#87 裸の王様


 ジオフロント、ネルフの本部棟。ピラミッドの形をしたその建物の最上階付近に、ゲンドウの執務室は存在する。食物連鎖をピラミッドに例えるように、ネルフ内の権力の中で、最高の地位にいることを示すかのように。
 しかし、それは過去の話となった。
 ゲンドウの執務室は、非常に広々とした空間を有している。
 セフィロトの木の描かれた広い床に、ぽつんとゲンドウのための執務机がある。セフィロトの木と机の配置などには、何か意味があるかも知れない。だが、普通の人間にとっては、宗教臭くてやばそうな部屋、と言う程度の感想でしかない。
 執務机は、重厚で広々とした巨大なものだが、それでも、部屋の広さ、寒々しさを減らすことは不可能。それほどまでに、無意味に広い部屋だった。
 また、執務室は光量を落とし、非常に薄暗い。
 執務席に座したゲンドウは、地獄の裁判官のような趣で、かつてはそこから、無言で部下を威圧していた。
 部下達はゲンドウに恐怖し、逆らおうなどとは、欠片も考えなかった。対外的どころか、内部の人間、部下達の多くにも、ゲンドウは忌み嫌われている。しかし、同時にこの上なく恐れられていた。ゲンドウの勘気に触れて行方不明になった人間も数知れずと言う、真偽不明の噂も、ゲンドウに対する恐怖を助長してきた。あの司令ならばあり得ると、ネルフ職員の全てはゲンドウに恐怖し、命令に諾々として従ってきた。どんな理不尽な命令であろうが、従う以外の選択肢を持たなかった。
 だが、これも、過去の話だ。
 本日、ゲンドウは、常のような恰好で執務席に座り、その脇には冬月。いつもの配置である。
 どちらも、手持ちぶさた。本日は両者共に、仕事が存在しなかった。
 かつてはゲンドウの指示の元で動いてきたネルフは、ゲンドウ抜きで、動いていた。命令を下しても、誰も聞かず、誰も、ゲンドウの判断を求めてこない。今や、ゲンドウは裸の王様だった。
 しかし、それでもゲンドウは比較的忙しい。
 なぜなら、いつの間にかゲンドウのあずかり知らぬ所で、ゲンドウの名前、書類で、予算が申請されていたりするから、油断がならないのだ。
 予算をぶんどりに出かけることは、これまでも珍しいことではなかった。
 だが、これまでは、全てはゲンドウのコントロールの元で、予算を要求してきた。
 しかし、今は──
 苦々しい思いをかみしめる。
 元々、不機嫌にしか見えない表情がデフォルトのゲンドウなので、その内心を伺うことは難しい。だが、きっぱりとゲンドウは不機嫌だった。
 果たして、誰が、勝手な真似をしているか。
 考えるまでもなく、馬鹿でも解る。
 シンジだ。
 あるいは、シンジに付いて回っているあの小娘か。
 どちらにしろ、許し難い。
 だが、許し難いからと言って、シンジらが要求した予算ぶんどりの為の行動をとらない、と言う選択肢は存在しない。
 あくまで、ネルフはゲンドウの指示の元で動いている。
 ゼーレへのポーズもあり、それを示さねばならないのだ。
 実はアレは、息子が勝手にやったことです。
 ゼーレへのポーズが無くとも、どの面下げて、そんなことを言えるというのか。
 他組織に蛇蝎の如く嫌われ、同時に、魔王の如く恐れられているのが、碇ゲンドウである。だが、そんなことを口にした瞬間、哀れな道化になり果てる。誰も、彼を恐れなくなること、明白である。
 だから、どれほど苦々しい思いを感じながらだとしても、勝手に用意された席に付き、勝手に提出された書類通りの金額をぶんどってくる。そうすれば、少なくとも、対外的に碇ゲンドウの名前に傷は付かない。人間性については、あくまでも我を通すゲンドウであるから傷が付きまくりだが、それは今更のことである。
 哀れなピエロよりも、嫌われても、恐れられている方がまだましである。嫌悪されるのはいい。自分で選んだ道だから。だが、間抜けと思われるのだけは、許容できなかった。
「……冬月」
 ゲンドウは、いつものポーズのままで、口を開いた。
 今日は、久々に予算分取りのない、暇な一日だった。
 更に幸いなことに、シンジは、例の小娘を連れて、太平洋艦隊へ、弐号機及びセカンドチルドレンを迎えに出かけている。非道く平和で、心の安まる一日になりそうだった。
 これで、太平洋艦隊と、シンジが沈んでしまえば万々歳──
 なのだが、それも望み薄だとゲンドウは考える。
 何しろ、憎まれっ子世にはばかるという。
 まさしく、憎たらしいシンジとあの小娘であるから、非常にしぶといことは間違いない。それこそ、頭をつぶしでもしない限り、くたばりそうにない。
 などと、自分も憎まれていることを棚上げして考えるゲンドウである。
 兎に角、今日は平和な一日になりそうだった。
 このまま、心安らかに──していられるわけがない。
 ここで安穏としてしまっていては、いつまで経っても、この状況を改善することは不可能だ。いつまで経っても、シンジの良いように使われることになってしまう。
 それは、許容できない。
 そう、何時までもシンジの好き勝手にはさせない。
 ゲンドウは決意して、口を開いた。
 シンジの始末については後回しにして、今出来る事から、片付けていく。
 半ば逃避かも知れないが、少なくとも、このまま黙っているよりはましだ。
 だから、ゲンドウは自分のシナリオに必要不可欠なもう一つの存在について、片を付けることにした。
「レイを、4人目に移行する」
 綾波レイ。
 彼女は、ゲンドウのシナリオにとって必須の人間だ。
 サードインパクトの方向を、人為的に歪めるためにも、レイの歓心を得ておく必要はある。レイを、自分に絶対服従の人形にしておく必要がある。
 その為には、今のシンジに取り込まれた綾波レイは不要。逆に、きっぱりと有害だ。
 だから、まっさらな4人目に変える。
 魂の引き継ぎはなされても、記憶の引き継ぎはなされない。
 再び、教育を施し、ゲンドウに絶対服従であることを、頭に、体に叩き込む。
 その課程で、再びごにょごにょ出来るのも、非常に美味しい。
 最近、ますますユイに似てくるレイに、邪な思いを抱くゲンドウだった。
 だが。
「どうやってかね?」
 冬月に突っ込まれる。
「……保安部を使え」
 殆ど反射的に答え、ゲンドウは内心で顔を顰めた。
「お前も知っての通り、保安部員は皆、シンジ君の親派だ」
 ゲンドウの内心には、一瞬で思い当たっただろうが、わざわざ冬月が指摘してくれる。
 イヤな奴だ。
 と、ゲンドウは思ったが、口には出さず沈黙した。
 折角のチャンス。
 なのに、行動させる部下が居ない。 
 その現実。
 自分が、裸の王様である。
 その事に、苦い思いを抱く。
 代わらず、ゲンドウはネルフのトップである。
 各国に支部を持ち、強大な権力を持つ特務機関、ネルフの総司令。
 それが、自分、碇ゲンドウだ。
 しかし、現実には、命令を聞いてくれる部下一人居ない、哀れなピエロ。
 いや、各国支部に視線を向ければ、ゲンドウの命令に従ってくれる人間は存在するだろう。矢張り、ゲンドウに人間性に対する嫌悪感から、数は少なそうだが。
 だが、ネルフ本部に、ゲンドウの命令に従ってくれる部下は、非常に少ない。殆ど皆無と言ってもいい。特に、実行部隊は、ほぼ100パーセント、シンジに取り込まれるか、そうでない者は行方不明になっている。芦ノ湖の底をさらえば、彼らの内の何人かは発見できるかも知れないが、使えないのであれば、居ないのと一緒だ。
「どうやって、今のレイを処分するのかね?」
 冬月の方も、今の状況に思うところがあるらしい。
 わざわざ嫌みったらしく、繰り返す。
「……」
「おまけに、誰がレイに教育を施すのかね? 赤木君も居ないのだぞ? 私や、お前に出来るのか?」
 レイの教育プログラムは、全てリツコに任せてきた。そのリツコも、シンジに取り込まれている。元々、ゲンドウ、冬月も科学者、研究者であったが、現在ではその世界から離れて久しい。とてもではないが、効果的なプログラムを組んで教育を施せるとは思えない。
「……」
「どのみち、シンジ君が我々が教育を施すのを、黙って見ていると思うのかね? 力ずくでかっさわれるのがオチだよ。兵隊のいない我々がシンジ君に対抗できるのかね? ──だから私は言ったのだ。シンジ君は危険だと。なのに、お前は所詮子供だと──」
「……冬月先生」
 老人の話は長くなるから困る。
 ゲンドウは内心で呟きつつ、冬月の名前を呼んでその口を閉ざさせる。
「何だ?」
 長広舌を封じられた事に不満があるのか、険悪な口調で冬月が聞き返してくる。
「……大陸の劉一族を頼ります」
「な──!」
 冬月は絶句したように動きを止める。
 劉一族。
 例の、SSTO内でゲンドウに声をかけてきた高官。その高官の連なる大陸系の裏組織。それが、劉一族である。
「馬鹿な。お前はまた、軒を貸して母屋を取られることを繰り返すつもりか?」
 果たして、その劉一族に、ゲンドウのコントロールが効くのか? 効かなければ、シンジの時の二の舞だ。わざわざ自らネルフ内部に、敵を迎えることになる。そうなれば、ますます、ゲンドウや冬月の出番など無くなってしまうだろう。
「……問題ない」
 ゲンドウは、くいっとサングラスの場所を直し、自信満々で言った。
「……二度と、同じ轍を踏むつもりはありません」
「その自信が、過信でないと良いがな」
 ちっとも信用していない口調で、冬月が応じる。
「やつらとシンジとを噛み合わせればいいのです。我々は、漁夫の利を狙う。それだけのことですよ」
 そんなに話がうまく進むものか。
 そう言った具合に表情を顰め、冬月はもう一点、問題となる部分を指摘してやる。
「それに、ゼーレの老人達はどうするつもりだ? 劉一族とゼーレは決して、折り合うことが出来ないはずだが?」
 ゼーレは、白人優位主義の固まりである。
 対して、劉一族は勿論黄色人種である。
 ゼーレは劉一族を一段低く見ている。現実、その勢力はゼーレに及ばない。だが、だからと言って、低く見られて喜んでいられる人間は少ないだろう。勿論、劉一族は少数派ではない。
 だから、ゼーレと劉一族が手を結ぶことは難しい。少なくとも、ゼーレの老人達に、そのつもりはないはずだ。それを、ゲンドウが勝手に行う。問題とならないはずもない。
「前門の虎に、後門の狼。──ならば、無理矢理にでも先に進んだ方がましです」
「……まあ、良いがね」
 現状では、何もできないままに事態が推移して行くであろう事は、冬月にも解る。
 ならば、危険を承知で、少しでも先に進める手を打っておくことは、悪いことではない。どうせ、これ以上失うものはないのだから。
 そう思い直し、冬月は頷いた。

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