していた。
どのみち、自分にはシンジやユウキのような腹芸は不可能。ミサトよりはましだと自負しているが、一流のエージェントをごまかせるとは、とても思えない。また、加持を排除しようと考えたところで、自分に出来ることはない。ならば、あくまで自然に対応すべきだ。それで問題があるならば、シンジらが指摘してくるだろう。その様に考えた。
が、いざ、正面から顔を会わせると、「普通」の状態を取り繕うのは、非常に難しかった。
そのせいで、微妙な表情になってしまう。
これは、困った。
何と言って話しかければいいのか。
出だしでとちったせいで、混乱してしまう。
だが、横から助け船が出た。
「加持君。君をブリッジに招待した覚えはないぞ」
提督が、不機嫌な声を加持にかけてきたのだ。
加持の注意は、自然、そちらに移る。
その間にそっとため息を付き、体勢を整えるリツコ。
「それは失礼」
加持は、提督の言葉に全く悪びれず、軽い調子で謝罪ともならないような謝罪をする。
それから、リツコらに向き直り、気楽な調子で話しかけてきた。
「どうせ、横須賀に着くまで暇だろ? 俺が艦内を案内してやるよ」
「ありがとうございます」
ユウキが、リツコに代わって礼を言う。
加持は、そちらの方に、どこか、値踏みをするような視線を向ける。
「君は?」
「加賀ユウキと言います」
「そうか、俺は加持リョウジ。アスカの随伴だ。よろしくな」
にこにこと、表面だけ見れば、両者とも微笑んでいた。
しかし、なんだか周囲の温度が下がったように感じたリツコである。
「──所で、葛城の奴はどうしたんだ?」
ユウキとの笑い合いをひとまず収め、加持が尋ねてくる。
リツコは、内心で顔を顰めた。
加持とミサトが、かつてつきあっていたことは、リツコも知っている。そして、どうやらまだ未練があるようだと、知れる。
それだけに、言いづらい。
あなたの大好きなミサトは、シンジ君に無理矢理泡のお風呂に沈められたわ。
などと、言えるわけがない。
普通の人でももちろんのこと、この加持は、ゼーレのエージェント。ますます、洒落にならない。
「葛城さんは、現在特命を受けて、某所に出向中です」
困ってしまったリツコに代わり、あくまでにこやかにユウキが答える。
やましい事なんて欠片もありませんよ、と、見事なまでに平然と。
「そうか」
加持は、不明瞭ながらも頷いた。
作戦部長の出向。一体何処へ。
そんな疑問が脳裏に浮かんでいるだろうが、それ以上、尋ねる事は辞めたようだ。その出向があまりに長ければ、いずれ自分で調べ出す事にするつもりだろう。そして、事情を知ったらどうなるか?
リツコは取りあえず、その事はそうなった後に考えることにした。
「まあ、それは兎も角、食堂にでも行くかい?」
案内するぜ。
と、告げる加持に、ユウキは視線をブリッジの窓の外に移した後、首を振った。
「まずは、シンちゃんと合流を。──取りあえず、終わったみたいですし」
ユウキの言葉通り、甲板のヘリの揺れはおさまっていた。
ヘリの扉を開けて外に出ると、シンジは大きく伸びをした。
非常にすっきりした、すがすがしい表情である。
その背後では──
「うう……加持さん、私、汚れちゃったよ」
などと嗚咽を漏らす少女が居たりする。
シンジは、その呟きに首を傾げ、言った。
「アスカは、綺麗だったよ。何処も汚れちゃいなかったし」
「あんたに汚されたのよ!」
かちんときたのか、持ち前の勝ち気な性格のせいか、アスカが体を起こして叫ぶ。
「ちゃんと、後始末もしたじゃないか」
シンジが、不思議そうに尋ねる。
「そう言う事じゃない! だいたい……その、……」
ごにょとごにょと、言葉を捜し、勝手に真っ赤になる。
「……子供が出来たらどうするつもりよ」
どうやら、シンジはその辺りに気を使わなかったらしい。
シンジは、僅かに考え、言った。
「男の子だったらシンゾウ、女の子だったらイチで……」
「名前の話じゃない!」
「じゃあ、何が問題なの?」
シンジは、本当に不思議そうに首を傾げた。
「あんたねえ……」
物騒な視線でシンジを睨み付け、アスカは唸るように告げる。
あくまで首を傾げているシンジ。
そこへ、すっと田茂地が近づいた。
「シンジおぼっちゃま。彼女は、照れているのでございますよ……ひいふう」
「ああ、成る程」
シンジは納得がいったとばかりに一つ手を打って、頷く。
「違う!」
噛み合っていない会話に苛立ちながら、アスカが叫ぶ。
しかし、シンジはあくまでマイペースで、田茂地と話をしている。
「シンジおぼっちゃま、こちらを……ひいふう」
「へ〜、さすがは田茂地、準備が良いねえ」
「執事ですから……ひいふう」
などというやりとりの後、シンジはアスカに向き直った。
文句を言おうと口を開きかけたアスカだが、シンジが自分の方に歩み寄ってくるのを見て、顔色を変える。
まさか、また?
そんな顔で、慌て、背後に下がるが、即座にヘリの壁に当たってしまい、それ以上の後退は不可能となってしまう。
「来るんじゃないわよ! 殺すわよ!」
と叫ぶが、シンジは一向に感銘を受けた風でもなく、あっさりとアスカに近づいていく。
「──このぉ!」
右手を振り上げるアスカ。
思い切り、手加減無用で、平手をシンジに叩きつけようとする。
が、シンジはあっさりと、その手を掴まえてしまう。
「放しなさいよ!」
捕まれた右腕を解放させようとするが、シンジは掴まえたまま、放さない。アスカが渾身の力を込めても、びくともしない。
「ええと、こっちじゃないか」
「人の話を聞け〜!」
アスカは、今度は、まだ自由な左手を振り上げた。
が、やっぱり、あっさりと掴まえられてしまう。
「なんでよ」
アスカは、自分の能力に自身があった。同年代の男など、軽く叩き伏せる事が可能。そう信じて疑わなかった。しかし、シンジにまるで通じない現実。信じられないと、パニックに陥りかける。
「ああ、こっちこっち」
また、先刻同様に、犯されてしまうのか。
両手を封じられ、抵抗しようにも、出来ない。出来たとしても、相手にもならない。絶体絶命の状況。
アスカは硬く目を閉じる。
が、シンジはアスカの右手を放り出すと、左手を掴まえ、その指に何かをはめた。そして、左手も解放する。
「──え?」
硬くしていた身を弛め、アスカは自分の左手に──左手薬指にはめられたモノを見つめた。
「婚約指輪。──ほら、僕とお揃いだよ。気に入った?」
「え?」
シンジが、矢張り左手薬指にはめた指輪を見せてくる。
アスカは、そちらを見た後、再び自分の左手薬指を見る。
シンプルな、銀色の指輪。
「じょ、冗談じゃないわよ! 何勝手に話を進めているのよ!」
アスカは吼え、即座に指輪を外そうとする。
が。
「お待ち下さいませ……ひいふう」
何時の間に移動したのか、アスカの近くに来ていた田茂地が、その動きを止める。
「何邪魔すんのよ!」
田茂地にも、噛みつくように吼えるアスカ。
だが、田茂地もまた、一向に感銘を受けた風でもなく、あっさりとした口調で告げた。
「お気をつけ下さいませ……ひいふう。その指輪には、他爆装置が仕込まれております……ひいふう」
「……?」
アスカは、言われた言葉を吟味するように、沈黙した。
元々、ドイツで暮らしてきたアスカである。その日本語が頭に入り、意味を理解するまで、若干の時間を必要とした。いや、日本人にだって、一般的ではない言葉だ。
「……他爆装置?」
ぼんやりと、田茂地の言った言葉を繰り返す。
「はい、他爆装置でございます……ひいふう」
田茂地は、頬の汗を拭い、続けた。
「自爆装置の、他人版、と言うところですね……ひいふう」
「ど、どどどどどういう事よ」
アスカはようやく理解し、どもりつつ尋ねた。
他爆装置というのは聞き慣れないし、おまけに表現上正しいのか理解できないが、一つだけ、はっきりと解ったことがあった。この指輪は爆発物である。そう言う言われたのだと。
「はい、例えば、指輪を外したときに爆発するようになっている、そう言うことでございます……ひいふう」
田茂地は、あっさりと、言った。
「その他、指輪は対になっておりまして、シンジおぼっちゃまの心臓が停止したときにも、爆発するようになっております……ひいふう」
「へえ、死が二人を分かつまで、ってこと?」
感心したように、シンジが口を挟む。
「そうでございます、……ひいふう。ただ、その仕様は、アスカ様の方だけで、シンジおぼっちゃまの方には発信器しか付いておりませんが……ひいふう」
「なんだか、ロマンティックだねえ」
シンジが頷く。
「そんな一方的なのの何処が、ロマンティックだ!」
アスカが更に吼えるが、二人は耳がないような顔で、無視をした。
「更に、でございます、……ひいふう」
「更に、って、まだなんかあるの?」
「はい、矢張り、夫婦たるもの、共に過ごしてこその夫婦でございます……ひいふう」
「誰が夫婦よ!」
アスカのもっともな叫びは、またもや無視された。
「──と言うわけで、シンジおぼっちゃまとアスカ様が、ある一定以上の距離を離れた場合……ひいふう」
「ま、まさか?」
「はい、ぼかんでございます、……ひいふう」
上向きにした手のひらをぱかっと開き、あっさりと田茂地が告げる。
アスカは顔面蒼白になって、自分の左手薬指を見つめた。
しばらくその恰好で固まっていたアスカだが、意を決したように、顔を上げる。
「はったりね」
と、決めつける。
「はったりに決まっているわ」
「そう思われますか?、……ひいふう」
「……思うわよ!」
「しかし、確認しようがありませんねえ、……ひいふう。外したら最後、爆発してしまいますし……ひいふう」
「だから、それがはったりなのよ」
アスカは、指輪に見つめながら、指をかける。
「シンジおぼっちゃま、危険でございます……ひいふう」
「え?」
と、その声に顔を上げると、そこにはシンジ、田茂地の姿はない。
見れば、この一瞬で移動したとは思えないほどの距離を取り、甲板の上に身を伏せてこちらを伺っている。
「は、はったりに決まっているわ!」
アスカは、自分を鼓舞するように叫び、指輪を……指輪を……
……外すことが出来なかった。
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